19.激闘の末に
ミレスが攻撃した相手はそのほとんどが一回で首が吹き飛んでいた。例外はあの爆散した熊らしきモンスターくらいだ。それでも最後には息絶えていた。それに例外はない。
「アサヒ!」
ローイン隊長の叫び声を認識したときには、彼は蛇のような尻尾を剣で受け止めていた。
見上げても異形の顔は見えない。両腕を天に掲げたままだ。
「ありがとう、ございます」
お礼を言えたときには、すでにローイン隊長がミレスごと私を抱えて異形の危獣から距離を取っていた。
「なぜここに来たんだ」
口調や声のトーンはいつもと変わらない。怒っているのかどうか、表情は分からない。異形から目が離せなかった。
それはローイン隊長も同じようで、すぐに異形の危獣の方へ身を向けた。
「グ、ヴァ」
小さく、それでもはっきりと聞こえるくらいの呻き声を上げて、危獣はガクンと首を垂れた。
両腕からは、ぼとり、ぼとりと肉塊のようなものが腐り落ちている。身体自体に動きが見えないのに、尻尾だけが別の意思を持っているかのように地面を這い、時折腐り落ちた周囲の血肉を薙ぎ払う。
明らかに様子がおかしい。
尻尾以外の動きが止まったにも関わらず隊長たちが攻撃を再開しないのは、様子を見ているからだろう。
兵たちは剣を構えたまま、そしてローイン隊長は小声で何か呟いている。
「ヴォラァァァァァアアアアアッ!!」
突然、異形の危獣が叫んだ。咆哮で周囲の木々が揺れる。思わず身を縮める。
怒り狂って暴れ出すのかと恐怖した、その時だった。
ミレスの攻撃を受けて天に突き出した状態で固まっていた両腕に、黒い斑点が無数に広がる。徐々に拡大したそこから、皮膚を突き破るように黒い枝のようなものが生えた。さらに太い腕の皮下を這うように血管のようなものが怒張し、次々と破裂しては塊が腐り落ちていく。
「な、何だ……?」
「どうなってる……?」
何が起こっているのか理解できず、兵たちが声を漏らす。
その間にもどんどん腕は破裂し、その衝撃の度に巨体が揺れた。腕から生えた黒い枝は、雷のように点滅した光を放っている。柔らかいのか硬いのか分からないそれは、ゆらゆらと小さく揺れていたかと思えば、突然物凄いスピードで異形の両肩を突き刺した。
腕から突き出た黒いそれが幾度となく両肩目掛けて飛んでいく。その度に異形は声を上げ、巨体を揺らした。両腕は破裂を続け、もはやそのせいなのか自ら動かしているのか分からない。
「ヴァッ、ガッ、ヴォッ」
そして両肩を無数の黒い枝が貫き、両腕が半分ほど細くなったときだった。
バンッ!!
重低音を響かせ、腕が爆発した。
「何がどうなってる!?」
飛び散る血肉を剣で防ぎながら困惑する周囲。
「な、なんだ、あれ」
両腕を失った肩からは、変わらずぼとりぼとりと塊が腐り落ちている。そしてそこから黒い靄が溢れ出した。
思わずミレスを見る。
もしかしたらあいつが何かをやらかす前触れかと思ったけど、ミレスの攻撃のお陰!?
