28.希望と絶望の狭間で
聞き覚えのある低い怒声だった。
救いを求めるように俯いた顔を上げる。
「何してやがる」
「……ファルナーニンセグ」
「何の真似だって言ってんだよ」
私たちとローイン隊長の間に立つその後ろ姿に、思わず泣きそうになる。
表情は見えないものの、きっと眉間には皺が刻まれ、凶悪な人相になっているんだろう。
「ダズウェル、さん」
「チッ。オイ、無事か」
「は、い」
ローイン隊長が国の命令に従って立ちはだかるのなら、必然的にこの人も同じだと思っていた。むしろミレスの危険性を上申していてもおかしくないのに。
本当に、裏表のない人なんだ。
「君の持ち場はここじゃないはずだけれど」
「うるせぇ。コイツらは保護するんじゃなかっ」
「ファルナーニンセグ」
ダズウェルさんの言葉を遮り、ローイン隊長がやや強めの口調で静かに告げる。
「持ち場に戻れ。二度は言わない」
今までの制止が甘嚙みだったと思うほどの冷え切った声だった。本気で線引きをしている。
「──ローインレノロク」
ダズウェルさんは片膝をつき、隊長を見上げた。
「どうか、お考え直しください」
愛称ではない名を呼び、首を垂れる姿を初めて見た。
あれほど粗暴な振る舞いをしていたダズウェルさんの謙る姿に涙腺が緩む。腕も胸も痛いのに、少しだけ暖かい気持ちになる。
「ファルナーニンセグ」
ローイン隊長がダズウェルさんに近づく。そして、頭を下げたまま動かない彼を──。
「ガッ」
「ダズ──っ!」
──無慈悲にも、蹴り飛ばした。
「二度は言わないと、言ったよ」
地に伏したまま、ぴくりとも動かない筋肉質の身体。蹴られて少し飛ばされたとはいえ、鍛えた兵士を気絶させるほどの威力じゃなかったはず。何かの術でも使ったのかもしれない。
「ダズ、ウェル、さ」
「気を失っているだけだよ。それより自分のことを考えたほうがいい」
近寄ろうとする私を、引き抜いた剣で制する。
「なんで、こんな……っ」
今までの隊長なら盾突くダズウェルさんに対して暴力で対応するなんてことはなかった。命令違反だったとしても、部下に、ましてや親しい相手に手を上げるような人じゃなかった。
もはやこの人に情など通用しない。
腕にしがみつくミレスを引き寄せる。
何としてでも、この子を守らないと。
「あまり時間がないんだ。早くソレから離れてくれないか」
絶対に、渡さない。どんなに腕が痛くても、痺れても、絶対に。
でも、どうやってこの場を切り抜けたらいいの。
できれば、ミレスの力を使いたくはない。たとえこの子が今は何とも思ってなくても、いつか蟠りとして残るかもしれない。この子に後悔なんてしてほしくない。だけど──。
「君の安全は国が保障しよう」
「──は? 攻撃、しておいて……っ今更、信じられるとでも?」
何を言っているの。
ミレスを捕えようと攻撃してきておいて、安全を保障? ふざけるな。
この子に危害を加える時点で安全なんてどこにもない。
「もう個人の問題ではない。君はこの国や近隣の国の大勢を天秤にかけて、ソレを選べるのかな」
「悪いけど、私、そんなに利口でもないし、優しくもないから」
この世界に飛ばされて、言葉を通じさせてくれた。命を救ってくれた。
ずっと、傍にいてくれた。
たとえ何千、何万、何億人といようと、知らない国の人間など知ったことか。
「生憎、正義感なんてもんは、持ち合わせてっ、なくてね」
「国と争って君たちが勝てるとは思わないけれど。この先ずっと逃げ続けていくつもりかい?」
「この子と、離れたくない、って思うのは、そんなに悪いこと……?」
腕の痛みが何だ、痺れが何だ。そんなことで挫けているようじゃ、この先やっていけない。
国と戦争? 上等だ。
「ミレスは、物じゃないから……”ソレ”、呼ばわりするような奴に、任せられない」
私の命なんて、惜しくない。痛いのは、嫌だけど。
まだ、ミレスからもらったものを返せていないから。
「やはり説得はできないようだ。人間であれば思想は違えるもの。力尽くで対処させてもらうよ」
剣を構える隊長。
もう、戻れない。
「ミレス!」
幼女に視線を向ける。金色の左眼は、揺れることなくこちらを捉える。その表情は喜怒哀楽の何も滲んでいない。
そっと身体を離し、動かせる右腕でその頬に触れた。
あなたの幸せが何か、私には分からない。
鎖に繋がれて一生を暗い中で過ごすのか、あらゆる魔の手から逃げて陽の当たらない道を生きるのか。どちらにしろ簡単なことじゃない。楽な道なんてない。だから──。
「──選んで。このまま封印されるか、私と──心中するか」




