若き佐藤の肖像 後編
1.破滅の足音
その日、真世界のとある拠点では交流会が開かれていた。
常識的な感性を持つ人間からすれば彼らは悪の組織以外の何ものでもない。
が、本人たちは本気で世界のためを思って行動しているので思想はさておき性根は善良な人間のそれだ。
ゆえに結束を高めるための催しなども普通にやっている。
余興ありの立食パーティは和やかに進み、誰の顔にも笑顔が浮かんでいた。
――――そんな優しい世界をぶち壊す悪意ある存在が潜んでいるとも知らずに。
「これこれ! ナポリタンって言ったらこれなんだよ!!」
構成員の一人がケチャップで炒めた昔ながらのナポリタンに舌鼓を打っていると、
「うちの親父とまんま同じリアクションでウケる。そんな良いもんなの? いやうめえけどさあ」
「まあ味で言えばこれよりも美味しいものはあるだろう。だがやはり思い出ほせ……」
言葉は続かなかった。
自分に声をかけた少年の姿を認識するやオッサンの顔色がさぁっと青褪める。
じゃらじゃらとピアスをつけた金髪の軽薄そうな少年。
それは、
「さ、佐藤英雄!!」
「へへ、おじゃましてまーす」
フライドチキンを片手にへらへら笑う佐藤に和やかな空気は一変。全員が臨戦態勢に入った。
「しかしうめえな。これどこのケータリング?」
「囲め! 全方位から一気に押し潰せ!!」
その場にいた中で一番立場が上の人間が指示を飛ばし戦闘が始まった。
数の利を活かしたお手本のような立ち回り、しかし佐藤には通じない。
ひょいひょいと逃げながら回収した食事を漫喫する有様だ。
「これでは足りないか……! 増援を呼ぶぞ!」
「了解! 鬼咲さんにも――いや駄目だわ。確か今日は……」
この時点で気付くべきだったのだ。
逃げ回ってはいるが真世界の拠点から出て行こうとしない佐藤の不自然さに。
だが目の上のたんこぶ、大願成就を阻む一番の邪魔者というフィルターが彼らの目を曇らせた。
「大体こんなもんか?」
ある程度数が揃ったところで佐藤は言った。
会場の中央でペットボトルのジュースをラッパ飲みするその姿は隙だらけにしか見えない。
しかし、この場にいる全員が不吉を感じていた。
彼らの予感は正しく、
「美味い飯を食わせてもらったからな。お返しだ」
佐藤が指を鳴らすと天井に巨大な魔法陣が出撃し“それ”が一気に降り注いだ。
≪ッッッ~~~~~~!!?!!?!!!!?!!?!≫
阿鼻叫喚。無理もない。
落下し破裂したのは缶詰。問題はその中身だ。
シュールストレミング。世界一臭いと言われる発酵食品。
しかもその臭気を超常の力で強化しているのだから最悪だ。
瞬く間に数百人はいた構成員全てが無力化された。
佐藤は泡を吹いて痙攣する彼らを見つめ心底楽しそうに笑う。
「へっへっへ。良い具合に上玉が揃ってるじゃねえの」
下劣さがこれでもかと滲み出る笑顔であった。
「……しっかし美男美女が多いのは“ありがたいが”悪の組織のくせに生意気だぜ」
こりゃあお仕置きしてやらんとなあと鼻を鳴らし佐藤は再度、召喚術を使用する。
現れたのは大量のバスケットボールほどの大きさはあろうかという黒い靄。
靄は佐藤の指示で“採用されそうなレベル”の男女の下へ飛来しもぞもぞと彼らを包み込んだ。
「こんなもんか? っし。じゃあ次は混沌の軍勢だな」
2.最低の伏線回収
その日、千景は買い物で裏新宿を訪れていた。
真世界と混沌の軍勢。裏の二大組織から狙われる身ではあるが彼らも四六時中付け狙っているわけではない。
昼間で尚且つ、裏新宿のような公共の場所なら尚更だ。
特定の組織ではなく裏の人間が全体で利用するために創った裏のコミュニティはある種の非戦闘区域のようなもの。
ここで事を起こすのは要らぬ敵を増やすだけ。なので千景も安心して買い物に出かけられるわけだ。
「……むむむ」
バザーの一角で二着のスカートを見つめながら唸る千景。
一見すれば普通のレディースにしか見えないが実はそうではない。戦闘にも使える装束だ。
機能性重視のそれでは味気ないと考える裏の人間は一定数存在する。
そんな人間向けに普通のファッションとしても通用するものを作るクリエイター集団などもそう。
今千景が見ているのも裏のファッションブランドが出している商品の一つだ。
「短い方がヒロくん喜ぶかなあ」
佐藤に出会う前は表裏どちらでもファッションなど気にしたこともなかった。
表ならおかしくない清潔感のある格好、もしくは制服だけで十分。裏なら機能性オンリー。
年頃の少女らしからぬ趣向だがそれが西園寺千景という人間だった。
だが佐藤に出会い想いを寄せるようになってからは……これ以上は野暮だろう。
「いやでも何かこの間、スカート丈について互助会の人と無駄に熱い議論を繰り広げていたような?」
千景の脳裏に知らない人と熱いトークを繰り広げる佐藤の顔が思い浮かぶ。
『ただ短けりゃ良いなんてのはちげえだろ!? いや無論、好きだがね!
