プロローグ:我、エロ本を所望す
「桜井桃和さん。あなたは先ほど、不幸にもその若い命を散らしてしまいました。で、単刀直入に言います。このまま記憶をなくして地球の赤ん坊に輪廻転生するか、それともその姿のまま異世界へ転生するか、どちらがいいですか?」
……まだ現在の状況把握もままならない俺に、無茶苦茶な二択を迫ってくる女の姿を視界に収めながら、俺はこんな状態になるまでのことを思い返していた。
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「いや~、まさかあんな小さな本屋にこんなお宝があるとは」
俺は、レジ袋の中身であるお目当ての本を……自作のブックカバーに包まれたそれを見てご満悦だった。
お宝、といっても発売日をずっと楽しみにしていたわけではない。
ただ、表紙に移っている女が自分の好みドストライクだったため購入した。いわゆる表紙買いである。
「小さい割に掘り出し物の多い本屋だった。家から近いし、これからも利用させてもらおう」
最近人気の本だけではなく、昔の有名な本や、何らかの理由でメディアに紹介されることなく他の作品に埋もれた面白い本なども置いてあった。
惜しむらくは、女性の店員が多いことだろうか。不登校で対人経験の少ない俺に、異性との接触はハードルが高い。
(ごめんお父さんお母さん。学校にも行かない俺にくれた貴重なお小遣いをこんなことに使ってしまって。でも今日18歳の誕生日だから、大目に見て)
俺こと桜井桃和は、健康優良な不登校児だ。定期的に出かけたりしているし、ずっと家にこもっているわけではないので引きこもりではないが、学校に行かない日々をかれこれ2年は送っている。
まだ退学にはなっていないのだが、自らを男子高校生と自称するのははばかられるほど学生らしくない日々を謳歌している。
平日の昼間からジャージ姿で本を買う男を、店員の女性はどう思っただろうか?
そんな学費を無駄にし、養育費をむさぼる俺を両親は一生懸命育てくれているのだ。
その両親が働いて得たお金をこのようなことに使うのは心に来るものがあった。しかし、後悔はしていない。
「それほど、この本は俺にとって価値のあるものなのだから!」
往来の真ん中でそのようなことを大声で叫ぶくらいに浮かれていた俺は、横断歩道をわたる際、横から突っ込んでくるトラックの存在に遅れて気付づいて、でも気付いた時にはとても回避できない状態で、そのまま……。
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「俺死んでる!?」
「はい。死んでます」
こちらが己の死という残酷な現実に打ちのめされているというのに、目の前の女はそれを淡々と告げる。こんなインパクトのある事実なのだから、もうちょっとリアクションを大きくしてくれてもいいのでは?
「ていうか、俺が死んでるなら、なんで俺はこんなところに……?てかあんた誰だ!?」
周りを見渡すと、小さい星のような輝きがそこかしこにちりばめられていて、宇宙を思わせるような場所に立っていると分かった。
しかし、地面がないので立っているという表現が適切かは分からない。
だが足の裏に確かな土台の感触はあるので、見えない地面がある、と思っておこう。
そして、目の前の女だ。
おそらく年齢は俺と同じくらい。
美しく、きめ細やな橙色の髪と、灼熱を閉じ込めたような光輝く紅の瞳。一片の穢れなき肌、バランスの取れた肢体。
矛盾する表現かもしれないが、活力に満ちた人形……という言葉が頭に浮かんだ。
それほどに女は美しかった。
「私の名は太陽の女神ソール。この世にあまねく大地を照らしその営みをはるか彼方から見守る女神です。さて、あなたの質問に答えたところで、本題に入りたいのですがよろしいですか?」
「ああ、さっきの輪廻転生だの異世界がどうのっていう……」
死んだばっかだっていうのに遠慮なく二択を突き付けてくるもんだから、あまり聞いてなかった。ぶっちゃけあまりよくわかっていない。
「あなたは自分の不注意と、真昼間から飲酒運転をしていた運転手の過失でなくなってしまいました」
……俺を引いたトラックは飲酒運転していた人のものか。
俺の不注意だけでトラックの運転手が警察に捕まって社会的信用を失う羽目にならないのはよかった。
どう考えても悪いのは歩行者なのに、運転手が重い罰を受けるパターンもあるからな。
そんなだから当たり屋なんて連中が存在するんだ。
「死んだ魂は天国か地獄に行くのですが、あなたは学校にも行かずろくに社会貢献もせず、天国へ行く徳は積んでいない。しかし、地獄に堕ちるほどの悪行も犯していない。……まあ、毒にも薬にもならない存在ということですね」
「うっせえ」
本当のことかもしれないが初対面の人間に失礼すぎやしないだろうか。
「そんなあなたにぜひやってほしいことがあるのです。それは、こちらが用意した生前のあなたを再現した肉体に魂を入れることで、異世界に転生して魔王討伐をすること」
「あー、ラノベとかでよくあるやつ」
「はい。あなたくらいの年代の日本人は理解が早くて助かります。チート引っ提げて俺Tueeeしてハーレムのアレです。もちろんこれは選択肢の一つです。断って普通に記憶をなくして地球の赤ん坊に輪廻転生することもできますよ。正直今の魔王はかなり強くて、チートがあっても簡単には倒せませんからね」
