5.逃避したい現実
「ひ、ヒオリ様……! あれは一体どういうことですか!?」
串焼きを食べているところに焦ってやってきた領主様。町のみんなは今の領主様の素顔を知らないからか、怪訝な目を向けている。あれは誰だ、とひそひそ話がこちらにまで聞こえてくる。
「う、腕が、足が、目が……!」
ちょっとクラメントさん落ち着いて。
「どうって……お望み通りの治療ですよね?」
「あれは奇跡ですよ!」
声がでかい。思わず顔を逸らした。
身振り手振りで懸命に伝えようとしてくるクラメントさんには悪いけど、食事が終わるまで──んん、落ち着くまで待つとしよう。
「怪我だけだけではありません、傷のない不調までもあっという間に治ってしまいました!」
分かる。凄いよね、異世界。いやキィちゃん。
うんうんと頷きながらクラメントさんの演劇のような演説を聞いていると、周囲がざわめき出した。
「逃げろ! フョヌイの奴らが襲ってきやがった!」
驚く間もなく鳴り響く足音、劈く怒声、舞う砂埃。
「行けー!」
「ここを通すな! 反撃だ!」
気がつけば武器を手に持った人々が交戦していた。武装と呼ぶには貧相な姿で、粗末な剣や斧を振り回している。これでは戦争ではなくまるで暴動だ。
「皆は避難を! 戦える者はすぐに準備をするんだ!」
どこの誰かも分からないクラメントさんの指示を聞く人はいない。けれど人々は結果的にそういう行動を取らざるを得ない。ある者は逃げ、ある者は抗戦する。
「ひぃ」
「っ」
私は、逃げた。
幼女を抱えて、身を隠せる場所まで走り続けた。
どうすることもできない。
ミレスの力を借りれば、この場は収まるかもしれない。死なない程度に力を奪ってしまえばいい。だけど、その場しのぎにしかならない。
そもそもこの戦い、どちらが正しいのかなんて分からないんだし。どっちの味方をすればいいのか判断できる材料もない。する立場でもない。
そう、日常茶飯事だと言っていた。だからその内戦いは鎮まるし、じっとしていればいい。
誰かの生死に、関与する必要はない。
「ひぃ、どこかいたい?」
『主さま、怪我しちゃった?』
心配そうにする二人に首を振る。
怖くない。二人がいれば自分たちの身は守れる。
怖くない。手も震えてなんかいない。
ああ、でも。クラメントさんは守らないと。許可証が貰えない。いや無事だったとしてもこの騒動で発行が遅くなるかも。せっかくキィちゃんが治療してくれた人たちもやっぱり戦いに駆り出されるんだろうか。戦いが落ち着いたあとにまたキィちゃんが治療するにも限度がある。結構力を使うみたいだし。それに治療してしまえば今以上に騒がれてしまう。だから知らない振りをすればいい。日本にいた時もそうだった。ニュースで見た遠い国の戦争が他人事だったように。
「いや! やめて!」
「女も子どもも関係ない! やれ!」
「ああああああぁぁぁ──!」
思考の中に閉じこもってやり過ごそうとしていた視界に転がってきたのは、腕。
思わず視界に入ったのは、飛び交う赤。
「今だ、攻め込め!」
こんなのが、日常?
「だ、誰か……いや……」
目の前のこれが、他人事? そんな訳、ない。
「ミレスちゃん、できるだけ攻撃を食い止めて、戦う意志のある人は足止めして!」
「ん」
「キィちゃんは瀕死の人の治療をお願いできる? 起き上がれないくらいの最低限で」
『は~い』
偽善が何だ。その場しのぎが何だ。
今、凄惨な光景を見たくないという理由だけで十分だ。
「な、なんだこれ!」
「力が……!」
「今、斬られた、よな……?」
「なんで生きて……」
正直人間相手にどこまで手加減できるのか心配ではあったけど、ミレスちゃんもキィちゃんも上手くやってくれていて安心した。これでしばらくはみんな動けない。
これでいい。
「この黒いのは何なんだ!」
「や、やめろぉぉおお!!」
たとえミレスが恐れられようとも。
「私がその分愛をあげればいいし!」
「ん」
「うわぁぁぁぁッ!」
争っている人たちを次々と拘束し、力を奪っていく。武器を壊し、戦う意志も奪う。
一体どちらが悪役なんだか。
「動かないで!」
ぐったりとしている人たち。それでも戦おうとするその強い意志には感心する。
「これ以上争うなら、容赦しません」
「お、まえに、余所者に、何がわかる……!」
「これはオレたちの問題だ……!」
「そうですね。私たちには関係のないことです。視界に入って来なければ!」
知らないところで勝手にやってくれていればよかった。
だけどこうして、悩みの種になるくらいなら。
「ゥゥアアアッ!」
「えっ」
誰かの悲鳴かと思って振り返ると、そこには翼を持ったゾンビのような奴らが数体──。
「クルゥッ」
「ウッ」
「ゥゥアアアッ!」
「ちょっ」
──いや、数体なんてものじゃない。空に浮かぶ無数の影。数えきれないほどのそれが、空から降りてくる。
「ミレスちゃん!」
「ん」
危獣の運がなさすぎるのでは!?
一体一体は強くない。黒い枝が一撃で屠れるほどだ。
だけどキリがない。それほどまでにモンスターはどんどん現れる。
もしかしたら、また歪みがあるのかもしれない。魔族が関与しているのかもしれない。
「っ」
突然の来訪者に焦って思考が纏まらない。次々と色々なことが起きて感情も追いつかない。
「あ、ああぁ……」
「来るな、来るなぁぁぁあああ!」
まずい。みんなの力も武器もこちらが奪ってしまった。戦えるのはミレスだけだ。
あまりの数の多さにさすがにカバーできなくなっている。
そして幼女の猛攻をすり抜けた一匹のモンスターが、町の人に襲い掛かる。
「間に合わな──っ!」
「ァ──ッ!」
横一線。断末魔は掻き消され、分離した上半身と下半身が地に落ちていく。
死を免れた人々は怯えた目でそれを追った。黒い枝とは別に、圧倒的な力を振るうそれを。
「久しぶりだね、アサヒ」
敵を倒しながら華麗に着地したのは、一人の男。
亜麻色の髪の──やけに顔の整った男だった。




