38.分からないものは分からない
「っはぁ、はぁ、はぁっ」
「しっかりしなさい!」
やっと追いついたときには、汗だくで肩で息をする私と対照的に汗一つ掻いてなさそうなフェデリナ様一行が慌てていた。
何やら騒々しいけど、それもそのはず、周囲には数人が血を流して倒れていた。加えて遠くで叫ぶ声と金属がぶつかるような音がする。
危獣だ。大型犬くらいの全く犬っぽくはない危獣が人間を襲い、それに応戦しているところだった。見たことのある顔ぶれが走り出し、戦闘に参加する。
どうしてここに危獣が? ここは一般領地に近い安全区域なんじゃないの? 森の異変で調査隊が組まれているって言ってたし、これも異変の一つ?
「ヘナロス!」
「承知しております! フェデリナ様は怪我人をこちらへ!」
爺やの近くに三人ほど誰かが倒れている。服装からしてフェデリナ様たちの仲間だと思われる。
フェデリナ様と一緒に負傷者を抱えて爺やの元へ向かう。
爺やが理解できない言葉をぶつぶつと呟いている。見たことのある光景だ。多分治癒術だと思う。爺やが負傷者の身体に触れたところから、出血が止まり、傷が徐々に塞がっていく。
どっかのイケメンが治癒術が使える人は珍しいと言っていたけど、さすが霊術の師。こんな筋肉が資本で筋トレが趣味のボディビルダーみたいな外見の肉体派なのに、実際にその力を目にすれば納得はできた。視覚的な違和感は拭えないけど。
「あなたたち、何があったの!?」
傷が癒えていく男に問いかけるフェデリナ様。治療以前は出血多量で瀕死に見えた彼が、意識を取り戻す。顔色も徐々によくなっていく。
外科的処置も輸血も昇圧剤も補液も要らないなんて、本当に便利すぎる。
ファンタジーなブラックな面として、治癒魔法の反動で中毒になったり心身を消耗したりする話も見たことあるけど、これは確かに多少なりとも代償があってもおかしくないレベル。どこで釣り合い取っているんだろうか。一瞬ではないとはいえ、こんな短時間に縫合・癒着、体液の増加とか有り得ない。ファンタジーすごい。
いつぞやのCPRとイケメン隊長とのやり取りを思い出す。そりゃ医療水準も何もないか。
元の世界で考えると死者蘇生とかも人体錬成レベルだよね。術一つで大怪我も治癒してしまうくらいだし、大病もあっという間に治してしまうのかな。たとえば癌も、手術や抗癌剤、放射線治療なんかもやらなくて済むのかな。そうだったら本当にすごい。私の仕事も存在価値皆無だ。いや、さすがに老衰と寿命には逆らえないだろうから、介護みたいな需要はあるかもしれないけど。
謎の多い治癒術も、この世界の人たちが同じ物質でできた塊だとしたらまだ理解もできるんだけどな。コップの水を継ぎ足しましたみたいな。でも潰れたリンゴは元には戻らないし、やっぱり理解はできないな。
私が怪我をして術をかけてもらったら多少は理解できるんだろうか。痛いのは嫌だしちょっと怖いので試してみたくはないけど。
「う……っ」
「ゆっくりでいいわ」
「急、に……危獣、が……襲って、きて……」
比喩的に魔法のように回復した男が途切れ途切れに話す。
彼の話とフェデリナ様からの情報を踏まえると、ここ安全区域で待機していたところ急に危獣が現れ、フェデリナ様たちに報告する間もなくどんどん数増えていったと。そして防戦一方の現状。
それは仕方ないかも、と納得したのは、もちろん危獣の数も多いんだけど、戦力差を感じたから。危獣の違いなんてあんまり分からないし、もしかしたらあの大型犬くらいのやつが意外と強いのかもしれないけど、森の中で見たことのあるようなやつもいる。あれ相手に調査隊の人たちは苦戦していなかった。もっと大きいサイズだとか空を飛び回っているような危獣には多少手こずっていたけど、それでもあの異形の危獣と比べたら楽勝の閾だと思う。
ローイン隊長たちの戦いを思い出して、彼らはプロだったんだなと改めて感じた。特にダズウェルさんとかローイン隊長、あの人たちとは力が圧倒的に違いすぎる。
階級とか言っていたし、軍人のようなものだろう。そんな調査隊の人たちと旅団のような彼らでは格が違いすぎる。
「……さて、ミレスちゃん。お願いできる?」
息も整ったところで、愛しの幼女に問いかけながらその頭を撫でる。幼女は小さく頷く。
「アサヒ、どこに行くの!? 近づいたら危ないわ!」
「大丈夫……かどうかは分かんないけど、行かないと」
「あなたたちが行ってもどうにもならないわ! 怪我をするだけよ──っ!?」
フェデリナ様の制止が思わぬ方向から中断される。
戦いの最前線を突破した危獣が襲いかかってきた。彼女の傍にいたベアさんが剣で応戦する。次々と討ち漏らした危獣がこちらへやってきては、ベアさんが返り討ちにしていく。なるほど主の側近だ、さすがの腕前。
ちなみにフェデリナ様も剣で危獣と戦っていた。強キャラってわけじゃなさそうだけど、戦う美少女ってだけで何かいいよね。
さて、こちらに向かってくる危獣をちまちまと倒していても埒が明かない。一体どこから湧いて出てくるのか分からないけど、元凶を潰さないと。
「ミレスちゃん……!」
とめどなくやってくる危獣を堰き止める前線へ向かいながら、腕の中の幼女へ懇願する。
ミレスを通じて出入りする“何か”の感覚にも大分慣れた。
目で追えないほどのスピードで、次々と危獣の首が吹っ飛んでいく。地面から生えた黒い枝が縦横無尽に駆け抜けると、危獣で犇めき合っていた視界があっという間にすっきりした。さすがミレスちゃん。強い。
「嘘……!?」
後ろで驚いたようなフェデリナ様の声が聞こえる。
少し離れた最前線の危獣までも葬ったらしく、応戦していた男たちが戻ってくる。
「フェデリナ様、ご無事で……!」
「一体何が……!?」
傷だらけの身体を爺やに任せつつ、フェデリナ様はこちらに視線を向けた。
「あれは霊術、ではないわね」
ここが岐路か。今まで見た霊術らしきものと全然違うこのミレスの力を、どう解釈して答えを出すのか。
敵となるか、味方となるか。
「……多分?」
「どうしてあなたが訝しそうに言うのよ」
はぁ、と溜め息を吐くフェデリナ様。ひとまず敵対心はなさそう。
「この世界のこと、何も知らないって言ったでしょ? この子の力が何なのかも分からない。でも私たちには霊力ってのがないんでしょ? だったら霊術じゃないんじゃない?」
「……そうね」
何かを考え込むような美少女。
私としてはこれで危獣が打ち止めじゃないか気になるところだけれども。フェデリナ様の答えが出るまで迂闊な言動はよしておこう。
「やはり、信用できませんな」




