51.手負いの二人
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ヒオリたちが出ていったことを確認した瞬間、少女は寝台に身体を倒した。
「あんまり無理すんなよ」
一人だけ少女の体調に気づいていた男は少女が横たわる寝台へ腰を掛ける。
「お前も高濃度の精霊石を使ったと聞いたが」
「イレーニカちゃんのお陰でな。そっちの傷はすぐどうこうなるもんでもないだろ」
精霊石を使用した反動は治癒術で軽減できるものだ。しかし少女の負った傷は深く、致命傷となっていないだけでも感謝すべき事態だった。イレーニカが可能な限り治癒術を使ってくれたからといって全快するものでもなく、先程のように身体を起こしているだけでも常人には到底できなかっただろう。
苦痛を表に出さず領主の姿勢を貫いた少女に感服しつつ、エメリクはとある場面を思い出し、沸々と何とも言い難い感情に襲われる。
「色々解決してよかったな」
「あぁ」
「ヒオリちゃんたちには感謝しかないな」
「あぁ」
「……」
「……」
普段であればもっと話を広げるか煩いと拒否されるのだが、そのどちらでもなく少女は無言で瞼を閉じている。
危獣騒ぎでの被害は相当なものだったがヒオリたちのお陰で収まったこと、今回の鉱山の件では更に世話になったため本来ならもっと報酬を出すべきであろうこと。加えて今後についてなど色々と話さなければいけないことはあった。
仕事の話をして紛らわすことも考えたが、それよりも気になっていたことが脳内を占めていてそれどころではないと叫ぶもう一人の自分もいる。
少女の色素の薄い長髪に触れながら、エメリクは重い口を開いた。
「……テア」
「……何だ」
面倒臭そうに反応する少女に、今聞いていいものかと躊躇する。だがここで聞かなければ、きっと快復してしまった後ではいつものように振る舞われるだけだろう。なかったことにされるのは目に見えている。
あれほどの緊急事態だからこそ、言った言葉なのだろうから。
「あの時の……どういう、意味なんだ」
「……」
「俺のこと……って」
聡明な彼女のことだから何を言おうとしているのか分かるだろうとエメリクは思った。それでなくても幼い頃から一緒だった。お互い考えていることは言葉にしなくても何となく理解できる。
いつからなのか、本当にそうなのか、色々と聞きたいことはあった。しかし恥ずかしくて全てを言葉にできなかった。
少女は両目と額が隠れる程度に手を当て閉眼したままだ。エメリクとは違い、動揺など全くしていない様子だった。
「……一生言うつもりなどなかった。それなのに、お前が全く見当違いなことを言うから」
「何で、言うつもりなかった?」
「お前が僕のことをそういう意味で想えないことは知っていたし、お前には普通に幸せになって欲しかった」
「……」
普通の幸せとは何だろうか。どこかの娘と結婚し家庭を築くこと、そして子どもを授かることか。その未来に少女はいないことか。
確かに彼女の発言は予想外すぎて理解するのに多少時間がかかったものの、今は真相を知りたいと思っている。
今まで少女からの接し方は主と従者同然であったし、微塵もそんな感じの素振りは見せなかった。だが少女がそんな嘘を吐くとも思っていないから本当のことなんだろう。
「お前には感謝している。僕の犠牲につき合わせるつもりはない」
「犠牲って」
メッズリカ地方の領主としての人生を言っているのだろうか。
幼い頃から領主を継ぐ姉の補佐として騎士として育ち、学もなければいけないと寝る間も惜しんで読書をしたり、到底普通の子どもが送るような人生ではなかった少女。十五という若さで父親と姉を亡くし、悲しみに暮れる暇もなく領民を守るために奔走する日々。これからもそんな日々は変わらない。恐らくそれを犠牲と言うのだろう。
エメリクが少女に対し特別な感情があるのは事実だ。たたそれは彼女が言うように幼い頃から一緒にいて妹のように思う感情だった。きっと彼女の言葉がなければずっとそのまま変わることはなかった。
