29.決意の果て
どちらもマイナスでしかない選択肢。ミレスがそれを理解できるのか、理解した上で選択できるのかは賭けであり願望だった。
もちろん、一緒に来てほしい。もっとやりたいことがあった。お礼もできてないし、その枷を外して自由にしたかった。一緒に異世界を満喫したかった。
でも、私と一緒にいたらよくないことに巻き込まれる。戦う術のない私は、ミレスに頼らざるを得ない。危険な道を歩むことになる。
「──ひぃ」
少し間を置いて、幼女は小さな両腕を伸ばした。
身体を傾けて近づける。右手で羽のようなその身体を抱えた。
「私を、選んでくれるの……?」
言葉に応えるように、擦り寄るミレス。
「い、っしょ」
そうだ。一緒にいてくれると、あの時彼女はそう言った。
「……うん」
ありがとう。私を選んでくれて。
それだけで、もういい。これから何が起ころうと──誰が、敵になろうとも。
「話は済んだかい」
「わざわざ待ってくれたなんて優しいですね」
「最後の別れならばそれも仕方ない」
「……そうですね」
ただし、最後なのはあなたたちとですけど。
「ミレス、ごめんね」
結局幼女頼みとなってしまう。申し訳なく思えば、はっきりと分かるように首を横に振った。
「ひぃ、まも、る」
それは初めて聞いた、ミレスの意思だった。質問の返事ではない、自らの言葉。
幼女が顔を上げる。自然と引き寄せられるように額を合わせた。
あの時と同じように、目を閉じる。
温かな、柔らかい風のような“何か”が入り込んでくる。
ミレスが私の左腕に触れる。今ではすっかり大人しくなった太い血管のような痣が疼く。
熱い。火傷しそうなほどに熱いのに、痛くはない。
額から伝わる“何か”とともに、活性化した左腕のグロテスクな痣から伝わる熱が、全身を巡る。
じくじくと痛んだ傷が、消えていく感覚。痛みも、痺れも、消えていく。
「──っはぁっ」
大きく息を吸う。思わず腕を見ると、傷が塞がっていた。
「ミレ──」
お礼を言おうとした瞬間、幼女が身体から離れる。
トンッと軽く身体を押されたような感覚と同時に、間を横切る何か。
「──!」
何かが飛んできた後を視線で追えば、木に矢が突き刺さっていた。
「今だ!」
弓矢の攻撃から守るために身体を押されたのだと理解したときには、ローイン隊長が声を上げていた。
いつの間にか周囲を兵たちに囲まれている。彼らは片手を高く突き上げると、一斉に何かを叫んだ。
ミレスの身体が浮き上がる。まるで何かに締めつけられるように両腕を身体に寄せている。
「やれ──!!」
兵の一人が号令を下す。
一体どこに隠れ潜んでいたのか、周囲一帯から一斉に矢が放たれる。
「ミレス!」
一気に色々なことが起きて反応できなかった。今までローイン隊長を含め手を出されずにいたことのほうがおかしかったんだ。
身体を縛る見えない何かから逃げ出そうとしているのか、身を捩るミレス。
矢が当たる瞬間、ミレスの周囲から黒い枝のようなものが現れ、矢を叩き落とした。一瞬にして攻撃を無力化しただけでなく、その黒い枝はしなやかな動きで辺りの兵たちを薙ぎ倒していった。
「それに触れるな!」
ローイン隊長は次々と黒い枝を切り払う。
「ぐ、ぁぁぁああああッ!!」
兵士の黒い枝に射抜かれた腕から、黒い靄が溢れる。一人だけではない、黒い枝に貫かれた部位は、溢れ出た黒い靄に周囲を溶かされ、ついには腐り落ちた。
「攻撃の手を止めるな!」
「うぉぉおおおおおお!!」
どこからともなくやってくる兵たちが、蛮声とともに黒い枝に立ち向かう。身動きの取れないミレスに代わり、縦横無尽に暴れ回る黒い枝は疲れを知らない。疲弊し負傷していく兵たちと比べると優勢に見えるものの、ジリ貧で勝てるようにも思えなかった。
ミレスを縛るそれが、単に動きを止めているだけなのか、力を奪っているのか定かではない。せめて私に霊力があれば、ミレスに何が起きているのか分かるかもしれないのに。
あのローイン隊長のことだ。ミレスの力を実際に目にして、実力差を考えずに事を構えようとはしないはず。数で押し切るよりももっと確実な手を打ってくるに違いない。
「もう少しだ! もう少しだけ時間を稼げ!」
