第十一話
晃明は、何も分かっていないままの百目鬼を連れて山を下りると、そのままえんらへと向かった。
夕食を食べに来たお客さんで繁盛していた店内で、注文を取っていた燈を見つけると、一番端のテーブル席に三人で座った。
「急にどうしたの? 何? 大切な話って」
「百目鬼さんが、燈さんの元恋人をあと少しで見つけられそうなんです」
「え?」
「おい――」
「元恋人の名前や特徴、お二人が出会った具体的な場所を俺らに教えてくれませんか?」
晃明の質問に、燈は顔色を変えると唇を噛み締め、テーブルの上で握り締めていた手を下ろした。
「言えません……」
「燈さん。恋人に再会出来るチャンスかもしれないんです!」
「おい晃明、やめろ。燈はもう昔の男には会わないって決めたんだよ」
「どうしてですか? 未練を断ち切らないと、燈さんはずっと彷徨い続けたままに……」
「それでいいの。昔の男なんか、もうどうでもいい」
仕事に戻ろうとした燈を、晃明はテーブルから身を乗り出して力強く引き留めた。
「じゃあどうして燈さんは、成仏しないんですか?」
「それは……」
「もう二度と会わない。そう覚悟を決めて未練を断ち切ったのなら、もう既に貴方は成仏しているはずです。まだこの世で彷徨っているということは、ほんの少しでも諦めきれていない心があるからですよね?」
晃明の言葉が当たっていたのか、彼女は大人しくまた座りなおすと、隣に座っていた百目鬼へと視線を向けた。
「成仏したら、一真とも、皆とも別れることになる……それが嫌なの」
「それで百目鬼さんも、今まで真剣に探してこなかったんですね?」
「あぁ、そうだ」
「それでいいんですか? 本当にそれが、燈さんが望んでいる幸せなんですか?」
置かれていたグラスの中の烏龍茶を一気に飲み干した晃明は、グラスを強めにテーブルへと置いた。
「どれだけ相手の事が好きでも、幸せな場所から離れたくないと言われたとしても、未練を断ち切ってあげて、成仏させてあげるのが相手の為なんじゃないんですか?」
「他人事だからそんなこと言えんだろ。好きな女を、自分の手で殺すような真似できるかよ」
「殺すって……」
「お前だって、どうせ無理だろ」
目を鋭く三角にさせた百目鬼は、荒々しくお酒を身体の中へと流し込んだ。
「俺は、好きな人だから、大切な人だからこそ、安らかに成仏して欲しいと思います。燈さんには、生まれ変わるチャンスがある。眠る場所があるんです」
「晃明君……」
「永遠に生きていく事がどれだけ辛いのかを、百目鬼さんは知っているはずです。どれだけ今が楽しくても、それが永遠に続くことはあり得ない事を!」
きっぱりと言い切った晃明の手の上に、燈の小さな手が置かれた。ついさっき送り届けた昔の手と、何一つ変わっていない冷たいままの手。
「昔、私を力強く励ましてくれた人が居たんです。どんな人で、なんと言われたかも、何一つ覚えてはいないんだけれど。凄く晃明君に似ていた気がするの」
「そうなんですね……」
過去を変えに来た人についての記憶は、何一つとして残らない。そのため、あの日の記憶は、燈には残ってはいなかった。
「彼の名前は土屋久門。土蜘蛛という妖怪で、山の中にある蜘蛛の糸でぐるぐる巻きにされていた不思議な石の前で、出会ったの」
「燈……!」
「いいの。やっぱり、もう一度だけ会いたい気持ちは変わらないから」
晃明はスマホにメモをしながら、燈の話を聞き続ける。
「石に貼られていたお札を、私が剥がしたせいで彼の封印が解けたみたいなの。それで、とても古びた服を着ていたから、私がスーツをあげて……あとは何だろう……」
「スーツ……顔、顔は隠していましたか?」
「ううん。とてもかっこよくて、薄めな顔? あ、左頬に茶色の縞模様があるの!」
「俺が見たのは、スーツを着ていて顔を仮面で隠している長身の男性。髪の色は黒。どうですかね?」
「本当に綺麗好きだから、皴一つないスーツに、黒手袋を付けていたら彼に違いないと思うけれど……」
「そうです! じゃあ、やっぱり彼が……」
土屋という男を見つけられれば、健を救い出す事も、これ以上の勧誘も止められるはず。
「ねぇ、晃明君。彼をどこで見たの? 何していたの?」
「それは……」
