番外編 オルポード家 後編
詰め込み過ぎて最後は駆け足になっていましましたが、何とか終わりました。
そして瞬く間にヒオリたちと別れの時が来た。
旅をしているという二人はこの町を出る。恩人である二人が旅立つのは寂しいが、そんなことは言っていられない。せめてヒオリが望むよう、家族が幸せでありたい。それが今オルポード家にできる恩返しだった。
やっと完成したミリエンとモレガナ力作である幼子の服をヒオリはとても喜んでくれた。大袈裟なまでに感動し、言葉を失い、何を言っているのか分からない状態でもあったが。
あまりに感情の昂った彼女から、成功報酬の上乗せだからと初めに聞いていた報酬の倍を手渡され、母が倒れそうになったこともいい思い出なのかもしれない。
それはともあれ、別れ際にはこれまでの礼を全身に込めて手を振った。家族全員が同じ気持ちだった。
今度会う時までに家族に恥じないような立派な男になってみせると、アダルは意気込んでいた。
その翌日までは。
「本当に、意味分かんないよ……」
手狭で申し訳ないなどと理解できないことを言われ、とある一室で待機するアダルは家族全員の代弁を小さく漏らした。この部屋でさえオルポード家よりも広い。
離れ難い思いで別れを告げたあと、その余韻も残さずにヒオリたちはオルポード家の前に姿を現した。
そして言われるがままに着いていくと、そこは見たこともないような豪邸と敷地が広がっていた。
何と領主であるメイエン家だという。
敷地に一歩踏み入るだけでも恐れ多いことだというのに、なぜか客間へ通され聞かされた話にオルポード家は唖然とした。
元々彼女は世間とずれている、いや規格外だと思っていたが、まさか貧民街の一家を領主家で雇うなどと誰が想像しただろうか。
「でももう契約しちゃったから。みんなも領主様の右手を切断したくはないでしょ」
そんな脅しのようなことを平然と言われて無理矢理納得させられ、オルポード家はメイエン家に住み込みで働くことになったのだった。
◇
「ミリエーン、お風呂一緒に入ろ~」
使用人の家だという、とてもそうは思えないほど上質な造りの離れで少ない荷解きをしていたオルポード家の元に、全ての元凶──もとい、根源であるヒオリがやってくる。もちろんその腕には白髪の幼子を連れて。
煌びやかな本館とは違い質素ではあるものの、貧民街の家からは想像もできないほど丈夫な部屋に緊張感が抜けないオルポード家であったが、いつもと変わらない彼女に少しだけほっとした。
「えっと……?」
聞き慣れない言葉に若干困惑するミリエン。
「あ、お風呂って言わないんだっけ。湯浴みね、湯浴み」
「え……っ!?」
ミリエンが驚いて声を出す。他の家族も同じく驚いていたが、声には出さなかった。
湯浴みなど貴族がやるものだ。平民ですら濡らした布で拭くか、せめて水浴びだ。湯に変える機械やそのための一室など高級品の極み、贅沢でしかない。
「え、やっぱり一緒は嫌? 年頃だもんね……」
「え、いや、そうじゃなくて」
しょんぼりとするヒオリに首を振るミリエン。
「私も、いいんですか……?」
「あ、そっち? いいに決まってるじゃん。ここ、使用人用にもちゃんとお風呂あるよ」
すっかり気を持ち直したヒオリは、ミリエンを連れて出て行った。
呆気に取られるアダルたちが正気に戻るのはしばらく経ってからだった。
「お母さん、あたしたちも湯浴みできるの……?」
目を丸くしたまま質問を投げかける娘に、母・モレガナは何も言えなかった。
「……はぁ」
どこからともなく感嘆の息が漏れる。
少し前、頬を紅潮させて帰ってきたミリエンに、妹たちは興味津々で質問攻めをした。興奮冷めやらぬまま、ミリエンは使用人用の湯浴み場へ行き、使い方を説明してくれた。
本当に湯浴みできるとは思っていなかった家族は大いに喜んだ。子どもたちのように飛び上がりはしなかったものの、母も心が躍った。汚れをしっかり落として身体の芯まで温まるという贅沢に泣きそうにもなった。
そうして初めての湯浴みを心ゆくまで堪能した家族は、いつになったら慣れるのか分からない自分たちの部屋で放心状態となった。
「ねぇちゃん、意外と子どもみたいなことあるんだね」
アダルがミリエンにぽつりと投げかける。
あの幼子もいるのにミリエンも誘うなんて、きっと寂しいんだろう。
「……ヒオリさん、霊力がほとんどないんだって」
「……え?」
アダルの火照った身体とは対照的に、ミリエンは少しだけ影を帯びた表情で続けた。
