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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
97/111

保管用 14

1925年12月8日


 情報の錯綜は深刻だった。

 ソ連赤軍の越境後、一週間が経ったこの日に至って尚、誰が敵で、誰が味方か、分からないほどに各陣営は混乱し、各地で戦線は崩壊していた。

 赤軍側の迅速且つ大規模な侵攻に吉林省東部の中東鉄道沿線一帯は呑み込まれ、鉄道には赤軍の装甲列車が走り回り、鉄道輸送に支えられた一部の部隊は牡丹江を越え、ソ連領とハルピンの中間点(ソ連国境より500キロ)亜布力の街にまで進出している。いくら鉄道輸送を掌握していると言っても、この一週間のソ連側侵攻速度は一日70キロに達している。驚異的な速度だと言って良い。この侵攻速度を維持されたままでは、満州中央部最大の要衝ハルピンが陥落するまで、あと一週間とは持たない。

 この状況に既にハルピンに居住する白系ロシア人やユダヤ人は群れを成して南へ、南へと逃れ始めている。酷寒の満州の地、軍組織であれば野営も可能だが、戦火を逃れようと軽装な避難民達では一夜を明かす事すら難題であろう。

 「前へ進め」

 ソ連赤軍極東軍管区司令官イエロニム・ウボレヴィッチが出した命令はそれだけだった。赤軍将兵は、まるで飢えきった春のヒグマの様に、ひたすら獲物を求め、前進を続ける。各地に点在する中小軍閥は抵抗する事無く四散し、軍閥の多くは統制を失い、昔の馬賊同然の状態へと退化し、一部では避難民を襲い食糧他の物資を略奪する事件まで発生していた。


 一方、国民革命軍もやられっ放しという訳ではない。蒋介石直属の第1師隷下の諸部隊が赤軍の大規模侵攻に対抗してハルピンの駅舎を占拠、駐在する中東鉄道のロシア人総支配人以下ロシア人職員を次々と逮捕拘禁、鉄道権益の奪還を宣言するに至っている。

 「実力による権益回収――――」

 それは合衆国が最も恐れたシナリオであり、同時に中国国内に権益を保持する列国にとっても甚だ不愉快な行為であった。故にこの国民革命軍の行為は、連邦政府を承認している、していないにかかわらず英仏など列国政府に加えて合衆国政府までもが猛反発をし、直ちに回収した権益をソ連政府に返還し、拘留中のロシア人鉄道関係者を解放する様に求める、という奇妙な要求を行う事態に発展している。この辺り、やはり合衆国と中華連邦間には一枚岩とは言い難い溝が存在しているという事であろう。


 沿海州から満州東部へと侵攻したソ連赤軍ではあったが、全てが順調という訳ではない。以前より国民革命軍、そして米軍、日本軍の動きを注視し、警戒していた極東軍管区と違い、満州西部とつながるザバイカル軍管区や、満州北部と国境を接するハバロフスク軍管区では動員はおろか軍需物資の集積に関しても何一つ、事前の準備など整えておらず、自軍管区正面の中小軍閥相手に申し訳程度の交戦を行うだけで早々に国境の内側に退いてしまっている。

 もっとも、ザバイカル、ハバロフスク両軍管区の消極的な動きを見た列国は

 「この戦闘は偶発的なものなのではないか」

 という疑念を確信するに至っている。計画された侵攻作戦では無い以上、最終的にソ連側は撤兵するだろう、という希望的な観測が流れ始めたのはこの頃からだった。

 ソ連三軍管区中、実のところ一番、混乱しているのは侵攻し連戦連勝状態の極東軍管区司令部自身だった。本来であれば国境紛争レベルで収めるべき事変が対立軸となるべき国民革命軍があまりにも簡単に自壊現象を連続的に起こしてしまった結果、事変は制御不能な急速拡大現象を引き起こし、自身の進撃が止まらなくなってしまったのだ。

 混乱する司令部は、事変の収束方法を考えるまでの時間稼ぎのつもりで前線各部隊に前進命令を出したが、ソ連赤軍進むところ、敵軍は逃散を繰り返し、結果、未曽有の進撃速度を維持したままの前進が続くという事態に発展している。


