24.ガヴラ 前編
思えば最低な人生だった。
生まれながらにしてこの身や一族は支配されていた。
解放してくれたのは、たった一人の女だった。
◇
ある集落で生活するゾダの一族という戦闘民族がいた。
ゾダは日々現れる害獣や危獣に対抗するために身体機能を飛躍的に向上させた一族だった。少ない霊気でも力を発揮できるよう、特殊な身体構造へ進化していった。
その集落は険しい山奥に存在し、誰も近づこうとはしなかったが、一族の力を欲したとある国──ポゥンネルが不意打ちや人質などあらゆる卑劣な手を使い陥落させた。正攻法であれば万に一つも勝ち目のない戦いとも呼べない戦いだったが、ポゥンネルはゾダの一族を手中に収めることに成功した。
そして捕獲したゾダの一族に枷をつけ、術により行動を縛った。国内の多くの優秀な術士が犠牲となり、ゾダの一族はポゥンネルに従わざるを得ない状態となった。
中には隙をついて抵抗し、自ら命を絶った者もいた。
しかし、課せられた枷や術はそれすらも許さなかった。残された一族は無理矢理ポゥンネルに跪かされた。
そしてポゥンネルの野望のために戦場へ赴き、一人、また一人と数を減らしていった。
その待遇は奴隷以下だった。
瀕死の状態で身体機能をさらに上昇させるという一族の特性を最大限に伸ばすため、食事は数日に一回、残飯のようなものであり、ごく僅かな睡眠しか取れない。休む暇なく働かされた。
戦場ならばまだいい。王族や貴族の荷運び、気晴らしに暴力や拷問、見目がよければ男女問わず慰み者にされた。強靭な肉体と精神を持つ一族の者でも、心を壊された者も少なくなかった。
無謀な戦いや酷い待遇で少しずつ人数は減っていき、十数年が経った頃には片手で数えるほどしかいなくなっていた。
ガヴラはその一族の中で生き残った一人だった。
父親は戦いの中で無残に死に、母親は卑しい者たちの慰み者となり、子を孕んだことで精神を壊された。
幼い頃から呪詛のようにポゥンネルへの恨みを呟く母を見て育ったガヴラは、いつか復讐をしたいと思いつつも、枷から逃れられない日々を送っていた。
彼の仕事は王族の子らの相手。年齢が近いからと護衛兼遊び相手として選ばれた。
「ちょっと、何ぼーっとしてんの? 相変わらず気持ち悪いんだけど」
バシッという音で意識が浮上する。鞭で何度も身体を叩くのは、この国の王女だった。
五歳までに短期間で成長する姿や黒髪を気味が悪いとガヴラを焼き殺そうとしたことのある少女だ。ゾダの数が減っていたため王の側近により阻止されたが、彼女の嫌悪感は改善されることはなく、むしろ増強している。会う度に暴言暴力を振るっては、精神を病んだ母を見下してくる。
「放って置けよ、そんな奴」
性悪な王女の隣にいる眉間に皺を寄せた少年は、同じくガヴラを蔑む目で見ている。
かつて剣の手合わせで負けたからと、ガヴラを動けないようにして手足を切り刻もうとしたことのある王子だ。兄妹ともどもよく似ている。
「お前なんて、所詮奴隷以下のゴミだ。ゾダの一族だか何だか知らないけど、どうせ戦いに出て死ぬんだからな。お前の父親のように、嫌いな僕たちを庇ってね!」
「せめて私たちのために死ねることを喜ぶのね」
笑いながらガヴラを蹴り、鞭で叩いた二人は満足したのか去っていった。
枷により王族や貴族など指定された相手には逆らえない。
この枷さえなければ、全員八つ裂きにしてやるのに。
ガヴラは冷たい石造りの自室ではなくとある一室へ向かった。
ゾダの一族の待遇にしては比較的厚く、簡素とはいえ寝台がある。壁から伸びる鎖に繋がれているのは、ガヴラの母親だった。
「……」
