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第三話





晃明の目の前に現れたのは、昔ながらのお店とも言える小料理屋さんだった。


二階建ての家の一階がお店になっており、青色の暖簾には『えんら』と書かれていた。開けられたドアから漂ってくる匂いに、口の中が唾液で満たされていく。


晃明も暖簾をくぐると、店内は畳のテーブル席二つとカウンター席七つだけであり、カウンターに座る百目鬼の向かいには、着物姿の女性が二人立っていた。


「あら、どうちゃんのお友達?」


「こいつは泉晃明。友達じゃなくて後輩な」


「イケメン……」


「いらっしゃい。私は女将の玉子です。どうちゃんのお友達なら、沢山サービスしとくわね?」


「あ、ありがとうございます」


 温かな微笑みを浮かべている百目鬼さんと親しげな、自分の母親と同い年だろうと思われる女性と、白い着物に黒髪が映える、綺麗な若い女性が営んでいるお店。このお店は絶対に美味しいに決まっている。

俺はすぐに百目鬼さんの隣に座ろうとすると、自分が閉めた引き戸が勢いよく開け放たれた。


「ちょっと雪音! 手伝ってくれてもよくない⁈」


「あ、ごめん。でも今は無理」


 黒髪ショートに、パーカーにジーパン。手首には橙色のミサンガが付けられていた。このお店の従業員とは思えない姿の女性は、お酒の一升瓶が沢山入っている重たそうな箱を持って入って来た。


「あの、良ければ俺が運びますよ?」


「本当⁈ 助かる!」


 女性は晃明に箱を手渡すと、満面の笑みで微笑んだ。


「キッチンの奥に運んでほしくて」


 晃明の体を震わす何か。彼女の笑みが脳内に残り続け、占領していく。

彼女の後を追って行くが、晃明が今考えられることは、これをどこに運ぶのかということではなく、彼女は何者なのか。名前や年齢。彼氏は居るのか居ないのか、それだけだった。


「ありがとう! 本当に助かったよ」


「いえ……」


 晃明は言われた通りの場所に置くと、花笑む女性に心臓を鷲掴みにされていた。


「おい、あかり。一本くれ」


「でた。ラッパ飲みおじさん」


「うるせぇ。さっさと渡せ」


「はいはい。金払うならいくらでも渡しますよ」


 晃明達が入って来たキッチンの扉を足で押さえ、お酒を催促する百目鬼が二人の間に割り込んだ。仲結ばしいといえば、そうとも見える二人に晃明は妬心を抱いていた。

席に戻る間も、戻ってからも、晃明は二人の会話には入れずに、ただただ見つめることしか出来なかった。


「そうだ、こいつ俺の後輩の泉晃明」


「晃明! 私は燈。よろしく!」


「よ、よろしくお願いします……!」


「女将さんが作る料理はどれも美味しいから、ゆっくり食べて行ってね?」


やはり気になって仕方がない。

百目鬼の隣に座って、楽しそうにちょっかいをかけ続ける燈は、百目鬼の事が好きなのか。いや、仲がいいだけなのか。出された烏龍茶を飲みながら考えていれば、目の前に置かれたのは、ただ美味しそうなだけじゃなく、綺麗とも口に漏らしてしまいそうな程の肉じゃがだった。


「食べてくれませんか?」


「え、もちろんです!」


白い着物を着た女性は、晃明に懇願するような視線を向けていた。

こんな美味しそうな肉じゃがを食べない選択肢があるのか。晃明は、箸と共にお皿を手に取った。

すると、肉じゃがからは感じられることがないであろう冷え切った感覚に、思わず指先が凍りそうになった。慌ててカウンターにお皿を置くと、隣から手を伸ばしてきた百目鬼さんによって、お皿は女性の手へと戻されていった。


「お前の飯を食う奴は出雲だけだ」


「今食べてくれるって言ったもん!」


「馬鹿。何も知らねぇ奴に食わせようとしただけだろ」


「貴様は黙っていろ!」


熱くなっていく口喧嘩に、晃明はすかさず彼女からお皿を取り戻すと、ほぼ凍り付いている冷たい肉じゃがを口の中へと運んだ。


「ん、美味しいです! 冷たいのは食べたことなかったですけど、全然いけますよ!」


少し硬いけれどちゃんと噛み切れるし、味もちゃんと染みついている。底の方は完全に凍り付いてしまっているが、少し待っていれば食べられそうだ。

それにしても、冷たい肉じゃがなんて斬新なアイデアだ。


「お世辞言うと調子乗るからやめとけ」


「本当に案外いけるんですって!」


「俺は絶対にパスだ」


手を払うと百目鬼は、一升瓶をそのまま口に銜え、お酒を体の中へと流し込んでいった。


「晃明様! 私、晃明様の為なら何でもお作りします!」


「え?」


駆け足でカウンターから晃明の隣までやって来ると、女性は晃明の両手を冷たく小さな手で包み込んだ。


「私は雪音と申します! 是非、貴方の妻にしてください」


「え?」


「私、何でもします。それに――」


「おい、雪女。酒のお代わり持ってこい」


百目鬼は、いつの間にか飲み干していた一升瓶を雪音に差し出すと、二人は眉間に深い皴を浮かべて睨み合う。その結果、雪音は舌打ちを残すと、キッチンの奥へと消えて行った。