「聞かなけりゃ、変わんなかっただろうがな。聞いちまったもんは意識するだろ」
「しなくていい」
「何でだよ」
少女のきっぱりとした拒否に若干戸惑うエメリク。
こういったものは、進展があるなら嬉しいものではないのか。本当に自分のことが好きなのか。
エメリクは少しだけ理不尽だと理解しつつも複雑な気持ちになった。
「そりゃお前が言わなけりゃ何も変わらなかっただろうよ。だがな、あんなこと言われて平然としていられるかっての」
「……」
「お前が違う奴と一緒になるって思っただけでも腹が立つんだが」
想像して、気分が悪くなったエメリクは首を振った。
「ともかく。言った以上は責任を持てよ」
「……僕にどうしろと」
死ぬかもしれない危険な状況で誤解されたままでは腹が立った少女は普段ならば絶対に言葉にしないことを告げたが、だからといってどうするつもりもなかった。エメリクが掘り返さなければそのままにするつもりだったし、彼が誰と結婚し子どもを授かろうが祝福するつもりだった。
初めから叶うはずのないと思っていた感情を、隠していた想いを、二度も口にすることなど有り得ない。エメリクがこうして詰め寄ってくるのも理解ができなかった。
「まずは……そうだな、歩み寄ろう」
「意味が分からない」
「大体、あんなこと言われて納得できないだろ。お前の普段の態度から察しろって言うのが無理だ」
「だから」
「だから、態度に出して欲しい」
「は?」
思わずジェレマイテアはエメリクを見遣る。
何を言っているのか、この男は。
それに好意などとんでもないと罵倒されるのならばともかく、なぜ前向きに検討しているのか。十も年が離れていて、主と従者の関係でしかない二人が恋仲になるなどとどうして思うのだろうか。
「正気か」
「俺は本気なんだけど」
「想像してみろ。僕がお前に甘い態度を取るなんて寒気がする」
「素のお前からは想像つかないな。まあいいから観念しろよ、もうお前を誰にも渡す気はない」
「政治的な立場でどうなるか分からない。僕はこの地のためならそれくらいする」
「そうさせないために頑張る。いざとなったらヒオリたちに頼るさ。それにテアと俺の子なら後継者として有能だと思うけど」
「子どもの人生を縛るようなことはしない」
「……」
正論を言われて黙るしかないエメリク。
なぜこうも必死になっているのか自分でも分からなかった。ただ、この機会を逃せばこの話ができないだろうことは悟っていた。
本当に彼女が自分にそういう意味の好意を抱いていたとして、今同じだけの気持ちがあるのかと聞かれればすぐには頷くことはできないだろう。それでも今、たとえ卑怯だと罵られようとも、彼女を諦めることはできなかった。
少女は閉眼したまま口も閉ざし、まるで眠っているかのようだった。何の反応もないのが一番困る。
無理に答えを聞くこともできず、年の割に大人びた端正な顔を見つめることしかできなかった。
「……」
沈黙が続く。
しばらくして、ようやく少女は口を開いた。
「お前に僕と同じだけの気持ちがないことは知っている。これからもそれは変わらないかもしれない」
「そりゃ……」
これから先のことなど誰にも分からない。特に人の気持ちなど他者がどうこうできる問題ではない。
それを分かっているからこそ、エメリクは口篭もった。そんなエメリクに少女は小さく息を吐く。ここで心にもないことを言えばジェレマイテアはこの話を終わらせるつもりであった。
しかし自分の気持ちを疑うでもなく諫めるでもなく少しでも前向きに考えてくれた男に、こういうところに惹かれたのだろうなと少女は他人事のように思う。
「だが、そう言ってくれて……嬉しい」
「っ!」
ふっと小さく笑った少女に、エメリクは心臓を射抜かれた。いつもは意志の強い青い瞳が柔らかな表情とともにこちらを見ている。
直視できずに視線を外す。頬が熱くなっているのが分かって顔を背けた。
「エメリク?」
「な、何でもないわよっ」
「変な奴だな」
少女はすでにいつもの感情の乏しい顔に戻っていたのに、心臓の高鳴りは止まってくれなかった。




