第七話
街のすぐ傍にある、大きな山の中腹に建てられていた小さな神社で、雲外は神霊の御神体として祀られていた。
しかし、それは神主の勘違いであり、雲外鏡には神霊など宿っておらず、ただの妖怪であった。
雲外は暇つぶしに自らの力を使って、願い事をしに来る人間一人一人の本性を、化けの皮を剥がしていた。
すると、お参りに来た人間達が口を揃えて嘘や隠し事がバレただ、人間関係でトラブルになったなど、文句を言いに来るようになった。
そうした日々が続き、あっという間に呪われた神社が完成してしまった。
参拝者はあっという間にゼロになり、神主は神社を捨て、山を下りた。
見捨てられた神社に、たった一人残された雲外。ただただ、時間が過ぎるのを待つ毎日を何十年も過ごし続けた。
鏡は汚れ、妖力もほとんど使えなくなっていった雲外の下へと、ある日突然、二人の参拝者がやって来たのだ。
賽銭箱に寄り掛かりながら温かな陽に当たり、昼寝をしていた雲外は、近づいてくる足音で目を覚ました。
「人……?」
階段を上って来たのは、ジャージ姿の男とスーツ姿の男。ジャージ姿の男は、雲外を見つけるなり駆け足で近づいてきた。
「この薄汚いのが雲外鏡なのかぁ⁈」
「そうだよ! やっぱり、この神社はまだあったんだ‼」
嬉しそうに汚い神社を見上げる男は、財布から五円玉を取り出すと賽銭箱へと投げ入れた。
手を合わせて願い事をする人間を、雲外は何年ぶりに見たのだろうか。
更にこの男は、何人もの人間を見てきた雲外でさえも、見たことが無かった人間の類だった。
裏表も、隠し事も何もない綺麗で真っ白な人間。
もはや、人間とは思えないほどに美しいものに見えた。
「何もご利益などない。神など元から祀られていなかったのだからな」
「でも、君は立派な雲外鏡だろう? 妖怪の中で、一番美しいと言われている存在だ」
「美しさなど、とっくの昔に無くした」
「綺麗な女かと思ったのによ。男かよ、つまんねぇ」
愚痴をこぼしたジャージ姿の男は、雲外の隣に腰かけると煙草に火をつけた。
「好きな女が居るのだろう? 女遊びなど、お前は絶対にしないはずだ」
「は……なんで知ってるんだよ‼」
「女は訳ありみたいだな」
思わず口から落としそうになった煙草を、慌てて手に取った男は雲外から少し距離を取った。
「なんだ。一真、好きな人が居たのかい?」
「別に……そんなんじゃねぇよ」
「雲外君は、相手の嘘や本性を全て見抜ける力を持っているからね。それに、他にも沢山の力があると聞いたよ」
「お前らは一体何者だ? 小生の力を借りに来たのなら、さっさと帰ることだな」
「僕は神林出雲、隣に居るのは百目鬼一真。僕らは君をスカウトしに来たんだ」
「スカウト……?」
優しい笑みを浮かべた神林は、雲外の傍に置かれていた鏡に手を伸ばした。それを阻止するように雲外は、力強く神林の腕を掴んだ。
神聖な実体を誰かに触られるなど、決して許されざる行為。雲外は容赦なく、手に力を込め続けた。
「ごめん、ごめん。勝手に触るのは良くないね」
「……何用だ?」
「僕達に、この鏡を綺麗にさせてくれないかな?」
「お前らに?」
「まぁまぁ。見とけって、美青年よ」
背後から鏡を奪って行った百目鬼へと掴みかかろうとしたが、相手に偽りが見えなかったため、雲外は黙って見守ることにした。
すると百目鬼は、謎の液体を染み込ませた布で鏡を拭き始めた。
初めて他人に触れさせ、しかも、謎の液体で洗われている姿に雲外は不安しかなかったが、肩に置かれた神林の手は何故か安心出来た。
「大丈夫。一真はああ見えて器用だから」
「お前は、何故ここに来た?」
「ここに、結界が張れる妖怪が居ると聞いてさ。しかも、雲外鏡はとても強い妖怪だって言われていたから、是非会いたいなと思って」
「結界が必要なのか? 人間が一体何を企んでいる?」
「僕は、この街を変えたいんだ。人間と妖怪が仲良く暮らせる街にするのが、僕の夢」
「人間と妖怪が……仲良く……」
何処かで聞いた事があるような言葉の並び。
雲外にとって、そんな馬鹿げたことを言う奴は初めてでは無かった。何度も聞いたことがあるような言葉だったが、何十年も一人で過ごし、孤独に慣れてしまった雲外にとっては、明るかった過去の思い出などは全く思い出せなくなっていた。
「おらよ、綺麗になっただろ?」
「これは……素晴らしい……」
「そんな褒めてくれなくても――」
「結界を張りたいのなら、力を貸してやってもいいぞ」
「本当に⁈」
雲外は百目鬼を無視して、鏡を神林に手渡した。
「僕らの事務所に張って欲しいんだ」
「ならばその鏡の前で、場所を心の中で思い浮かべろ」
「分かった!」
輝きだした鏡へ吸い込まれるように消えて行った二人。
