第十話
先程まで暑かった日差しは傾き始めており、涼しげな風が桜の葉を揺らしていた。
「もう、何が何だか分かんねぇよ。なんであいつは魔物みたいになってんだ?」
「それは……俺にも良く分かりません。でも、情報を渡しに来てくれたということは、魔物のグループに潜入しているんじゃ……?」
「何で今更? 今の今まで俺らの仕事内容に全く興味は示さねぇ、しかも、ずっとドアの前から一歩たりとも動かなかったんだぜ? 一度も‼」
「雲外さん、俺に会いたかったって言っていました。これからは事務所の為じゃなくて、俺を守る為に力を使うって」
百目鬼と共に足を踏み入れたのは、この街の象徴のようにそびえ立っていた山の登山道だった。
他に何かが居る気配なんかは全く無く、むしろ、入って来るなと言われているような、不気味な雰囲気が感じられた。
用事が無ければ絶対に入りたくないと思いながらも、自分の心と体を奮い立たせると、晃明は足を動かして登り始めた。
「人間にそこまで執着する妖怪なんか、あいつ以外居ないだろうな。神林にさえ、そこまで言ってなかったぞ?」
「俺の事、昔から知っていたんですかね?」
「それは、更に怖さ倍増だな」
木で作られた階段も道も、どこもかしこもが雑草生え放題になっており、人なんてほとんど通っていないように感じる道を、百目鬼は慣れた足取りで登って行く。
「……雲外さんの昔の事って誰も知らないんですか?」
「さぁな。俺は誰かと仲良く出来るタイプじゃないんで」
「……そうですよね」
「そこは否定しろよ!」
徐々に息が荒くなっていく晃明とは違い、百目鬼は軽やかにどんどんスピードを上げていく。必死に食らいつきながら追いかけて行くと、道から少し外れた場所に建っている古びた民家が見えて来た。
「あそこだな」
獣道を通り民家の前まで行くと、廃墟と呼んでもいいような見た目をしており、一層晃明に恐怖心を与えてくる。
今にも壊れそうなその家には、『倒壊の危険有』と書かれている紙が貼られており、中に入るのは難しかった。
「そうだ、祠……祠を探しましょう!」
雲外は、祠の中に入れば救えると言っていた。それが本当かどうかを確かめる為にも、そこに入ってみる必要がある。
家の裏手へと回った晃明の目に入って来たのは、家が倒壊寸前なはずなのに、ついさっき建てられたかと思う程に綺麗な祠だった。
それは全てが石で出来ていて、真ん中には人間一人がやっと入れそうな穴が空いていた。
穴の中を覗き込むと、何処かに通じているのか風がほのかに吹き出しており、外から見ると奥行きも何もなかった祠のはずなのだが、先が全く見えない真っ暗な道が奥へと続いていた。
きっとこれが、雲外が言っていた祠に違いない。
祠にしては大きくて、謎に綺麗で、いかにも怪しげなそれに入らなければならない。
晃明は深呼吸をすると、穴の中に頭を入れた。そのまま四つん這いになりながら、あるはずがない真っ暗な道を真っすぐに進んで行った。
しばらく進んでいくと、目の前に光が見えてきた。
ようやく見えて来た出口に晃明はスピードを上げて、そのまま外へと飛び出すとそこは、色づいた落ち葉が敷かれていた地面の上だった。
顔を上げると、季節は秋だと思える木々に、見覚えのある場所。ふと振り向いてみると、今、自分が居る場所を把握することが出来た。
「ここは……さっきの家の裏だ……」
場所は何も変わっていないはずなのに、目の前にあったあの家はさっき見た姿よりも綺麗で、物干し竿には布団が干してあった。
確実に誰かが住んでいる。
ゆっくりと家に近づいてみようとすると、裏口のドアらしき場所から一人の女性が出てきた。
「あ……」
「……迷子ですか?」
「いえ……」
布団を取り込もうとした手を止めてこちらを見た女性に、晃明は見覚えがあった。
それは、今とはほとんど変わらない姿。違うのは、少し汚れた着物を着ている事ぐらいだった。
そんな着物姿の女性に晃明は、二度目の一目惚れをしそうになってしまった。
「燈さん……」
「え? どこかでお会いしましたっけ?」