ああ! 短いスカートは大好きさ! でも誰も彼もミニが良いってわけじゃねえんだよ!!
とりあえず乳は盛れみたいな思考停止駄目絶対!
何なら人によってはスカートよりジーンズとかのがエロいこともあるんだからな!!』
千景にはまるで理解できない話だった。
「その人に合った、ってこと? なら私は」
どうなんだろう? と更に迷いを深めていると、
「最近、佐藤の奴大人しくない?」
「それな。ちょっと前、真世界と混沌の軍勢にカチコミかけたっきりまるで音沙汰がねえ」
ふとそんな会話が漏れ聞こえてきた。
近くの屋台でアイスを食べている男女の集団だ。
「いや別にあの子も四六時中何かしてるわけじゃなくない?」
「それはそうだが友人と袂を分かってからは三日に一度ぐらいの頻度で何かやらかして噂になってただろう」
「そんな奴がさっき言った襲撃からもう二週間近く何もないとか怖いですよね」
「絶対よからぬことを企んでるだろ」
不服はなかった。真実その通りであろうと千景は認識していた。
佐藤に惚れてはいるがそれはそれ、これはこれである。
(ヒロくん何してるんだろ……)
「へっへっへ、ちょいとやることがあるんでね」と少し前に話したきりだ。
酷く悪い顔をしていたので誰かが不幸になるのは確実だろう。
などと考えていると、
「――――風流せい! 風流せい!!」
噂をすれば影。佐藤の声が響き渡った。
拡声の術を使っているようで裏新宿全体に声が届いているようだ。
「……?」
千景が視線を上にやると佐藤が空を駆け抜けながら何かをばら撒いているのが見えた。
カード? 色々な意味で有名な男がばら撒いているものだ。
自然と誰もが降ってきたカードを手に取る。
(URLと……QRコード?)
