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第二話




神林が指したソファへと向かって行くと、横たわっていたジャージ姿の男性に、晃明は緊張しながらも恐る恐る声をかけた。


「あの、今日からここで働かせてもらうことになりました、泉晃明です。よろしくお願いします!」


「どうも。ビビりで純粋な人間君だよね」


「ビビりではありますけど……」


「ビビりなのに、この仕事で大丈夫そう?」


「そこは、なんとか頑張ります!」


 薄目を開けて疑いの視線を送る男性に、晃明は一歩前に身を乗り出すと、男性はにこやかに微笑んだ。



「俺は百目鬼一真どうめきかずま。名前の通り、百目鬼ですわ」


 両腕の裾を捲ると、百目鬼は晃明の前に腕を差し出し、口角を怪しく上げた。


すると、突如として何もなかった綺麗な腕に、咲き乱れる様に現れた真っ赤な鋭い瞳。その一つ一つ全てが、晃明に鋭い視線を向けていた。


 思わず百目鬼の顔へと視線を戻した晃明だったが、その顔や首にすらも咲き誇っていた無数の瞳に、晃明は気を失いかけた。体から力が抜けていくように尻もちをつくと、鳥肌が立つ肌を擦り、晃明は荒くなっていた呼吸をなんとか落ち着かせた。


「こりゃあ、そうとうなビビりだなぁ?」


「こ、これは、いきなりの事で!」


 弄ぶように百目鬼は、晃明に腕を近づけたり、瞬きをさせたりとからかい続けた。

そんな光景を見て、晃明へと助け舟を出したのは、神林だった。


「こら、そんなに虐めないの」


「本当にこのビビりが役に立つのか?」


「この世の中に、分厚い妖怪辞典を持ち歩く勉強熱心な逸材を、私は見たことがないけどな?」


 いつの間にか、勝手に晃明のリュックから取り出していた古い妖怪辞典を手にしていた神林は、百目鬼

と書かれたページを開くと、晃明の前に差し出してきた。


「まずは、百目鬼君から慣れてみようか?」




「んなもん持ち歩く奴、今時居るんだな」


「勉強のためにも持ち歩いていたいんです」


「今は、スマホってやつを使うんじゃねぇの?」


「あれだと色んな情報が混ざっていて面倒なので、俺は、この辞典の情報だけに絞っているんです」


 晃明は瞳を隠した百目鬼の隣に腰かけ、辞典に視線を向けたまま会話を続けていた。

まだ、彼への緊張が解けていない晃明の体は力が入ったままで、握り締めていた拳の中は、手汗でびしょ濡れになっていた。


 隣に座っているのが、辞典に載っている百目鬼という妖怪。

さっきの河井とは違い会話はしやすいが、何か違った壁があるように感じていた。晃明をまだ、ここには認めていない。そう思われているのだと考えてしまった晃明の手汗は、更に増す一方だった。


「で? その辞典に俺はなんて書いてあんだ?」


「えっと……様々な悪さをした女性の身体中に、いつしか百の目が現れ妖怪と変化してしまった。と書いてありますけど……」


 疑問が浮かんだ晃明と百目鬼は互いに顔を見合わせると、同時に首を傾げた。


「俺って女か?」


「いえ、全く」


「だよな」


 寝起きのような寝癖が目立つ頭を掻くと、煙草の煙を深く吐き出した百目鬼の手の甲に、ゆっくりと現れる瞳。けれどその瞳は先程とは違い、どこか悲しげで、恐ろしい物には見えなかった。

あっという間に顔まで現れていた真っ赤な瞳に、晃明は視線を合わせ続けた。


「醜いだろ」


「そんなことは……」


「まぁ、でもその辞典様のいう通り、自業自得ってやつだな」


 百目鬼は大きく伸びをして立ち上がると、事務所の隣の部屋に続くドアの向こうへと消えて行ってしまった。


 百目鬼から感じた壁はもしかすると、晃明へのことではなく、自分が抱えている何かが壁を作っているのかもしれない。自業自得と述べた百目鬼さんの表情は、何かを恐れ、何かを隠しているような。晃明はそんな気がしていた。