聴力の発達したゾダにも聞こえないほどに小さな声で、何かを呟く母親。
昔その見目が気に入られ、王族の慰み者になったあと、こうして飼い殺しにされていた。少しずつ霊気を与えられ、死ぬことは許されなかった。
数の減ったゾダを増やす目的のようだったが、初めに王族の子が流れたあと、最後の抵抗と言わんばかりに次の子を孕むことはなかった。
そうして十年が経った。
死ねたらどんなに楽だろうと思う。
年々術を重ねられることにより枷は強化され、自害はできないようになっていた。それが彼女を追い込んだ原因の一つだろう。
「もう……いや……いや……殺して、ガヴラ」
あれだけ美しい美貌でしなやかな肉体を持っていた母は、もういない。
ぼさぼさの長い髪を掻き乱し、やつれた顔と貧相な身体で涙を流し、息子に懇願するその姿は、人間と呼ぶにはあまりにも醜かった。
「……ガヴラ」
何度も懇願する。
何度も聞いた。
何度も悩んだ。
何度も、こうして、手を掛けた。
「……ころ、して……」
息子を判別できているのが幸か不幸か。
請われる息子のことを考えたことはあるのか。
きっと、ないんだろう。
楽になりたい。それだけを思って、願って、一筋の希望に縋るしかない哀れな母親。
「……かあ、さん」
森でのびのびと狩りをしていた美女の記憶が蘇る。
一族の花だと、みんなが笑う。父親だった男をからかう。何気ない幸せだった。
赤子だったあの頃は、こんな未来など想像もしていなかった。
──ガヴラ。
優し気に微笑む母親。
──いい人を見つけてね。唯一の人に、尽くすのよ。そうしてもっと強くなるの。
今はもうなくなってしまった、一族本来の姿を夢見て、力強く抱き締める母親。
「──ガヴ、ラ」
「──ッ」
十六の年を迎えたある日、少年はかつての一族の花を手折った。
◇
「何てことをしてくれたんだ! 殺せ! 殺してしまえ!」
「さ、さすがにそれは」
「そうです。もうゾダは此奴しかいませぬ」
「それにもう術士は……」
ガヴラの母親を気に入っていたらしいポゥンネルの王は、その命を奪ったガヴラに激怒した。
あんな姿にした元凶が一体何を言っているのか。
ガヴラは殺されない自信があった。
枷は上書きされて強化され、王族その他の指示に反抗できない、自害できないという制約はあったが、逆に言えば自死を命令できないということだ。そして、悪条件の中で発達した身体を持つゾダを殺す術を国は持っていない。
最近の行き過ぎた行為で残りのゾダは全員死に、その中で唯一の女だった母親はもういない。これでゾダという都合のいい駒をもう増やすことはできない。
ガヴラは十六になったとは言え、身体は五歳程度に抑制されたままだ。生殖機能も発達していない。
枷を外せばその内身体は急成長するだろうが、その分抵抗力も増す上、術では抑えきれず、反逆されるかもしれない。
復讐はできずとも、これ以上ゾダの一族を悲しい目に遭わせないで済む。それが唯一ガヴラにできることだった。
「父上。こいつしかいないのであれば、意味がないのでは? こいつ一人では戦力にならないでしょうし」
「……うむ」
「しかし、かと言ってそのままにはできないのでは……? いつ我々を攻撃してくるか分かりません」
「そうです。もう枷を強化できる術士も、此奴を殺せる者もおりません」
「そうだな……」
怒りは収まったのか、王子や側近の言葉に耳を傾ける王。ぶくぶくと太り、吹き出物に塗れ、似合いもしない宝石をこれでもかとばかりに身につけているその姿は、母親以上に醜く思えた。
「──よし」
何か考え込んでいた様子だった王が、下卑た笑みを浮かべる。
「遺棄場へ捨ててこい」




