奇行
「……とまあ、こんな感じですね。質問はありますか?」
ホワイトボードに書かれたことを書き写している生徒らに問う。
ふむ、どうやら質問はなさそうだ。
「では今日の授業は終わりにしましょうか。ああ、焦らなくて良いですよ?」
片付けもあるのだ。ゆっくり板書に励んでくれと生徒たちに言って片付けに入る。
お料理教室と言っても学校の授業ではないのだ。
日直も居なければ終わりの挨拶も全員一律でとはならない。
(……夜間教室の生徒たちも結構、腕が上達して来たね)
佐藤くんは男がお料理教室とか行って笑われない?
と初めて授業に来た時、キョドっていたらしいが別にそんなことはない。
比率で言えばそりゃ女性の方が大きいけれど男性だってそこそこ居る。
夜間教室とかは特にそうだ。仕事帰りのリーマンなどが授業を受けに来る。
節約のために自炊したい。外食ばかりなので健康が不安。独り身なので料理を覚えたい。
料理を習う理由は様々だが、皆真面目に授業を受けている。
わざわざお金を払ってまで習いに来ているのだから当然と言えば当然だが。
まあ、
「そうだ先生。よければこの後、食事でもどうです?」
中にはスキルを磨くためだけではなく下心を忍ばせている生徒も居るが。
言っちゃ何だけど私は良い部類の顔をしているから。
……流石にね、二十年近く女をやっていれば気付く。
最初は戸惑ったが今はこの手の誘いも涼しく躱せる程度には女をやれていると思う。
「お誘いは嬉しいんですが、先約がありますので」
困ったように、それでいて照れ臭そうに笑ってやる。
すると私に声をかけて来た生徒はちょっとショックを受けたようにそうですかと引き下がった。
こんなリアクションされたらね。男が出来たと勘違いするだろう。
「MIO先生、彼氏できたんです!?」
女生徒の一人が好奇心に目を輝かせながら聞いて来た。
「別に、そんなんじゃないわよ」
言いつつ満更でもなさそうな顔を作る。
男と会うのは間違いないし女として好意を抱いていることも事実なんだけどさ。
でも別に彼氏ってわけではない。佐藤くんはそっち方面、ヘタレだから。
(原因は……西園寺さんなんだろうな)
私と高橋くんの目から見ても昔の二人はお似合いだった。
戦いを終わらせたらくっつくんだろうなと思っていたから……再会した時は驚いた。
あろうことか私の誘いをそういう誘いだと勘違いしウッキウキで待ち合わせ場所に現れるんだもん。
(ただ今にして思えば関係が自然と途絶えてしまったのも当然なのかもね)
大人になって振り返ると子供の頃には見えてなかったことも見えて来る。
……佐藤くんの強さは異質極まる。恐怖を抱くほどに。
親しくて、好きだからこそ……そんな彼を怖がる自分を認めたくない。
全部ひっくるめて受け止めようとしなかったから西園寺さんは負い目から逃げるように距離を取ったんだと思う。
(とは言え西園寺さんだけの問題かって言われるとそれも違うけど)
夏に新築祝いをした時のことだ。
『しかしあれだな。結果だけ見ると……あたしらは足手まといだったのかもしれねえな』
高橋くんの拗ねたような物言いに佐藤くんは言った。
力に価値がないとは言わないが大事なのは力を使った先にあるものだと。
私たちと居られることが一番幸せ。それは素直に嬉しい。
しかし極まり過ぎた力の持ち主の感覚としてはおかしいと言わざるを得ない。
自分の異常さに対して昔も今も無頓着が過ぎるのだ。
だから普通にショックを受けて恋愛関係では持ち前の器用さが発揮されなくなったのだろう。
その癖、本気じゃない割り切った関係はアホほど経験値積んでるんだから佐藤くんはホント……。
(でもそういうところも好き)
ダメなところでさえしょうがないと愛しさを覚えてしまうぐらい私は佐藤くんにイカレちゃってる。
まあ男だった時から友情を超えた感情を抱いていたからね。
当時は別に恋人になりたいとかそういう形ではなかったが……重さで言えば下手な愛情よりも重かったと思う。
私はあの時、佐藤くんに殺されても毛先ほどの後悔もなかった。
血を分けた肉親にさえそこまでの想いを抱いたことはない。
仮に私を殺す役が両親だったのならきっと無念の言葉を吐き捨てていただろう。
(そんなに想ってるんだから、ねえ?)
女になったらそこに愛情が加わるのは当然の帰結だろう。
それは私だけじゃない。高橋くんもきっと同じ気持ちだ。
高橋くんは……何だろうな。親友は親友だけど真っ向から対立する思想を抱くような土壌があったからだろう。
ライバルで、どこか双子の兄弟のような感覚に似ている。
あっちも私のことはそんな感じで認識してるんじゃないかな。
(気付いてないのは当人だけ、と来た)
西園寺さんからの好意は気付いているがまさか私たちからもとは思ってもいないだろう。
じゃなきゃあんなにグイグイスキンシップを取って来ない。
西園寺さん相手には一線引いてるけど私たちには遠慮なしだからなあの人。
それが嬉しくもあり、もどかしくもあり……。
ちなみに西園寺さんについてだが高橋くんはさておき、私は遠慮なんてしてはいない。
過去の行いに申し訳なさはあるが、それはそれ、これはこれだ。
(あの時くっついてたならともかく魚を逃がしちゃったんだから……ね?)
チャンスは平等だろう。
まあ三人まとめて頂かれるってのも悪くはないが。
とは言えその場合でも一番は私……む!?
「どうしたんです先生、急に怖い顔して」
あれこれ私から聞き出そうとしていた生徒が不思議そうに首を傾げる。
そりゃそうだ。のらりくらりとテキトーに躱してたのに急に険しい顔になるんだもの。
「ああごめんなさい。ちょっと包丁が、ね?」
「? 綺麗な包丁だと思いますけど」
「それがそうでもないんですよ」
手入れは怠っていないつもりだったけど……参ったわね。
基本は自分でメンテして一定周期でしっかりしたとこにお願いしてるんだが早めた方が良さそうだ。
「……素人にはよくわかんないんですけど、やっぱり調理器具の手入れには気を遣った方が良いんですかね?」
「気を遣った方が良いのは事実だけど神経質になることはありませんね」
自分でやれる範囲でメンテをしてダメになって来たら買い替える。
家庭でやるならそれぐらいの軽い気持ちで十分だ。
私が丁寧に丁寧にやってるのは愛着もあるがプロとしての自覚を持ち続けるという意味合いのが大きいし。
「それより板書は良いんですか? 他の皆さんは大体、写し終わって帰り支度始めてますけど」
「わわ! 直ぐやりまーす!」
それから最後の一人が教室を出るまで居残り、異常や忘れ物がないかをチェック。
問題がないことを確認して教室を出て施錠。佐藤くんとの待ち合わせ場所へと向かう。
(……待たせてるだろうな)
予想通り、待ち合わせ場所には佐藤くんが先に来ていたのだが……。
どういうわけか佐藤くんは認識阻害の結界を展開し妙な踊りをしている。
(あれは……何だっけ?)
むかーし、一時期流行ってたというかテレビとかでも取り上げられてた――そう、オタ芸だ。
アイドルの曲に合わせて入れる合いの手の激しい版、みたいな認識だけど合ってるだろうか?
今もああいうのあるのかな? ってそうじゃない。
(何でオタ芸?)
 