勘だけはよく当たってきたのが、晃明の人生だ。晃明は辞典に載っている百目鬼についての説明を熟読し続け、彼が出てくるのを待った。


「そうだ。晃明君さ、百目鬼君とこれを届けに行って来てくれないかな?」


「分かりました!」


 晃明はリュックに辞典をしまい、神林から茶色い軽い封筒を受け取ると、百目鬼が入って行った部屋へと視線を向けた。


「百目鬼君なら、もう外に行ったよ」


「え?」


「あっちの部屋にも出入り口があるんだよ。あ、これから住むことになる晃明君の部屋を先に紹介しとこうか」


 神林は席を立つと、手招きをしながら隣の部屋へと入って行った。


 晃明はボストンバックを持つと、神林の後を追いかけ、明かりがつけっぱなしにされていた広めの部屋に入ると、辺りを見渡した。


そこにはシングルベッドが二つ並んでおり、向かいにはテレビが置いてあった。奥のベッドの上には、脱ぎ捨てられていた百目鬼のジャージが目に入る。


「事前にも言った通り相部屋なんだけど、彼って片づけだけは苦手だからさ、いつもこんな感じなんだよね。大丈夫そう?」


「大丈夫です。俺も似たようなものなんで」


「お風呂とトイレはあの扉ね。 キッチンはさっきあったでしょ?」


「さっき?」


「え? 動揺していて視界になかった?」


 晃明は、ボストンバックを綺麗なベッドの方に置くと、神林と共に事務所の方へと戻った。

事務所に戻ると、出入り口のすぐそばにあった小さな二口コンロと冷蔵庫。


「ここは二人で自由に使っていいから、仲良くしてあげてね」


「はい! では行ってきます!」


 穏やかに手を振る神林に見送られ、晃明はすでに待っている百目鬼の元へと、急いで向かった。





階段を下りて外に出た時に解けてしまった靴ひもを直そうと、ビルの前で晃明はしゃがみ込んだ。


「スーツにスニーカーって有りか?」


「あ、これは、その、お金が足りなくて。これから沢山働いて買うつもりです!」


「そうか」


 百目鬼は相変わらず寝起きのままの髪型だったが、装いは白シャツにジーパンというものに変わっていた。

 この会社では髪型服装自由とあるが、ここまで自由でもいい事を知った晃明は、革靴を買うことをこの短時間でやめることに決めた。


「お待たせしてすみません。これ、届けに行きましょう」


「いつ見てもそれ、暑苦しそうな格好だよな」


 百目鬼は、晃明の格好に対して苦虫を潰したかのような表情を浮かべると、ネクタイを引っ張ってわざと乱れさせた。


「俺も次からはもっとラフな格好で行きます」


「それがいいぜ。俺らは人と関わる仕事をしてるんだからよ。こういう格好の方が、怖くも怪しくもねぇだろ?」


 歩き出した百目鬼の背中を眺めながら晃明は、彼がただ単に楽をしているわけではないという思いに、彼に対して憧憬の念を抱いた。


 しばらく静かな川沿いを歩いていくと、楽しそうな雰囲気が感じられる明るい外観をした建物が目に入って来た。静かな質素な道で、こんなにも明るい建物を見つけると、遊園地に来たかのように心が浮き立つ。

百目鬼を追い越して近づいて行けば、建物の正面に大きく書かれた『桜幼稚園』の文字に、晃明は思わず閉じられていた門に触れた。


「幼稚園だ……!」


「子供好きなのか?」


「大好きです!」


「なら丁度いい。神林から受け取った封筒をここの園長に届けてこい」


「分かりました。あれ、百目鬼さんは行かないんですか?」


「子供は苦手だ」


 百目鬼は、本当に遊園地で遊んでいるかのようにはしゃぐ子供達から視線を逸らすと、サンダルの音を引きずりながら、幼稚園を通り過ぎて行ってしまった。


 無理矢理引き止めることも出来ず、渋々晃明は一人で門を伝って歩いていくと、たどり着いたのは、入り口らしき桜色のドア。近くにチャイムも見当たらないため、晃明は思い切って扉を引いて、中へと足を踏み入れた。