「あ……えっと、その……僕は亮さんの知り合いでして……」
「亮さん……あ、健さんの弟の! どうぞお入りください。健さんならもうすぐ帰って来ると思いますから」
布団を急いで取り込んだ燈は、晃明を家の中へと招き入れた。
「弟……ということは、お兄さんの名前が健ってことか……」
「亮さんはお元気ですか? 最近顔を出してくれないって、健さんが寂しがっているんですよ」
「あの……健さんと燈さんのご関係は?」
小さな卓袱台の前に置かれた座布団に案内され、出された温かいお茶を一口飲むと、晃明は目の前に腰を下ろした燈に問いかけた。
もしかしたら、噂の恋人が健なのかもしれない。そんな疑問を確かめるためにも。
「私は、健さんに助けてもらったんです。恋人を亡くして、一人幽霊として彷徨っていた私を」
「そうだったんですか……」
「貴方は人間みたいだけれど、健さんには何の用事でいらっしゃったの?」
「えっと……助けに来たんです。健さんの事を」
「どういう事?」
今自分が居る世界は、健も亮もまだ、生きている世界であることが分かった。
雲外は、第三者を相手の過去に連れていける能力を持っていた。となると、この過去の記憶を持っているのは兄である健の方だ。
過去を変えることが出来れば、健を魔物から救える。正義の力を試すというのは、自分で救って来いという意味だったのかもしれない。
「燈! 帰ったぞー」
「お帰りなさい! 弟さんのお知り合いが来ているんだけど、知ってる方?」
「誰だ、お前」
玄関から入って来たのは途轍もなくガタイの良い、屈強そうな大男。顔を歪め、今にも取って喰われそうなその見た目に、晃明は立ち上がると深々に頭を下げた。
「亮さんにお世話になっている泉晃明と言います! 大切な話があり、参りました」
「亮の友人か」
「はい……!」
「相変わらず亮は人間が好きだなぁ。まぁ、座れ! 酒を飲みながら話そう」
今までずっと険しい顔をしていたはずなのに、一瞬にして口角を緩ませると、晃明の隣へと腰かけてきた。
燈が持ってきた日本酒を豪快に大きなグラスへと注ぐと、健は晃明の肩へと腕を回してきた。
「それで、大切な話ってなんだ?」
「健さんを狙って、魔物が襲いにここへとやって来ます。貴方を殺しに来るんです!」
「何を言っているんだ? 俺は妖怪だぞ? 魔物が殺せるのは人間だけだろ?」
へらへらと笑いながらお酒を飲み続ける健の言葉に、晃明は何も言い返すことが出来なかった。
妖怪を退治する、封印することが出来る妖怪は、雲外以外に出来る者は居ないはずだった。しかし、雲外は邪魔をされたと言っていた。
魔物が殺したと言っていた。
どうやって、健の存在を消すことが出来たのだろうか。
「でも、本当なんです! 健さんは魔物に殺されてしまうんです‼」
これから何が起きるのかは分からない。けれど、未来に起こったことは事実なはず。
過去に戻った晃明に出来ることは、健をこの場所から離れさせることだけだ。
「魔物に喧嘩なんか売った記憶なんてねぇけどなぁ……」
「もしかして……」
首を傾げる健に対して燈は、お酒を注ごうとした手を止めると、明らかに表情を曇らせた。
「何か思い当たることがあるのか?」
「私が探している恋人が、魔物になってしまったと聞いて……全部私のせいなんですけど、もしかしたら彼なんじゃないかと……」
「健さんを今の恋人だと勘違いして? でも、妖怪はそう簡単には殺されないはずですよね? しかも鬼って強そうですし……」
心配そうな表情を浮かべている燈に、健は立ち上がり優しく頭に手を置いた。
「俺が死ぬ運命ならば、燈だけでもここから逃げろ」
「え……待ってください。今ならまだ、二人でここから逃げても間に合うはずです! ですよね、晃明さん⁈」
「はい! 健さんを待っている人が沢山居るんです!」
「なぁ、晃明君」
立ち上がって反論する二人に対して健は何故か、楽しそうに明るく微笑みかけていた。
「死を恐れる事は俺の生き様に反するんだよ。それに、ここから無事に逃げ切れたとしても、もう二度と襲われないとは言い切れないだろう? だったら最後くらいは、正々堂々とかっこよく死んでやろうじゃないか」