「これで二人目ね。旦那さん候補は」


「まさか本当に食べるとは思わなかったなぁ」


「あの……どういうことなんでしょうか?」


女将の玉子は晃明の前に、茶碗蒸しとだし巻き卵を置いた。試しに触れてみるが、それらも全て凍ってしまいそうなほどに、冷たくなっていた。


「雪音ちゃんは雪女なのよ。彼女が触れたものは全部冷たくなってしまうの。少しの間ならそれほど問題はないんだけどね。料理になると緊張するのか、少しでも触れると底からどんどん凍ってしまって」


「そうだったんですね……」


「こんな私の料理でも食べてくれた優しい人と結婚したいって、雪音は昔から、来る客来る客に出し続けているのよ」


晃明は雪音の事を聞きながら、解け始めていた肉じゃがとだし巻き卵を一気に食べ終えた。口の中が少しだけ痛くはなったが、きちんと旨味と一生懸命作ったことが伝わって来る料理であった。


「腹壊すぞ」


「大丈夫です。俺猫舌なんで、逆に丁度いいんですよ」


「これは、モテるタイプの男だね」


「そうか?」


「晃明はあんたと違って思いやりがあるのよ!」


「俺にもあるだろよ!」


次に始まった百目鬼と燈のいがみ合いを止めに入ったのは、一升瓶を二人の間に力強く置いた雪音だった。


「夫婦喧嘩はよそでやって」


「だから、私はこんな男なんて――」


「俺らみたいにお前らも仲良くやれよー」


「ちょっと……⁈」


百目鬼は酒を流し込みながら燈の肩に手を回し抱き寄せた。それに対して、燈は頬を赤らめ、嫌がる素振りは見せていなかった。

その光景に晃明は、二人の関係に確証が持てた。


「晃明様は今恋とかしてらっしゃいますか?」


「え……いや、してないかな?」


「本当ですか⁈」


「でもよ、男を凍らせて殺す雪女に結婚願望があるなんて、面白れぇよな」


「若い男と、愛した男は殺してないもん!」


晃明の隣に腰かけ、減っていたグラスに烏龍茶を注いでいた雪音は、口を尖らせて否定すると晃明を上目遣いで見上げてくる。


「雪音さんは優しい方ですもんね」


「はい……」


分かりやすく赤面した雪音は、慌てて顔を隠した。


「さっさと付き合え」


「いや、そんないきなりは」


「怖がりでビビりまくりの男とは無理か! 内心、雪女を前にビビってんだろ?」


「そんなことありません‼」


晃明は声を荒げて強く否定をすると、茶碗蒸しを一気に口の中へとかきこんだ。


「優しくしてくれた方を恐れるなんて、人のやることではありませんから」


口を拭きながら晃明は、雪音に優しく微笑みかけた。

周りにいた皆はそんな晃明の姿に呆然としていた。特に百目鬼は、酒を飲もうとしていた口を開けたまま止まっていた。


「晃明君はとてもいい子なのね」


「そうですかね? 母からはそうやって教えてもらっていたので」


「本当、一真とは大違い!」


「違うかもだけどよ……出雲とそっくりすぎるだろ」


「確かに。雪音が好きになる人は皆優しい人ね」


「やっぱり私、晃明様の妻になります!」


「それは少し……保留で」


晃明は、烏龍茶片手に玉子の料理を食べ進めた。冷たい料理も温かい料理も、晃明にとってはどれも美味しく、満腹になっても食べていたいと思えるほどだった。




「俺は……絶対に、街を変えてみせます!」


「嘘だろ。料理酒で酔うのかよ……」


「あら、次から気を付けなくちゃね」


アルコールが全く駄目な晃明は、料理に使われていた料理酒だけで、酔っ払い状態となっていた。


「覚悟しといてくださいよ!」


「分かったから。もう休めって」


「ビビりを……完璧に、克服しますから!」


張り切って宣言した酔っ払い晃明は、次の瞬間、勢い余って百目鬼が飲んでいたアルコール度数の高いお酒が入っているお猪口を、口に運んでしまった。


「おい、馬鹿! それは‼」


 気づかずに飲み込んでしまった晃明は、一瞬にしてカウンターへうつ伏せに倒れこむと、そのまま気を失った。





 ゆっくりと重たい瞳を開ければ、木の板が綺麗に並ぶ天井が目に入る。


今まで何をしていたのか、自分の身に何があったのか、晃明の記憶には何一つ残ってはいなかった。

丁寧に掛けられた毛布を剥いで起き上がると、後ろから片腕が引かれる感覚に、晃明は後ろを振り返った。


「おぉ……?」


 そこには、気持ちよさそうに晃明のワイシャツの裾を掴みながら眠る、雪音の姿があった。

ワイシャツの袖は冷たく凍っており、寝間着の浴衣なのか、はだけて白い肌を露わにしている姿に、晃明はすぐさま視線を逸らした。


「雪音が惚れた男は、晃明君で三人目だね」


「玉子さん。ご迷惑をおかけしてすみません」