黒い靄は徐々に巨体を包んでいく。その後を追うように太い血管のようなものが体表を這っていった。そして、ぼこり、ぼこりと皮膚を突き破るかのように瘤が膨隆していく。
あの時のように、このまま身体全体が爆発したらとんでもないことになる。
兵たちに逃げようと声を掛けようと思った瞬間、今度は腐り落ちる両肩から、勢い良く腕が生えた。
「そんなのアリ!?」
新しい腕は腐り落ちることなく頑丈でやたらと筋肉質に見えた。新しい腕が生えてくるなんて反則だ。
「ヴォルァァァァァアアアアアッ」
黒い靄がかかっていない腕を振り被り、異形の危獣が突進してくる。
ミレスを強く抱き締め、一縷の望みをかけて手を伸ばす。
「──っ」
数回、“何か”が指先に駆け抜ける。強い眩暈がして身体が蹌踉けた。
何とか堪えながら危獣を見遣ると、黒い歪な枝のようなものに四肢を射抜かれ動きを止めていた。
「──え?」
黒い枝のようなそれは、腕に抱くミレスの周囲から伸びている。そしてミレスには黒い靄がかかっていた。
「ミ、レス?」
危獣は短い呻き声を上げ、藻掻いている。四肢を動かすほど、黒い枝は太くなり、その射抜いた周囲が膨隆していく。身体を包んでいた黒い靄と血管のようなものが、新しい腕に迫る。
そして、ミレスと異形の危獣を繋ぐ黒い枝がぶつりと途切れた瞬間、巨体が崩れ落ちるように膝をついた。
衝撃で地面が揺れる。
「ッガ、ァ、ヴ……ッ」
まるで生きているかのように巨体を這い回る血管、ぼこぼこと浮き出た多数の瘤が、どんどんと膨張し、堰を切ったように破裂した。次々と破裂していく身体、腐り落ちる塊。縦横無尽に動き回っていた尻尾も、黒い枝に貫かれて地面に磔になっている。
それでも、必死に抵抗して動いているように見えた。
目を離さないよう、少しずつ後ろに下がる。
どんどん腐り落ちているとはいえ、この巨体だ。かなり時間がかかるに違いない。
近くの兵たちに後退するよう告げるものの、聞き入れてはくれなかった。目を離さず、警戒を続けている。
ローイン隊長に説明してこの場から離れてもらおう。
そう思い、異形の腕が生え変わる前から同じ場所で立ち止まっている隊長の元へ走った。
「あの」
控えめに声を掛ける。大声で呼べたらいいんだけど、ずっと小声で何かを呟いているその姿が怖くて日和った。
何、この人お経でも唱えてんの?
あまりに真剣な表情で剣を構え、危獣を見ているものだから、釣られてその方を見た。
同時に、危獣の新しい腕と肩との境目から黒い靄と枝のような何かが飛び出し、両腕が千切れた。
そしてまたも再生しようとしていて、今度は破裂した全身から腕のような突起物が生えていく。
前回と違ったのは、それが不完全で、腕を形成する前に次々と血管や瘤が這い回っては破裂しているところだ。それだけでなく、腕の新生を邪魔するかのように太く黒い歪な枝が突き出てくる。
「────!」
ずっと小声で何か呟いていたローイン隊長が理解できない言葉を叫んだ瞬間、爆音とともに危獣が煙に包まれた。
「全員、かかれ!」
走り出すローイン隊長。号令を聞き、それまで警戒したり呆然としたりしていた兵たちもそれに続く。
「ヴォルァガァァァァアアアアアッ!!」
まだそんな力が残っていたのかと感心するほど、異形の再生力が上がった。
黒い枝を避けるように生える腕、引き千切るように磔から逃れた尻尾が兵たちを襲う。
破裂音、咆哮、そして風を斬る音と血飛沫。様々な音が飛び交う。
もはや原型を留めていないほどにあちこちが膨張し、腐り落ち、ウニのように身体中黒い枝を生やした異形は、激しい戦闘の中、徐々に動きを止めた。
「ガ、ヴ」
短く呻き、ゆっくりと地響きを立てながら倒れる巨体。その衝撃も止まらぬうちに、四肢と身体が大きく破裂した。
近くで雷が落ちたような、鼓膜が破れるかと思うくらいの音と振動。
余韻を残したまま、全員が危獣を見る。再生する様子はなく、巨体のあちこちに生えた黒い枝は、崩れ落ちるように消えた。
辺りに静寂を取り戻したあとも、異形は動かない。
辛うじてついている頭も、千切れた四肢も、穴だらけになった体躯も、沈黙を続けた。
「やっ、た。やったんだよな……?」
「ああ、そうに決まってる……!」
うぉぉぉおおおおおおお──!!
静寂を破り、男たちの野太い歓声が辺りに響き渡った。