これから死ぬと言われた妖怪は、こんなにも凛々しく死を受け止めるのだろうか。
百目鬼達でも、いつか残酷に殺される日が来るのかもしれないと、想像しただけで怖がっていたのに彼は違かった。
「そんなのは……絶対に嫌です……‼」
「燈。もし、来るのが君の恋人だったとしても、君を魔物に会わせるわけにはいかない。君は、元人間なんだから」
「でも……」
「晃明君。燈を弟の所へ連れて行ってくれるか? 頼むよ。男は何があっても女を守る、これは人間だって同じだろ?」
健の力強い真っすぐな瞳に、晃明は頷くことしか出来なかった。
己の人生に覚悟を決めて戦うことを選んだ彼の思いを、自分の力で変えることは無理だと悟ったからだ。
「燈さん……行きましょう」
「嫌……」
俯いたまま首を振り続ける燈を、晃明は手を引いて少し強引に裏口から外へと出た。
「晃明さんは、彼を助けに来たんでしょう⁈ だったら……ちゃんと助けてよ!」
「燈さんは、ここで魔物に襲われちゃいけないんです」
「それは健さんだって……!」
「自分の死を受け入れてまで、あの人は貴方のこれからの人生を守ることに決めたんです! 誰だって、死ぬことは怖いはずです。妖怪となって強くなろうが、人間の死とは違っていたとしても。彼の覚悟を……ここで無駄にしてはいけません」
晃明は、泣きそうになっていた燈を優しく抱きしめた。
体温を感じられない小さな体を震わせながら、涙を堪え続ける彼女を百目鬼の元へと連れて行かなければならない。
小さな手を握って山を下りようとした時、後ろから聞こえてきた怒号。
健の名前を叫びながら、何人もの魔物が家の中へと入って行くのが見えた。思わず振り向こうとした燈に、晃明は優しく頭を横に振った。
「行こうか」
晃明は、リュックから取り出したイヤホンをスマホに繋げると、燈の耳に付けてあげた。アンビバレントの激しい曲を、耳が痛くならないほどの大きな音量で流した。
「健さん……」
声を我慢して泣いていた燈を晃明は、今よりも少しだけ綺麗に感じるえんらへと、無事に連れて行くことが出来た。晃明は中には入らずに見送ると、しばらくして彼女の泣き叫ぶ声が、店の外まで聞こえてきた。
これが、本当に過去を変えてまでやることだったのか。
けれど、もし自分が来なければ、燈は悲しみに暮れながら、たった一人で命からがらここまで来ることになっていたのかもしれない。
晃明は、すぐに元来た道を戻った。
健を殺した魔物が誰なのか。
それだけでも分かれば、何かしら未来を変えられるかもしれない。
険しい山道を力強く、素早く登って行った晃明の目に見えて来たのは、荒らされた形跡が残る変わり果てた健の家だった。たった数分で、現在で見た廃墟の様な姿へと変えられてしまった家を見た晃明は、改めて魔物の恐ろしさを肌で感じた。
微かに物音が聞こえてきた家の裏へと向かうと、そこには薄汚れた白いシャツに、銀色の髪の輝きが全くない雲外の姿があった。
「雲外さん……?」
「彼を助けに来たのでしょう?」
雲外の足元で、仰向けになって倒れている健。
その姿は、鬼ではなく人間であり、身体中に痛々しいほどの暴行の跡があった。まるで、一度も鬼にならずに、しかも抵抗もせずに、死んだかのようだった。
「健さんは……本当に……」
「彼は、最後の最後まで何も話さず、何もしなかったのです」
「誰なんですか……誰がこんなことを!」
「ただ一言。泉晃明にお礼を伝えて欲しいと言っていました」
「え……?」
雲外は膝を曲げると、健の頬に手を添えた。
「貴方が来なければ、彼の身体は消滅していました。鬼へと姿を変え、魔物に立ち向かった挙句、魔物の強大な力の前に敗北し、消滅。これが、貴方が来る前の過去の話です。しかし貴方の忠告を聞いた彼は鬼へと姿を変えず、人間として息絶えた。貴方は、未来を変える事が出来たのですよ」
「でも……救えなかった……」
「そうでしょうか?」
夏服の晃明には肌寒い秋の風と共に、雲外が触れていた健の姿は消えていた。