「あの……すみません。安全制作部妖怪課から来た者なのですが、お届け物を……」


 様々な色で塗られた壁には、子供達が書いたのであろう絵が沢山飾られていた。

晃明は扉を閉めると、子供達の絵に向かって更に近づいていく。靴で行けるぎりぎりまで攻めて絵を眺めていると、後ろから近づいてくる足音が聞こえてきた。


「なんだい?」


「あ、お届け物を届けに参りました!」


「見ない顔だね。新人さんかい?」


「泉晃明といいます。これからよろしくお願いします!」


 華やかなエプロン姿の白髪の老女は、晃明から封筒を受け取ると、顔を近づけじっと細めた目で見つめてきた。


「え、えっと……」


「そうか、人間か。神林が認めた人間なら申し分ないが、あんたはどこか弱弱しく見えるぞ?」


「まだ、慣れてないだけだと思います!」


 笑って誤魔化しながら老女から距離を取ろうとした晃明に、老女はすかさず腕を掴むと、睨みつけるような視線を向けてくる。


 このお婆さんはただものではない。


腕へと食い込んでいく鋭い爪に耐えきれなくなり、晃明は老女の腕を掴み返してやろうとしたが、一瞬視線を腕に落としていた間に老女の姿は、どこかで見覚えがあるような妖怪の姿に変わっていた。


