36.想いの違い
エメリクは怒っていた。これまでにもジェレマイテアが無茶をする度に声を荒げることはあったが、これほどまでに彼女の考えが理解できないことなどなかった。
「僕が領主だからだろう。だから死ぬつもりはないと──」
「全然分かってないな!」
少女の言葉を遮り、男は叫ぶ。
「親父さんの娘だからでも、領主だからでもない。お前だからだ」
「意味が分からない」
不服そうにエメリクを睨む少女。障壁のすぐ外には相変わらず手の長い危獣が暴れている。
「お前個人が大切だからだよ、テア」
真剣な眼差しを向けるエメリクに、ジェレマイテアは危獣から視線を戻す。思わず剣を握り締める手の力が緩んだ。
「それは……」
何かを言いかけて口を噤む少女。赤髪の騎士は自分の思いが通じたのかと少しだけ胸を撫で下ろした。
「そりゃお前にとっちゃ、俺なんて口うるさい部下くらいにしか思ってないだろうが」
「……」
少女は無言でもう一度剣を強く握り締めた。再び視線を危獣へ戻す。結界から抜け出した危獣も増えている。
その様子に気づいたエメリクの眉間に皺が寄る。
「だからもう少し休めって」
「僕は領主として領民を一番に考える。誰もが等しく、例外はない」
「あ? あぁ」
突然のジェレマイテアの言葉に怪訝な顔をするエメリク。二人とも理解していることをわざわざ口にする理由が分からず、大人しくその言葉の続きを待った。
「だが、女としての僕は、お前が一番だ。それに例外もない」
「あ──?」
ジェレマイテアの言葉を理解できずに呆けた顔をするエメリク。
と同時に、ジェレマイテアは一歩地面を踏み出した。
障壁が壊され、飛び掛かってくる危獣に渾身の一撃を食らわせる少女。切り落とすまでには至らなかったが、危獣の態勢を大きく崩すことができた。すかさず術で追撃し、危獣は大きく吹き飛ばされる。
いつの間に障壁にヒビが入っていたのか、先ほどの少女の言葉は何だったのか。
「は? ちょっ」
エメリクが回らない頭で考えている間にも他の危獣が襲ってくる。鉱山を囲む結界から抜け出した危獣は、気がつけば両手で数えられないほどに増えていた。
「くッ」
飛び掛かってくる危獣を剣で防ぎ、術で応戦する。
地面から勢いよく生まれた岩の剣や鋭い風の刃が危獣の群れを引き裂いた。次々と現れる危獣に結界がきちんと機能しているのか調べたいところだが、そんな時間はなかった。
最早少女の真意を確かめる余裕はなく、彼女が無事であるかだけを気にして戦う。
当の少女は傷だらけになりながらもどうにか長手の危獣を追い詰めることができたようで、横目で止めを刺すのが見えた。
「テア……!」
かなりの強敵だったはずだ。恐らく力を使い過ぎて、精霊石を使った反動が来たのだろう。
ふらつき態勢を崩す少女、容赦なく襲い掛かろうとする危獣たち。
何とか目の前の危獣をあらゆる術を駆使して倒す。
少女は蹌踉めきながらも剣を振り、死なないという言葉通り、無茶な突撃はせずに保身に回っている様子だった。
尚も結界から出てくる危獣たち。その中には一際巨大な危獣がいた。胴長で、上半身を左右にゆっくりと動かしながら近づいてくる。先程の長手のように身体の大きさに力が比例する訳ではないが、これはかなり手強い相手だと察した。ジェレマイテアもそちらを警戒しながら戦っている。
「──!?」
突然、結界内に今までに感じたことのないほど大きな“気”の反応が現れた。結界はある程度“気”を抑える役目があるのに、戦いながらでも足が竦むほどの“気”だった。それが徐々にこちらへ向かってくる。これ以上の数、強さの敵が出現するというのか。
自分の身を守ることで精一杯のエメリクとジェレマイテアには絶望的な状況だった。
気づけば危獣たちに四方を囲まれ、目の前の敵を倒すことしかできない。
「テア──!」
必死に剣を振るい、術を駆使し、エメリクは少女の元へ駆け寄る。
ついに倒れそうになる少女の身体を受け止め、飛び掛かってくる危獣を切り伏せる。
「ハァッ、ハァッ」
さすがにこれ以上は危険すぎる。命がいくらあっても足りない。結界内にいる二人には申し訳ないが、ここは撤退するしかない。
「ワリィな──!」
当然二人のことも心配だが、一番懸念すべきは腕の中の主だ。どうしても優先順位が違う。
浅い息を繰り返す少女を抱え、踵を返そうとする──が、他の危獣に気を取られていたためか、退路を塞ぐ胴長の危獣に気づけなかった。
「ォ……」
長手の危獣とは比べ物にならないほどの質量の腕を振り回す。動きが遅いため避けることは難しくないが、その攻撃を受けてしまえば一溜まりもないだろう。
振り子のように地面擦れ擦れに横切った腕が、再びエメリクたちを襲う。その度に土埃が舞い、視界が悪くなっていた。避ける寸前、少しでも傷を負わせようと風の刃で攻撃するが、掠り傷一つつかなかった。
見るからに防御力の高そうな危獣だと思っていたが、ここまで硬いとは。きっとジェレマイテアの渾身の一撃でも致命傷を負わせることなど不可能だろう。どう考えても勝てる相手ではない。
やはり逃げるしかないと改めて認識し、隙を見て突破しようと機を窺う。
「しまっ──」
胴長の危獣に注意が逸れてしまっていた。振り下ろされた腕を避けたその先、待ち構えていたのは大きな口を開ける不気味な花だった。鋭い無数の歯から滴るのは異臭を放つ唾液。
──食われる。
「ゴフッ」
片足を持っていかれる覚悟をしたその瞬間、突然不気味な花が黒い枝に貫かれた。
「──!」
無事に地面へと着地したエメリクは、目の前の光景に言葉を失う。
次々と黒い枝に貫かれ、首を落とされ、蹴散らされていく危獣たち。退路を塞いでいた胴長の危獣以外、あっという間に全滅した圧倒的な力に絶句する。
強すぎる。有り得ない。こんな力、相手になるはずがない。
一瞬で死を覚悟したエメリクは、意味がないと知っていても無意識に腕の中のジェレマイテアを抱き寄せていた。
徐々に近づいてくる“気”は、圧倒的な力の主は、すぐ近くまで迫っている。
「ちょっと二人とも、大丈夫―!?」
遠くから、見知った声が聞こえた。




