48.スリルは求めていません
フェデリナ様は私に覆い被さるような体勢からすぐに身体を起こすと、上半身と下半身を腕で隠した。
もう遅い気がするけど。
「えっと……ごめん」
ぽたぽたと長い白髪から水滴を落とすミレスを抱き寄せながら、固まるフェデリナ様に声を掛ける。聞こえているのかは定かではない。
フェデリナ様はしばらく羞恥に悶えたあと、ベッドシーツを引っ掴んで身に纏い、閉ざされた扉へと向かった。
「見た!?」
「いえ」
ベアさんは部屋の前で護衛よろしく見張りをしてくれていたことは知っていたけど、あんなことがあってもちゃんと扉の前にいるベアさんも、それを疑わないフェデリナ様もちょっと凄いと思ってしまった。私なら気まずくて逃げてる。
しかしベアさんにはこんな身体を見せてしまって申し訳ない。過酷な森生活で多少痩せたかもしれないけど、寸胴体型だしまだまだ贅肉やばいし。
抜群のプロポーションのフェデリナ様はともかく、私に関してはラッキースケベどころかアンラッキーなことを気の毒に思いつつ、自分とミレスの身体を布で拭く。風邪でも引いたら大変だからね。ミレスが風邪なんて引くのか知らないけど。
しかし二人はそれどころじゃないようだった。
「私は何も見ておりません。ですがフェデリナ様が命を断てと言うならばそうしましょう」
「……っ!」
いやー、ベアさんすごいな。個人的に満点の回答だ。
フェデリナ様もとにかく恥ずかしいってだけみたいだし。
「……もう、いいわ」
後で聞いた話だけど、ベアさんは最初に物音とフェデリナ様が私を呼ぶ声に気づいた時点で何度か扉を叩いていたらしい。生憎私たちには聞こえなかった。そして私を呼ぶ声は続き、フェデリナ様が転ぶときの声でついに部屋への突入を決めたとか。
申し訳ない。私がのぼせて立ち眩みがしたばっかりに。
「次からは私が呼ぶまでは絶対に入らないで。何があってもよ」
「以後、気をつけます」
あんなことがあっても絶対を誓わないところ、護衛の鑑だね。
◇
「ふぅ」
フェデリナ様から借りた服を着て一息をつく。
さすがにドライヤーはないので髪の毛が自然乾燥するのを待つしかない。冷たい水を温められるくらいだし、霊力が使えたら疑似的に何かできたのかもしれないけど。
ちなみに幼女の髪は相変わらずすぐに乾燥していた。羨ましい限りだよ。
フェデリナ様はすっかり湯冷めしてしまっていたのでもう一度入浴を強く勧めておいた。一人になる時間も欲しいだろうし。
「あ~、コーヒー牛乳飲みたい……」
瓶に入った甘いあれを一気に飲み干したい。この世界にも似たような飲み物があればいいんだけど。嗜好品なんかはあるんだろうか。
「やっとあんなところから逃げ出せたんだし、もっと異世界文化を堪能したいよね」
今のところ霊力以外は元の世界より発展している点が見当たらないし、その霊力も私は使えないから大抵のことが不便な上に危獣とかいうモンスターの出る治安の悪い世界としか印象がない。
フェデリナ様を待つ間暇なのとこのまま部屋にいても爆睡してしまいそうだったので、ミレスを連れて部屋の外に出てみることにした。
扉の前にはベアさんがいて、私を一瞥するとともに横に避けてくれた。一応その辺を歩いてくると声を掛けたけど、大した反応はなくて、さすがフェデリナ様の護衛なだけあるなと思った。
額に出血したような痕と腕でそれを拭った形跡があったのが気になったけど、追及はやめておいた。藪蛇になりそうだからね。
「さて、どこに行こっか」
腕の中の幼女に声を掛けてみるけど、特に反応はない。
今後のことを考えて多少アクティブになろうかと思ったけど、所詮はインドア。外にまで出るつもりはないし適当に中をぶらついてみますか。
「あ~、風が気持ちいい……」
ホテルのようにそんなに広くないため行けるとこも少なく、娯楽もない。
結局、二階のちょっとしたバルコニーのようなところで涼むことにした。
日中は扉を開放しているのか、廊下からすぐに行けるそこは、狭いワンルームくらいの広さで椅子もない。手摺に身を預けるくらいしかできなかった。
しかも近くは観光地でもない建物他、遠くは見渡す限り森が広がっていて苦い思い出が蘇る。元々引きこもり気質なので自然に癒されるタイプでもない。