「お湯に変わる機械、私たちにも使えたじゃない? あれ、普通の人が持ってる霊力で使えるみたいなんだけど、それが使えないんだって。あの子も。だから私と一緒に入ってほしいって」
「……そんな」
まさか自分たちよりも遥かに霊力がないなど思いもしなかった。ヒオリはともかく、あの幼子は何度も危獣を倒しているというのに。
その原動力よりもまずこれまでの人生の方が気になった。
「多分、今までずっと苦労してきたと思う」
オルポード家は元々貧しかったが、初めから貧民街にいたわけではない。だから少しだけ平民が知る知識を持っている。
それはこの世界の人間が平等に霊力というものをもっていること、その霊力がないと生きていけないということだ。
強い霊力があれば怪我の治りが早い、病気にかかりにくい、霊術が使える。強ければ強いほど、精霊様の力を借りることができる。逆に言えば、霊力がなければ生きていくのに苦労する。だから精霊様を敬なければならない──という強い信念が教会の教えだ。
オルポード家は教徒ではなかったが、幼い頃からその教えは国中に広がっており疑うこともしなかった。
「それなのに、私たちにこんなに良くしてくれるなんて……」
「……うん」
やはり母の言ったように苦労しているのだ。霊力もないのに幼子は忌み子だと罵られ、辛い日々を送って来たに違いない。
「あの二人、姉妹じゃないよね。どこで知り合ったんだろ」
「グルイメアの森だって」
「……は?」
アダルの頭は混乱する。霊力もないのにあの恐ろしいと言われるグルイメアの森で出会ったなんて、信じられない。
「色々あってタルマレアに追われるようになったんだって」
「……ちょっとよく分かんない」
「うん、そうだよね」
たった二人の人間が国に追われるようになってしまった理由も全く想像できなくて、思考を放棄する。ミリエンもきっと同じなのだろう。
「まぁ、ねぇちゃんたちだし」
「そう。ヒオリさんたちだからね」
規格外の二人について考えてもきっと分からないだろう。たとえ二人が何であろうと恩人であることには変わりないし、これからも感謝しかない。
うん、と二人して頷いたアダルとミリエンは、それ以上考えるのを止めた。
◇
立派な部屋や食事、寝台、湯浴み、労働に対する対価にも少し慣れてきた時だった。
町外れとはいえ大衆の前でベルジュロー家が中央騎士団に連行されたという話は、瞬く間に知れ渡った。それと同時にヒオリと幼子の名声も本人たちの知らぬところで町中に広がっていた。
嫌でも耳に入る鉱山の問題は知っていたが、まさかヒオリたちが二人だけで解決するとは誰もが思わなかった。噂だから多少誇張されていたかもしれないが、百に近い危獣がいたと聞く。
アダルはヒオリが怪我をしたのではないかと心配したものの、ミリエンとモレガナは「ヒオリさんたちだもの」と思考を放棄して笑っていた。
霊力がないという話は一体何だったのか。気にならないと言えば嘘になるが、最早彼女たちに常識は通じない。何であれ起こったことが事実だ。
そう、例の事件があった翌日から何事もなかったかのように過ごしていたとしても。
「ねぇちゃんたち、何でそんな元気なの」
「え~? 元気じゃないよ~。怠いし眠いし、まだ筋肉痛だし……いや、まだ翌日に来るだけいいのか……」
「ん」
ぐったりとしながら食事をしているが、百に近い危獣を相手にしたとは思えないほどの姿だった。特に戦った張本人であろう幼子は全く疲労感はない様子で、逆にヒオリを黒い枝で撫でている。
同じく鉱山へ赴いた領主と護衛騎士は、危獣との戦いで深手を負ったと聞いた。あれから数日経ったが、未だ領主たちが屋敷に戻ってくるという話はない。まるで対照的な二人にアダルはまた思考放棄しそうになる。
「今日はどこか行くの?」
「うん……ほんとはもっとゆっくりしてからだと思ったんだけど、このままだと引き篭もりそうだったから……」
基本的に用事がなければ部屋でゆっくり過ごしているヒオリが珍しく食事をしているということは、外に出る用事があるということだ。本人はあまり気乗りしないようだが、きっとそれなりのことに違いない。
「貧民街にさ、井戸があるじゃん? あれを復活できないかと思って」
「え?」
確かに貧民街にはかつて使われていた大きな井戸がある。だが昔に危獣の被害に遭い、周辺の家とともに朽ち果てた。今では“気”に汚染された水が残り、貧民街の活気を奪う一因となっていた。
