19.真夜中の攻防
今、何と言ったのだろうか。風が吹いたせいか聞き取れなかった。
聞き返そうとしたら、ノマくんが笑った。
「ノ──」
そして次の瞬間、衝撃と突風が襲い掛かった。目の前から姿を消した彼は、気づけば地面を削りながら吹っ飛んでいた。
遅れて気づく、胸元の寒気とちりっとした痛み。上着ごと斜め一直線に切り裂かれ、肌が露出しているのだと理解したときには、誰かが目の前に立っていた。
「失礼するよ」
何が起こったのか分からないまま、その誰かに抱え上げられる。頬に落ちる雫で、その人の髪が濡れていることに気づいた。
「ローイン隊長……?」
いつもは結んでいる亜麻色の髪は解け、顔や肩に張り付いている。なぜか上半身はぴっちりとしたインナーだけで、濡れているからか身体つきがより一層引き立っている。いい筋肉だ。水も滴るいい男とはこういうのを言うんだろう。
というか、何だこれは。頬が火照っているような、変な気分になってくる。これが大人の色気ってやつか?
「うわっ」
馬鹿なことを言っている場合じゃなかった。
いつの間にか起き上がっていたノマくんがこちらに向かってくる。振り上げたその手に握られているのは鋭いナイフだ。
「──なんで」
つまり、ノマくんが私を斬りつけ、ローイン隊長が助けてくれた。そういうことだろう。
これが逆だったのなら理解もできた。ローイン隊長が攻撃をしてきて、ノマくんが守ってくれるのなら。
──ヒオリ様。
驚いていたり、照れていたり、色々な表情を見せてくれた。
どうして。昨日も、今日も、一緒に楽しんでくれたと思っていたのは私だけだったのか。それとも、今までの言動は全部嘘だったのか。油断させるためにそうしたののか。
──ここであることをすれば、願いが叶う、とか……。
その願いが、これだったの?
「よくやる、なっ」
「そうでもないよ」
考えている間にもノマくんとローイン隊長は攻防を繰り広げる。実力としてはローイン隊長のほうが上のはずなのに、圧されているように見えるのは私が邪魔なのかノマくん相手に本気が出せないのか。
とは言っても向こうは刃物、こっちは丸腰だから防戦一方となるのは仕方ない。むしろ時々体術で反撃しているローイン隊長が凄いのか。
「ノマくん! 何でこんなこと!」
「ははっ、まだそんなこと言ってんのか」
凶悪に笑うこんな顔、知らない。
いつから騙されていたんだろう。これもローイン隊長の作戦? 違うよね。この人ならきっとこんなまどろっこしいことしない。こうして私を守る必要はない。
ノマくんが離反した? ローイン隊長とはそこまで親しい仲ではなかったみたいだし。でもそれなら私を狙う理由が分からない。
もしかして、タルマレアの命令?
「アサヒ、目を閉じて」
「え」
ぐっと引き寄せられ、身体が密着する。目が回るほど早く揺さぶられ、眩暈と吐き気がする。
「グ──ッ、ぁ」
地面に解放され安堵したのも束の間、視界の端に倒れた男と黒ずんだ液溜まりが映った。
ノマくんが持っていたはずのナイフが身体に深く突き刺さり、近くには片腕が転がっていた。
「──っ」
声にならない声が、口から漏れる。
「ノマくん!」
「駄目だ」
近寄ろうとする身体を引き留められた。反動で振り向く。
「治療して! 今すぐ!」
「死んだ人間は生き返らないよ。君の蘇生術も意味がない」
そんなこと、言われなくても分かっている。心臓を一突きしているであろうあの状態では、どうやっても助からないことに。
「そんなことより──」
「そんなこと!?」
ローイン隊長が冷徹な人間だとは理解していたはずなのに、沸々とこみ上げる怒りを抑えられない。
襲い掛かってきたのはノマくんだけど、その理由も分からないまま終わっていい訳がない。こんな気持ちのままお別れなんてできない。
「助けてもらったことには感謝してますけど、それとこれとは──っ!?」
ローイン隊長が後ろを振り返り、片腕でこちらを制する。
「思った以上に手強いなァ」
生垣の奥から現れたのは複数の影。月明かりにキラリと光るそれは、剣や斧。
「術が使えなくとも戦えるとは聞いていたが」
どういうこと? 術が使えない?
ノマくんと肉弾戦をしていたのは、手加減じゃなくて術が使えないからだったの?
