地獄の使者
「……」
削る。削る。削る。只管に削る。一心不乱にただ削り続ける。
俺の集中力はかつてないほどに高まっていると言っても過言ではなかろう。
「あ、あの……部長?」
「ん、どうした?」
「何、やってるんです?」
何っておめえ、見れば分かるだろ。
「型抜きだよ」
「いやだから何でお昼ご飯もそこそこに突然、型抜きを始めたか聞いてるんですけど……」
ああ、そういうことね。
「……まあ、練習? ちょっと難易度の高い型抜きに挑戦することになってな」
言わずもがな昨夜の奥多摩島の一件だ。
貼り付いた異世界の欠片を乖離させるのはかなり集中力のいる作業だった。
ほんの1ミリであろうともミスった瞬間に、全部がバラバラになる。とても一日二日で終わるようなもんではない。
力技で消し飛ばすならともかく元の奥多摩を取り戻すってのは予想以上の難易度だ。
「えぇー……? 何? モナリザの型抜きでもするんです?」
「フッ、まあそんなところかな」
今この瞬間も手は止めていない。
集中するのも大事だが、お喋りをしながらでも寸分違わず削れる技量も必要だからな。
「ってか部長、器用っすね」
「子供の頃さぁ、お母さんに強請って型抜きやってたけど私、全然だったわ」
「俺も俺も。絶対崩れるだろあれ」
「シンプルなキャラものとかでも難しいのに何これ龍? 鳳凰?」
「それ以前にどこで買った来たんですこれ」
一人が話しかけたのを皮切りにわらわらと俺のデスクに寄って来る。
あまりにも鬼気迫る勢いでやってたから声をかけて良いかどうか迷っていたようだ。
「探しゃ普通に売ってたぜ」
「あー、食べた! 部長、出来上がったの食べちゃった!?」
「えー……いやだってこれ食べられるんだから食べるっしょ」
まあそこまで美味しくはないがな。
でも残しといても使い道ないし、削ったら食べないと貯まってく一方だ。
もう結構削ったから俺のデスク、占有しちゃってるし。
「そうですけど……あー、あー!」
「そんな遠慮なく……」
「勿体ない……」
えぇ……? 好きに食べさせてよ……。
「あぁでも懐かしいなぁ。何時からだろ、こういうのやらなくなったの」
「ホント、自然と離れちゃうわよね」
「そうそう。明確に何時ってのがなくて気付いたらやらなくなってるよな」
「地元帰った時、祭りやってるはずだしそこでやってみようかな」
ああそうね、数日すりゃお盆休みだもんな。
社会人にとっての貴重な長期休暇の一つだ。
まあ人によってはお寺さん行ったり何だりで忙しくて休めないってのも居るかもだが。
「ってか興味あるならやる? まだまだ型あるぜ」
「良いんですか!? じゃあお願いします!」
「あ、私も! 私もください!」
「ちょ、ずるい! 俺も良いですよね!?」
存外、食いつきが良いな。
簡単そうな動物さんセット(針つき)を引き出しから取り出し、彼らの前に並べる。
「ウサギさん! 俺ウサギさんが良い!」
「馬鹿ウサギは俺んだ! お前はクマで我慢しろ!」
「ちょっと男子ぃ! 女の子から先に選ばせてやろうって気はないの!?」
こんだけ盛り上がってんなら……時間もまだ30分ぐらいあるし……やるか。
「よし、そんじゃあ残り時間で上手に削れたヤツにゃ俺から賞金出しちゃろ」
≪え!?≫
「審査基準は上手さと数だ。上手にどれだけの数完成させられるかを競おう」
賞金は……まあお遊びだし軽くで良いやな。
「賞金は一位が一万、二位は五千円、三位は千円だ。参加……ってはえーなオイ」
金に目が眩んだ部下たちは我先にとて型を奪い去り自分のデスクに戻って行った。
そして見たことないぐらい真剣な表情で削り始めた。
「んじゃ、俺はちぃと一服してくるから皆、がんばえー」
エールを送りオフィスを出て屋上に。
冷房の効いた社内とは違い、クッソ暑いが……まあまあ少しの間ならこれも悪くはない。
煙草を取り出し火を点けようとしたところで、ふと気付く。
「にゃあ」
屋上の影で黒猫が寝そべりこちらを見ていた。
「あらら、この猫ちゃんはどっから入り込んだのやら」
煙草を咥えたまま駆け寄り黒猫を抱き上げる。
軽く癒しが欲しかった俺はそのまま猫の腹に顔を埋め猫吸いをしようとしたんだが、
「……あ、あの……困ります」
「キェェェェェェアァァァァァァシャァベッタァァァァァァァ!!?!」
ってかコイツ……。
「お前、火車か?」
死者をデリる地獄の超速便。
軽く感覚の制限を緩めてみると地獄の匂いがぷんぷん漂ってきやがる。
地獄の匂いが染みついた猫なんて火車以外には居ないだろう。
「はい……あなた様なら即座にお気づきになられるかと思ったんですが……」
「無茶言うなや」
俺の感知能力は世界でも屈指だろう。
が、常時それを機能させてりゃ鬱陶しくてしょうがない。
なので基本的にはOFFにしてる。一定以上の脅威でなければ自動でONにはならないのだ。
「それでデリヘルキャットが俺に何の用なんだ?」
「その呼称やめてくれません?」
「ピッタリじゃん」
地獄に運ぶする猫なんだし。
「現世じゃどう考えても別の意味にしか取られないじゃないですか」
「しょうがねえなぁ……んで俺に何の用よ? 俺ぁまだ死んでねえぞ」
「……お迎えではありません。今日はメッセンジャーとして御前に参上致した次第で御座います」
「メッセンジャー?」
「大王様があなた様との面談をお望みです」
「……閻魔大王が?」
「はい。今夜のご予定は大丈夫でしょうか? 大王様は都合が悪いなら日を改めるとの仰せですが……」
「いや別に問題はないがお盆近いんだし……ああいや、その前にってことか」
「ご理解が早いようで助かります」
お盆ってのは地獄の釜の蓋が開く日のことだ。
つまるところ地獄の管理者にとっては貴重な休日ってわけだ。
まあ完全に機能停止するわけじゃないが普段がクソ忙しいからそれでも十分な休養になるだろう。
スーパーブラック労働に従事してる閻魔大王にとっては貴重な時間だ。
「分かった。会社終わったらそっちに行くよ」
「……生者が簡単に来られるような場所ではないんですが、まあ佐藤様なら境界ぐらい簡単に踏み越えられますよね」
まあね。
「それはさておき、こちらからお迎えに参りますので」
「良いの?」
「客人として招くよう仰せつかっておりますゆえ」
「そうか。んじゃ会社終わりに屋上で待ってるから頼むわ」
「お任せあれ。では、これにて失礼致しまする」
火車は冥府へ戻って行った。
元の姿に戻る際に発生した火で煙草を点けてみたんだが……特別美味いとかそういうのはないな。
「……戻るか」
一服を終えてオフィスに戻ったのだが……。
「……あんた、何してんです」
「フッ、僕ぁこう見えて昔は型抜き名人と言われた男なのさ」
何でか社長が他の子らと一緒に型抜きに勤しんでいた。
「名人ってわりにボロボロじゃないっすか」
「これから! これからだから! 今、勘を取り戻してるとこなんだよ!」
だ、だせえ……。




