32.教えてお姉様
「シャルールカ様」
「そうね。とりあえず休める場所に行きましょ」
私から身体を離した姫様が立ち上がる。あの巨大な鳥を助けて欲しいと懇願していた弱々しい表情はもうない。さすが王族、といったところなのか、凛々しい表情でマルデインさんと言葉を交わしている。
ぼんやりと二人を見ていると、思い出したかのように全身が痛み出した。どうやらアドレナリンが切れたらしい。あの茶髪の男のお陰か痛み自体はマシになっていたけど、多分折れているだろう骨なんかは完治していない。しばらく安静にしていないといけないだろうな。
そういえば、どうやって帰るんだろうか。姫様はマルデインさんと一緒にヒスロに乗ってきたみたいだし──と思ったところで、近づいてくる地鳴りを感じた。どうやら他にも移動手段を用意していたらしい。
「シャルールカ様!」
突然マルデインさんが叫ぶ。
いつの間にか四つ足の獣がマルデインさんに飛び掛かっていた。それだけではない。同じような獣が数匹、木の陰から姿を現す。
ミレスがいれば、こんなところまで接近されなかったはずなのに。一瞬で屠ってくれるのに。
頼みの綱は腕の中で眠っている。
「──」
マルデインさん一人では捌ききれない、逃げないと──そう思っていたら、姫様が小さく何かを呟く。
「グルルゥゥゥゥェ!」
後ろから駆け寄ってきた数匹の獣が一瞬で吹き飛ぶ。宙に舞った身体と首が切り離されて地に落ちた。
マルデインさんが戦っていた獣も切り倒され、あっという間に周囲が鎮まる。
「“気”が消え去っても獣がいなくなる訳ではないみたいね……立てるかしら?」
大したことはなかったかのように手を差し出す姫様。唖然とする私にマルデインさんが満足そうに笑みを浮かべる。
「元々シャルールカ様は国随一の術士だったのです」
へー、そうなんだ。でもなるほど、それであの巨大な鳥の魔気に耐えられてたのか。最初のイメージが最悪だったからギャップが凄いんだけど。
まあよく考えたら、いくら王族だからって真面目なマルデインさんが禁域とされている場所に連れて来ないか。何かあった時の戦力として十分だったってことかな。
それからは特に問題もなく、マルデインさんの部下のヒスロに乗って森を抜けた。こっちに来る途中で私の荷物も拾ってくれたらしく、探す手間が省けてありがたかった。身分証は肌身離さず持っているけど、お金とかその他身の回りのものが入っているしまた揃えるのも面倒だしね。
マルデインさんたちに王宮に連れていかれそうになったけど、姫様も今まで好き勝手してきた手前素直に権力を使いたくないということで街外れのちょっとお高い宿に行くことに。お偉い人がお忍びで使うことも多く、スイートルームらしき部屋は普通の宿と違ってかなりプライベートが守れるらしい。何でも特殊な素材で作られた壁がかなり防音効果を発揮しているとか。
そんなこんなで幼女と霊獣を寝かせ、ベッドでゆっくり休んだ。
かなりの疲労感のせいで一瞬にして眠りに落ちた意識の中、悪夢を見た。いつぞやの、何度も殺される夢。逃げても逃げても追いかけられて、やっとの思いで夢から抜け出す。
今日くらいはゆっくり寝かせてよ、と飛び起きたのも束の間。突然の来訪者に驚くことになる。
「……ど、どうも」
「ヒオリ殿、無事でよかった」
「何でも禁域の“気”を浄化してくれたとか」
「お陰であの区域にしか根付かない薬草を再び手に入れることができましたわ」
昼過ぎまで寝ていたかったんだけど、なんて愚痴を言えるはずもなく、最低限の身なりを整えて王族の皆々様と対峙する。王子様をはじめ王様と王妃様まで。わざわざこんなところまでなぜ……。
せめてミレスちゃんたちの容態を確認したかった。いや私が怠けているのが悪いんだけど。
「シャル」
「はい。……この度は、黒の聖女たる貴女さまにご迷惑をおかけしましたことをお詫び申し上げます」
後ろに控えていた姫様が膝をついて頭を下げる。
いや、誰?
