無垢な童の鋭い刃
「くぁ……」
欠伸を噛み殺しながら家の玄関を開けると、
「――――おかえりなさいませお嬢様」
タナトスが私を迎えてくれた。
恭しく礼をしているところ悪いが痴女スタイルのせいで何もかもが台無しだ。
(……殿方は、嬉しいんでしょうかねえ)
あのー、ほら、裸エプロン? 玄関を開けたら新妻が裸エプロンで出迎えてくれる。
そういうシチュエーションの類似品と言えなくもないが女の私にはまるでピンと来ない。
ただただ気まずい。痛々しい。
「その、あまり見ないでくださいませ」
恥ずかしそうに顔を逸らすな。
呪いの効果で思考が女性的に変化してしまったからだろう。
理性で必死に抗っているが段々と抗えなくなって来ているように思う。
「ところでお嬢様、朝食は?」
「済ませました。とりあえずコーヒーか何かお願いします」
「かしこまりました」
ソファに座りしばらくすると良い香りと共にコーヒーが差し出された。
「あまり眠れていないようですね。敵地ゆえ致し方ないのかもしれませぬが……」
「ああいやこれは単純に皆でオールナイト映画鑑賞をしていたからです」
タナトスの表情が気づかわし気なものから苦いものに変わる。
怨敵と必要以上に慣れ合うのはどうなのか、油断し過ぎではないのかと思っているのだろう。
「ハッ」
思わず鼻で笑ってしまった。
「お嬢様」
「だってそうでしょう? 私なんて佐藤英雄からすれば雑魚も雑魚」
偽装を施している。力のほぼ全てを切り離している。
だから気付かれていない――――わけではない。
接していて分かった。いやそうせずともちょっと考えれば分かることだ。
「人間が宙を舞う見えない塵芥を一々気にしますか?」
いやスケールで言えばもっと差があるか。
父ハデスでさえ佐藤英雄の脅威にはなりえなかったのだ。
未熟も良いところの私が引っかかるわけがない。何なら力は切り離す必要さえなかったかもしれない。
「それ、は」
「あなたたちもそう。脅威とすら思われていないから排除されなかった」
結局のところ、佐藤英雄からすればどうでも良いのだ。
何をしようとも自分には傷一つさえもつけられやしない。
やろうと思えば一瞬で消せるような存在にどうして真剣に向き合えようか。
「……規格外過ぎてもう、笑っちゃいますよ」
少しでもと探りを入れる度、打ちのめされる。
何か手札を晒せないかと遠回りだが梨華さんに必殺技の話を振った。
そうすれば佐藤英雄に聞いてくれるだろうと思ったのだ。
目論見通りに必殺技の話題になったが……全佐藤決議? 何だそれは。
ふざけたネーミングとは裏腹にその内容は実に恐ろしいものだった。
さらっと世間話のように集合無意識にアクセスするとか言い出すのだからやってられない。
いや実際に児戯なのだろう。あの人にとっては。
「あなた方の手助けになればと呪いの話も振ってみたんですよ」
「! ど、どうでしたか?」
期待に満ちた目をするタナトス。
「各神話に乞うて聖なる力を宿す器物を沢山、集めたとしてもどうにもなりません」
干渉すればした分だけ呪詛が強くなる? 何だそれは。
呪いのスケールが私たちの常識からはかけ離れている。
「――――」
「タナトス、あなた私に斬り付けるように言いましたよね?」
「は、はい……」
「多分、あの分も加算されてます」
気付けないのは呪詛の総量が規格外にデカイからだろう。
海のど真ん中でプールいっぱいの水をぶち込んだところで一体誰がそれに気付けると言うのか。
「あとあなた方が独自にしたであろう抵抗の分も」
「ぁ」
あ、倒れた。
無理もない。知れば知るほどにその規格外さだけが浮き彫りになっていくのだから。
「こうなったらもう真正面から詫びを入れるしかないんじゃないですかー?」
力、という意味では絶望だけが積み重なっていくがそれ以外の部分での成果はある。
接していればその人柄というのも分かって来るものだ。
真摯に謝罪し許しを乞うのならば佐藤英雄も許してくれるだろう。