「うわぁーー‼」


 世界最凶のお化け屋敷でするような絶叫をした晃明は、貧血を起こしたようにその場へと崩れ落ちて行った。


「こんなので怖気ついていたら、その仕事は出来っこないよ!」


「い、いきなりは、本当に、流石に……駄目なんですよ……」


「だらしない男だね」


 腰を抜かしていた晃明に呆れながら、老女は玄関の段差へと腰かけた。

 老女には鬼のような鋭い角と牙が生えており、まるで、昔話に登場する山姥のような姿をしていた。

晃明は段々と動けるようになっていった体をなんとか動かし、リュックから妖怪辞典を取り出すと、山姥と書かれたページを開いた。


「貴方はもしかして、この妖怪ですか?」


「そうさね。私は山姥さ」


 辞典に書かれている内容を読んでいくと、晃明は昔話で聞いていた内容とは違う一文を見つけた。


「怖いだろ? 昔は人を喰って生きてきたのは事実だからね」


「でも、理不尽に山に捨てられたお婆さんが変化したと書いてありますけど、これは?」


「私が住んでいたのは貧相な村だったからね。飢餓が進んでしまって、老人に食べさせる飯はないと、山へ捨てられることもあったのさ」


「そんな……」


「人間は自分の事で手一杯になると、周りの事など考えられなくなってしまう生き物だから、仕方のないことさね」


 晃明は辞典を閉じると、描かれていた恐ろしい山姥よりも穏やかな表情を浮かべていた老女の隣に腰かけた。


「でも、神林だけは違ったのさ」


「神林さんが?」


「あの人はね、この街で妖怪と人間の共存が上手くいってないことを、一番初めに気づいたのさ。特に、この辺りの地域は無法地帯となっていたからね」


「そんな風には……見えないですけど」


「神林が、この幼稚園も、川沿いの桜も、店やら何やら全て作ってくれたおかげだよ。私たちは、安全制作部妖怪課の皆さんには感謝しているのさ。もちろん、あんたにもね」


 皴が目立つ小さな手が晃明の手に置かれると、さっきまでの山姥の姿はなく、老女は優しいお婆さんの姿へと戻っていた。


「俺も神林さんみたいに、この街をもっと明るい街にしてみせます!」


「期待しているさね。その志を絶対忘れずに頑張るんだよ」


「はい‼」


 晃明は老女の手を優しく握ると、心の中で改めて誓い直した。


こんな素敵な子供達の遊園地を作った神林のように、自分もこの街に住む妖怪達に寄り添い、幸せな明るい街を作ると。

自分の人生を、楽しくさせてくれた妖怪達への恩返しも含めて。


 晃明は老女と別れると、子供達の笑顔を名残惜しむように幼稚園を後にした。





晃明は、百目鬼が向かって行ったであろう方向に歩いていくと、石で出来たアーチ橋の上で、手すりに肘をつきながら煙草の煙を吐き出していた彼を見つけた。


「百目鬼さん! 渡してきましたよ」


「お疲れ」


「そういえば、いつもはどうしてたんですか?」


 視線を川の向こう、大きな山に向けていた百目鬼は、晃明の問いかけに対して、くだらないと言わんばかりの表情で雑に答えた。


「ポストに入れときゃ済む話だろ」


「そうですけど。幼稚園の様子を見るためにも、子供達がいない間とかに訪れたりとかしなかったんですか?」


「何が聞きたい?」


 視線を落とした百目鬼に、晃明は手すりに寄り掛かると、彼の隣に並んで大きく伸びをした。


「神林さんって凄い人だったんですね。この街を平和にさせたって聞きました」


「あいつは、俺が初めて心を許した人間だ」


「園長さんも言っていました。神林さんだけは違ったって」


「妖怪は確かに、人間に対して悪さばかりしてきた。けどな、今は人間と過ごしたいって、仲良くなりたいって思っているんだよ」


「百目鬼さん……?」


 微かに震えているように思えた声に、晃明は百目鬼の顔を見上げた。


「人間を襲っては喰っていた山姥でさえ、子供だけは襲わなかった。子供が好きだからこそ、今は幼稚園の園長やっているんだ」


 携帯灰皿に煙草を捨てると、百目鬼は晃明と同じ体制を取り、視線を合わせてくれた。

 桜が満開だったらきっと、お花見日和だろうと思える空の下で、ほんの少しだけ冷たい風が二人の間を吹き抜けていった。


「妖怪が悪いものだって、人間は思ってしまっているんですよね」


「妖怪よりも醜いくせにな」


「よく言いますよね。人間の方が怖いって」


「妖怪になってから、一番それは思うようになったな」


 はにかんだ百目鬼は首の後ろを掻くと、大きく空を見上げた。


「悪さをしたって書いてありましたけど、一体どんな悪さをしてきたんですか?」


「それ、知りたいか?」


 やはり、この質問はまずかったのか。 いや、彼は絶対に何かを隠している。

殻に閉じこもっているその何かを取り除ければ、きっと距離が近づけるはず。そうすればもっと、彼に寄り添える。


晃明は決めていた。もう二度と、妖怪を恐れないと。


「人間だった頃の百目鬼さんを見てみたかったです」


「見た目は何も変わらねぇよ。唯一変わったことは、子供が好きだったってことぐらいだな」


「教えてくれませんか? 百目鬼さんの過去を」


 それからしばらく続いた長い沈黙の後、百目鬼は胸ポケットにしまっていた携帯灰皿を晃明の前に差し出した。


「俺には嫁と四人の子供が居た。毎日本当に幸せだったよ。真面目に俺が働いていた時までは」


 晃明が手にした携帯灰皿には『ゆかり』と女性の名前が書かれていた。


「少しでも金を手に入れるために俺は、盗みを何度も繰り返した」


「泥棒……ですか?」


「金目のあるものならなんだって盗んだ。馬鹿みたいに働くよりも、そっちの方が儲かったからな。でも、悪いことをすればいつかはバレる。いつか、罰を受けるもんなんだよ」


「もしかして……」


 視線を上げた晃明に百目鬼は、過去の自分を怨むかのように顔を歪めた。


「ある日、体に違和感を覚えて夜中に目を覚ました俺の腕には、この醜い無数の目が既にあった」


「呪われたってことなんですか?」


「さぁな。でも、自分でも分かったよ。俺は死なない化け物になったのだと」


「家族は……?」


「捨てた。こんな醜い体で傍に居られるかよ」


 晃明の手から携帯灰皿を自分のポケットへ戻した百目鬼は、腕を力強く握りしめた。

 普通に瞳が無い状態の彼は人間そのもの。そんな彼が、実は過去の過ちで妖怪となってしまっている。なんて、今の時代ではありえないし、誰も信じない話だろう。

それに、家族を捨てなければならないなんて。


「別にいいんだよ。俺が妖怪になろうが、家族から離れることになった事に関しては。子供を見る度に、自分の子供を思い出すのが怖くなって避けるようになったことよりも、何よりも悔しくて、苦しかったのは――」


