50.アラサーの弊害
ぐにぐにと頬をこねくり回される感覚で意識が浮上する。
「……ん……」
瞼が開かない。寝返りを打ちたいのに身体が重くて動かせない。身体の節々が痛い。
「……ぅ」
しばらく痛みと格闘していると、意識は大分はっきりしてきた。頬に触れる感覚は続いている。
どうにか目を開ける。
「……す」
そこには、ちょこんと座った幼女の下半身と、頬をこねくり回す黒い枝がいた。
「ひぃ」
私が覚醒したのを確認した瞬間、すっと黒い枝は霧のように消え、ぺしぺしと小さな手で頬を叩く幼女。相変わらず可愛いな。
「んん~……ふふ……」
寝たまま両手を上げて背伸びをする。仰向けになりつつ幼女を腰に乗せた。
寝起きで可愛い幼女の顔が見られるなんて幸せ。素敵な朝。
「ん……? 朝……?」
そういえば結構熟睡してしまったような気がするけど、外は明るい。もしかして半日以上寝てしまったのかと思いつつ、筋肉痛と倦怠感と戦いながらゆっくりと身体を起こす。
くらりと目の前が揺れた。倒れそうになる身体を何とか手を下について支える。
今度は、段々と脈が速くなる。手も僅かに震えている。
「……ひぃ」
ぎゅっと服を掴み胸元に顔を埋める幼女。
「……これは」
コンコン、と扉をノックする音が聞こえた。声を出す前に、掛け声とともに扉は開かれる。
「ミレス、これもらってきたからあなたも──アサヒ!?」
部屋に入ってきたのはオレンジ髪の美少女だった。最後に見たときとは打って変わっていつもの様子だ。
「フェデリナ様、おはよ。ごめんね、寝過ごしちゃったみたいで」
「本当に寝ていただけなのね……身体は大丈夫?」
「大丈夫だけど何、その意味深な言葉は」
「心配したのよ。全然起きないから」
何となく、そんな予感がしていた。気怠い感じと手の震えといった症状に思い当たることがあった。
「アサヒ、三日近くも寝てたのよ」
そう、低血糖だ。
「って、三日も……?」
そりゃエネルギー不足にもなるわ。過去に仕事であまりに疲れて二日近く寝ていたことがあるけど、その時と同じだった。妙にすっきりした頭とこれまでとは違った疲労感に納得した。
「ミレスったらアサヒのことが心配みたいでずっと傍を離れないし、何も口にしないの。逆に倒れてしまうんじゃないかって心配だったのよ」
フェデリナ様曰く、あまりに私が起きないから一度爺やに診てもらったらしい。結局ただ寝ているだけということになり、疲れも溜まっているだろうからとそっとしていてくれたんだけど、そろそろ本当に大丈夫なのか不安になってきていたところだったらしい。
ちなみに森での調査報告も纏め終わり、雑務的な用事はほとんどなくなったとのことだった。
申し訳なさすぎる。事情聴取にも参加できず、この宿で一番高いであろう部屋に三泊もするなんて。
夜勤明けだと丸一日寝てることもざらにあったけど、さすがに三日はないわ。もう若くないからね……RPGで宿屋に泊まって一泊で回復できるのは若者の特権だよ本当。
むしろインドアなアラサーがよくぶっ倒れずここまで来られたなと。
「本当にご迷惑をお掛けしまして……」
「いいのよ。寝ていただけなら安心したわ。よほど疲れていたのね」
寝過ぎて今も疲労感があります。あと筋肉痛がやばいです。
「ミレス、せっかくだしもらったら?」
フェデリナ様がミレスのためにもらってきたという食べ物を指す。皿の上に薄ピンクの果物のようなものが乗っている。
食べ物が必要ないと言ってもいつぞやは水を飲んでくれたから食べられないわけじゃなさそうだし。味覚があるのか分からないけど、食べられるなら今後もおいしいものを食べさせてあげられるし。
ミレスを膝の上に座らせる。
爪楊枝のように細くはないものの食べやすいように刺さっている木の枝。それを手に取ろうとすると、どこからともなく現れた黒い枝に先を越されてしまった。
「んぐっ」
なぜか幼女自身ではなく私の口にそれを押し込んできた。予想外の行動に驚きつつも口を開ける。
「……ん、おいし」
桃のような食感と苺のような甘酸っぱさがある。喉も乾いていたしちょうどいい。
手が届かないのは仕方ないけど、せっかくなら幼女から直接「あーん」をしてもらいたかった。残念。可愛いからいいけど。
「ありがと、ミレス」
お礼を言って頭を撫でると、幼女はこちらを無表情で見つめるだけで、その代わりなのか黒い枝がぶんぶんと空中を暴れた。これはもしかすると幼女の気持ちを代弁をしてくれているのか。可愛すぎんか?
「本当にミレスはアサヒが好きなのね」
「そうだと嬉しい……」
「あなたが寝ている間、ずっと傍にいたし、爺に見てもらおうとしたときもその黒い腕で邪魔してきたのよ」
笑いながら言うフェデリナ様。そういえばこの黒い枝のことは知らなかったはずだけど、どうやら受け入れられているらしい。
ちなみにミレスは飲んだり食べたりしなくても平気らしいことを伝えたら、魔族だからかと納得してくれた。この世界の魔族の立ち位置は分からないけど、大昔に戦争していたくらいだし伝承の忌み子以上に受け入れがたいものだと思うから、本当にフェデリナ様には頭が上がらない。
「アサヒ、食事はどうする? ずっと寝ていたんだし、これじゃ足りないでしょう?」
「食べたいです!」
「ふふ。それじゃ食堂に行きましょう」
さっきの果物のようなもので低血糖症状は落ち着いてきたけど、さすがにお腹が減った。数日食べないでいきなり普通の食事を摂るのは消化器に悪いだろうけど、欲には逆らえない。
「う……っ」
ベッドから下りようと足を踏み出そうとして、前のめりになった。足に力が入らない。寝過ぎで身体の節々も痛いし散々だ。
「アサヒ! 無理しないで」
「ごめん……ちょっと力貸してくれる……?」
ゲームや小説に限らずテレビなどでも見かけるけど、ずっと眠っていた人間が目覚めてすぐに立ち上がったり歩いたりするのなんて無理だから。若い人でも三日寝込めば筋力も体力も低下するからすたすた歩くなんて無理、人間を超えてる。
手術をする人だって、特に安静の制限がなければ痛み止めを使ってでも術後一日目からリハビリを開始することも多い。もちろん疾患による身体機能の低下もあるけど、筋力や体力はすぐに落ちるし、筋肉や腱は動かさないと予想以上に弱って固まってしまう。若ければ回復力も早いけど、程度はどうあれ動かさなかった場合の身体機能の低下は同じく生じる。
つまり何が言いたいかというと、
「三日も寝てたらまともに歩けやしない……」
だからと言って動かないと余計に体力も筋力も落ちてしまう。
「十五歳、いや十歳くらい若ければ……」
どうしようもないことを悔やみつつ、幼女の黒い枝とフェデリナ様に支えられてどうにか食堂まで下りることになった。