蔓延する“気”を閉じ込めるために術が施されたが、少しずつ効果が薄れ始めているという。
「あそこ、危ないって……」
「魔気はミレスちゃんがどうにかしてくれるから大丈夫だよ」
「ん」
「でも勝手にやるのは多分マズいしな~って思ってたら、領主様から許可貰えたからさ」
領主の分業のようなことまで手を出すヒオリにアダルは半分呆れる。
成功すると信じているのか、失敗しても問題ないと思っているのか。領主も貧民のオルポード家を雇う許可を出すくらいだ。多少おかしいに決まっているが、何を考えているのか分からない。
「何でそんなことまでねぇちゃんが……?」
「テア様も領主交代したばっかで色々忙しいみたいだし、貧民街の方にはまだまだ手が出せないんだって。やるなら早い方がいいでしょ」
「そうだけど……」
「やっぱり水は大切だよね、公衆衛生的にも。それに他にも井戸を増やしたり復興作業したりするのに貧民街の人たちを雇えば、仕事にもなるでしょ。テア様もお金出してくれるみたいだし」
「ねぇちゃん、本当にお人好しだね」
「何か言った?」
「ううん。よくやるなって」
「え、安全な水は大事だよ? 感染症を侮る勿れ」
本人は偽善だ何だと言っているが、恐らく何も考えていないのだろう。貧民が可哀想だとか、どうにかして貧民街を良くしようだとか、そんな同情や正義感は感じられない。ただ目の前が汚いから片付けた、くらいの感覚だ。
だからこそ、貧民街の人たちもヒオリを受け入れるのだろう。
可哀想だからあげる、私がこうしてあげる、などといった押し付けは拒否したくもなるが、「あ、これあったら便利だよね? じゃあ作ろう」と言われ、その方法も準備も整えてくれるのだから否定的な感情は芽生えにくい。しかもその施しが一度だけではなく度々繰り返されるとなっては、好感を抱かない方が難しいだろう。
こうして貧民街での評判が上がっていったんだな、とアダルは改めて納得した。
それから数日して、領主たちが屋敷に戻ったと聞いた。元々高貴で忙しい方のため会えるとは思っていない。ただ雇い主でもある方々が無事だと知ってほっとしたのは皆同じだ。
侍女業務を手伝っている母や姉、妹がシベラから聞いた話だと、すでに領主業務に復帰しているらしい。怪我の具合が心配ではあるが、危獣との戦いに赴くような方だ。きっと自分たちが心配することではないのだろうと、オルポード家はいつもの仕事に励んだ。
「おにい、ジャマなんだけど」
「いいだろ、休みの日くらい」
その日休みだったアダルは部屋でのんびりと過ごしていた。いつも肉体労働をしているため、休みの日くらいゆっくり身体を休めたいというのが本音だ。
しかし毎日部屋の掃除を担当している三女・パトリーからすればそんなことは関係ない。やらなければ終わらないし、兄に配慮する理由もない。
「せめて掃除が終わるまでどっかいって」
オルポード家の女は強い。
いつも冷ややかな対応の二歳下の妹に追い出され、アダルは広い屋敷を彷徨うことになった。
「でもやることないし……」
この屋敷を探検するだけでも楽しいのだが、入ってはいけない部屋があったり、高価な物があちらこちらに置いてあったりと、思う存分に遊ぶことはできない。客と会うこともあるだろうし、その対応を考えてもあまりうろつくのは得策ではない。
ヒオリたちが先導している井戸の様子でも見に行こうかとも思ったが、邪魔をしてはいけないし、手伝うことにでもなれば結局身体を休めるどころではなくなる。
「あ、そうだ」
領主の護衛騎士だというエメリクに、訓練場があると聞いたことがある。
もっと幼い頃に見た絵本で、騎士という職業に憧れていたことを思い出す。貧しい暮らしをしている間は生きることに必死で忘れていたが、今からでも目指すのは遅くないかもしれない。
家族を守るためには、力が必要だ。今は食べていくための金が、そして今後は肉体的な力が。
エメリクに初めてあったとき、お互いのことを話すうちに騎士に興味があると伝えたら、剣の稽古をつけてくれると言っていた。結局お互い忙しくてそれどころではなく、エメリクも怪我をしてすっかり頭から抜けていた。
もしかしたら稽古というのは冗談だったかもしれないが、色々と落ち着いた今なら、見るくらいはいいかもしれない。
一度だけ案内してもらった場所を必死に思い出しながら、アダルは訓練場に辿り着いた。陰からこっそり見学しようと思っていたが、人の声も気配もあまりなくて少しがっかりする。
「あれ……?」