 百目鬼は、晃明の手を力強く掴んだかと思うと、自分の胸へと掌を押し付けた。


「一生死ねないことだ」


 人間ならきっと感じられるであろう心臓の鼓動はなく、体温すらも感じられない無機質な感覚だけが、晃明の掌に伝わって来た。


「一生会うことが出来ない。ゆかりも子供にも、謝罪も出来ない」


「百目鬼さんの心の中に生きてます! きっと、ずっと傍に居てくれているはずですよ!」


「ポジティブに考えることにも、もう疲れたんだよ」


 晃明の手を離した百目鬼に、晃明は首を大きく振った。


「誰かが覚えている限り、人は絶対に死にません‼」


 静寂の中に響いた晃明の大きな声に、百目鬼は目を丸くしたまま、ただ相手の瞳を見つめることしか出来なくなっていた。


「ずっと、百目鬼さんの中で生きているじゃないですか。これからも永遠に」


「何でお前らは同じこと言うんだよ……馬鹿が」


「え? 誰かに言われたんですか?」


 口角を緩めて小さくため息を吐いた百目鬼は、何かを懐かしむかのように晃明を見ると、頭を乱暴に撫でまわした。


「お前がここに来た理由、分かった気がするよ」


「え?」


「類は友を呼ぶ。ってやつだな」


「俺は神林さんと似てるってことですか?」


「それ以外誰が居るんだよ」


「なんか、めっちゃ嬉しいです!」


 この街の救世主と似ていると言われたら誰だって喜ぶだろう。ましてや、彼と仲のよさそうな百目鬼に言われたら、信憑性も増す。

でも、ここまでの話を聞いた晃明の中には、更なる疑問が浮かび上がっていた。

にやにやしている晃明を見て、引き攣った様な表情を向けてくる百目鬼へと、晃明は思い切って疑問をぶつけてみた。


「そういえば、神林さんとの出会いって何だったんですか?」


「一日に何個質問すれば気が済むんだよ、お前は」


「だって、百目鬼さんと仲良くなりたいですもん」


「腹空いたから飯屋に移動しながらな?」


「ご馳走様です!」


 不機嫌な表情には見えない顔で、奢らないと宣言した百目鬼と共に橋を渡ると、桜並木に沿って歩き出す。


晃明は、ほのかに香る桜の匂いに春の訪れを感じながら、百目鬼と神林の出会いの昔話に耳を傾けた。




   ※※




 街の中心部に存在するのが、妖怪と人間が共学している大学。

妖怪にとっては、この大学が唯一人間の世界を詳しく知れる場所だった。しかし、そこで妖怪がちゃんと卒業しているのは、二十パーセントにも満たなかった。

 そんな大学へと暇つぶしという気持ちだけで入って来た百目鬼は、毎日特に何もなく、平凡な日々を送れていた。何故なら、彼は面倒くさいと見えた人間とは絡まず、避けることが出来ていたからだ。

この世の妖怪達はそれぞれに特別な力を持っており、百目鬼も奇妙な力を手にしていた。


「マシな人間は居ないのかよ。相変わらず汚ぇ」


 大学の中庭にある木陰のベンチで、アイスコーヒー片手に人間観察をしていた百目鬼は、指の腹へと咲かせた真っ赤な瞳で、人間の本性を見通していた。


 百目鬼に秘められた力。それは『人の汚れた部分を見通す瞳』であった。


その瞳で人間を見通せば、ほぼ全ての人間から見えてくる醜い本性。好意ではなく、相手の容姿やスペックで付き合っている恋人達や、心の中では悪口ばかりを言い合っている女子グループ。元人間である百目鬼ですら理解しがたい人間達の汚れは、今現在、当たり前に存在していた。