「父の分の負債もありますからね。渋谷のど真ん中でゲザるぐらいはしなきゃいけないかもですが」
性別が元に戻るなら問題はなかろう。
多少、心に傷を負うことでその状態を脱せるなら必要経費だ。
酷なように思うかもしれないが父がやろうとしていたことを考えればそれぐらいはといったところか。
「むしろ破格でしょう。父の完全消滅も本人はそこまで乗り気ではなかったようですし」
佐藤英雄にそれを依頼した側の怒りを考えれば土下座程度安い安い。
「あの人、かなり寛容ですからね」
「…………お嬢様?」
「はい?」
「その、まさかとは思いますが……佐藤英雄に絆されてません?」
無言で見つめ合う。先に目を逸らしたのは私だった。
「お嬢様ァ!?」
「しょうがないでしょう! だって英雄さん優しいんだもん!」
正直もう、佐藤英雄と呼ぶのも苦痛だ。
親の仇。自分にそう言い聞かせて来たけど……あの人、ガンガン壁を越えて来る……。
滅茶苦茶私のことを大切にしてくれる……。
「特別大きなことはされてないんですよ。些細なことの積み重ね! でもそれが殊の外……殊の外!!」
何気ない場面で気を遣ってくれてその優しさに触れるとその度に胸が温かくなるのだ。
父に、ハデスに愛されていなかったとは言わない。しかしそれは世間一般の父子のそれではないだろう。
だからこそ……染みる。優しさが。英雄さんの慈しみに満ちた接し方が。
「別に私だけってわけじゃないですよ? 梨華さんにも暁くんにも優しくて」
先の旅行で同道した暁くんの妹さんにもそうだった。
子供に優しい。大人としては当然の在り方なのだろう。
「正直~? 私だけに優しくして欲しいけど、でも他の人にも優しいとこが素敵なところでもあるしぃ」
「ちょ、ちょ、ちょお嬢様!? 正気ですか!? 親の仇ですよ!!」
「そもそもその点からしておかしいでしょう。英雄さんだけに非があるんですか?」
父ハデスは死神の道理を以って世界の変革を望んだ。
それは人間にとっては不都合なもので、だからこそ英雄さんは人の道理を以ってそれを阻んだ。
何度も何度も世界規模の危機を起こそうとするような相手を許し続けろというのは厚顔が過ぎる。
これは私が冷酷だから、というわけではない。
「父が私を“そう育てた”んでしょう」
その思想ゆえ人からすれば自分勝手に見えるかもしれないが父は思想以外では公明正大な神だ。
冥府で揉め事があった際もどちらかに肩入れせず客観的に罪の重さを判断する。
その在り方は私にも受け継がれている。いや私だけでなくタナトスたちにもだ。
にも関わらず英雄さんを敵視しているのは死神の矜持ゆえ。そして当事者だから。
しかし私は違う。借り物の思想ゆえ、当事者になり切れない。
「そ、それは……」
「というかですねえ。私に望む育ち方をして欲しいんならもっとあるでしょう」
稼ぎなさいよ、好感度を。
いやね、お嬢様お嬢様言われてるし敬われてはいますよ?
「でもあなたたちのそれは私個人への敬意や好意ではないでしょう。父ありきじゃないですか」
「う゛」
「悪いとは言いませんよ? 何も成していない小娘を敬え好きになれって言っても無理でしょうよそりゃ」
しかしだ。父の大願を果たさんとするならダメでしょう。
小娘の心一つ掴めないで一体何が出来るってんです?
「子供に見抜かれてるようじゃダメでしょ。全然ダメ。
この人たちは私のことを本気で大切にしてくれてる、愛してくれてるって思わせなきゃ。冷めるんですよそういうの」
しっかり絆しなさいよ。あなたたち、やる気あるんですか? 真剣にやってます? 本当に?
「英雄さん云々の前にやることがあるでしょうやることが。良い歳して地に足つけた考え方出来ないんですか?」
「う、うぅ」
「私何歳か知ってます? 五歳ですよ五歳。五歳児にこんなダメ出しされて恥ずかしくないんですか?」
私の説教はタナトスに泣きが入るまで続いた。
サーナ「君、幾つ? 今まで何やってたの?」
たなとす「……」