 ソ連赤軍の侵攻、という事態を前にもっとも落ち着き払った対応を行ったのはロシア白系義勇軍の面々だった。何応欽軍の後詰として牡丹江の東10キロの地点に展開していた同軍は中東鉄道の線路破壊を行いつつ、線路に沿って猪突してくるソ連赤軍の鋭鋒を躱す為に西ではなく南へと軍を動かしている。南には間島地方で抵抗勢力殲滅作戦を実施中の朱紹良が指揮する無傷の国民革命軍第5師がおり、これとの合流をはかる為だ。最精鋭とされる何応欽指揮下の第2師、第3師でさえ一撃で赤軍の前に壊滅した以上、二線級とされる第5師でどうこうなるものではなかったが、それでも直近にいる部隊との合流を目指すのは合理的で自然な事だ。真冬の満州で牡丹江―延吉間の軽便鉄道しか使えずに山間地を南へと向かう事は並の軍隊であれば至難ではあったが、寒さに強いロシア兵だけにこの難題を成し遂げる事はさして難しくはなかったのかもしれない。

 米軍の援助により潤沢な兵器装備を譲渡されているロシア白系義勇軍の士気は高く、戦意は旺盛だ。赤軍に対する積年の怨みをはらすべく主戦論に傾く一部の指揮官や部隊を軍司令部はなだめつつ、追いすがる赤軍に対しては後方擾乱や兵站寸断、軽度反撃によって進撃速度を鈍らせ、損害を与えつつ、ひたすら南下を続けている。


 一方、米軍は完全に出遅れていた。

 主力である第1師団は衝突が発生した12月1日時点で旅順に在り「ソ連赤軍侵攻」の第一報に対して慌てて将兵の休暇を取り消し、宿営地への集合を命じる有り様だった。だが、その泥縄な対応故に、かえって列国はこの軍事衝突が米軍側によって意図されたものではないという判断を下している。

 しかし、公式に米軍が活動を許されている範囲は「満州鉄道の沿線」に限られている。中華連邦がいくら攻撃を受けようが、合衆国が参戦する正当な理由とはならない。合衆国が保有する鉄道権益に危機が及んだ時に至って、初めて自衛名目での参戦できるのだ。

 この時点で、米軍が法的に出来る事と言えば満鉄北限の都市・長春に先遣部隊を派遣して、ハルピンより南下してくる避難民を収容し、後送する事までだった。

 「匪賊の討伐程度すら満足に出来んのか!」

 そう激昂するマッカーサー少将を宥めつつ、参謀長ミッチェル大佐は空爆作戦を含めた様々な作戦の検討に没頭していた。各国の居留民が多数、在住する国際都市ハルピンの安全を確保し、これ以南の地にソ連赤軍が侵攻する事を阻止せねばならず、中東鉄道と満州鉄道の結節点であるハルピン駅及びその南の長春駅は最重要な戦略目標とされた。

 当然、第1師団の派兵も検討したが、長春以北への陸上兵力輸送手段がない事が程なく判明する。長春以北と以南では線路規格が違う上に「満州鉄道の長春駅」と「中東鉄道の長春駅」が別な場所に存在している為だ。長春で鉄道を乗り換えて、ハルピンに向かおうにも列車の多くは事変発生以降、最寄駅で停車中の為、長春駅に肝心の列車が存在していないのだ。

 政治外交面ではフーヴァー長官が旅順駐在の領事館に各国居留民保護の為、米軍が直接派兵する事について理解を求める旨を通告、在満居留民を抱える各国の同意を早々に得ることに成功している。この点においてフーヴァー、そして合衆国は列国の支持を確固たるものにした事は外交上、高い得点と考えられた。米軍が勝手に先走ったなどという批判を躱す為に、それは必要な手続きであると同時に「満州における治安維持」任務を遂行できる存在が合衆国以外には存在しない、と列国政府は考え、合衆国の行動にお墨付きを与えたのだ。


 三国国境に展開していた日本陸軍第一九師団に対して朝鮮軍司令部が下した命令は、

 「動くな」

 という単純明快なものだった。もともと重火器を保有する可能性が高いとされた抵抗勢力に対する圧力の為に国境地帯に展開した同部隊であるだけに、動員は完了しており、装備も充実している。加えて、駐留しているのが国内だけに予め軽便鉄道が敷設されており、策源地・羅南からの十分な兵站も確保されている。