 しかしそんな中で、百目鬼が見たこともないほどに汚れがない人間と出会う瞬間が訪れた。


ある日の授業終わりに、帰ろうと正門に向かっていた百目鬼の前へと現れた人間。街中で有名人に会えたかのような眩しい視線を送って来る人間を追い越そうとするが、それを遮るように、何度も同じ方向に身体を動かしてくる変な人間。


「あぁ! 鬱陶しいなお前!」


「あ、あのさ、君って妖怪だよね⁈」


「だったらなんだよ」


「僕と友達になってくれない?」


「はぁ?」


 ぼさぼさ頭に四角い眼鏡をかけており、百目鬼よりも一回り小さな人間は、怪訝そうに睨みつける百目鬼に怯むことなく、少年のような眼差しを送り続けていた。


「僕は別に怪しい者じゃないよ? 神林出雲って言うんだ。よろしくね!」


 まだ友達になるとも言ってないのに、勝手に手を掴んで握手をしてくる人間に、百目鬼は深いため息を漏らした。


「帰る」


「待って‼」


「なんだよ」


「僕はこの街を変えたいんだ!」


「帰る」


「だ、駄目!」


 何度も力ずくで振り切ろうとしたが、神林もめげずに退こうとはしなかった。むしろ、押さえつけるかのように小さな体で立ち向かってきた。

百目鬼はその煩わしいほどの意地に根負けし、仕方なく神林の話を聞くことにした。

 百目鬼の特等席である木陰のベンチへと腰かければ、青嵐が二人の間を前から力強く通り抜けて行く。


「妖怪と人間。種の違う者同士が共存出来る街にしようって意気込んだ政府は、もう既に諦めている。この街は、もう見捨てられたのと同然だ。力のある妖怪は人間を怨み、悪さをする為に力を使い、弱い者は人間に馬鹿にされ、人間を怨み、力のある妖怪に助けを求める」


「待てよ。力のある奴らがなんで人間を怨んでいる前提なんだよ」


「君は魔物という存在を知らないのかい?」


「魔物?」


 他の妖怪にも、この世の現状にも興味がなく、ただ時代が過ぎていくのを見ていただけの百目鬼には、何のことか分かりっこない。ましてや、知っていて当然のように聞かれれば、腹が立つ思いだ。


「人間への怨みや憎しみが、黒い霧となって妖怪を闇落ちさせているんだ。その闇落ちしてしまった妖怪の事を、魔物と呼ぶのさ」


「黒い霧ってどこにあんだよ」


「妖怪が心底、心から人間を深く怨めば誰だって自分から発せられる。問題は、その魔物達が最近グループになって人間を襲ったり、普通の妖怪達を闇落ちさせようってしていること」


「それがこの街をおかしくさせたと言うのか?」


「そう。そのグループを解散させることが出来れば、この街は変わるはずなんだよ」


 今の人間達にこの話をすれば、何人の人間が神林を馬鹿にするだろうか。正義の味方気取りなんかじゃなく、本気でこの街を救おうとしている彼に、誰が手伝おうとするのか。

 百目鬼が自らの力を使わずとも、神林出雲という男には汚れが一切ないことだって分かる。

初めて出会う人間の姿に、百目鬼は手を差し伸べていた。


「百目鬼一真。名前の通り、俺は百目鬼だ」


「よろしくね‼ 一真!」


 神林は、あまりの嬉しさに小躍りしながら喜んでいた。



二人は、学校でもプライベートでも一緒に居る間柄になっていたが、百目鬼の中では不安もあった。

いつ神林が汚れを知り、自分を捨てるのか。初めて出来た友人というものに、百目鬼は信頼しきっていいものなのかを、ずっと悩み続けていた。

 夏らしく蝉時雨が響き渡る中庭で、百目鬼は神林と昼食を食べる約束をしていた。先に行っていると連絡が入り、百目鬼はのんびりといつものベンチに向かっていたのだが、突如聞こえてきた言い争う声に、百目鬼は駆け足で向かって行った。