誰もいないのかと思えば、そうではないらしい。声はしないものの何かが空を斬る音が聞こえ、そっと覗けば、赤髪の男が剣を振り回していた。
その太刀筋に思わず釘付けになる。いつか見た絵本の中の騎士が、その姿に重なる。
「──かっこいい」
「そりゃあどうも?」
「あっ」
気づかれたと思い、反射的に隠れるアダルだったが、もう一度そちらを見れば、手招きをする男と目が合う。
少しだけ恥ずかしさを覚えながら、紅潮した顔を隠せないまま男に近づく。
「どうした。何かあったか?」
「ううん。ただ、見てみたくて……」
「生憎今日は全員出払っててな──ああ、そういや稽古つける話だったな」
悪い、と頭を下げられ、思わず大きく首を横に振る。
そんなつもりではなかった。ただ、見学ができるだけでも十分だった。
「ま、剣を握るより前に身体づくりからだな。一緒に走るか」
「えっ」
結局、こうなるのか。
確かに剣を振り回す力がなければどうしようもない。筋力や体力をつけるためには身体を動かすしかないだろう。しかもわざわざ領主の護衛騎士が時間を割いてくれるというのだ。
「面白いことをやっていますわね」
「わっ」
背後から人が近づいていたことに驚くアダル。しかもその人物が一度だけ見たことのある若き領主様とあれば、身体も固まるというもの。
「何だよ、まだ身体を動かすには早いだろ」
「ある程度動かした方がいいですわ。訛ってしまいますもの。それに手合わせの相手がいた方がいいのではなくて?」
「そりゃあそうだが」
アダルはどんどん話が進んでいくことについていけず、ただただ様子を見守ることしかできなかったが、急に今の状況を思い返して勢いよく頭を下げた。
「りょ、領主様、えっと、えっと」
「他の目がない時は畏まらなくて大丈夫ですわ。こういう時の挨拶については後程モレガナに習いなさいな」
「は、はい……!」
「珍しいな。テアちゃんが気にするなんて」
アダルは高貴な存在を目の前にして緊張のあまり身を固くしていたが、今度はその容姿の美しさに見惚れてしまう。
「あの幼子の異質さに気づいたようだった。磨けば光る」
「とはいえまだ子どもだぞ」
「僕たちがいくつから剣を握っていたと思っている」
小声の会話など耳に入らず、二人が並んだその姿になぜか感動した。
──かっこいい。おれも、エメリクのにぃちゃんみたいになりたい。
「アダル」
「はっ、はい!」
「メイエン家の騎士になるのを楽しみにしていますわ」
「は、はい……!」
「あーあ……」
人を惑わすような顔で微笑む美少女、目を輝かせて頷く少年、顔に手を当て溜め息を吐く男。
三者三様の面持ちで訓練場の時は過ぎていった。
◇
「ちょっとおにい、少しは休んだら」
少しだけ眉間に皺を寄せたパトリーがアダルに声を掛ける。
「この前と言ってることが違うよ」
「……おにいが倒れたら、お世話するのめんどうだから」
「はいはい」
妹なりに心配しているのだということはアダルにも分かる。
ここ最近のアダルは、休日にも関わらず、体力づくりのために走ったり筋力増加の鍛錬を行ったりと忙しい日々を過ごしていた。仕事も肉体労働のため、いつか身体を壊してしまうのではないかと案じているのだろう。
むしろアダルからすればそんなことで倒れるような身体をしているつもりはない。騎士になるためにはもっと鍛錬を積まなければならない。
「身体を動かすのもいいけど、ほどほどにね」
「うん」
双子の妹・ダニラにもやんわりと釘を刺され、アダルは素直に頷く。
別に無理をするつもりはない。
「これからまた訓練場?」
昼食を持ったミリエンが部屋に入ってくる。アダルに軽食を渡し、家族の食事の準備を始める。
「まだ剣は持たせてもらえないけどね」
「木剣でも十分じゃない」
「今はね」
今までずっと身体強化の訓練ばかりだったが、今日はエメリクの指導で木剣を握らせてもらうようになっている。少しでも憧れの騎士に近づいているようで嬉しい。
「ヒオリさん、今何してるかしら」
「さぁ。また変なことに首突っ込んでるんじゃないの」
「あは、ありえそう」
ヒオリたちが旅立って数日が経っていた。今度はすぐに戻ってくる様子はない。
今度こそ、すぐに戻ってきてもらっては困る。寂しいけれど、次に会う時までに少しは成長している姿を見せられるように、毎日頑張るから。家族を守れる騎士に近づいてみせるから。
「だから、待っててよ。ヒオリのねぇちゃん」
まだまだ幼い拳を握り締めて、アダルは遠くの二人に思いを馳せるのだった。