恋人が次々と妖怪達を誘拐して、魔物を増やしている。しかも、健を襲っていた所を見たなんて、言えるはずがなかった。
「それはまだ言えねぇんだ。ちゃんと見つけ出して連れてきてやるから、それまで待ってろ」
「……分かった」
百目鬼は一升瓶を空にすると、ぶっきらぼうだが彼なりの優しい言葉をかけ、そのまま店の外へと出て行ってしまった。
「百目鬼さんって、本当に優しい人ですよね」
晃明達が話している内に、いつの間にか店内からは客が消えており、静まり返った店内で後片付けをしていた玉子が、晃明のグラスに烏龍茶を注いだ。
「どうちゃんほど、この世に優しい人は居ないわよ?」
「口が悪くて喧嘩っ早いのに、家事が得意で手先も器用。ギャップ萌えってやつですよね」
「私が一真に惚れた理由はね、凄く似ていたからなの。久門に」
燈は空の一升瓶を自分の前に引き寄せると、百目鬼と久門を重ねてしまい恋に落ちてしまったと、打ち明けてくれた。
「もちろん、違う所も沢山あるのよ? 久門はお酒も煙草も嫌いだし、見た目のわりには喧嘩苦手だし、料理とか出来そうもない程に鈍臭い人だから。一真が初めてこの店に来たときは、本当にびっくりした。見た目は全然違うのに、話している内に久門だと勘違いして、そのまま勢いで告白しちゃったもん」
鼻を啜って涙ぐむ燈は、晃明に明るく微笑みかけた。
「一真には、ずっと忘れられない奥さんが居るのを聞いていたのに、一緒に忘れちゃおうなんて、馬鹿な事言っちゃった。自分は忘れられてないくせに、一真に無理矢理忘れようなんて……」
一升瓶を抱きしめたまま、燈はテーブルに顔を伏せてしまった。
そんな燈を前に晃明は席を立つと、カウンターを拭いていた玉子に声をかけた。
「すみませんでした」
「いいのよ。それに、燈が幸せになってくれるなら、私も出来る限り協力するわ」
「ありがとうございます! 早速で申し訳ないんですけど、一つお聞きしてもいいですか?」
「何かしら?」
「旦那さんの亮さんについてなんですけど――」
完全に日が沈み、薄暗い街灯だけが照らす橋の上に百目鬼は居た。煙草の火を点滅させながら、缶ビールを片手に晃明を待っていた。
「まだ飲むんですか?」
「飲まないで魔物の相手なんかしてられっかよ」
「それにしても、飲み過ぎだと思いますけど」
「妖怪はどれだけ飲もうが、絶対に死なねぇのよ」
レジ袋の中にあった大量の缶ビールを自慢げに晃明へと見せつけると、百目鬼は橋の欄干に寄り掛かって、夜空を見上げた。
「健さんを助けるには、魔物グループの勧誘担当のボスである、土屋久門さんの過去を変える必要があります。それと、亮さんを封印から解くには、雲外さんの過去を変える必要があります。どちらも、燈さんと神林さんの為にもやらないといけません」
「やることが多いな……」
「それに、土屋久門さんを見つけられれば、人間と妖怪が共存し合える街に、一歩近づくことができるかもしれません」
空を見上げたままの百目鬼に、晃明はこれからやるべきことを説明し続けた。
「だったらお前は、雲外の過去を変えてきやがれ」
「百目鬼さんは?」
「俺は、土屋久門を見つけてくる。あの山に居るんだろ?」
「一人じゃ危険です。せめて、春馬さんや河井さんを――」
「俺が見つけないと意味がねぇだろ? そいつの彼女と俺は付き合ってるんだからよ」
乾いた笑いを漏らすと、百目鬼は缶ビールを飲み干してレジ袋へと戻した。
「それに、俺は雲外とは相性最悪だからな。あいつが本当に裏切ってないとも、まだ言い切れねぇし」
「それは……俺がちゃんと証明してみます」
「頑張ってこい」
心のこもってない励ましをした百目鬼は、レジ袋から新しい缶ビールを取り出した。また飲むのかと思ったが、百目鬼はその缶ビールを橋から川へと落とした。
「え……何しているんですか⁈」
「調査協力だ」
すぐに欄干へ足を掛けて下を覗き込んだ晃明。
暗い川から聞こえてきたのは、文句を言う男性の声だった。
「えぇーまた缶ビールかよ! 俺はレモンサワーがいいんだよー!」
「うるせぇ。お前なら土蜘蛛の噂知ってるんだろ? 封印されていた場所まで案内しろ」
「どうしよっかなぁ」
暗くて姿がよく見えなかったが、ゆっくりと橋の下から出てきた男性の姿形が、街灯の明かりによって見えてきた。