「ホテルやら旅館のありがたさを感じる……」
お土産コーナーとか、ちょっとした飲食店とか、ゲームコーナーとか。元の世界は娯楽がたくさんあってよかったなとないものねだりの思想を浮かべる。
仮にこの世界に娯楽があったとしても、霊力がなければ楽しめなさそう。お風呂のお湯の件を考えても霊力が使える前提なのは想像に難くない。
「パソコンとか携帯欲しいな」
元の世界では私がいなくなったことはどうなっているんだろうか。家のパソコンもいつの間にか紛失していたスマホもパスワードを設定しているから大丈夫だとは思うけど、失踪扱いとなったらそれも調べられてしまうのかな。そんなに疚しいデータとか履歴はないはずだけど、漏れなく全て破損していて欲しい。誰か壊してくれ。
いや、もう私が元の世界に戻らないのなら恥も何もないか。
「でも携帯は欲しいよね。電波的にネットとかは無理だろうけど、写真の機能は欲しい」
ちょこんと手摺に座る幼女を見る。首を傾げるその可愛い仕草も写真に収めて永久保存したい。動画も撮りたい。外見を隠すためのフードを被ったままなのが惜しい。
「……ひぃ?」
「ヴッ」
可愛い。可愛すぎる。首を傾げて名前を呼ばれるだけで胸が苦しい。無表情なのに最近本当に表情豊かになったね……。
しばらくお互い無言で──というかほぼ私の独り言になるので黙ってミレスの頬をつんつんむにむに触っていた。それにも飽きて、そろそろ戻るかとミレスを抱えて踵を返す。
フェデリナ様、頭を冷やせたかな。
バルコニーから廊下へ戻ろうとすると、お婆さんが目の前を横切った。視界を塞ぐほどの多くの荷物を持ってふらついている。
危ないなと思ったときには、盛大にそれを床にぶちまけていた。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。すまないねぇ」
声を掛けつつ床に散らばった袋やら布やらを拾う。片手では不便なのでミレスには背中に掴まってもらった。
拾った荷物をお婆さんに渡そうとして、その視線に気づく。
「あ、あなた、さっきの……」
少し困ったような顔をするお婆さん。こちらは見覚えがないものの、認識があるらしい。
さっきというと、多分宿に入ってからか。フェデリナ様のラッキースケベ事件は声が響いて知られている可能性はあるけど、姿を見たわけじゃないし特定はできないはず。
その他に何かしたっけな、と考えていると、何か言いにくそうにしているその姿に既視感を覚えた。
あの受付のときだ。フェデリナ様も様子がおかしかったけど、受付の人も煮え切らない態度だった。もしかしたらその時のやり取りを見ていたのかもしれない。
だからと言って何か解決したわけでもない。原因も理由もさっぱり分からないんだからどうしようもない。フェデリナ様に聞いてもはぐらかされそうだし。
「これ、どこに運ぶんですか? よければお手伝いさせてください」
大事な荷物だったら手出しされたくないだろうけど、それなら一緒くたに運ばないだろうし、落としてもそんなに慌てる様子もないから多分大丈夫なはず。大事な荷物じゃなくても断る可能性もあるので、手伝いたいんですよ、という言動にしておくのも忘れない。
残りの荷物を拾って、お婆さんを振り返った。
「あ……ありがとうね」
少し迷ったようだったけど、さすがに一人では難しいと思ったのか了承してくれた。
「よっ、と」
結構重い。目的地が近くだといいんだけど、と思っていると、急に持っている荷物が軽くなった。
「──え」
見ると、黒い何かが荷物を支えていた。
「──!?」
驚いて荷物を落としそうになるものの、黒いソレがまるで腕を伸ばすように落ちるのを阻止した。ナイスキャッチ。
じゃなくて。
「あら、どうかした?」
「い、いや、何でもないです。どこに運べば……?」
平静を装ってお婆さんに笑いかける。
「ミレスちゃんんんんん……!」
それはもう小さな声で叫んだ。返事でもするかのように、黒い枝がふよふよと揺れ動く。
いやいや、これどこから生えてるの。
色んなことが気になりすぎて、とりあえずお婆さんにバレないよう必死に取り繕いながら荷物を運んだ。




