9.これが最後でありますように
翌日、身体が限界を迎えたのでギブアップを告げるため、まとめ役のおじさんことボスラフさんに話をした。
ある程度生活が成り立っているためここを出ようと思うこと、ガヴラは残るので狩りでも力仕事でも何でもどうぞということ。そして他の人には言わずにそっと出て行きたいということ。
ボスラフさんは少しだけ残念な顔をしながらも、むしろ今まで引き留めてしまって申し訳ないと謝ってくれた。
ちなみにガヴラについては昨日ここに残るようお願いしたんだけど、意外と拒否もせずすんなり了承してくれた。もっと食い下がるというか、近くにいて守らなければとか言うと思ってた。
「本来ならこことは無縁だったのに、ここまで手伝ってもらって申し訳ないね。本当に、ありがとう」
深々と頭を下げるボスラフさん。
「泉の浄化についてはこちらも得しましたし、この子はともかく私は何もしてないので……!」
だからそんなに頭を下げないでほしいとお願いすれば、少し困ったように、そして優し気な顔で頭を上げてくれた。
「本当に、お優しいお嬢さんだ。その子のことや旅で苦労したことも多いだろうに……さすが精霊様のご加護をお持ちの方だ……」
「いや、そういうのじゃないんで」
色々とやったのはこっちのエゴだし、半分以上は下心があったからだし。それにお嬢さんって歳じゃないのよ。
とにかく、暗くならない内に今からここを出ることを告げると、ボスラフさんはハッと何かに気づいた顔でズボンのポケットを漁った。
「ヒオリさん、これを」
「何ですか?」
「私にはもう必要ないので、ぜひ使ってくだされ」
そう言って手渡されたのは、小さなカードだった。
「これって……」
「証明札だよ」
「いやいや、そんなの貰えませんって!」
「いいんだよ。もう使うことはないからね」
まあ、確かにここで暮らしていくなら必要ないかもしれないけど。他人の身分証なんて貰っても気が重いだけなんですが。
「多少の足しにはなると思うよ。それに使い道はいくらでもある」
「はぁ」
正直お金には困ってないし、人の身分証を使う事態には陥りたくないんだけど。
対価として何か渡したいという思いを無下にする訳にもいかず、捨てられた犬みたいな顔をするボスラフさんに負けてとりあえず受け取ってしまった。
「じゃあ、お元気で。皆さんにもよろしくお願いします」
「ばいばい」
「はい。ヒオリさんとミレスさんもお気をつけて」
深々と頭を下げるボスラフさんに、これは言っても聞かないだろうし、私たちがいる間ずっとそうだろうなと思って早々と踵を返した。他の人たちに見つかってもまずいしね。
自給自足生活にはまだまだ大変なことは多いだろうけど、あの泉もあるし、ガヴラもいるから安心……というか安全かな。敵襲的なものは心配しなくてよさそう。
「ヒオリ様」
「お、あ」
考え事をしていたからか、正直会いたくないと思っていたからか、急に現れたガヴラに変な声が出た。
「えっ、と……元気でね」
「はい。ヒオリ様こそお元気で。ここの用件が終われば必ず追いかけます」
「あ、ははは」
来なくていいよとは言えず言葉を濁す。
大体、どうやって結界を抜けるのかとか、追いかけると言ってもGPSでもあるのかとか。色々ツッコミどころはあったけど聞かないでおいた。実践できると知らない方が多分幸せだ。
それにしても、もう少年とは言えないほどがっしりとした身体つきになってしまった。ダズウェルさんとかベアさんまでじゃないけど、筋肉も凄いし、身長も見上げるくらいまで伸びたし。
某隊長やらエメリクやら、性別は違えどフェデリナ様やらテア様やら色々なタイプの美形を見てきたから、そこと比べたら多少霞むけど、ガヴラもイケメンだし。私が普通の女の子だったら以下略。
仕方ない。私は元々二次元に生きるロリコンアラサー、そして今は腕の中の三次元幼女に熱を上げているんだから。
「ヒオリ様」
だから、靡かないよ。
たとえ年下高身長ワイルドイケメンが跪いて自分の手を取り、剰え手の甲に口づけようとも。
「何してんの?」
「ポゥンネルの王族はこうして忠誠を示すと言っていましたが。違いましたか」
「いや……」
まあ、違わないけど。こういうの、よく見たけど。
「……」
幼女の黒い枝が、ガヴラの手を叩き落とした。
「ひぃ、いく」
「うす。じゃあガヴラ、元気でね!」
これ以上変な言動を取られて背筋が凍る前に幼女が動いてくれてよかった。
片手を上げてガヴラに挨拶した途端、黒い枝が身体に巻き付き、攫われた。
びゅん、と加速する黒い枝の足。幼女は私の小さい胸に顔を埋めながら抱きついてくる。
今回ばかりは可愛い嫉妬に感謝しよう。
「心配しなくても、ミレスちゃん一筋だよ」
「……いや」
「っんぐ」
初めての抗議の言葉に思わずにやける。と同時に舌を噛んだ。痛い。
そうこうしているうちに遺棄場からはどんどん離れ、もちろんガヴラの姿も見えない。意外とあっさりした別れだったなと思いつつ、これが彼との最後であることを祈る。
「さて、ミレスちゃん。ここから一番近い町に寄ってくれる?」
「ん」
「お願いね」
これでやっと布団で寝れる。思い切りお風呂に入れる。色々な食事が取れる。
今まで当たり前だったことが本当にありがたいなんてなー、と思いながらぐるぐる巻きにされた黒い枝に揺られるのであった。
黒い枝に走ってもらうこと数分、恐らく結界に差し掛かろうとしていた。これまでの道のりは本当に来た時と打って変わって緑が綺麗で、最初に見た景色は幻だったのではないかと思うほどだった。
「ミレスちゃん、今さらだけど結界大丈夫なの?」
「ん。……あ」
「え?」
珍しい幼女の声のあと、目の前が真っ白になった。




