31.台風一過?
亀の方が早いだろうな、いやそもそも亀も結構早いからな、なんてことを考えながらひたすら歩いた。
一体どのくらい経ったのか、痛みに意識を手放しそうになりながらも何とか近くまで戻る。まだ姿は見えないものの、木々が薙ぎ倒されていることからそこまで離れていないと思われる。
もう少し、あと少し。
自分に言い聞かせながら足を動かす。
「──!」
遠くで横たわる白い何かを見つけた。抉れた地面や石に躓きそうになりながらも必死に近寄る。
それは、土や葉っぱに塗れたキィちゃんだった。
「っ」
酷い怪我だ。出血は止まっているものの、息は浅く脈拍も弱い。このまま放って置いたら死ぬかもしれない。
こんなとき、治癒術を使えたら。何度目のないものねだりだろうか。
とにかくミレスも見つけて町に戻ろう。そう思って周囲を見渡すと、少し離れたところに見知った服が見えた。
「み──!」
キィちゃんをそっと地面に横たえて、痛みを必死に誤魔化しながら駆け寄った。
ぐったりとしたその身体を抱え上げる。土で汚れた前髪を払って頬に触れると、その冷たさに驚いた。
元々体温は低い方だ。だけど、こんなにも冷たいことがあっただろうか。震える手で頸動脈に触れるものの、何も触知できない。
そもそも、拍動はあった? 人外なのだから心臓が動いていないとかあるかもしれない。
そう、だから、こんなに身体が冷たくて、顔が白いのは──。
「ひゅ──ッ」
だめ、息をしないと。こんなところで、倒れる訳にはいかない。
ミレスを、ミレスが、みれすの、
「ぁ──はっ、はっ、はッ」
手足が痺れる。頭がくらくらする。息が、うまく吐けない。
だめ、くるし、いき、が──。
「大変なことになってるねぇ」
崩れ落ちそうになった身体を、誰かが支える。
「えーっと、こうだっけ?」
白んでいく視界の中、何かが近づいてくる。
「──ん」
吸い過ぎた空気を堰き止めるように口が塞がれた。今度は息が吸えずに苦しくなる──と同時に、何かが吹き込まれた。温かいような、冷たいような──心地よささえ感じる何かが、身体を満たしていく。
「──ぁ」
徐々に色を取り戻していく視界に映ったのは、誰かの顔面のドアップと、茶髪。
そして現状に気づく。
「──っに、してんじゃヴォケー!!」
唯一まともだった頭を大きく振りかぶり、その額にぶつける。あまりの痛さに涙が滲んだ。
「いってて、酷いな」
額に触れながら大したダメージを受けていなさそうな男を睨む。
「よかった。戻って」
「え、あ……」
未だ痺れる手足を摩り、楽になった呼吸を認識する。心なしか、全身の痛みも和らいでいる気がする。そして腕の中の幼女も少し温かみを取り戻しているように感じた。
「……あり、がと」
「どういたしまして?」
どうしてこの男がここにいるのか、ガヴラのときといい、どうしていいタイミングで現れるのか、どうして助けてくれるのか……色々と疑問に思うことはある。だけどどうやらミレスも私も助かったらしいという事実に目頭が熱くなってきた。
悔しい。こんなことで泣くなんて。
いつ死んでもいいと思ってたのに。職業柄、誰かが死ぬことには慣れてしまっていたのに。
「……よかっ、た」
幼女を抱き締める。こんなにも生きていてよかったと感じるなんて、思わなかった。
「──! キィちゃんっ、キィちゃんは……!」
「大丈夫だよ。嬢ちゃんが生きていればそうそう簡単には死なないだろうから」
何の根拠もない言葉だったけど、なぜかほっとした。今までこの人が嘘を吐いたことはないし、最初のイメージがあれだったけどいい人っぽいし。
「よかったね。その枷のせいで助かったみたいで」
「どういう……」
「おチビちゃん、力が暴走したんだよ。制御できなくて死ぬところだったけど、枷で力が抑制されたんだと思う」
そうなんだ。確かに四肢の枷を外したらパワーアップしたし、力を押さえつけられているのだとは思っていた。早く外したいと思っていたそれに助けられるなんて。今後も同じようなことがあったときのために外さない方がいいのかな、嫌だな……。
そもそも何で力が暴走したんだろう。あの時聞こえた声のせいか。どう考えても不自然だったし。
黄緑頭の子どもの時と状況が似てるような気がするけど、あれも魔族なのかな。滅んだとかいう話はどうなったんだか。
「……はぁ」
それにしても、疲れた。今日一日で色々ありすぎた。考えることは後回しにして、まずはゆっくり休みたい。
ちらりと茶髪の男を見ると、ん? と朗らかな顔で首を傾げている。
第一印象は最悪だったのにな。こうもピンチの時に現れてくれると、好感度が上がってしまう。これが乙女ゲーなら確実に個別ルートに入っているだろうくらいには。
本当に、何でここまでしてくれるのか分からないけど。感謝はしてるし、恩は返さないといけないと思ってはいるけど。
でもごめん、ちょっと言いたいことがある。
「助けてもらっといて何だけど……その呼び方、何なの? ここに来てからそうだったけど。その前は違くなかった?」
「あ、えー、そうだっけ?」
「とぼけないでよ。嬢ちゃんとか呼ばれるほど歳離れてないでしょ。そもそもそっちの方が年下まである」
どう見てもこの人二十代くらいだし、この世界基準から言えば十代後半。いくら童顔でもせめて三十代前半。そんなに子ども扱いされる謂れはない。
何だろう、助けてもらったのにこうもムカつくのはこの男の言動のせいか。
「大体、あんた何者なの?」
「ヒオリ様ー!」
茶髪の男が口を開いたその時、遠くから騒々しい音と私を呼ぶ声が響く。
「あっ」
少し目を離したら、あっという間に彼は姿を消していた。
本当に、何者なんだろう。ただの人間じゃないことは分かる。実はかなり凄腕の術士とか……? いやでも、最初に会ったときは巨漢相手に逃げてたしな。
「ヒオリ様!」
ヒスロに乗ってやってきたのはマルデインさんだった。その後ろにいたらしい人影が、がばっと私に抱きついてくる。
「……姫様?」
「っ」
小さく身体を震わせる彼女の行動に少し驚く。こんなことするようなタイプには見えなかった。
「シャルールカ様にお聞きして参りました。ご無事で何よりです」
「あ、ありがとうございます……」
気を失っている二人を抱えて町に戻るにはかなり時間も体力も消耗するだろうから、帰りの足があるのはかなり嬉しい。
それにしても、姫様には恨まれてると思ったんだけどな。
「……レレンが、教えてくれたのよ」
「え?」
姫様が言うには、彼女が気を失ったあと、例の鳥の夢を見ていたらしい。そこでちゃんとお別れができたと。そして最後に、私が道に迷っているから助けに行ってあげてと言われたらしい。
そういえば、私もキィちゃんから転げ落ちたあと、夢で鳥を見かけた気がするな。もしかしたら起こしてくれたんだろうか。