その姿は、日本人であれば絶対に知っている存在の見た目にそっくりで、ほぼほぼそれなのだが、それだと認めたくない謎の心情が生まれてしまう。
「なんで……え……?」
「あれぇ? その隣に居る坊やは、どなた?」
「こいつは俺の後輩の泉晃明だ。で、あれはここの川の管理人みたいな? そんな存在の鯉の妖怪」
「鯉……でも、その……鯉というか、鯉のぼり。ですよね?」
青色の鱗を全身に纏い、目と口が異様に丸く、五月になるとスーパーや色んな所で売られ、飾られている鯉のぼりのような顔をしていた。
これは、鯉の妖怪ではなく、鯉のぼりの妖怪と言った方が誰もが納得するだろう。
「晃明君! 鯉です! よろしくー」
「この川はあの山から流れてきてんだ。だから、こいつなら知ってるだろうってわけ」
「いや……そこじゃなくて……」
「雲外の事、頼んだぞ」
中々に高い橋から、軽々と飛び降りて行った百目鬼さんの後を視線で追いかけたが、川の下にはもう誰も居なかった。
「絶対に鯉のぼりだよ……」
晃明は、頭の中に残り続ける鯉のぼりの妖怪の姿を消そうとしながら、雲外に会う方法を考えていた。
「雲外さんとはどうやって会えばいい? 魔物の所にいるなら山? いや……」
川のせせらぎを聞きながら河川敷を歩いていれば、背後から感じた人の気配。
晃明はすぐさま足を止めると、勢いよく振り向いて身構えた。しかし、すぐに晃明は構えを解き、月明かりに照らされた姿にほっと肩を撫で下ろした。
「春馬さん……こんな所でどうしたんですか?」
「雲外を助けるつもりか?」
「はい。そうすれば亮さんが――」
「そんなこと……させるかよ」
「え……?」
「冬馬……お前を消すわけにいかねぇんだよ!」
勢いよく晃明へと襲い掛かって来た春馬。
晃明の意識は、そこで途絶えてしまった。『冬馬』という誰かの名前を呟いた春馬の目的が分からないままに。
震えていた拳と、月明かりに反射していた涙の意味も、理解出来ないままに――。
意識を取り戻した晃明が次に見た光景は、鳥居の向こうに昇って来ていた朝日だった。
体を起こすとそこは、古びた神社に置いてあった賽銭箱の前。階段の下に見えたのは、朝日を見つめている春馬の姿だった。
黒い大きな羽が山伏装束姿の背中から生えており、その後ろ姿はとても寂しそうに見えた。
「春馬さん……?」
すぐに声を掛ければ、春馬は少し驚いたようにこちらへと振り向いた。
「俺が用事あんのはお前じゃねぇんだよ」
「あの……もう少し詳しく説明してもらえませんか?」
本当に別人になったのかと思うくらいに、初めて会った春馬の面影は一切なかった。
荒々しく階段を上って来た春馬は、晃明の隣まで来ると舌打ちを落とした。
「とぼけるんじゃねぇよ。冬馬を返せ」
「本当に知らないんですよ! 冬馬って人を」
「雲外から聞いたぞ。お前、魔物の声が聞こえるんだろ?」
「それは、俺も凄く気になっていたんです。突然聞こえだして、夢の中で知らない男の子に毎晩話しかけられるようになって……」
「お前のその力は、冬馬のものなんだよ!」
「だから、冬馬って誰なんですか⁈」
静かな山の神社に響き渡った二人の言い争う声。
周りに居た生き物たちが驚いたのか、周りの草や木々が一斉に揺れた。
「冬馬は……俺の親友だ」
「親友……あ、あの! 一緒に逃げてきたもう一人の烏天狗さんの事ですか?」
「あぁ、そうだ」
「でも、どうしてその冬馬さんの力が、俺の中にあるんですか?」
「それは……」
「だって、俺は冬馬さんと会ったこともありませんし、この力に気づいたのもここに来てからの事ですから。本当に何も知らないんですよ」
晃明の答えに、春馬は大きくため息を吐いた。そして、そのまま頭を抱えると、その場に座り込んでしまった。
「冬馬……」
声を曇らせる春馬の背中に、晃明はそっと優しく手を置いた。
「良かったら、話を聞かせてくれませんか? 冬馬さんと春馬さんのお話を」
「……分かったよ」
春馬は体を縮こませたまま顔を上げると、朝日を見つめながら話し出した。
夏とは思えない涼しい風が吹き渡り、起こしてしまった生き物たちも、もう一度寝に入るであろう時間に、晃明は春馬の話に耳を傾けた。
自分の中に眠る、冬馬という妖怪のことを少しでも知るために。




