8.生の実感
「うえ、何かむわっとする」
足早に過ぎ去ろうとしたところ、早速出鼻を挫かれ失速する。
夏に冷房の効いていない部屋に入ったときのような空気。暑いとか寒いみたいな温度的な体感はないものの、纏わりつくような空気が不快だった。あとは空気が薄いのか、少し息苦しい。頭痛と吐き気もあるけどミレスとのファーストコンタクトのときよりはマシだ。
洞窟らしきものの中は、少し歩いただけで真っ暗になって何も見えない。時々ぱらぱらと落ちてくる砂や小石が不安を煽る。
この中で生き埋めになることだけは避けたい。苦しそうだし。
早くここを抜けたいと思いつつも足取りは重い。空気が薄いだけではなく、身体が重くてゆっくり歩くのが精一杯だ。
片手を前に突き出しつつ左右に振りながら歩いていて分かった。唯一の救いは、どうやら一本道らしいこと。これが複数に枝分かれでもしていたら迷子まっしぐらだ。
さすがに暗闇に慣れるだろう時間を歩いても全く視界に何も映らないのは、恐怖でしかない。光が全く届かないんだろうけど、いきなり何かにぶつかったり後ろから何か追っかけてきたりしてもどうすることもできない。
この人一人通れる程度の幅が凶と出るか吉と出るか。今のところ助かってはいるので、このまま何も起こらないでほしい。
内心で祈りつつ鈍足で進みしばらくすると、薄っすらと光が見えてきた。やっと出口だ。どうやら無事にたどり着けたみたいでよかった。
「っはぁっ」
洞窟を抜けた先、眩しいほどの光に思わず目を閉じる。それと同時に息苦しさや諸症状から解放され、大きく息をする。
何という解放感。空気がおいしいとはこのことか。
日差しに慣れてきたところで目を開けると、そこに広がっていたのはまたしても森だった。ただ一つだけ違うのは、私の身長を優に超えていた草木が、高くても膝辺りだということだ。
これまでとは何だか雰囲気が違う。今までの森は鬱蒼とした雰囲気で近寄りたくない感じだったけど、ここはまだマシだ。さっきの洞窟の不快感と比較している部分も否定できないけど。
振り返ると、通ってきた穴と大きな崖が見える。これは大きな進歩だ。あの穴は入口が小さくて見つかりにくい場所にあったし、仮に見つけたとしても不気味すぎてなかなか入ろうとは思えない。これでもう、奴らが追いつくことはほとんどないに違いない。そう、思いたい。
「ありがと、ミレス」
全然コミュニケーションは取れないけどいざというときに頼りになる。こんなお助けキャラが敵なわけがない。これでラスボスだったらとんだ裏切りだ。そういう展開は見る分には好きだけど、今回はナシでお願いします。
というか、さすがにゲームの中だった説は捨てていいかな。さすがに次のイベントまでの間が長すぎるし情報が少なすぎる。ゲームの中でも方向音痴になるタイプなので、もし情報を見逃していたならあれだけど。
それに大体小説とかゲームの中に入り込んだ系って、自分が見たことのあるものがほとんどだし、知らない世界に入り込んだところで設定も何も分からないから結局異世界転移と変わらないよね。
とにかく今までとは全く違う世界にいるんだから、異世界転移には違いない。
「わっ、っとと」
色々と考えながら歩いていると、何かに躓いて転びそうになった。大きめの石だ。その周囲にも長細い石がいくつか散らばっている。灯籠かな。
辺りを見渡すと、離れたところに同じような灯籠らしき石柱が崖の前に一定間隔で並んでいた。その石柱の間にはロープのようなものがあり、いかにも立ち入り禁止区域を彷彿させる。
それはそう。あんな禍々しい雰囲気の洞穴も、その先の森も、人が入り込んでいい場所じゃないでしょうよ。
そんな危なげな地を後にできたことに安堵しつつ、近くに朽ちた木製の立て札のようなものが落ちているのに気付いた。
「読めないよねぇ、知ってた」
掠れているが文字を判別できないほどではない。何かの文字だということは分かるけど、全く見たことがなかった。翻訳機能は文字には通用しないらしい。
それにしても異世界転移説が濃厚になってきた。
「まあ、ミレスちゃん、ファンタジーすぎるもんね」
あの力は呪いかもしれないし魔法の類かもしれない。
当人は相変わらず無言で見つめてくるだけだ。
と、思ったらまたしてもどこかを指差した。
「今度は何だろうね」
もう躊躇いませんよ。今のところ危険も感じないし。ミレス様の言う通り、ってね。
指差す方向へ進むと、これまでとは違った景色が次々と現れた。
花、虫、鳥。どれもあの鬱蒼とした森では見かけなかったものだ。全部現実世界じゃ見たことのないようなものだけど。
「こ、これは……!」
そして視界に入ったのは、小さな川らしきもの。
やっと、やっとだ。ついに水が飲める。
もうこれが飲める水だとかそうじゃないだとかは二の次だった。見た目が澄んでいて綺麗に見える以上、飲まずにはいられない。
片手で救い、口に運ぶ。
「あ~……水だ……」
可もなく不可もない。ただの普通の水がこんなにもおいしく感じたことが今までにあっただろうか。
よくもまあ今まで脱水にならなかった。偉い。自分を褒めよう。
「ん?」
水にありつけたことに感動していると、くいっと服の裾を引かれる。
そうだ、ミレスにもあげないと。
手の汚れをできるだけ落として、水を掬う。ミレスの口元に持っていくと、ぱちぱちと数回瞬きをしつつも小さな口で飲んでくれた。啜るというより犬猫のように舐めるような感じだ。可愛い。
数回嚥下したところで、ミレスはバッと勢いよく顔を上げた。珍しい反応に小さな感動を覚えていると、再びどこかを指差した。川の上流のほうだ。
もっと思いきり水を飲みたい気持ちを我慢しつつ、どうせここではちまちまとしか飲めないしなと自分を納得させてミレスの指差すほうへ向かう。
川に沿ってしばらく歩いていると、どんどん川幅が広がり、突然視界が開けた。
「わっ」
沢だ。池のように水が溜まっているところもある。今までより比較的木々が少なく開放的な空間だった。
これはもう、水浴びをするしかない。
「ミレスちゃんありがと~!」
感謝しかない。泣きつく勢いで小さな幼女を抱きしめた。