第十二話
春馬は、冬馬と共に元々居た神社から逃げ出し、雲外が祀られていたこの山の神社にやって来た。
二人はすぐに雲外と打ち解け、神社の清掃をする代わりに居座ってもいいと、了承を得ることが出来た。
「春馬。春馬ぁ!」
「そんな近くで叫ばれては、耳が割れます。ちゃんと聞こえていますから、そんな大声で話しかけないでください」
「だったら返事しろよなぁ。無視する方がいけないんだぞ!」
「以後気を付けます」
春馬が箒で集めた落ち葉を遠慮なく蹴飛ばして、元気よく走って来たのは親友の冬馬だった。
「それで、何か?」
「ねぇ、見てよ! 松ぼっくり!」
「そんなに沢山集めて、何をするおつもりなのですか?」
「飾るの」
「どこに?」
「神社の周りに!」
「そうですか。頑張ってくださいね」
春馬は冬馬を軽くあしらうと、散らばった落ち葉をまた一から集め始めた。
子供の様に無邪気で、少し馬鹿な冬馬に迷惑ばかりかけられていたが、春馬は一度も冬馬に怒ったことは無く、互いを信頼し合う仲の良さであった。
「松ぼっくりの花言葉って知ってる?」
「いえ」
「不老長寿と永遠の若さ。なんだって!」
「我々には、元々兼ね備えている言葉ですね」
「だから憧れるんだよ!」
「何にです?」
「人間に!」
冬馬は昔から、人間という生物に憧れていた。共存というものが始まり、冬馬はとても喜んでいた。
どれだけ嫌われていても、迫害を受けたとしても。
そんな冬馬の姿に、春馬はずっと心配していた。いつか人間に襲われてしまうのではないかと。
冬馬は烏天狗という妖怪なのだが、神通力や天候を操る能力を持ってはいなかった。
代わりに持っていたのは、『魔物の心の声を聞く力』と『物や場所に残る魔物の残留思念を読み取る力』だけだった。どちらも、魔物限定であり、人間に対抗できる力は無かったのだ。
「冬馬。あまり人間には深入りしない方が良いかと」
「どうして? 僕らは共存することになったんでしょ?」
「だからって、全ての人間が妖怪を受け入れているわけではないのです。冬馬は力が無いでしょう? 私が居ない間に何かあったら……」
「春馬は心配し過ぎなんだってばぁ。もぉ……」
頬を膨らませて、子供の様に拗ねては、雲外が眠る社殿へと走って行った。
基本神社の清掃は春馬だけが行い、雲外と冬馬は二人で仲良く遊んでいることが多い。しかし、それが春馬にとっては、とても幸せで平和な日々であった。
このままずっと、この場所でこうやって過ごして居たい。ただただ幸せを願い、平穏な生活を望んでしまった時に事件が起きるのは、人間の世界だけの話ではなかった。
日が沈んでしまうと、この神社の周りは気味が悪く感じられるほどに暗くなってしまう。
この山には妖怪達が数多くおり、人間と共存を始めてからは魔物の量も増え続けていた為、夜に山を歩き回るのはとても危険であった。
だが、その日の夜は、いつも暗くなる前にはちゃんと帰って来るはずの冬馬が、何故か日が沈んでも帰っては来なかったのだ。
「雲外様、冬馬が……!」
「探してくるから、お前はここで待っていろ」
「私も行きます」
自分がきちんと、山の中に遊びに行った冬馬の傍に居るべきだった。そう責めることしか出来ない春馬は、雲外と共に真っ暗な山の中で冬馬の捜索を始めた。
神社の境内の中は、雲外の結界のお陰で魔物の陰な空気を一つも感じられないが、一歩外に出れば、苦く重たい魔物の空気が充満していた。
夜の山で歩き回る妖怪も人間も誰一人としていない。そんな中で、春馬の前を歩いていた雲外の動きが急に止まった。
「雲外様……?」
「……卑劣極まりない」
雲外の鏡から漏れる神聖な光が照らしていた方へと視線を向けるが、春馬は信じられない光景に、思わず視線を逸らしてしまった。
「お前はここに居ろ」
「いえ……私も手伝います」
木々の間に出来た血だまり。無残な姿で身体を切り裂かれ、激しい身体の損傷により、冬馬は『死』を迎えていた。
どれだけ無残な姿になっても、安らかに綺麗なままの冬馬の顔に、春馬はそっと触れた。
「冬馬は、人間に襲われてはいない」
「じゃあ……一体何者が?」
「冬馬の持つ能力を聞いた時、これは魔物に狙われる力だと分かった」
