41.両手に花
「──ヒ」
何だか、息が苦しい。
「──ヒ!」
顔辺りが擽ったい。少しだけ泥臭い。
それから、女の子の声が聞こえる。
「──ょうじょっ!」
ハッとして目を覚ますと、ドアップの美少女──もとい、フェデリナ様がいた。
「肌も綺麗」
「もう、何言ってるの!?」
やっぱり怒る顔も可愛い。
ちょっとだけ心が浮気しつつ、ゆっくりと身体を起こす。
どうやらまた気を失っていたらしい。こう何度も倒れていると、そのうち頭の中出血しそう。後遺症は嫌だ。
息苦しいような感覚の原因である幼女は、少しだけ泥臭い頭を胸に押し付けたまま、顔を上げようとしない。動く度にぎゅっと服を掴まれるので、無事だと思うことにする。
多分、これは心配とか拗ねるとか、そういったものだと思う。そうであって欲しい。段々自我の芽生えというか、言動が人間っぽくなってくるね。自己主張、大いに結構。良きかな良きかな。
そういえば、あれからどうなったんだろう。肝心な時にブラックアウトするの、勘弁して欲しい。
「あれから凄かったのよ!」
状況をフェデリナ様に問えば、それはもう素敵な笑顔が返ってきた。新しい玩具を手に入れた子どものような、大好きなスイーツを目の前にした甘い物好きのような。
「急に攻撃が鋭くなって、あっという間に串刺しにされてね! まるで一瞬に感じたわ……!」
私も失神するまで一瞬でした。
急にミレスが強くなったことと私が失神したことと何か関係あるんだろうか。思い当たるとすればローイン隊長との戦いだけど、あの時は段々息苦しさとか頭痛・吐き気が強くなって意識が薄れていく感じだった。“何か”が根こそぎ奪われるような感覚があったし、今回みたいに瞬時にシャットダウンされることはなかった。
考えられることとしては、ミレスが私のエネルギーのようなものを抜き出してパワーアップした、とか。せめてミレスとの間に行き交う“何か”の正体が分かればいいんだけどな。会う人会う人に言われるし、霊力ではないんだろうけど。
「……もう、心配したんだから」
呆然と考えていると、小さな声がした。少し目を細めて、泣きそうな、怒っているともとれる表情をしている。
何だこの美少女、ヒロインすぎる。
フェデリナ様との会話中もずっと幼女の頭を撫で続けていた手に思わず力が入る。
違うよ、違うから。これは浮気じゃない。
「それで、あの危獣は?」
周囲の人たちが怯えた表情で同じ方向を見る。
そこには、地面に倒れた胴長の危獣がいた。串刺しにされたというその光景が浮かんできそうなほど、穴だらけになった身体。相変わらず、首はない。ヤギのようなアルパカのような顔はこの辺に転がってはいないようだった。
それにしても、意外と近くにいるな。そりゃ他の人も怯えるはずだ。こんな死体が近くに転がっていたら不気味だもんね。
「アサヒたちのお陰で助かったけど、これからどうしよう」
フェデリナ様の言葉で、今は薄い膜に隔てられた区域の中にいることに気づく。近くには男たちが肩を寄せ合うように身を縮めていた。膜の向こう側、集団の周囲には黒い靄が溢れている。
どうやら爺やの結界に守られているらしい。
「さらに増したこれだけの濃い“気”の中を行くのは無理でしょうな」
「かと言って、ヘナロスの術もそう長くは持たないんでしょう?」
「……ええ」
せっかく胴長の危獣を倒せたのに、障害は残る。そんな感じでしんみりとした暗い雰囲気が漂っている。
「……ミレスちゃん」
いつまでもしがみついている幼女を呼ぶ声が、自分でも気持ち悪いくらいの猫撫で声だった。
「そろそろ、顔が見たいな」
幼女に抱きつかれているのもいいけど、せっかくなら正面で向かい合いたい。
「……ひぃ」
「ありがとね」
危獣を倒してくれて。私を、みんなを守ってくれて。
そんな思いを込めて幼女の頭を撫でる。
「やっと、見せてくれた」
見上げてくる幼女の顔は、無表情なのにどこか歪んで見えた。惚れた欲目みたいなものかもしれないけど。
少しは自惚れたい。あの時、私がどうとか言いたかったこの子が、こうして倒れることまで懸念していたのだとしたら。
そう思うと、にやけそうになる表情を堪えるのが精一杯だった。叫びたい。全身全霊でこの子を可愛がりたい。
そんな私の思いを知ってか知らずか、幼女は私の上から降りると、薄い膜へ向かっていく。
「え? あっ、ちょっと!」
フェデリナ様が気づいて制止するも遅く、すでに結界の外だった。
お葬式状態のこの雰囲気からして、外はよほどまずいんだろうな。さすがに誰も身体を張ってまで引き留めようとはしなかった。
幼女は胴長の危獣の死体へ近づいていく。それを畏怖の表情や眼差しで見つめる周囲。中には耐え切れないといった風に顔を背ける人もいた。
「アサヒ……!」
止めなかったことを非難したいのか、気が気でないのか、絞り出したような声を出す美少女。
「まあ、見ててよ」
あの時と同じだった。
「どういうこと……!?」
漂う濃い黒が、ミレスの身体を包み込んでいく。発生源である危獣の死体が、まるで気化するように縮んでいくと共に、周囲に黒い靄が漂う。吸い込まれるように、黒い塊と化したミレスにどんどん纏わりついていく。
「あの子は、一体……」
徐々に薄くなっていく黒い靄。
視界に入ったのは、小さくなった危獣の死体の傍で屈む幼女。
ちょうど首があった辺りだろうか。そこにあったのは、鈍く光る石。
異形の危獣の時よりは小さい、けれども赤子の頭くらいはありそうなサイズのそれは、くすんだ濃い緑色だった。
幼女が手を伸ばす。触れたところから、ひびが入っていく。
割れたと同時に、粉々に砕けた。
きらきらと光る緑の粒子が、ミレスに集束していく。
「……」
みんなが固唾を呑んで見守る中、黒い靄も、緑の粒子も、幼女の周囲で消えた。
「……嘘、でしょう……?」
信じられないものを見るように、そしてそれを確かめるように美少女が薄い膜の外へ飛び出す。
「消えてる……」
霧のように視界を埋め尽くしていた黒いそれがすっかりなくなっていることに驚きを隠せないフェデリナ様。絶望感溢れる表情だった一行も、何が起きたのか理解できないのかしきりに周囲を見渡している。
「……やはり」
辺りを囲っていた薄い膜がなくなる。
一人だけ、幼女を見つめる人物に、この時気づいていなかった。
「やはり、あやつは……」