千景を含む街の人々は自然と携帯を取り出していた。
怪しくはあるがウイルスや架空請求のそれではあるまい。そんなことをする意味がない。
なのでまあ平気だろうと千景も謎のURLにアクセスしてみたのだが、
「んにゃ!? な、こ、……あわわわ!!」
画面を目にした瞬間顔を真っ赤にして挙動不審になってしまう。
そりゃそうだ。何せそこに映し出されているのはエッチな映像作品のパッケージ画像なのだから。
「何っだこりゃ? 無差別セクハラテロか?」
「どれもこれもかなりマニアックっつーかハードコアな」
「無料で見られるみたいだけど」
千景のように赤面している者もいれば不思議そうに首を傾げている者もいる。
誰もがその意図を測りかねていたが、ふと誰かが呟く。
「うん? あれこれって真世界の」
その呟きに呼応するようにこのホモビの男優って混沌の軍勢にいる……と別の誰かが言った。
瞬間、千景は思い出した。
「えーぶい……どっぺる、げんがー……」
呆然と呟く千景。
それに遅れてあちこちで佐藤の意図を理解した者が出始める。
「何だアイツ悪魔か!?」
「いやいやいや、やる!? 普通ここまでやる!?」
「やべえよやべえよ……」
それは前代未聞の(社会的)大虐殺であった。
3.A.S.18年。その後の彼らについて
あの前代未聞の社会的大虐殺当時、筆者は佐藤氏と同じ高校生であった。
まだまだひよっこで特別な己に酔っていた少年はあの日、死んだと言っても過言ではなかろう。
筆者が今日まで五体満足のままこの世界でやってこれたのはある意味で彼のお陰なのかもしれない。
さて、自分語りはここまでにして本題に入ろう。
あれから十八年。改めてあの事件について振り返ろうというのが今回の主題である。
まずは悪意の専門家匿名希望の明星L氏に話を伺ってみるとしよう。
「いやあ、何か照れるね。インタビューとかは表の仕事で結構受けてるんだけどさあ」
快く取材に応じてくれたL氏。
筆者も表の彼女の一ファンであるからして正直、かなり嬉しかった。
「で、佐藤きゅんについてだっけ? そうねえ。あの子より悪人って言うならごまんと居るよ?」
表でも裏でも佐藤氏以上の非道を働く人間は居る。
歴史を振り返れば表の番付だけでも佐藤氏がランクインすることはないだろうとL氏は語る。
「けどあの子ほど悪意が“薄い”人間は居ない。
正義の名の下に行われる虐殺なんかもあるけどさ。それも結局、ラベルが違うだけで本質は悪なわけじゃん?
史に刻まれるような罪科の根っこには必ず余人には到底及ばない濃密な熱量がある。
善であれ悪であれ大業を成すってのはそういうこと。だけど佐藤きゅんにはそれがない。
終始ちょっとした悪ふざけ程度の熱量しかないの。何度も世界を救ってるけどあれもちょっとした善行程度の熱しかないよ」
……つまり佐藤氏にとって世界を救うのも社会的虐殺を引き起こすのも同じということですか?
「そ。違うのは方向性だけで孕む熱はおんなし。だから目につくんだよ。悪いことだけやってればそこまで気にはならないんだろうけどさあ」
表の歴史には刻まれぬ数々の偉業を成し遂げているからこそ無視できない。
我々は無意識にそのアンバランスさを感じ取っているからこそ佐藤氏の所業が強く印象に残るのだと言う。
「まあそれはそれとして」
それはそれとして?
「佐藤きゅんのやった社会的大虐殺は普通にカスだと思うけどね。女として普通に引くわ」
仰る通りです。
その後、L氏にサインを貰い筆者は事務所を後にした。
次に話を聞いたのは……かつての大虐殺の当事者だ。
被害者は数百人にも上るが誰も彼も裏の世界を去り戻ってきてはいないので正直、無理だと思っていた。
しかし今回取材に応じてくれたA子さんを含む幾人かは近々、復帰予定なのだと言う。
そこも含めて話を聞きたいと思う。
「ああこの顔? ええ、戻したのよ。昔の自分の顔にね」
筆者が驚いたのはA子さんの顔。彼女は被害を受けた当時の顔に戻っていたのだ。
多少の加齢はあるが超人基準で十八年経てばこんな感じになるだろう。
「それについて語るにはまず、当時のことを振り返らなきゃいけないわね」
……よろしくお願いします。
緊張する筆者とは裏腹にA子さんは実に穏やかな調子で語り始めた。
「まあ端的に言って地獄だったわよね」
……でしょうね。
「最初は皆、何とかしようとしたのよ? 表の司法の力を使ったりね」
販売差し止めの動きはあったと聞きますが……。
「ええ、無駄だったわ。上手くいっても違法アップロードを繰り返されてむしろドンドン拡散していったし」
筆者も調査でそこらの事情は把握している。
デジタルタトゥー(当時はまだ一般的ではなかった)を消そうとすればするほど強く刻みつけられる。
今でもネットで調べれば当時の動画は簡単に見られるだろう。
「もうどうしようもない。顔を変えて逃げる以外の道はなかったわ。表も裏も人間関係殺されたし」
……表はともかく裏も、ですか?
