3.アラサー・ミーツ・ようじょ
「っはぁっ、はぁっ、はぁっ」
──マジで、最悪。
何が悲しくて見知らぬ土地で目が覚めたと思ったら遭難しかけた上に男たちに襲われなければならんのか。言葉も通じなければ自分の身を守る術も何もない。
一発で楽に死ねるならいいけど、こういうのは望んでないんだって。
さすがにもう限界だ。ここに来てどのくらい経ったのか分からないけど、エネルギー不足だ。せめて水が欲しい。
木に凭れ掛かり腰を下ろす。これで男たちに見つかってしまえば終わりだろうね。もう歩く体力もない。
大人しく凍死か餓死のほうがよかったかもしれない。
「っ、あ……?」
突然、ぐらりと視界が回った。そして眩暈。目を閉じると、頭重感と吐き気もしてくる。全力疾走のせいで酸欠状態ではあったものの、座り込んでいる今、症状が悪化するのはおかしい。
どくりどくりと、脈が波打つのが分かる。頭の血管が怒張しているのかってくらいの動悸と、頭痛。一瞬にして空気が薄くなったかのように息が苦しい。
痛い、吐きそう、苦しい、つらい。
「……ぅっ」
何でこんな目に遭わなきゃいけないの。ただ普通に暮らしていただけなのに。
せめて、ここがどこなのかとか、何が起こっているのかくらい教えてよ。
ゆっくりと目を開く。そこには、木々が生い茂っていたはずの場所に、開けた空間があった。
確かに、人が隠れるほどの草木で埋め尽くされていたはず。それなのに、まるで大きな生き物が通った跡のように、ぽっかりと空間が空いていた。
いや、空いている。今もなお、その空間は広がり続けていた。そして”それ”はこちらにやってくる。
男たちに捕まるよりモンスターにやられた方がマシだわ。痛いのは、嫌だけど。
いっそ救いのような”それ”を見守っていると、目の前に現れたのは──。
「──よ、うじょ」
みすぼらしい姿の幼女だった。
五、六歳くらいだろうか。小さな身体を覆い隠す布はぼろぼろで穴も開いていて、その下に伸びる下肢は今にも折れそうなほどに細い。その両足首には首輪のような枷と途中で千切れた鎖が繋がっている。腰まで伸びるウェーブがかった白い長髪は、煤けてぼさぼさだ。長い前髪に隠れているが無表情で、何よりその瞳が印象的だった。
左眼はそのみすぼらしい姿にそぐわないほどの黄金で、時折ライムグリーンの色合いを見せる。そして、陽の光を受けて輝くそちらより、真っ黒な闇のような右眼に釘付けになった。
──綺麗。
吸い込まれそうなほどの黒。魅入られる、とはこのことかもしれない。数メートルは離れているのに、その漆黒の瞳孔が散大し光も反射しないようなこともなぜか分かった。
凶暴なモンスターではなく森を彷徨う幼女だったけど、男たちにやられるよりは数億倍マシ、いや、本望だ。
まるで幼女を避けるように薙いだ木々は、一部が腐蝕している。足元の草も枯れて黒く変色している。この頭痛や吐き気が彼女によるものなら、恐らく威圧感、というものなのかもしれない。本能で彼女を恐れている。
それでも、最後の力を振り絞って、地を這いながら彼女との数メートルの距離を埋めた。
「できる、ことなら……ひと、思、いに……やっ、て……ほし……」
どうしてこんな場所にいたのだとか、どうしてこんな目に遭わされなければならないのとか、もう、どうでもいい。
金髪碧眼じゃなかったけど幼女に止めを刺されるのならそれもいい。
でも、最後に。もし、叶うのなら。
「……」
幼女は口を開かない。動きもしない。それをいいことに、頬に触れた。
「いっ」
静電気の何十倍もの威力、まるで電流が走ったかのような衝撃を受けて思わず手を離す。焼けるほど熱く痛いそれを見ると、赤黒い痣のような、血管のような何かが浮き出ていた。
一気に見た目がグロテスクになった左手。手掌から前腕にかけてだけで、その他には波及していなかった。
皮下でぼこぼこと蠢くそれ。触ってみると、血管のような弾力だった。
「……おお」
元々血管が浮き出てきにくい私にも、ついに18Gくらい余裕で刺せそうな血管が──。
「──って、違う。そうじゃない」
いつの間にか頭痛・吐き気以下略の諸症状が軽くなっていることに気づく。根こそぎ奪われたはずの体力も少し回復していた。
幼女は相変わらずその場から動かず、じっとこちらを見つめるだけだ。
怖くはない。さっきまではあまりの苦痛にいっそ楽にしてくれと願ったほどだけど、その原因が恐らくこの子だと思われるけど。不思議と恐怖感はなかった。
ホラー耐性あるし、と思えるくらいには心持ちも上がっている。
「えっ、と……殺さないの?」
何とも間抜けな問いかけだったけど仕方ない。死にそうだと思ったくらいには苦痛だったのに、意外とすんなり解放されたとあっては懐疑的にもなる。
「私の言葉、分かる?」
視線を合わせてみても、幼女は何も答えない。
これは困った。できることなら圧倒的に思えたその力で一撃必殺してほしかったのに、どうやらこの幼女にその気はないらしい。
もう一回触ってもいいかな。触るたびにこのグロテスクな痣と血管増えるのかな。これって幼女おこの証だったりする? さすがに止めたほうがいいか──いやいや、どう見てもファンタジーな幼女なんてこの先一生出会わないよ、絶対。この機会を逃したら後悔するに決まってる。
何とも自分勝手な都合で再び幼女に手を伸ばした、その時だった。