20.ホラー的な何かですか?
死を覚悟していただろう局面に打ち勝ち、喜び合う兵士たち。それを尻目にこちらへ向かってくる人がいた。
「アサヒ、助かったよ。ありがとう」
少しだけ安堵したような柔らかい表情をするローイン隊長。ここで兵たちに交ざって喜ぶでもなく大声を上げる大の大人たちを窘めるでもなく冷静にお礼を言う隊長は、言動すらもイケメン。
「感謝は尽きないけれど、先にやることがある。君は少し休んでいるといい」
ただし周囲には気をつけて、と危獣の残党にも気を配ることも忘れない。
「残っている者は救護を急げ!」
隊長は周囲へ声を上げると、倒れている兵士へ駆け寄る。喜びから我に返った部下たちはそれぞれ走り去っていった。
「……はぁ」
大きく溜め息を吐き、木に凭れ掛かる。腰を下ろし深呼吸をすれば、危険から脱したことをようやく実感できた。
ミレスを見ると、あの時見たはずの黒い靄も歪な枝もない。
「本当にありがとね、ミレス」
抱え上げて視線を合わせる。
「──ん」
笑ったような、気がした。相変わらず無表情で読めないけど、なぜだかそう感じた。
可愛い、強い、可愛い、最強!
「ミレスちゃん、大好き!」
溢れんばかりの愛情を込めて抱き締める。私もミレスも泥や血で汚れているし臭うけど、それも些細なことに思えるくらいには晴れやかな気分だった。
「……よし」
十分にミレス成分を補充して、立ち上がる。両手を使えるようにミレスには背に掴まってもらう。
私にできることは大してないかもしれないけど、怪我の手当てくらいなら手伝えるかもしれない。
前線部隊の中でも後方に補給物資を持った人たちがいたはず。
それを思い出し森の中を引き返すと、いくつか袋が散乱していた。中身を確認して、必要そうなものを詰め替える。三つほどの両腕いっぱいになる袋を持って元激戦区へと再び走った。
森の開けた場所へ戻ると、ちょうど物資を必要としていた人たちに会ったので二つの袋を渡す。残りの一つを持って負傷者の元へ。
ローイン隊長は、見るからに重傷を負っている兵の身体に手を当てて何かを呟いていた。僅かながら傷口が徐々に塞がっていく。
なるほど、どうやら訳の分からないことをぶつぶつと言っていると思ったのは、魔法とか術の類か。これが霊力なのかもしれない。
ゲームなどの影響で中二病的な詠唱や技名を叫んでいるイメージだったから、結びつかなかった。念仏みたいだったし。
それにしても、霊力と言っていたけど魔法に似たものは存在するのか。私も使えたらなと思うけど、まあ無理かな。素質なさそう。最初に兵たちにも言われてたしね。
ローイン隊長が使っている治療の術は魅力的だけど、周囲の兵が使っている様子がないところを見ると、貴重なんだろうね。容姿も声も恵まれて身体的にも強くて治療もできるとかチートだね。あれ、本来はコンピューター用語だったっけ。
まあそれはどうでもいいか、と離れた場所で座り込んでいる近くの兵の元へ走る。
「うっ、ぐ」
辛そうに顔を歪めている。押さえている片腕には血の跡。
「ちょっとすみません」
「ッんだ、お前……」
「失礼します」
押さえている片手を引き離し、持ってきた筒から水を流しながら衣服を捲り上げる。あちこち皮膚に傷があり、腫脹・熱感・皮下出血は見られるものの開放骨折までには至っていない。
幸い、危獣が暴れ回ったせいでその辺に大小様々な木が転がっている。比較的よさそうなものを見繕い、副木として当てる。布でそれらしく固定。
もし骨がずれても勘弁してほしい。医者じゃないからそこはごめん。
あとは冷やしたいけど氷とかないからなぁ。川で冷やすのもありかもしれないけど、そこまで歩くなら安静を優先したほうがいいかな。
途中文句くらい言われるか何なら抵抗されるかと思ったけど、意外と大人しかった。手当てしていると思ってくれたのか。
しんどそうな表情は変わらない。
ふと視線を下げると、胸元に切り傷があった。鎧を抉ってまでつけられた斜め一文字。いまだにじわじわと出血している。動脈じゃないだろうし、静脈にしても他の傷と比べて止血が遅すぎるような気がする。そこまで深くないその傷を見ると、ぼんやりと黒い靄が見えた。
「もう一回、すみません」
とりあえず鎧を退かし、水をかける。傷口の洗浄、大事。
あとはもう圧迫止血するしかないなと布を押し当てたときだった。
「ぐ、がっ」
「ごめんなさいごめんなさい痛いですよね!」
申し訳なさで謝罪が口をついて出る。
痛みで声を上げたのだと思っていたら、様子がおかしい。
ついでに、私もおかしい。
「──っ」
急に吐き気と眩暈が襲う。貧血かな、と思ったときには徐々に症状は軽くなっていた。
傷口を押さえている布に新しい血が広がらないことを確認して、手を退ける。出血は止まっていて、黒い靄はなかった。見間違いか。
大人しくなっている男を見ると、木に凭れ掛かったまま目を閉じている。表情は比較的穏やかだ。
「よし、次」
他に外傷が見当たらないことを確認して立ち上がろうとすると、近くにもう一人倒れているのに気づく。
意識はないものの息をしているし脈もある。目立った外傷は下腿の切り傷と足関節の腫脹くらいだ。傷口は深そうだけど出血は止まっているし、失神する要素はあまりなさそうに見える。
頭か、心臓か。瞳孔は同大、対光反射もある。橈骨動脈もしっかり触れるし、回数も正常そう。呼吸も平静。
ひとまず足関節を固定し、その辺に散乱していた荷物で足を挙上する。
「ん?」
敗血症でもなさそうだしな、と下腿の傷に視線を向けると、またもぼんやりと黒い靄が見えた。
傷口の洗浄、大事、だよね? ってこと……?
切り傷に水をかけてみるものの、黒い靄は消えない。ぼんやりとはしているけど見間違いじゃない。
そっと手を伸ばす。黒い靄に触れた瞬間、目の前が真っ白になった。
「うぇっ」
頭がぐらぐらと回り、身体が揺れる。嘔気に耐えられず地面に膝と手をつく。
さっきの症状よりも長い。気分が悪い。
しばらくして立ち眩みのような症状から解放され、徐々に視界がクリアになっていく。
そして目に入った男の下腿の傷を見ると、黒い靄は消えていた。
「……こわ」