薄暗くなってきた山の中で見る雲外の姿は、薄気味悪く、晃明が良く知っている雲外とは全く違って見えた。
「未来の小生が貴方になんて言ったのかは知りませんが、過去を変えられると教えているはずです」
「それで今、助けに来たんですよ! でも、彼の意志は何度戻ったとしても、絶対に変えられないんです」
「そちらを変えなくても、彼を助ける方法はあるはずですよ?」
「え……?」
晃明は怪しく口角を上げた雲外に、激しく動揺した。
「じゃあ……」
どうすればいいのか聞こうとした時、晃明の頭の中に響き渡った謎の声。
あの時と一緒だ。
いや違う。それよりもはっきりと声が聞こえ、それと共に映像まで見えてきた。
夢の中の様なぼやけた映像の中には、雲外の姿は無く、倒れている健の周りに何人かの魔物らしき人達が立っていた。
助けようとするのだが、自分の身体は全く動かず、声すらも出せなかった。ただ見つめていることしか出来ない中で、映像はゆっくりと動き始めた。
『女の姿はどこにもありません』
『どこにやった……そもそも、本当にここに居たんだろうな⁈』
『確かに目撃証言が……』
『だったら、どうして居ないんだ!』
まだ微かに意識がある健を力強く踏みつける男。その男の顔は、不気味な真っ黒の仮面で隠されており、異様に綺麗なスーツ姿に黒い手袋まで付けていた。
それは、目撃証言にあった勧誘担当のボスの特徴とまるっきり同じだった。となると、健を襲った魔物と怜也を誘拐した魔物は同じという事になる。
あとは、こいつの正体さえ分かれば。
『まだこの辺りに居る可能性がある。探しに行くぞ!』
真っ黒な煙の様な物を身体から発生させながら、魔物達はその場から姿を消してしまった。
そして、晃明の視界も段々と真っ黒な煙に包まれていった。
次に目を開けた晃明の目の前には、座り込んでいた自分をただじっと見下げていた雲外の姿があった。
「急に意識を失ったかと思えば、突然目覚めたので驚きましたよ」
「健さんを襲った魔物が分かりました」
「へぇ……貴方のその能力で?」
差し出された雲外の手を取り立ち上がれば、軽い頭痛が生じた頭を思わず押さえた。
「これも雲外さんの力じゃないんですか? ここで健さんが襲われた時の情景が見えたんです」
「さぁ? 何のことですか?」
「前は、魔物の心の声みたいなものが聞こえてきたんです。しかも、最近ずっと誰かに話しかけられる同じ夢も見るし……」
「どれもこれも、貴方の力のせいでしょう? まさか、未来の小生は貴方に何も話していないのですか?」
「何のことですか?」
晃明は、眉を顰める雲外を見上げるが、雲外は首を横に振った。
「それよりも、解決策が見つかったのなら、早くお帰りになった方がよろしいかと」
「か、帰りますけど……」
残されていた祠の前にしゃがんだ晃明は、もう一度雲外の方へと視線を向けた。
「ご安心ください。彼なら丁寧に封印しておきますから」
「絶対に過去を変えてきますから、もちろん雲外さんの過去も」
「お待ちしております」
中に頭を入れて帰ろうとした晃明に、雲外は何かを思い出したかのように声を上げた。
「そうだ。一つだけ言っておきます」
「何ですか?」
「貴方は、こちら側の住人ですからね?」
「こちら側?」
「えぇ。我々と同じ、貴方は――妖怪です」
蝉が鳴り響く山の中で、晃明は百目鬼から渡された水を飲みながら、自分が見て聞いた全ての事を話した。
「お兄さんの健さんを襲った奴が、噂の仮面野郎なんだな?」
「……はい」
「あのなぁ、お前が妖怪なわけねぇだろ? どっかで恨まれたり、呪われたりされてなければな」
「呪いって……」
「思い当たることがないなら大丈夫だ」
晃明の背中を強く叩いた百目鬼は、大きく伸びをして山の綺麗な空気を吸い込んだ。
「自分の事は、雲外さんにもう一度きちんと聞いてみます。それよりも、仮面の魔物を早く探しに行きましょう」
「どうやって? 俺らが行き詰まっていたのはそこだろ?」
「百目鬼さんが協力してくれれば、分かるかもなんです」
「は……?」