「しかし、私たちが雲外様の使いであることは、この山に居る妖怪達は知っているはずです。いくら魔物になって人間を怨んだとしても、雲外様に喧嘩を売るような真似はしないのでは?」
「だったら可能性は一つだろう」
「え、まさか、この山のことを知らない魔物が居ると?」
「微かに感じる魔物の妖力は、途轍もなく強力なものだ。人間に相当な怨みを持った魔物がこの山にやって来たと考えるのが、妥当だろう」
雲外は春馬を離れさせると、冬馬の遺体を鏡の中へと封印させた。そして、二人はその場を後にすると、神社へと戻った。
しかし戻ったところで、空気が明るくも、綺麗な物にも変わることは無かった。
「どうして、この山に詳しくもない奴が冬馬の力の事を知っていたのでしょうか?」
「他の魔物に聞いた可能性だってある。理由が分からずとも、魔物に殺されたのは確かだ」
「でしたら、すぐにでもそいつを突き止めて――」
「その必要はない」
雲外はきっぱり言い捨てると、社殿へと続く階段の最上段に腰を下ろした。
「どうしてですか⁈ 冬馬が何者かに殺されたのですよ?」
「元はと言えば、お前らがここに来たのが運の尽き。小生にとってお前らは、ただの召使いに過ぎない」
「その召使いが、魔物に見るも無残に殺されようが関係ないと……?」
「その通りだ。探したければ、一人でやればいい」
春馬はショックで何一つとして言葉が出なかった。
冬馬をあれほどにまで可愛がって、親切にしてくれた雲外に、ただの召使いと言われてしまえば、もう自分には言い返す言葉も見つからなかった。
それからすぐに、雲外への信用と忠誠心を捨てた春馬は、一人で犯人捜しを始めた。
広大な山の中でたった一人の、しかも部外者だと思われる魔物を探すことは不可能だった。だが、どれだけ無謀な行為だとしても、それでも春馬は捜索を辞めなかった。
何年も、何十年も探し続けた。
もうすでに、この山の中には居ないのかもしれないという考えは、出ないままに。
「随分汚れた烏天狗だね、君」
「誰だ……?」
「この山に烏天狗が居るなんて驚きだよ。僕は神林出雲。良ければ僕と来ないかい?」
身体を酷使し続けたせいで、春馬は力のほとんどが使えない状態になっていた。それほどまでに弱りきっていた春馬は、ただ頷くだけしか出来なかった。
しかしこの選択が、春馬にとって最悪な再会を果たすことになってしまったのだ。
それは、神林に連れて行かれた事務所で、警備員として働いていた雲外との再会。
すぐにでも逃げ出したかったが、烏天狗としての本能である主君への忠誠が働いてしまい、神林の下で働くことに決めてしまった。
だが、雲外は事務所内では決して動かず、喋らずの生活を送っていた為、春馬も有意義に過ごすことが出来ていた。
「まさか、あの雲外様が人間をお守りしているなど、恥でしかありませんね?」
「そうか? 冬馬は人間を異常なほどまでに信頼し、執着していただろう」
まさか返事をするとは思っていなかった春馬は、答えた雲外を見上げたまま、廊下で立ち止まってしまった。
「貴方に冬馬の事を話されたくはない!」
「残念だな……冬馬がまだ生きていると、教えようかと思っただけだが」
「嘘を言うな! 冬馬は死んだ。私だってこの目で見たのですから……」
「身体はもちろん死を迎えた。だが小生は、冬馬のある思いを叶えてあげたのだ」
「思い……?」
「人間になる夢だ」
雲外は深く被っていた帽子を上げると、動揺する春馬に怪しい笑みを見せつけた。
「小生にも、この先どうなるのかは分からない。とても面白い実験だ」
「何をしたのです……?」
「小生は、お前と別れてすぐに街へ一度だけ降りてみた。そこで見つけたのだ。純粋無垢な生き物を」
どんどん不気味に歪んでいく笑みに、春馬は雲外との距離を取った。
「そんな生き物が、街に居たのですか?」
「あぁ。人間の子供だ。あれは実に面白い生き物だと、小生は思っている。年齢が二桁になると、何故か身も心も汚れてしまう。早い者だと、五歳を超えたあたりで純粋無垢では無くなってしまう。我々妖怪にも理解しがたい、世にも奇妙な生物だとは思わないかい?」
「その人間の子供に、何をしたというのですか?」
「捧げたのだよ。冬馬の妖力をな」