 ベンチのすぐそばまで着くと、そこには醜い人間に囲まれ、地面に落ちている眼鏡を探す神林の姿があった。

何が起こっているのか分からなかった百目鬼は、駆け寄る寸前に足を止めた。


「お前、最近妖怪と仲良くしてるみたいだな。奴を使って俺らに復讐でもするつもりか?」


「僕はそんなことしない」


「醜い化け物と仲良くしないで、これからも俺らと仲良くしようぜ?」


 神林を見下し、馬鹿にしたように高笑いし始める人間らに神林は、屈することなく声を荒げた。


「一真は醜くなんかない‼」


「あ?」


「誰よりも優しくて、僕の事を気遣ってくれる大切な友達だ!」


「弱いくせに生意気なんだよ‼」


 一人の男が神林を蹴り飛ばそうと足を浮かせた瞬間、百目鬼の中の何かが切れた。

自分でも理解出来ないスピードで男に向かって行けば、男は数メートル先の花壇の中へと消えていた。じんじんと痛み始める拳に、ようやく自分が男へ殴り掛かったことを理解する事ができた。


「俺の友達虐めるとは、いい度胸してんな。お前ら」


 一瞬の出来事に脅え、その場に倒れ込んだ人間らに百目鬼は、本物の鬼の形相を向けていた。


「化け物だぁ‼」


 半袖短パン姿の彼の肌に、怒りに燃えながら真っ赤に咲き誇る瞳と、頭から伸びる大きな角。


百目鬼は妖怪になりたての頃以来に、完全なる妖怪の姿に変わっていた。そんな彼の姿に、その場にいた人間達は次から次へと悲鳴を上げながら逃げていく。


「絶対許さねぇ……!」


 拳を力強く握り締め、男が倒れている花壇へ向かおうとした百目鬼を止めたのは、神林だった。


「駄目だ! それ以上人間に憎しみを持ってしまったら、魔物になってしまう!」


「離せ」


 足に必死にしがみつく神林は、大きく頭を振った。


「僕らはこの街を変えることだろ? 暴力じゃ何も解決しないんだ」


 優しく声をかけた神林はゆっくり立ち上がると、小さな体で百目鬼を包み込むように抱きしめた。


「助けに来てくれただけで、僕はとても嬉しいよ」


 眩しすぎるほど汚れのない神林の言葉に、百目鬼は我を取り戻すと、脱力したようにその場に座り込んでしまった。


蝉も鳴き止み、たった二人になってしまった中庭で、お互い静かに視線を合わせた。


「ごめん」


「いいんだ。一真が落ち着いてくれて良かったよ」


「いや、眼鏡踏んだわ」


「えぇ⁉ 僕の大切な眼鏡!」


足の裏にあったフレームだけの眼鏡を手渡せば、二人の間に温かな空気が流れ込む。

「どうしよう」と呟いた神林に、百目鬼は小さく声を漏らした。


「ありがとな」


「え?」


「友達って言ってくれて」


「当たり前なこと言っただけだよ? 何? 嬉しかった?」


「友達なら、その眼鏡も許されるよな?」


「そ、それとこれは違う‼」


「えぇー」


二人の笑い声が響きわたると、それと共鳴するように蝉が一斉に鳴きだした。

百目鬼にはもう不安などない、神林は信頼できる唯一の人間だ。


それから二人は大学を卒業したのち、安全制作部妖怪課を当時無法地帯と呼ばれていた街で、立ち上げることとなった。



   ※※



「神林さんってやっぱりすごい方なんですね」


「お前もな」


百目鬼は軽く晃明の頭に手を置くと、優しく口角を上げて微笑んだ。

それとほぼ同時に、晃明の背中を押すように道を吹き抜けていった力強い風。

気になって振り返った晃明だったが、もちろん、後ろには真っすぐな道が続いているだけだった。


「……?」


思わず首を傾げた晃明だったが、何も気にせず進んでいた百目鬼に声を掛けられ、視線を前へと戻した。


「ほら、ここだ」


「……あ、はい!」


「んだよ」


「いえ!」


眉根を寄せた百目鬼は、先導するように店の暖簾をくぐり、引き戸を開けて中へと消えて行った。








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