52.仕返し
「高そうなモン頼んでんじゃねぇか。こっちに寄こせよ」
旅団の人たちが料理を平らげていくので料理も次々と運ばれてくる。その途中、暴言を吐いていた男が給仕さんの進路を遮り、無理矢理料理を奪った。
有り得ない。酒の席だとしても許されることじゃない。というか、酒癖の悪さでこんなことになっているなら余計に許せない。自己事由のアル中が五本指に入るほど嫌いだ。以前働いていた病院に入院してきた奴らは揃いも揃って自分勝手な奴ばかりだった。余計な仕事を増やしやがってという気持ちしかない。
酒癖が悪いかどうかはともかく、多分こういう人たちに何言っても無駄なんだよね。仮に謝罪したとしてもどうせ上っ面だけで本心は変わりようにない。フェデリナ様たちクナメンディアを悪者扱いしてきた環境で育った人たちには、いかに彼女たちが善人なんだと言っても理解できない。
元いた世界で、人にカラスは白いし青信号は止まれの意味だと言っても信じられないようにね。
「おい、よく見たらいい身体してんじゃねぇか。オレが相手してやるよ」
そう言って触れようとした男の手を、フェデリナ様はパンッと小気味いい音を立てて払い除けた。
一瞬、何が起こったか理解できないでいた男も、すぐに我に返ると怒りを顕わにする。
「何すんだテメェ!」
「私たちは滞在許可証ももらっているわ。何も恥じることなんかないから」
か、かっこいい。
毅然とした態度で男を見据える美少女はヒロインじゃなくて主人公だったのか。
「いい気になりやがって……!」
「今まではクナメンディアだからって我慢してたけど、もうやめる。過去に何があったとしても……私たちは、何も後ろめたいことなんてしてないから。そう、教えてもらったから」
美少女と目が合う。
うんうん、フェデリナ様が下手に出る必要はないよ、と頷いて見せるとなぜか小さく笑われた。可愛いな。
「あだっ! な、なんだァ?」
言い寄ってきた男が突然転んだ。誰も手を出していない状況だということは分かり切っていたので本人も周囲も驚いている。
でも私には見えた。視界の端に黒い何かがふっと動いて消えるのを。
こら、ミレス。対抗するんじゃないよ。バレたらどうするの。
幸いテーブルで見えにくくなっている幼女の頬をこねくり回す。さっきの仕返しだ。
「アサヒ、他に食べたいものはある?」
すでに転んだ男のことは眼中にないといった様子で微笑みかけてくる美少女。
周囲の男たちは変わらず剣呑な雰囲気で、給仕さんは厨房の近くへ避難している。あの人たちをまた呼ぶのか、それも可哀想だな。
明らかに関わりたくないといった様子の宿側の人たちと、フェデリナ様たち一行を睨むガラの悪い男たち。
そんな中、颯爽と料理を運んできた人がいた。
「はい、どうぞ。うちの名物だよ」
この最悪の雰囲気の中、なんて強者だ、と思えばその声に聞き覚えがあった。
「あれ、足は大丈夫なんですか?」
あの時のお婆さんだった。リネン関係だけじゃなくて給仕の仕事までやるなんて大変だ。
「お陰さまでね。あの時は手伝ってくれて本当にありがとうね」
「いえいえ」
「オイ何勝手なことしてんだよ!」
転んでもただでは起きない男、今度はお婆さんへ暴言を投げつける。いつから料理を運ぶのがお前の許可制になったのかと詰りたくなる。
「いつからアンタの許可が要るようになったんだい?」
あ、言ってくれた。
「それにこの人たちは、グルイメアに行って第五指定区域まで来てたっていう危獣を退治してくれたそうじゃないか。この人たちがいなかったらこの町まで危なかったかもしれない。それなのに、アンタたちは害獣の一匹や二匹倒したくらいで偉そうに」
「何だとクソババア……!!」
逆上してお婆さんに掴み掛かろうとしたとき、フェデリナ様が立ち上がり、その男の腕を掴んだ。
「いい加減にしなさい。みっともないわ」
ギリギリと腕を掴む力が強まり、男の手先は震え血の気を失くしていく。
フェデリナ様、かっこいい。
そういえばベアさんは何も言わないなと思ってそっちを見れば、優雅に何か飲んでいた。他の旅団の人たちも談笑しながら料理を口に運んでいる。
なるほど、これは日常茶飯事というか、フェデリナ様を信頼しているんだな。
「こ、っの!」
もう片方の手でフェデリナ様を殴ろうとして、躱される。同時に片腕が解放されて無様に仲間たちのテーブルへ突っ込んでいった。ガシャン! と音を立てて割れる皿、落ちる料理、激怒するガラの悪い男たち。
さっきのはどっちが悪いとは言えないけど──いや、絡んできた男が悪い。私は、食べ物を粗末にする人間が大嫌いだ。
「私、とある神の御使いでね。見えないものが見えるの」
「は? 何言って──」
「主はお怒りです。罪のない人々を虐げ、騒ぎを大きくする者に罰を──」
「テメェ、さっきから何を──っ!?」
テーブルに隠れてぎゅっと幼女の手を握って男の足元を指差すと、それに応えるかのように現れた黒い枝が再び男の足を払った。またも転んだ男はやっぱり何が起こったか分からない様子で周囲を見渡す。
「なっ、ァ?」
「ああ、主の怒りが……」
幼女に小声で「バレないように部屋を揺らして!」と告げると、テーブルや椅子、部屋全体がガタガタと震え出した。どうやっているのか分からないけど、とりあえず有能すぎる。
「ひぃっ」
ついでにドアもバッタンバッタンと開閉してくれるものだから、転んだ男も、同じようにフェデリナ様たちに罵声を浴びせていた仲間も、気味の悪い状況に顔を引き攣らせていった。
地震を体験した外国人ってこんな反応なのか、どの世界もポルターガイストは怖いものなのかな。
「ああ、主よ。どうか、どうかお怒りを──」
「お、おい、どうにかしろ!」
あまりに揺れるものだから、男は立ち上がることもできず仲間の足にしがみついているし、その仲間たちも必死にテーブルを掴んでいる。
今までの騒動をスルーしていた旅団の人たちも、さすがに手を止めて「何だ何だ」と周囲を見渡している。ベアさんだけが、こちら──というかテーブルに見え隠れするミレスを見ていた。
「主はお怒りなのです。愚かなお前たちの仕打ちに罰をと──」
フェデリナ様がお婆さんを庇うようにしゃがんでくれているので、もう少しだけいたずらを続けてみる。
ミレスにジェスチャーで一旦止めるように伝えると、ぴたっと止まる揺れ。男たちがほっとしたのも束の間、もう一度サインを送る。
ガタン! と大きく揺れたかと思えば、さっき以上の揺れを伴い部屋は間欠的に揺れ続けた。
そして今度は全身をビンタされたかように、「ぎゃっ」「のわっ」「ひぐっ」などと奇妙な声を上げ、次々と男たちがひっくり返っていった。
「ひ、ひ、ひぃっ」
「にっ、逃げるぞ!」
揺れが収まったタイミングを見計らって、男たちが外へ逃げていく。バタバタと地を這って及び腰というあまりにも典型的な逃げ方に思わず笑ってしまった。
「ミレスちゃん、ありがとね」
「……ん」
テーブルの下で蠢く黒い枝すらも可愛く見えた。