歪み切った笑顔と、綺麗な水色の瞳の瞳孔が開き、雲外の大きな手が春馬の両肩をしっかりと掴んだ。
「人間の子供を……妖怪にしたのですか⁈」
「そこまでの力は小生には無い。それが出来るのは、また別の妖怪だ。小生はただ、特殊能力を持つ人間を作っただけ」
「それが、冬馬が生きているという意味にはならない……」
力強く掴まれている肩。気を緩めてしまえば、骨が折れてしまうほどの強さに耐えながら、春馬は雲外の腕を掴み返し、抵抗していた。
「どうだかな? もしかしたら、冬馬が子供の中で目覚める可能性がある。そうすれば、冬馬は生き返ったと言って良いだろう」
「目覚める? そしたら、その人間の子供はどうなると言うのです?」
「身体を新しく用意してあげたのだ。もしも目覚めれば、子供の魂は消滅するが、人間の冬馬が生まれる事になる。さすれば、冬馬の願いも叶えられる。とても素晴らしいことだと思わないかい?」
春馬は、雲外の手を勢いよく引き剥がした。
今まで人間を醜く嫌っていた春馬だったが、ここに来てからは、沢山の事を神林から教えてもらっていた。
冬馬が憧れていると言っていた、尊い生命の事を。
「人間には命という物が存在するのです。我々には無い、寿命というものが。子供はまだ、何も知らないから綺麗なんです。だからこそ、大人という存在が守っているのです。自分の命に代えても」
「いきなりどうした? 人間に肩入れする奴ではなかっただろう」
「この場所で教えてもらったのです。その子供は……どこに居るのですか?」
「さぁな。どこかで冬馬になっているのかもしれないな」
雲外は帽子を深く被り直すと、ドアの横へと戻った。
「安心しろ。見つけたら教えてやる」
「私はもう、貴方を信頼してはいない」
その日から春馬は、街のパトロールをしながら、不思議な子供を知らないかと聞き込みをし始めた。手がかりなんてあるはずがないが、一度やると決めたらとことんやり続ける春馬は、あの時のように、時間を忘れて必死に捜索を始めたのだった。
それから時が過ぎて現在。
春馬は雲外から、冬馬と似た妖力を晃明が持っていると聞かされ、晃明の下へと向かったのだ。
だが、春馬はそこで聞いてしまった。晃明が、雲外の過去を変えるということを。
もし、雲外が晃明に力を与えない未来になってしまったら、冬馬とは会えないかもしれない。
人間の尊さを教えてもらったはずの春馬だったが、冬馬に会えるのであれば、もう一度だけ、自分の名前を叫びながら駆け寄って来てくれるのならば。
その為ならば……晃明を消してでも――。
春馬の話を、きちんと理解しながら聞き終えた晃明は、自分の中に眠る力の正体も、夢の中に現れた声の主の謎も、全てが解けた。
「冬馬に会うには、それしか方法はないんだよ……!」
項垂れている春馬の姿を見て、晃明は聞いた話の中で考え付いた、素晴らしい案を提案した。
「春馬さん。冬馬さんを救う方法も、魔物の増殖を止める方法も全部分かっちゃいました!」
「本当か?」
「全部の鍵を握っているのは雲外さんなんです! 雲外さんの過去にさえ行ければ、冬馬さんも亮さんも、健さんも救えるかもしれない。冬馬さんを殺したと思われる魔物は、強力な妖力を持つと言っていましたよね? 断定は出来ませんけれど、それが魔物の勧誘担当である土屋久門の可能性が高いんです!」
「雲外の過去に行ければ、土屋久門を止められるのか……?」
「犯人が分かっているのなら、過去でやるべきことは限られるはずです。俺が絶対に冬馬さんを救ってきます! だから、雲外さんを探しに行きましょう‼」
晃明は、興奮したように春馬の肩を力強く揺すった。
顔を上げた春馬は晃明の顔を見るなり、それに答えるかのように過去を偲ぶような笑みを浮かべた。
「冬馬みたいだな」
「……春馬!」
「そっくりだ」
おどけてみた晃明に、春馬は優しく頭を撫でた。
空には完全に日が昇り、山が明るく照らされ、温かな風が吹き始めた。
これからが本番だ。
きっともうすぐ、皆が幸せに暮らせる街が実現されるはず。
晃明が見る世界に、明るい希望が見え始めた。
それと同時に、その明るい希望というものが、自分を妖怪にするというカウントダウンを速めていることを、晃明は未だ気づいてはいなかった。