「いいのよ。次からは料理酒は使わないようにしとくわね?」


「ありがとうございます」


 店の奥にある二階へと続く階段から降りてきた玉子は、キッチンに向かうとコップに水を注ぎ、晃明に手渡してくれた。


「雪音がとても心配していてね。ずっと傍にいたのさ」


「雪音さんが……」


玉子は、はだけた肌を隠すように雪音へと布団をかけなおした。

 晃明から手を離した雪音は、晃明が使っていた枕を握ると嬉しそうに微笑んだ。その光景に、晃明も玉子もつられるように口角が緩んだ。


「妖怪辞典を常に持ち歩いて勉強しているらしいね」


「はい。まだまだ妖怪達のことを何も分かっていないので」


「雪女は勉強したのかい?」


「いえ……」


 晃明は枕元に置いてあったリュックから妖怪辞典を取り出すと、雪女のページを開いた。そこに載っていた古い絵には、長い黒髪の雪女が、白い息を眠っている男性に向かって吐き出している姿が描かれていた。


「怖い絵に見えるだろ?」


「昔話でよく見た絵ですね」


「本当は、とても優しい妖怪なのさ」


「たしか、命を助けた男性に自分と会ったことは、死ぬまで内緒にする事を約束させた。そして、その男性と人間として出会った彼女は、恋に落ちて結婚した。でも男性は、内緒だと約束していた雪女の話を彼女にしてしまった」


「雪音は彼に一目惚れをしたと言っていた。だからこそ、雪女のことなどは忘れて欲しかった。妖怪としてではなく、人間として彼と出会い、別れたかったから」


「信頼していた好きな人に雪女と似ているなんて言われたら、悲しいですよね」


「二人目の男には見向きもされなかったからね。だからこそ、優しくしてくれた晃明君の事が好きで、好きで仕方ないのだと思うよ」


 玉子が雪音の頭を撫でながら述べると、晃明は辞典をリュックにしまいながら、ふと思ったことを問いかけてみた。


「二人目の男性は、どんな人だったんですか?」


 その問いかけに答えようとした玉子を遮るように、いつの間にか暗くなっていた外から、誰かが店の引き戸を開けた。


「奴よ」


 呆れたような玉子の声と共に入って来たのは、不安そうな表情を浮かべた神林だった。


「神林さん⁉」


「おぉ、元気そうで良かった」


 神林も、雪音の料理を食べたと言っていた。だから雪音は惚れ込んでアタックした。でも、これほどまでに優しそうな神林が相手をしないって事は、彼は恋愛に興味がないという事なのだろうか。


「出雲に憧れるのはいいけれど、乙女心を理解できない所は真似しちゃ駄目よ?」


「何の話?」


「貴方が一生理解する事が出来ない恋愛の話」


 玉子に冷たく言われると、神林は頭の後ろを掻いて「難しい話だな」と苦笑を浮かべていた。

自分が思っていたことが当たっていた晃明は、神林の思いがけない弱点に少し口角が緩んだ。


「なんだい? 私が独身なことを馬鹿にしているのか?」


「してませんよ!」


「一生貴方には結婚なんて無理よ」


「ですよね……」


 玉子の厳しい意見に、神林は分かりやすく肩を落とした。


「玉子さんは、結婚とかしないんですか?」


「しているわよ?」


「え……?」


 リュックを背負い、帰り支度を始めていた晃明の前に左手の甲を向けた玉子の薬指には、綺麗な指輪が輝いていた。


「す、すみません……!」


「いいのよ。亡くなってしまったけれど、これだけはちゃんと残っているわ」


「きっと旦那さんも、今でもちゃんと付けてくれていますよ」


「それなら嬉しいわ」


 穏やかな笑顔を浮かべた玉子と、未だ眠ったままの雪音に別れを告げると、晃明は神林と共に店を後にした。


外はすでに月が輝き、街頭の明かりが灯っていた。まだ少し肌寒い夜風に、晃明は身震いするとポケットへと手を入れた。


「あの、初日から迷惑かけてしまってすみませんでした」


「全然だよ。ゆったりとした会社だからさ、そんな仕事があるわけでもないし? 街の皆と仲良くなることが、僕らの一番やるべきことだから、いいんだよ」


「えんらのご飯どれも美味しくて、ハマっちゃいました」


「いいよねぇ。冷たい茶碗蒸しが一番かなぁ」


「分かります! でも、冷たい肉じゃがも、なかなかにいけますよね!」


 えんらの料理で話が盛り上がりながら、二人は事務所へと帰って行った。

地域安全制作部妖怪課での、最初の一日が終わった。











これは、泉晃明が悲しき妖怪達と出会い、自らが妖怪になるまでの物語だ。













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