47.ラッキーなアレ
「悪いことが何も思いつかないんだけど」
「そっ……そう、そうね」
「あ、でも先に身体洗いたいな。色々汚れちゃってるし。ここってお風呂とかあるのかな。えっと、水浴び? できるところってある?」
「借りた部屋に湯浴みできる場所があるわ」
数は多くはないもののお風呂つきの部屋もあって、他は銭湯みたいに男が集って湯浴みする場所があるらしい。
よかった。最悪お風呂がないことも想像していたから、これはありがたい。
「じゃ、先にお風呂に入ってからご飯ね。すみません、少ししてから食事お願いできますか」
受付の女声に声を掛ける。すると女性はなぜか驚いたように目を見開いた。
「そ、その……食事は、ご一緒で?」
「はい。みんな一緒で。大勢だと大変ですかね」
「い、いえそんなことは……」
みんな、と言って出入り口近くの隅で固まる旅団の人たちを示すと、目を泳がせる受付の人。何でこんなおどおどしてるというか煮え切らない態度なんだ。
釈然としないまま受付を済ませ、フェデリナ様と部屋に向かおうとすると、彼女の口から衝撃的な発言が飛び出した。
「湯浴みできるのはアサヒの部屋だけよ」
「え?」
聞けば、そもそもお風呂自体一般的に普及しているものではなく、この宿の一番いい部屋にしか個別のお風呂がないらしい。それは監査とかでやってきた身分の高い人用で、普通は外で水浴びをするだけだと。一般的な宿も寝床だけのことも多く、食堂がないところもあるし、風呂はついていない。あっても銭湯のように大人数で水浴びをするだけらしい。
女性が外で働いたり宿に泊まったりすることがないんだろうなと何となく思った。フェデリナ様が何度も女の子はどうとか言っていたし。そういえば、ローイン隊長もそんなようなことを言っていた気がする。
ちなみにフェデリナ様は慣れているからと濡れた布で拭くだけで済まそうとしていたらしい。私たちが命の恩人だからか客人だからか、はたまた可哀想だからかは分からないけど、当たり前のように言ってのけるフェデリナ様は優しいというかお人好しすぎる。
部屋を確認したところ、私とミレスだけ別の部屋でその他はフェデリナ様含め全員一緒だという。ベッドが足りないので半数が雑魚寝するらしい。さすがにそれはどうなんだ。
「あの、私たちが泊まる予定の部屋ってベッド……寝るところは一つですか?」
踵を返して受付の人に問う。怪訝な顔をしている。
「寝台は普通のものより少し大きくはありますが……」
じゃあ詰めて寝れば大丈夫か。多分、寝相は悪くないはずだし。
「フェデリナ様、一緒の部屋にしよ。多少狭いかもしれないけど」
「え!?」
「え? 一緒のベッドだと眠れないタイプだったりする?」
そういうことじゃないと渋るフェデリナ様を押し切り、一緒の部屋にしてもらった。やっぱり受付の人は煮え切らない態度だった。
◇
「あー、気持ちいい……」
「それはよかったわ」
石造りの簡素な湯船に浸かる私とミレス、その近くで身体を洗っている美少女。三人で入るには広いとは言えない浴室だけど、汚れを綺麗さっぱり落としてゆっくりと入浴できるので十分だ。
本当はフェデリナ様に先に入ってもらって、後でミレスと一緒に入る予定だった。だけどお湯を使うには霊力が必要らしく、その仕組み的に私にもミレスにもできないのでどうしようかと悩んだ。私は最悪水でもよかったんだけどフェデリナ様に止められ、色々と話し合って結局三人で入ることになった。
ミレスの小さな身体に這うケロイドのような痕や背中の羽を見て、フェデリナ様が驚いたり悲壮な顔をしたりと一悶着ありつつも今に至る。
「フェデリナ様には感謝しかないね」