雲外は、神社に張られていた結界を消すことなく、その場から離れる選択をした。良い思い出も、悪い思い出も詰まっていたこの場所が汚れるのは嫌だった。
それに、この神社には無くなってはいけない理由があったからだ。
「ワープ機能は楽だな!」
「お前に使わせる日は二度と来ない」
「は? 俺だぞ? 綺麗にしてやったのは!」
「その態度だろ。気に入られないのは。この酔っ払いが」
「よし、今日こそ拳で喧嘩するか?」
意外に広い雑居ビルの二階にあった事務所には、騒がしい二人に、神林。
雲外は、綺麗な空気がするこの事務所の中に混じる魔物の邪悪な空気を、ここに来た瞬間に感じ取っていた。
「この辺りには魔物が居るのか?」
「ここらは無法地帯と言われていてね。魔物の数が一番多い街なんだよ」
「だから襲われないようにも、この事務所に結界が必要なのだな?」
「街を変えようとしている僕らが襲われてしまったら、元も子も無いからね」
「分かった。すぐに張ろう」
雲外が始めようとすると、破れて薄汚れていた服の袖を、神林に優しく引かれた。
「待って。まず、その汚れた体を綺麗にしないか? 洋服も用意しているからさ」
「服……?」
神林は、積み重なっていた段ボールの中から、様々な物を取り出し始めた。そして、奥の方から引っ張り出してきたのは、大きめの服。
全身紺色で変な形をした帽子まで付いていたその服に、雲外は少し興味を示した。
「それは何だ?」
「警備員の制服だよ。やっぱり大きな人が良いなぁって思って、大きめのサイズを買っておいたんだけど、大正解だったね‼」
「警備員……」
雲外は満足げに微笑む神林から制服を受け取ると、教えてもらったシャワー室に向かおうとした。
しかし、またしても神林に引き留められる。
「あ、そうだ! 君の名前を聞いてなかったよね?」
「名前……雲外と呼ばれていた記憶はあるが?」
「雲外……」
確か、人間と暮らすためには名前と苗字というものが必要だったはず。
自分達で考えていい決まりだが、雲外にはどうでもいいことであった為、神林が首を捻らせている間にシャワー室へと向かった。
シャワーを終え、身長の高い雲外にも丁度良い警備服に着替えると、事務所のドアの前へと立った。雲外の手に掛かれば、精神を全集中させて二回ほど深い深呼吸を行い、手でドアに軽く触れるだけで、結界などというものは簡単に張れてしまう。
そして、張り終えた雲外の隣からゆっくりと顔を出した神林は、雲外を見上げて新たな名を述べた。
これから先、彼以上に綺麗な人間を見ることはないだろうと感じていた雲外は、その名を受け入れた。
いつか、恩返しをするために。
この事務所を、主を、守り抜くために。
その日が来るまで、雲外丞はここでずっと立ち続けていた。
「以上です」
「やっぱり、神林さんって特別な人なんですね。百目鬼さんも河井さんも、あの人だけは違ったって。皆救われたって言っていました」
「それは晃明殿もだと思いますが」
「全然ですよ」
山の向こうから昇って来た陽の光が、二人を包み込み始めていた。
そろそろ帰らなければと、腰を上げた晃明から大きな欠伸が溢れ出した。
「小生は、恩返しのためにあの場所を守って来ました。しかし、これからは少し変えようと思います」
「え?」
「泉晃明殿を守るために。小生は、貴方に会うためにここに来たようなものです。この街を変えられるのは、晃明殿だけですから」
鏡を晃明へと向けた雲外の銀髪が、陽の光で宝石のように輝きを放っていた。
「晃明殿のお陰でようやく思い出せました。それに、確信が持てました」
「雲外さん……?」
「晃明殿は、誰よりも特別なのです。小生にとって……」
顔を綻ばせた雲外に向かって、晃明は手を伸ばした。しかし、一瞬にして晃明の体は、誰も帰って来ていない事務所のソファの前に移動していた。
共に居たはずの雲外の姿はいつになっても現れないまま、晃明は急激な眠気に襲われてしまい、ソファへと倒れ込んでしまった。
『晃明くん。晃明くん‼』
『誰?』
『どうだった? 魔物の心の声を聞いた感想は?』
『どうって……魔物にもちゃんと理由があって、本当は人間と暮らしたい気持ちがあるってことも分かったけど……』
『それは良かった! 今まで我慢していたからさぁ。今日から僕、本領発揮しちゃうね‼』
『待って……君は誰なの⁈』
『それは……』
初めて見た奇妙な夢の世界。
辺り一面全てが真っ白の世界の中で、明るい男の子のような声が話しかけてくる夢。その声に聞き覚えは全く無いのだが、晃明が魔物の声を聞いたことを知っていた。
でも、最後だけ。最後だけは、どうしても聞き取れない。
そして、目が覚めてしまうのだ。
君は一体誰なのか――。