「ヒオリ殿。我が娘も反省している。どうか寛大な心で許してくれないか。この恩は必ず──」
「お言葉ですが! 誠心誠意姫様の言葉は伝わりましたので謝礼などは大丈夫です、ええ断じて」
そりゃこのワガママ娘! と思わないでもなかったけど、こんなことは望んでないのよ。何をどう聞いたのか知らないけど、近づくなと言われてた場所に行ったのは私の方だし。ミレスちゃんたちの意識がない中、害獣っぽい奴らに襲われそうになったところを助けてくれたのも事実。
そういったことを言葉を選びながら伝えると、王様たちは納得してくれたようで、少し不安そうにしながらも頷いてくれた。公務の間を縫ってどうにか時間を捻出したらしい王様と王妃様は、申し訳なさそうにしながら帰っていった。こちらとしても堅苦しさが抜けて助かる。砕けた感じでいいと言われても、さすがに王様たちの前では言動を気にしちゃうよね。
「本当に、欲のないお方だ」
小さく息を吐く王子様の表情が、なぜだか少しだけ寂しそうに見える。
欲はあるけどね。この世界で重視されているような地位や名声や大金はいらないけど。
「禁域の浄化の件も含め、祝賀会を開くことにした。ぜひ参加してほしい」
「え? パーティーはついこの間しましたけど……」
「あれはモッダ平原の平定と貴女方の招待のためだ。今回は民への貴女方の紹介の意味もある」
ええ……大々的にしないでくれるんじゃないのか。この間のパーティーが規模的にこぢんまりとしているなと思ったら、別の機会を設けていたのか。
護衛として来たであろうマルデインさんに視線を向けると、申し訳なさそうに頭を下げられた。マルデインさんにはどうにもならなかったらしい。
「えっと、ミレスちゃんたちも目を覚まさなくて心配ですし、参加するのはちょっと……」
本心だ。確かにパーティーに参加したくないというのは十割そうだけど、何より二人をこのままにしておけない。
「そのことに関して、お力になれるかもしれません」
「え?」
慣れない姫様の丁寧な言動に戸惑っていると、突然扉が開いた。
ノックもなしに入ってきたのは、やたらと筋肉質なポニーテール。普通サイズの入り口は小さかったようで、暖簾を潜るように頭を下げている。天井も近く窮屈だったのか、元々の性格なのか──近くまでやってきては、膝を立てて床に座った。裸族の長だ。前に見た時より少しだけ布の面積が増えている。
「失礼します」
姫様が一礼をして裸族の長の手を取る。そして私の手を握った。
『随分と待たせたな』
『申し訳ありません、お姉様。これも黒の聖女様のため』
『ふん。まあいい』
なぜか裸族の長の言葉が分かる。多分、いや十中八九姫様が何かしてるんだろうけど。
凄いな、通訳もできるのか。ミレスちゃんの能力でもできなかったのに、さすが国随一の術士さま。
というかお姉様って何。
『そこの黒いの。早く彼奴らを見せよ』
「……えっ、私のこと?」
顎をくいっと上げて何を言うかと思えば。
私には相手の善悪の判断なんてできないけど、ミレスちゃんたちをどうにかできるかもしれないなら言う通りにしよう。ここまでの流れで王子様も姫様も私に害を成すとは思えないし。いざとなったら、身を挺してでもミレスちゃんを守ればいい。
一旦姫様から手を離して寝ていた幼女と霊獣を抱きかかえる。そのまま裸族の長に近づくと、キィちゃんの首根っこを掴まれた。
「ちょっ」
伸ばし掛けた手を、姫様が握る。
『寝ておるだけだな。その内目を覚ます』
その手つきとは裏腹に、彼女はそっと自分の膝に霊獣を下ろした。
『問題は其れか』
彼女の言葉を信用していいのか分からず、幼女を引き渡すことができない。
考えた末、幼女を抱いたまま裸族の長の目の前に座った。
『そう構えずとも良い。救世主には報いよう。それに我が妹の頼みだ』
「お姉様は多少粗暴ではありますが、信頼できます。私の命をもって証明いたしましょう。ヒオリ様、どうか」
まあわざわざ姫様が呼んでくれたんだろうし、そこまで言うなら──と幼女を差し出す。そっと幼女に触れる裸族の長。
『……半霊半魔か。本当に存在するとはな』
『お姉様、いかがでしょうか』
『力の流れが乱れておる。どうにも掻き乱されたようだ。何か心当たりは?』
「あ……その」
急に話を振られ、思いつく限りのことを話した。恐らく、森で聞こえた声のせいであろうこと。そして、とある男が言うには力を無理矢理開放されたということ、枷のお陰で助かったらしいこと。
『……ふむ。確かに此れは古い呪術……対象の生命力を奪うもののようだが』
「だが……?」
『よく生きておったの!』
「いって!」
ワハハ、とバシバシ私の肩を叩く。いや本当に痛い。こっちは骨折れてるかもしれないんだけど。
涙目になりながら族長を睨むと、やっと叩くのを止めてくれた。
『枷が他にもついていたと言っておったな。此奴の状態を見るに、元々力の流れを制御できぬのだろう。主がいなければ死んでいただろうよ』
そういえば、そんなことを聞いた気がする。私と契約しなければ、グルイメアの森ごと周囲が消滅してたって。
「それで、この子もそのうち目を覚ますんですか?」
『うむ。主が傍にいれば幾月かすれば流れも安定する』
「え、数か月かかるの?」
それは困る。いや、目を覚ますだけでも嬉しいけど。イウリオさんのことも心配だし、安全に向こうに戻るにはミレスちゃんの協力が不可欠。ヒーラーのキィちゃんはいるけど、アタッカーがいないのは不安すぎる。
ああ神様、この世界にいるなら私にも戦闘能力を与えてくれはしませんか。幼女だけでも過分な幸せだとは思いますが。