 命令さえあればすぐにでも越境攻撃は可能であったが、朝鮮軍司令部も、朝鮮総督府も、そして東京の参謀本部や陸軍省も事変に巻き込まれる事は望んでいなかった。事変はあくまでも満州で起きており、日本政府は依然として中華連邦を承認しておらず、日本と合衆国との間に同盟関係は存在していない。日本側に越境する理由など何一つ無く、洞ヶ峠を決め込むことが出来る。

 それでも、満州に住む邦人は多く、主要な都市には領事館が置かれている。在留邦人(多くは日本国籍の朝鮮人であったが)に被害が及ぶ事態になれば、一挙に押し出す必要が発生するかもしれず、その為にも第一九師団を戦火燻ぶる国境から後方に下げるつもりもなかった。


 極東軍管区司令官イエロニム・ウボレヴィッチが最終的にどの様な形での幕引きを考えていたのか? それは不明である。

 彼は、馬占山が英国の指示を受けた北京の命により反乱を起こし、討伐軍と赤軍の両軍を引きつけた上でソ連領に砲撃を加え、米ソ軍事衝突を演出した事実など知る由もない。だが事変勃発後、モスクワから到着した指令はウボレヴィッチが期待した「挑発行為を繰り返すブルジョワへの徹底した反撃と殲滅」ではなく「事変の早期終結」であった。

 偉大なるレーニン亡き後、共産党書記長スターリン、外交軍事委員長トロツキー、人民委員会議長ルイコフによる三頭政治体制が敷かれたモスクワは依然として混乱している。互いに互いの足を引っ張る権力闘争の真っただ中にあり、しかも、ヨーロッパ正面にはポーランドとその支援を受けたウクライナ独立派、イタリアの支援を受けたロシア白軍が圧力を高めており、しかもポーランドとイタリアは互いの政治体制の共通性から急速に関係を高めている。

 先のロカルノ条約において、ドイツの西欧回帰路線の保証としてポーランド・フランス間の同盟が当初、予定されていたが締結直前になってここにイタリアが加わり、形式上は旧敵国ドイツを東西南から包囲する形になっているのだが、近所から後ろ指を指される筈の肝心の『務所帰り国家』ドイツが、一時は仇敵とも考えたポーランドとの関係修復に前向きな姿勢を示していた事から、その包囲網は事実上、形式的なものに過ぎない状況にある。欧州最大の大陸軍国に変貌しつつあるポーランドの兵器が欧州大戦の中古品中心だった旧式なフランス製から、性能に定評があるドイツ製へと更新され、同時に多数の軍事顧問を招聘している為だ。この大量受注と人材派遣によって今やドイツの産業界はポーランド特需に沸きかえり、急速な経済復興を成し遂げようとしている。領土問題、そして民族問題から対立していたドイツとポーランドはこの経済関係の緊密化と人材の交流により、依然として仮想敵国ではあったが、互いに「最大の」仮想敵国ではなくなろうとしている情勢にあった。

 ドイツ、イタリア、フランス、それにポーランド……名だたる列強が全て「反ソ」のベクトルを指向し、残る列強、日本との国交回復交渉は完全に頓挫、領事関係すらない合衆国とは満州で武力衝突寸前――――モスクワ最強硬派のトロツキーでさえ「早期停戦」を求めるのは仕方のない事だ。

 もっとも、人脈的にトロツキーに近いウボレヴィッチが、初動作戦においてこれだけの成功を収めた以上、トロツキー自身「もう十分」と考えたし、スターリンやルイコフに至っては「これ以上、トロツキー陣営に得点されては困る」というのが本音だったかもしれない。


 事変直後、モスクワにとって意外だった事は、英国からの和平仲介の申し出だった。帝政ロシア時代の借款を踏み倒す事を許し、ソ連政府樹立以降の借款にも応諾の態度を示し、更に列国の中では国交回復にいち早く応じてくれた懐の大きな英国のこの申し出に、ソ連政府として無下に拒否する事は出来ない。「勝っているうちに矛を収める」のが常道であり、それに何より、停戦はモスクワ自身が望んでいる事だ。