「いや、異世界転生一択でしょそれ」
記憶をなくすのは、今の自分が死ぬのと同義だ。老衰でなくなったならともかく、まだ人生の半分も楽しんでないうちに輪廻転生しますなんて悟ったことは俺には言えない。
「では、こちらの本から好きな能力を一つ選んでください。もし自分で決めきれないのでしたら、こちらであなたに会う能力を決めさせていただきます。それとは別で、異世界の言語を理解できる能力をつけておきますね」
「おお、至れり尽くせり。どれどれ……」
女神さんから手渡されだ分厚い本。その中身に目を通すと、字面だけでも強そうな能力が書かれていた。
聖剣エクスカリバー、神槍グングニル、超怪力、膨大魔力……武器や防具だけではなく、超能力的な力まで選べるとは、神様は太っ腹らしい。
「なんならその本に載っていないものでも構いませんよ」
急に話しかけられたので、俺は視線を本から女神さんに移す。
そして、その美しい姿……特に男を誘うように、それでいて下品と映らないよう適度に露にしている胸を見て、俺はつい邪な考えが浮かんでしまった。
「じゃあ女g……」
「あ、私自身とかそんな某人気ギャグラノベみたいな展開は無理ですよ」
「チクショウ釘を刺された!」
都合のいい展開はそうは問屋が卸さなかった。
まあ、普通に考えたらむしろ神様を異世界に持っていける方がおかしい。
ここは素直にあきらめて、代わりに美少女型アンドロイドとか、そういったものを……いや、せっかくの異世界なら魔法的なチート能力……神話の武器も捨てがたい。
食い入るように本を見つめすぎたのか、目が疲れてしまった俺は服で目をこすった。
そして気付いた。
「あの、女神さん。俺、服がジャージのままなんだけど、もしかして、日本の物も異世界に持ち込むことが可能だったりする?」
「いえ、服は私が異性の裸体を見たくないから特別に着せただけで、普通は持ち込めませんよ。でも、チート能力としてなら持ち込めます。拳銃や日本刀、ライフルを少し改造してロマンあふれる武器にして持ち込んだ転生者もいらっしゃいますから」
それを聞いた瞬間、俺の脳裏に天啓とも呼べるアイデアが舞い降りた!
「……日本の物を持ち込めるなら、俺、どうしても持っていきたいものがあるんです!」
それは、かなわないだろうと思ってあきらめた、日本へ残した未練。18歳の誕生日に、自分への祝いに貴重なお小遣いを使って購入した本。
「俺は……」
……恥ずかしがるな。少なくとも、あの本は今の俺にとって、チート能力以上の価値があるのだから。
……だから!!!
「俺は、エロ本が欲しい!!!」
「……え?」
こころなしか、女神さんの俺を見つめる視線が、呆れを伴うものになった気がする。
だが、俺はそんな視線に屈しな……ヤバイ、心が折れそう。小心者のシャイボーイに、美人の蔑む目線は辛い。
でも、一度行ったことはもう撤回できない。だから……
「死ぬ前に俺が、穴場の本屋で買ったエロ本です!表紙の女の人(巨乳)が超好みだったんです!それに、トラックにひかれたあと俺の持ち物とか調べられたら、警察にエロ本を購入した後車にひかれて死んだ人って不名誉な覚えかたされるじゃないですか!?それが両親に伝わったら絶対爆笑しますよあの二人!」
「正気ですか!?これから転生する場所は魔王軍の侵略が進んだ過酷な戦争地帯!それは、初めは平和な場所に送りますが、その平和はいつまでも続かず、やがてあなたは戦乱に巻き込まれるでしょう!それなのに、チートではなくエッ……エロ本を選ぶと?女神に何を言わせるんですか!?」
「女性店員の『男の子だもんね~』って生暖かい視線に耐えて購入したんです!周りの人に見られないようブックカバーを作って3円の袋まで買ったんです!それがトラックにひかれて親どころか警察や、もしかしたら事故現場の近くにいた人にまでバレるなんて嫌だああああああ!!!お願いしますエロ本下さい!後生ですから!もう死んでるけど!」
「……わかりました。望みは叶えますので、さっさと転生してください」
「ありがとうございます!」
女神さんの視線は、もうゴミを見る目だった。完全に引かれた。
もう、なるべく関わり合いになりたくないと、美しい瞳が主張していた。
目は口ほどにものを言う、の言葉を、真の意味で理解したかもしれない。
美人にゴミを見る目で見つめられ傷心中の俺の手元に、ブックカバー付きのエロ本が現れた。
転生したら真っ先に、俺の心をこの本に癒してもらおう。
「では、サクライ・トウカさん。今からあなたを異世界に送ります。どうか、あなたが無事に魔王を倒し、世界を救ってくれることを祈っています。では、いってらっしゃいませ。魔王を倒した暁には、天国での永住権を差し上げましょう」
女神さんの祝福の言葉と共に、俺の足元に魔法陣が出現した。おそらくこの魔方陣から異世界転生するのだろう。
俺はまだ見ぬ異世界での日々を想像し、心を躍らせた。
……エロ本片手に。
そして、俺の魂は新たな肉体とともに、異世界に転生されたのだった。
女神「あの本はこの場で複製したものなので、実際には警察にも両親にもエロ本購入した帰りに死んだことはバレているのですが、このことは黙っておきましょう。知らぬが仏とはいい言葉ですね。私は仏ではなく神ですが」