39.遠慮したいデジャヴ
ヒオリさんたちがフォールサングに出発して数日。ルムギナでは“黒の聖女”の話題で持ち切りだった。それまでは真偽が定かでないからと噂はあまり広がっていないようだったけど、フォールサングの使者が来たことや町長が肯定したことで一気にヒオリさんたちを聖女だと持ち上げる雰囲気になっていた。
危獣もいない、フォールサングとの交流も再開した、聖女が町を守ってくれた。そんな明るい現在と未来に祝杯をあげるように連日騒がしいほどだ。当のヒオリさんは嫌がりそうだけど。
色々な薬の元となるエブサも大量に収穫してくれたお陰で今までほど怪我を恐れる必要もなくなり、みんな外出したり活動的になった。外に人が増えたせいか変なやつに絡まれることもなくなってありがたい限りだ。
せっかく腕輪をつくってくれたのに申し訳ないな、と思ったのも少しの間だけで、まさかこんなことになるとは思いもしなかった。
「イウリオ!」
急に現れたブライジェさんに驚く間もなく、手を引かれて走る。
「危獣が出た!」
「きゃぁぁぁああああっ」
「走れ! 走るんだーッ!」
町に溢れていた歓声は一気に叫声へと変わり、あちこちから悲鳴が聞こえる。
「っ!」
走っている途中で躓いて転んだ。
「何で……」
振り返ると、空に黒い何かが複数浮かんでいた。嫌な感じがする。
「まるでヒオリたちがいないのを見計らったみたいだな」
ぼくの身体を支えながら眉を寄せるブライジェさん。
「飛行型だけじゃない。どこからか大豚くらいの獣が町を襲っている」
害獣が数匹ならともかく、危獣がこれだけいるとなると対処できるはずもない。ヒオリさんたちがいれば問題なかったかもしれないけど、今の戦力を考えると逃げるしかない。
「走れるか?」
「……はい」
せっかく町がいい雰囲気だったのに。あてもなく逃げるしかないなんて。
「ゥ──ウウウッ!」
「イウリオ!」
突然物陰から現れた獣。ぼくを庇うように剣で応戦するブライジェさん。
気付けば十以上の黒い獣が退路を塞いでいた。
「ぐゥッ」
「ブライジェさん!」
敵が待ってくれるはずもなく、一気に襲い掛かってくる。必死に剣を振るっても、次々と現れる獣たち。
壁に向かって突き飛ばされたかと思えば、複数の獣がブライジェさんを襲った。数の暴力に耐えられず、鎧は砕かれ、その下の肉体からは血が流れ出す。
「いう、りぉ」
「あ、あぁ」
「グボッ」
血が、止まらない。身体からも、口からも、流れ出る赤い液体を止めることができない。
いやだ。やめて。
しなないで。
「──ぁ」
からだがあつい。
腕輪に籠もった熱が、全身を包む。
気付けば、ブライジェさんの剣を握り締めていた。
「ぁぁああああああああ!!」
淡い光が辺りを包み込む。
眩いほどの白が広がる中、訳も分からず剣を振り被った。
「──っぅ」
何が起こったのか理解できないまま、地面に倒れた。
息が苦しい。全身が焼けるようにあつい。
白い微睡から解放された視界には、黒い液体を撒き散らして散乱する獣の群れが映った。
『あラ、面白い。オマエ、聖者の器なのねェ』
霞む景色に、黒い何かが見えた。
とても嫌な感じがする。
でも、もう何もできない。指を動かすことすらできず、弱々しく息をすることしかできない。
『せっかくだし、アタシの器になってもらおうかしラ』
何かが、近づいてくる。
だめだ。もう、意識も保てない。
「イウリオさんから離れろー!!」
瞼が閉じる瞬間、とても温かな光が見えた。
◇
フォールサングを飛び立ち、胃の中のものをリバースしそうになるのを堪えながら空の道を急いだ。いつもなら地を駆けて余計な振動や障害物があったり時間もかかったりするところだけど、浮遊感を我慢すればそれなりに早くダナレに着くことができた。
道中、害獣や危獣に出会うこともなかったから少しだけ安心してしまっていたけど、それが間違いだったと気づいたのは一瞬だった。
「いやもうほんと──! ミレスちゃん!」
「ん」
名前を呼ぶと同時に何かを吐き出す鳥を打ち落とす幼女。
ルムギナに近づいた瞬間、一気に害獣・危獣が溢れているのに気づいた。遠くからでも分かる町の被害に焦る。
イウリオさんたちは無事かな。町のみんなも心配。
「どっち!?」
「あっち」
『霊気と魔気が集まってるよ!』
「じゃあお願い!」
うじゃうじゃいる敵を全部相手にできない。ひとまずの懸念を払拭するため、イウリオさんか元凶の元へ行くほうがいい。どうせブライジェはイウリオさんと一緒にいるだろうし。
そうして急いだ先、下の方で淡い光が見えた。まさか戦える術士もいたのかと思ったのも束の間、転がる死体に囲まれる二人、そしてそれに近づく黒い靄に思わず叫んでいた。
「イウリオさんから離れろー!!」
寄ってきた周囲の敵を蹴散らしながら突撃する。
倒れているイウリオさんに忍び寄るそれに幼女の黒い枝が突き刺さる──前に、煙のようにすっと消えた。
「何なの!? イウリオさん! ブライジェ!」
あれが何だったのか気になるけど、それよりも二人が優先だ。
イウリオさんは目立った外傷なし。ブライジェは胸当てを切り裂かれて出血も酷い。傷が心臓までに達していないのが幸いだけど、この出血量じゃ危ない。
すぐさまキィちゃんが回復してくれて、血は止まり傷も塞がった。
だけど二人とも、目を覚ます様子がない。
「キィちゃん……」
『大丈夫。気を失ってるだけだよ』
「よかった……ありがと」
安堵しながら霊獣に抱きつく。残念だけど、心地よい毛並みを堪能する暇はない。
「ぃ──っ」
残りの敵を片付けてもらおうとキィちゃんから身体を離した瞬間、頭がズキズキと痛み出した。
──あハ。
「な……に」
頭に響くそれは、聞き覚えのある声だった。
あの時と同じだ。この子が、暴走した時と──。
「ミレスちゃん!」
「ん。だいじょうぶ」
「よかっ……」
幼女に異変がないことに安心したと同時に、ズンと身体が重くなる。頭痛も酷くなる。
嫌な感じがして空を見上げると、黒い稲光が走っていた。まるで空を突き破るように、ゆっくりと何かが出てくる。
「いやいや」
幼女の攻撃も虚しく弾かれ、巨大な姿が露となった。
リュウグウノツカイに亀の頭と手足が生えたような気味の悪い何か。大きさといい、より嫌な感じがすることといい、フォールサングに出たやつの上位互換みたいな。
何でこう、行く先々でこういう敵が現れるんだか。私のせいか? 私が死神なのか?