 しかし、仲介の申し出が無論、只である筈はなかった。

 英国紳士達は、この骨の折れる大仕事の労力に対するしかるべき報酬としてバクー油田開発への投資許可を優雅に、そして礼儀正しく要求した。又、これとは別に1921年のクーデターによって政権を掌握したイランのレザー・ハーン政権に対する政権転覆工作を止める様に要求し、この年に即位したレザー・ハーン(シャー)率いる王国政府の正式承認と、カスピ海沿岸地域における反政府・分離運動への支援中止までも要求したのだ。モスクワとしてはインド洋への出口を確保したい欲求に駆られてのロシア以来、伝統ある南下政策は、ここに至り、封印せざるを得なくなった。

 イランの石油利権は英国政府が株式の三分の二を保有する国策企業アングロ・ペルシャンが握っており、英国にとってはイランの安全確保と同時に、原油価格を左右しかねない産出量を誇る世界最大級のバクー油田に対する影響力を保持する為だろう。国内油田に対する外国の権益を認める事は、国家的な威信を揺らがす事に成りかねないが、モスクワに対して唯一、好意的な姿勢を示す英国と敵対する様な冒険は、今は冒せない――――それが内政安定を指向するモスクワの一致した考えだった。

 モスクワの求めに対し、ウボレヴィッチも進撃中止を決意する。国境を犯したブルジョワに対する懲罰戦という初期の目的は完全に達せられ、ハルピンで抑留された鉄道関係者の解放交渉、そしてロシア義勇軍の殲滅へと目的は変更されたのだ。幸い、牡丹江周辺に展開していたロシア義勇軍は南へと逃亡中であり、これを予備の狙撃兵4個師団が追撃している。優勢な兵力を差し向けた以上、その目的も間もなく達成されるのは疑いない。


 英国の仲介申し出は当然ながらワシントンにも打診されていた。

 現地からの情報によれば、国民革命軍は壊滅状態であり、赤軍の侵攻を止めるには米第1師団の投入以外にないという見解であり、フーヴァーもマッカーサーもその許可を求めていた。現地を指揮する両者の意見を重んじたワシントンは「無用の戦火拡大は望まない事、損害を最小限に抑える事」を条件に共和党が多数を占める議会に派兵許可を求め、議会もこれを承認した。欧州大戦以降の厭戦的な社会風潮下では国民の支持も議会の承認も厳しいと思われたが、事変が偶発的かつ完全な防衛戦争であるという事実が、国民と議会を発奮させたのだ。

 これにより有権者の支持と、法的な裏付けをとった合衆国政府は、マッカーサー少将に対し必要な措置を講じる様に命じると共に、英国政府の申し出に対する検討に入る。合衆国にとって外交関係のないソ連との事変など、下手をすれば全面戦争への引き金となるかも知れず、敗北すれば最悪の場合、満州からの全面撤退を行わなくてはならない。しかし、満州の一部が占領された状態で停戦交渉など行えば、当然ながら、厳しい譲歩を迫られるに決まっているし、棍棒で外交を行ってきた合衆国の威信が揺らぐ。威信が揺らげば、これまで屈服させてきた新大陸諸国の反米感情に火がつき、いらぬ動揺が広がる事に成るだろう。


 出来過ぎた偶発戦争を終結させるためには、英国の仲介を期待する前に、まずは赤軍を満州から叩きだす仕事を終えなければならなかった。無論、最終的には英国を介して停戦に持ち込まざるを得ないのは分かっている。共産主義者を無法者と断じる共和党保守派が依然としてソ連の承認を拒んでいる以上、停戦交渉と国交回復交渉を同時には成し遂げられそうにないからだ。

 親切で殊勝な笑みを浮かべた顔で合衆国政府に近づいた英国政府は、ソ連に対してもそうであったように、当然ながら合衆国に対しても仲介料を要求していた。しかし、ソ連に対する要求の大きさに比べれば、如何にも僅少であり、実に寛大な申し出だった。

 その要求を、ごく単純化して言ってしまえば

 「中華連邦を民国主権下の自治政府として英国も民国も承認するので、独立国家という看板を下ろせ」

 というものだった。この要求、額面上、合衆国政府に損はない。国民革命軍の未熟さが判明してしまった以上、連邦による軍事的な中国大陸統一という機会はこの先、当分の間、与えられないだろう。元々、今の民国が軍閥連合体という体裁を取っている以上、中華連邦という軍閥が一つ増えたところで、民国も英国も殊更、痛痒は感じない。