髪の毛を洗っている美少女を見る。町を出てどのくらいの日数を過ごしたのか分からないけど、髪の毛も長いからかなかなか汚れが落ちない様子で、何度か泡立てと濯ぎを繰り返していた。
そう、何とありがたいことにこの世界にも石鹸やシャンプーが存在していた。
石鹸もシャンプーもあまり一般的に流通していなくてちょっとした贅沢品という扱いらしい。この宿にも売っているけど結構なお値段らしく、遠慮しようかとも思ったけど欲望には逆らえなかった。命の恩人効果がまだ続いているからか、フェデリナ様がスマートに購入してくれた。本当に感謝しかない。
ちなみに石鹼は固形で、シャンプーは粉だった。香りつきでもないしリンスもない、多少髪もきしむけど、贅沢は言っていられない。あっただけでありがたいと思わないとね。
自分で作れでもしたら、もっと良質なものができるかもしれないけど。
私も二次元脳だから異世界生活に夢見たこともあったし、役に立つかなと思って石鹸の作り方とか見たけど全然頭に入らなかった。材料とか作業工程が面倒くさすぎて。
異世界モノの小説や漫画で、石鹼や香水といった清潔や美容に関するようなものの知識を提供したり実際に作ったりする話も見たことあるけど、あれは才能。凡人の私には無理な話だった。異世界でのファンタジースキルどころか現実世界でのスキルも大してない。
私が持っている知識なんて仕事をしていたときの医療関係くらいだし、霊力ベースのこの世界じゃほとんど使えないものみたいだし。料理は多少できるけど、この世界の馬がアレだったくらいだ。食材も私の想像もつかないものばかりに違いない。
多分、元の世界の情報なんてこの世界では大して通用しない。
異世界生活は憧れていたものだけど、現実は厳しい。
「ミレスも、気持ちいい?」
「……ん」
まあ、こんなに可愛くて強い幼女に出会えたことでほとんどが相殺いやプラスなくらいだけど。ミレスがいるだけで、こうして懐いてくれているだけで、十分幸せではあるんだけどね。
ほら、マズローも言ってるし。欲求も段階があるっていうか。一つ手に入れたら次に別のも欲しくなるよね。言うだけ、というか思うだけはタダだし。
私も何か特殊スキルが欲しい。
「のぼせる前にあがるね」
色々考えていたら頭がぼーっとしてきた。ずっと蓄積していた疲れのせいか睡魔も襲ってきた。
ミレスを抱えて浴槽からあがる。ちょうどフェデリナ様も身体と髪の毛を洗い終わったらしい。
「ちょっと、大丈夫?」
すれ違いざまに声を掛けられるも、何だか遠くに聞こえた。
一歩を踏み出そうとして、ふらついた。何とか浴室の出口に辿り着くものの、目の前が白くなっていく。
「ひぃ」
「アサヒ!」
「だ、だい……じょ……」
幼女のか細い声と、美少女の張り上げる声。
心配ないと、すぐによくなると伝えようとしてもなかなか声が出ない。それよりも視界と頭がぐるぐると回って気分が悪い。
「アサヒ、しっかりして!」
久々の立ち眩みに参っていると、段々フェデリナ様の声が大きくなっていった。
フェデリナ様の肩を貸してもらいつつ、やっと浴室を出る。
「アサヒ……!」
あ、やばい。
そう思ったときには、身体が傾いていた。
「きゃぁっ!」
支えようとしてくれたフェデリナ様と一緒に床に倒れ込んだ。背中が痛い。
そんなことを思っていると、徐々に真っ白な視界から色を取り戻していく。
目の前に飛び込んだのは、豊満な胸。
「フェデリナ様! どうされ──」
そして部屋に飛び込んできたのは、声の焦りを表情に出さないベアさんだった。
「──失礼致しました」
一瞬時が止まったかと思うと、ベアさんはすぐに扉を閉めた。
「きゃぁぁぁああああっ!!」
そして、今までで一番大きなフェデリナ様の叫び声が辺りに響いた。