裏の事情を知らない親類縁者友人知人にばら撒かれたらしいので表は分かるが裏も?
筆者の疑問にA子さんは苦笑気味に答えてくれた。
「裏の友人知人が動画を見てない保証はある?
自分ではないけど自分と同じ姿をした存在の痴態を見せつけられてあなた平気なの?」
……返す言葉も御座いません。
「不眠拒食過食。精神を病んでからの日々は地獄だったわ。
佐藤英雄を恨むこともできない。顔どころか名前を聞くだけで恐怖に身が竦むほどへし折られてしまったから」
しかしこうして顔を戻し当時のことを話してくださるということは、立ち直られたということですよね?
その切っ掛けは何なのか。筆者の問いにA子さんは穏やかな表情で語り始めた。
「十年ぐらい経った頃かしら。このままじゃいけないと思ってトラウマと向き合うことにしたの」
それは……ご立派です。
「動画を見て克服しようと思ってネットで検索をかけて……直ぐに見つかったわ。
開始数分でもう駄目。やっぱり無理だとブラウザを閉じようとした時、コメント欄が目についたの。
好き勝手私じゃない私について語っている連中に憎悪を抱いたわ。
でも同時に憎しみとは違う別の感情も覚えていた。
それが何か分からないまま無責任な視聴者を憎むことで奮起しようとネットの海に潜ったわ」
それから更に数年。コメント欄を覗くだけでなく時折掲示板にスレを立ててみたりもしたとのこと。
「……その内に、気付いたの」
気付いた?
「ええ――――自分が興奮していることに」
…………んん?
「羞恥、屈辱、その中に確かにあったわ“悦び”が。気付けば……ふふ、下品だけど、ねえ?」
……。
「これは私だけなのか? 私が変態なだけなの? 興奮と戸惑いはやがて決意に変わった」
け、決意……ですか?
「ええ。被害に遭ったかつての仲間や宿敵たちを探して確認してみたの。そうしたら」
……し、したら?
「私を含めて四十人ほどかしら。同じような境地に至った同胞を見つけた」
……。
「彼らと話し合って決めたの。顔を戻し、新しい生き方を始めようって」
と、その時である。
筆者とA子さんが対談しているホテルの一室。そのドアが開かれ……佐藤氏が現れたのだ。
「よォ」
「こんにちは佐藤英雄。私のこと、覚えているかしら?」
「ああ。当時、個人情報も徹底的に調べたからな。戸籍を戻したみてえだから依頼人の名前で直ぐにピンときたよ」
驚くことに、だ。
A子さんは佐藤氏相手にも変わらず穏やかに接しているではないか。
驚愕する筆者をよそに会話は進む。
「ってかそこのオッサン誰よ?」
「雑誌の記者よ。当時の事件について知りたいんだって」
折角だからタイミングを合わせたのだとA子さんは笑った。
「俺に依頼を出す体でリベンジ目論んでるのかと思ったがどうも違うらしい。何が目的だ?」
「あなたに恨みはないわ。これは本当。依頼をというのも嘘じゃないわ」
「ふむ? 聞こうじゃねえか。頼みたいことがあるとしか内容がなかったからな」
「あなたに監督をお願いしたいの」
「監督?」
「ええ。私を含めて当時あなたにしてやられた人たちでAVメーカーを起ち上げたの」
ふぁ!?
「名前は“転生”。あなたに殺され、そして生まれ変わったことからそう名づけたの。
記念すべき一作目。その監督に相応しいのは全ての始まりであるあなただと満場一致で決まったわ」
……。
「あなた随分、AVにこだわりがあるらしいじゃない? 何なら男優も兼任してくれても良くってよ?」
まあ自信がないなら断ってくれても良いけれど。
A子さんの挑発的な笑みを受け佐藤氏は、
「――――上等。男優は表の立場もあるからできねえが監督は引き受けてやるよ」
不敵な笑みを浮かべ話を引き受けた。
「結構。よろしく頼むわね佐藤監督」
「ああ、任せな」
ガッチリ握手を交わす二人。それは正に歴史的和解……いや和解なのかこれ?