 しかし、額面上の損はなくとも、連邦という新国家の創造主である合衆国の面子は丸つぶれとなるのは明らかであり、この合衆国の思惑に単独で対抗し続けた英国は、欧州大戦以降、失墜の噂される帝国の権威復活を高らかに宣言できる。

 軍事的にも、経済的にも、合衆国の台頭を許してしまった英国ではあったが、政治的には依然として大国である――と。


 合衆国にとってこの時点における最良のシナリオは、英国の手を借りずに独力で赤軍に対する戦術的な勝利を収める事だ。それすら出来ぬまま英国に仲介を要請すれば、英国に対してだけでなく、ソ連に対しても大幅な譲歩せざるを得なくなるが、赤軍を国境の外に追い返してからであれば、英国に対しても存分に強硬な姿勢を示せる。合衆国の態度が悪かろうが英国が仲介を拒否する可能性は無い。一度、名乗りを上げてしまえば、仲介者とて容易に後には退けないのが外交上のルールだ。英国が何もせずに手を退けば、世論の矛先は無能で無力な英国外務省へと移る。

 本国からの至上命令を受領した関東軍司令官マッカーサー少将は、不機嫌と不遜の塊となって反撃を狙うべく地図を広げて検討に入る。才能溢れる彼と彼のスタッフは幸いにして、程なく反攻作戦を立案するに至る。

 長春から吉林を経由して日中国境に近い延吉、図們にまで延びる満鉄天図線は満州鉄道の支線の一つだ。当初、日本人入植者によって敷設された山間地を縫うように走る軽便鉄道であったが、その後、次第に整備され、現在では国境の街・図們駅には朝鮮総督府鉄道図們線の列車が乗り入れており、満州鉄道に運営管理権が譲渡されている。

 ソ連赤軍への反攻作戦をマッカーサーは、この支線を用いて為そうと計画した。

 第一に、ミッチェル大佐により、ハルピン東方の中東鉄道に対する空爆作戦の見通しが立ったこと。これにより、赤軍の侵攻速度は劇的に鈍化し、その間に鉄道警備大隊及び国民革命軍第1師による在留外国人の救出が十分可能との計算が成立していた。

 第二に、延吉・図們方面への兵力の鉄道輸送が可能であったこと。延吉には国民革命軍第5師が健在であり、精強な白ロシア義勇軍もこれとの合流を狙い、南下中だ。両部隊と合流することで、合衆国第1師団単独での会戦が回避される。

 第三に、宿敵・白ロシア義勇軍を追いかける様に牡丹江―延吉間の間道と鉄道を使って赤軍が南下しつつあること。この赤軍部隊に対し、延吉北方で野戦を挑み、これを殲滅の後、牡丹江を南から奪還する。牡丹江を失えば、牡丹江を越えて亜布力まで侵攻している赤軍主力は兵站線を断たれ、放っておいても厳寒の満州で自壊するだろう。糧食も弾薬も医療品もなく野営を続けられるほど満州の冬は甘くない。奪還作戦には綏芬河で一敗地にまみれ、山中に散った国民革命軍第2師、第3師の残存兵力や逃散した軍閥の私兵も加わるだろう。勝ちに乗じた時の中国人は手におえない程に勇猛で、残虐だ。今度こそは期待通りの活躍をしてくれるだろう。

 南下中の赤軍師団は狙撃兵師団4個。師団数は多いが、四単位制を取る大師団編制の合衆国師団が定員2万4千名であるのに対し、三単位制の赤軍は定員1万3千名程度、実兵力は戦闘や後方警備の為、更に割り込んでいる筈だ。

 師団数比では3対4となるが、実質戦力では国民革命軍、義勇軍、合衆国軍側が5万6千前後、赤軍側は恐らく5万を割り込む。兵力は僅差で連合軍が上回る筈であり、加えて暖をとり待ち受ける連合軍側に対して、赤軍側は酷寒の山間地を抜ける強行軍直後となる。補給は心細く、疲労は極にあるのは間違いない。

 

 連合軍を率いるマッカーサー少将にとって間もなく開始される「延吉会戦」は、己の胸に付ける勲章の数を増やす為だけの、絶好の機会の様に見え始めていた。

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