26.ゾダの盟約
「ガヴラっ!」
卑しい笑みは消え、見慣れた乏しい表情のまま、スローモーションのようにゆっくりと地面へ倒れるガヴラ。倒れた地面に、徐々に広がっていく血溜まり。
「あ……あ……」
無我夢中で駆け寄り、突き刺さったナイフの周囲を力いっぱい押さえつける。
「ガヴラ、ガヴラ! しっかりして!」
「──ッ」
か細い息のような声。目は閉じていて、とても意識があるとは思えない。
必死で押さえる胸部からも出血が止まらない。
「お願いミレス、ナイフの周りを締め付けて!」
「ん」
自分の力ではどうにもならず、黒い枝に変わってもらう。それでも時間稼ぎにしかならない。
「ガヴラ! あんたこの訳分からない状況も説明しないままでいいと思ってるの!? いいから起きて!!」
「ヒオリさん!」
「ちょっと、どうなったの!?」
背負われたままのドニスさんとクレーラさんがやってくる。
ガヴラの中に入っていた奴はどうなったのか、何か起きる様子はない。ガヴラは瀕死だし、同じく地面で血を流している黄緑頭の子どもはぴくりとも動かない。
「わ、分かりません。でも、このままじゃガヴラが……!」
「これは……」
「治癒術がないと、でも」
眉を顰めて閉口する二人。どう見ても助からないと思っているんだろう。
それこそ泉の水さえあればよかったのかもしれない。でも今はないものねだりを考えていても仕方ない。
出血を物理的に止めても、これだけ血を失っていたらいくらゾダの一族とは言え厳しいに違いない。せっかく正気を取り戻したのに──いや、最期だからこそ、ガヴラが頑張ってくれたのかもしれない。
「……ガヴラ」
身体に触れたところから、徐々に熱が引いていくのを感じた。
首に手を当てても脈は分からなかった。きっと、心臓マッサージをしたところで復活しない。いくら心拍が再開したとしても、治癒術のないこの状況では意味がない。
こんなところで、お別れなのか。
まだ十六歳だと言っていたのに。過酷な環境で生きてきて、やっと解放されたはずなのに。美味しいものも、楽しいことも、年相応に笑うことも知らずに死んでしまうのか。あまり想像はできないけど、恋愛をして、結婚をして、子どもを授かったり家庭を築けたかもしれないのに。
やるせなくて、色々な想いが込み上げてくる。
「……ひぃ」
ぎゅっと擦り寄ってくる幼女を抱き締める。きっとこの子も分かっているんだろう。
もう、助からない。ガヴラとは、もう会えない。
「こ、これは一体!?」
「何があったんだ!」
「こっちも人が倒れてる!」
諦めて呆然としていたら、遠くから声と足音がした。
気づけば、ヒスロを連れた商人のような人たちがたくさん集まっていた。
その中に見たことのあるような顔を見つける。いつぞやの、Y字路で通行止めを食らっていた人たちだ。きっと通行止めが解除されて無事町に辿り着いたのだろう。
混乱する人たちにドニスさんが状況を説明している。
「わー、大変なことになってるね」
事情を知ったであろう人たちがバタバタと救護に走り出す中、場違いな間延びした声。
冷たくなっていくガヴラに触れたままその方を見れば、茶髪の男が立っていた。さすがに忘れていない、詐欺師だか何だかよく分からない不審者だ。
そしてその後ろから走ってくるのは、もう一人の男。
「大丈夫ですか!?」
青年くらいの男は相応に驚きと心配を合わせたような表情で駆け寄ると、持っていたバッグの中から何かを取り出した。
「これは酷い……! 傷口を塞ぐので、そのまま押さえててください!」
「え……」
「ぐ──ッ」
青年が歯を食いしばってナイフを抜き取る。黒い枝で圧迫しているからか思った以上の出血はない。
「僕は薬師です! 治癒術は使えませんが、できるだけのことはさせてください……!」
そう言って青年はナイフを抜き取った傷口に何かを塗り、ガヴラの口へ粉と液体を流し込む。
「飲んで……! 飲んでくれ……!」
もちろん嚥下する力など残っていないガヴラの口からは、そのまま粉と液体が流れ出てしまう。それをどうにかしようと口元や顎を動かす青年。
服や手が血液に汚染されるのも顧みず、懸命に蘇生しようとするその姿に、堪えていた涙が零れた。
「ガヴ、ラ」
「このままじゃ助からないね」
よくこの状況で軽口が言えたものだ。でも言い返す気力もない。
「せっかくゾダの一族なんだから、盟約を交わせばいいのに。というかそれしか助かる方法はないと思うけど」
「え──何、それ!」
「わっ、と」
助かるかもしれないという情報に、思わず男に詰め寄る。男は若干私に引きながらも話を続ける。
「ゾダの一族はある一人と盟約を交わすことで飛躍的に身体能力を向上させるんだよ。その人のためなら何でもできるようにってね。相手は番になることも多いみたいだけど、一族以外の人間と交わすことも特に珍しい訳じゃない」
「ど、どうやれば」
「やり方は知らないけど」
「はあ!?」
この期に及んでそんなことを言えるこの男が理解できなかった。上げて落とすとはこのことだ。
「オレはゾダじゃないし。でも向こうは忠誠を誓ってたんでしょ? 後はえーっと、何だっけ……ああそうだ、相手の霊気を含んだ体液──血とかがあればいいみたいだから、どうにかなるんじゃない?」
「そんな適当なこと」
うろ覚えのようなことなんて余計に信用ならない。
でも、やるしかない。望みが少しでもあるなら、それに賭けるしかない。
たとえそれが詐欺師のような不審者からの提案だったとしても。
「きちんとしたやり方は知らないけど、多分君の血を飲ませればいいと思うよ」
「飲めるか分からないけど、分かっ──」
「でも君は霊力が少なすぎるから無理だろうけど」
こいつ、やっぱり絞めていい? いいよね?
「ミレスちゃん」
「え? わー! 待って待って、続きがあるんだよ!」
「早く言え!」
「君は霊力が少なすぎて盟約を交わせない。だから代わりに他の人間を器にする」
「どういうこと?」
「まぁ簡単に言えば、二人と盟約を交わすってことだね。その分本来の力には達しないだろうけど、死ぬよりいいでしょ?」
「そうだけど、どうすればいいの」
「そこで偶然にも血で汚れるのも気にせずゾダに触れるお兄さん。霊力も悪くない」
ぽん、と青年の肩を叩く茶髪の男。
「よく分かりませんが、彼を助けられるなら協力します!」
薬師というからには薬なんだろう、色々な粉や液体をガヴラに塗しながら青年が答える。
デメリットとか全然分からないけど、とにかくガヴラを救うにはそれしかない。
「ミレスちゃん、お願い」
「ん」
「い──っ」
腕を差し出し、少しだけ皮膚を切ってもらう。ガヴラの痛みはこんなものじゃないと思いながら耐え、流れ出た血をガヴラの口元へ垂らした。
青年はというと、地面に転がっていたナイフを拾い、豪快にも片腕を斬りつけた。漢だ。
「これでいいですか!?」
言いながら、ぼたぼたと流れる血液をガヴラの口へ落としている。
できることはやった。あとはガヴラを信じるしかない。
「ガヴラ! お願い……!」
「飲んでくれ……!」
「ガヴラ──!」