あの時──魔教徒とやらが乗り込んできた時、術が使えなくなった。でもあの時は眩しいほどの光が発生して、明らかに相手が何かを発動させていた。今回は、そんな兆候はなかったはず。
いや、それよりもノマくんだ。奴らが魔教徒だとしたら、ノマくんもその仲間だったのか。
まさか、魔教徒に寝返った? 可能性がないとは言い切れない。マスガンに残って事情聴取をしていたのはノマくんだ。その時に取引をしていたとしたら。残党は逃がしたのだとしたら。
違う。違うと、思いたい。
そうだ。奴らは洗脳じみたことができるみたいだから、ノマくんも操られていたのかもしれない。
でも。どちらにしろ、彼が死んだという事実には変わりない。
「寄せ集めの奴らとは違うってことを教えてやるよ」
影が──暗いローブに身を包んだ奴らが、一気に襲い掛かってくる。開けた場所で四方から攻撃されれば、ローイン隊長といえど簡単に処理できないだろう。何より私が邪魔に違いない。
「なんで──」
ガシャン!!
弱音を吐きそうになった瞬間、コテージの窓が盛大に割れた。ガラスが飛び散り、それと同時に何かが飛んでくる。
「──す」
「ガッ」
弾丸のように飛んできた何かにより、着地点にいた奴らの一人が吹っ飛ぶ。隣にいた奴の頭が消える。その胴体が倒れる前に、もう一人の頭が百八十度以上に捻じれた。断末魔の叫びを上げる隙もない。
「オイ!」
今度は掛け声とともに奴らの奥から何かが飛んでくる。いつの間にか姿を消していたローイン隊長がそれを受け取ると同時に、一人の首を刎ねていた。続けざまに一人、また一人と一撃で仕留めていく。
気づけば全員、地に伏せていた。何が何だか分からないまま、敵が片付いていた。
状況を理解しようと必死に頭を動かしてもうまくいかない。
ただ分かったのは、目の前に立っているのが三人だということ。
なぜ上半身裸なのか分からないけど、恐らく剣を投げ渡したダズウェルさん。それを受け取って敵を屠ったローイン隊長。そして、コテージの窓から飛び出してきた、鋭い眼つきの──。
「ヒオリ様、大丈夫っすか!?」
「──ノマくん?」
「あ、っと」
駆け寄ってきて、慌てて返り血を拭うその姿は、正しくノマくんだった。獣のようなギラついた視線も表情も、綺麗さっぱり消えている。
「私たちはここを調べる。君はアサヒを送っていくように」
「了解です」
意味が、分からない。ノマくんは死んだはず。窓をぶち破って暴れていたあのバーサーカーが、ノマくん?
「いや、だって」
急いでそこに向かうと、片腕を亡くした彼はノマくんとは全く違う男だった。
「なん、え?」
「恐らくエンマーズに擬態していたのだろうね」
「……知ってたの?」
「いや。ただ攻撃の癖が違っていたから違和感はあった」
混乱する。頭が痛い。
この男はノマくんの偽物で、ローイン隊長も知らなかったけどおかしいとは思っていた。確信がなくても襲われたらその命をもって反撃する。それが部下であろうとも。そういうことだろう。
結局、この人が冷徹だということには変わりないのか。いや、冷徹だったら私のことなんか見捨てるだろうけど。
そもそも、こいつは何のためにノマくんに扮していたんだろう。私を騙すためだとしても、その先の目的が分からない。命を狙われているというのは分かるけど、何で? 先の和平の報復?
洗脳だけでなく擬態もできるなんて、一体どこまでの技術を有しているのか。組織の規模も想像できない。
「──でも」
何にしろ、ノマくんが無事でよかった。あれが偽物でよかった。
「どうしました? どこか痛みます? あいつらに連れ出されたって、何かされたんですか?」
胸元を押さえて俯いていたからか心配そうに慌てる様子のノマくんにほっとした。
「怪我! 怪我してるんですね、レノロク!」
「その程度の傷、どうということもないだろうけれど」
「女性の身体に傷が残ったらどうするんですか!」
溜め息でも吐きそうなローイン隊長が、小さく何かを呟く。これまでの騒動で忘れていた痛みを思い出したと同時に消えた。触ると、何事もなかったかのように平らな肌だった。
「早く戻るといい。女性をずっと夜風に当たらせる訳にはいかないだろう」
「そうっすね」
ローイン隊長の嫌味も物ともせず、コテージのほうへ促してくるノマくん。その腕を掴む。
さすがにもう偽物だとは思わないけど、確かめずにはいられなかった。
「な、何ですか?」
「いや、ちゃんとノマくんだよなと思って」
「ヒオリ様、酷いです。さすがにこんな夜中に出歩くよう誘ったりしないっす!」
「ご、ごめん?」
まあ騙された私が悪いよね。
「ね、ノマくん。手繋いでもいい?」
「ぅえ!? は、はい」
ぎゅっと握ったその手は外見から想像できないくらいに硬かった。
らしくないことをしているとは分かっている。女慣れしていないノマくんが照れてこちらを見ないことを利用した。
だけど、今だけはその温もりが本当にありがたかった。こんな情けない顔を見せずに済むから。