唱えるようにぶつぶつと呟く兵たちに何か策があるとしか思えない。
私の安全を保障すると言った言葉が本当なのか、優先順位が低くて放置されているのかは分からないけど、これだけの兵がいるにも関わらず、誰一人として私を気にする様子はない。
ある程度自由に動けるはずで、その間に戦況を有利にしたいところだけど、ミレスの邪魔になってしまいそうで下手に動けない。分かっていたことだけど、自分だけ安全圏で祈ることしかできないなんて。
いっそ、ミレスの動きを止めている兵たちの一人に突撃してみる? 術が乱れればミレスは解放されるかもしれない。
でも、それでもしミレスに何かあったら。余計なことをして私が攻撃されて、ミレスの集中が途切れてしまったら。私を守ると言ってくれたミレスの邪魔になるかしれない。
「よし!」
うだうだと悩んでいるうちに、誰かが叫んだ。ミレスを取り囲む兵たちの周囲が光り出し、あまりの眩しさに目を細める。
中心から、火花のような、電気のような何かが迸り、大きな音を立てて光が弾けた。宙に浮くミレスがさらに高く打ち上がり、そして地に落ちる。
思わず駆け寄ろうとするものの、降下するミレスから起こる風圧が凄くて近寄れない。
「今だ! 一気に畳みかけろ!」
風圧が弱まった瞬間、蛮声とともに再び一斉攻撃が始まる。弓矢と、剣と、軌道は見えないものの、霊術なのか突風や爆発が起こる。
さっきまでと違うのは、身体を解放されたはずのミレスの周囲の黒い枝が、呆気なく砕かれているということ。剣で斬られ弓で射抜かれても復活はするものの、勢いは弱く、防戦一方という感じだ。
「──ぁ、ぅ」
ミレスの力を弱体化する術だったのかもしれない。彼女に攻撃が届くのも時間の問題のように思える。
「このまま押せ!」
弓の雨が降り注ぎ、剣が舞い、爆発は続く。攻撃が止むことはない。
「もう、やめて……」
兵たちの先陣を切って立つのは、ローイン隊長。四方から襲う黒い枝を何度も切り払い、徐々にミレスとの距離を縮める。
「やめて……!」
どうか、どうか、ミレスに力を。
無事でいて欲しい。無理をしないで欲しい。
「ミレス──!」
強く願う。強く祈る。
“何か”が、流れ込んでくる。
「っぁ──ッ」
息ができないほど流れ込んでくる“何か”が、身体中を駆け巡り、そして出ていく。エネルギーを根こそぎ引き抜かれたように、身体が重たく、息ができない。
「ひゅ──っ」
苦しい、苦しい、肺が、心臓が、痛い。
頭が割れそうで、吐きそうで、涙が滲む。
次々と空っぽの身体に容赦なく流れ込んでくる“何か”は熱湯のように熱く、手先は冷たく痺れて感覚を失っていく。
「──ぁ」
とうに立っていることはできず地に伏していた。辛うじて意識できたときには、それまでミレスが薄く纏っていた黒い靄がどんどん濃くなり、広がっているところだった。
そして、一気に乱れ咲く黒い枝。
「がぁッ」
「グゥッ」
次々と剣を、矢を、兵たちを、無数の黒い枝が薙ぎ倒す。
まるで嵐のように、周囲の木々は大きく揺れ、木の葉が舞い踊る。
「──ハァッ!」
数多の兵たちが倒れる中、一人、黒い枝を切り伏せて、前に出た人影。
亜麻色の髪の男が、ミレスに剣を振り下ろす。
攻撃を防ぐように折り重なった黒い枝。風圧が強くなり、火花が舞う。地面に足が沈むほど踏み込んだ隊長と力は拮抗し、どちらも譲らない。ミレスの周囲は黒い稲光が、ローイン隊長の周囲には青白い稲光が走り、バチバチと競り合う。
黒い枝が押し返し、左右から隊長を襲う。一撃、二撃、既の所で受け止めては切り払い、再び幼女に振り被る。
じりじりと進退を繰り返す二人。勢いを増す風圧と閃光。
肺が、内臓が、押し潰されそうなほど、苦しく、痛い。指先一つ動かすことができず、視界が霞む。口元を濡らしていたのは唾液か血液か、それすらも分からないまま、意識を手放そうとしていた。
「ッぁぁぁぁぁあああああああ──ッ!!」
最後に聞こえたのは、気迫に満ちた叫声。
「み……ぇ、ぅ」
瞬間、轟音とともに爆風と閃光が迸り、辺り一面は白に包まれた。
脳内BGMが覚醒ゼオ●イマーと我が●明鏡止水でした




