保管用 13
1925年12月1日
吉林省 綏芬河
スイス・マッジョーレ湖畔の街ロカルノにおいてドイツの国際社会復帰を決定するロカルノ七条約が締結され、国際的な耳目が欧州に向いたこの日、遥か極東の片隅において一つの軍事作戦が開始された。
一方の主役は中華連邦を主宰する国民党右派が率いる国民革命軍。
この国民革命軍、国民党の一国一党論に基づいた党の軍事組織であって、連邦政府軍という位置づけではない。当然ながら、党防衛の為であれば迷わず自国民に対しても銃口を向けるし、野党勢力(が存在したとして)が合法非合法を問わず政権奪取を目指した時にも、躊躇わず引き金を引くだろう。共産主義を嫌悪し、革命からコミンテルンの影響力を排除しようと党を離脱した彼らが党独自の私兵を持つという赤軍的なロジックから抜け出せないでいるのは実に皮肉な話しでもある。
そして、もう一方の主役……。
ある者から見れば、本拠地に立て籠もり、連邦政府の権威と指示を無視する馬占山軍閥であっただろう。また、別のある者から見れば、国民革命軍の後詰として展開する合衆国陸軍や白ロシア義勇軍の存在こそが主役だと断じるかもしれないし、孫文の遺児たる国民党右派の要請に応えて日中ソ三国国境至近に森岡守成中将指揮下の第一九師団を展開させた犬養総督府かもしれない。更に言えば国民革命軍、その背後の合衆国陸軍と不倶戴天の敵・白ロシア義勇軍、そして自国との国境近くにまで兵を進めてきた日本陸軍という敵対勢力揃い踏みの状況に怒り心頭のソ連赤軍であったのかもしれない――。
国民革命軍の先陣を切る二個師団を指揮するのは何応欽だった。黄埔士官学校の教官上がりで、同校の校長だった蒋介石が片腕とも頼む人物だ。三十代半ば、エラの張った四角い顔に丸眼鏡が特徴的な面貌で、その薄く、そして奇妙に赤い唇がこの男に一種、独特の異様さを醸し出していた。
何は、日本の陸士二八期に留学した知日派であり、陸士同期の日本人達がいまだに陸軍大学校に通う中尉や大尉であることを考えあわせると、事実上の軍団長としての指揮権を与えられた何応欽の栄達ぶりが伺えるが、その半生は決して順調とは言えなかった。中華民国勃興期の権力闘争に身を置き、反対派の粛清などに積極的に関与、三年ほど前にはテロによって負傷し、長期療養を余儀なくされた経験を持つ。気位が高く、己の才幹に自負するところがある何応欽が、いつまでも蒋介石の風下にいるとは思えない――と巷で噂される人物でもある。
今、何応欽の指揮する二個師団は静かに戦闘準備を整えていた。歩兵は突撃位置に付き、火砲は列を形成し、綏芬河の街を南北西から半包囲している。綏芬河は、中東鉄道の沿線にあり、同線の中国国境の街だ。
何応欽は迷っていた。
その理由は、決起した馬占山が討伐軍に対し抵抗らしい抵抗を見せぬまま、この街に立て籠もるという選択をしたのか? についてだった。馬占山が支配する吉林省東部には、もっと防御側に有利な地形はいくらでもあったし、第一、綏芬河の街は国境にあるという事以外、何の長所も無い街だ。確かに街の東側に広がる丘陵地帯はソ連領に面しており、越境が許されない以上、国民党側は寡兵が籠る綏芬河の街を半包囲しか出来ない。馬占山ほどの人物が最初からソ連領内に逃げ込むつもりで反乱を起こすような逃げ腰の男とは思えない。
「蛮人め、何を企む――――?」
俊才を謳われる何応欽ではあったが、自らと対称的な半生を送ってきた馬賊出身の馬占山に言い知れぬ不安を感じていた。
一方、稜線の反対側に位置するソ連領側の国境の村・ボグラニチニに司令部を進めたイエロニム・ウボレヴィッチ極東軍管区司令官にしても言い知れぬ不安が広がっている。
現在、国境の向こう側では反乱を起こしたとされる馬占山討伐作戦と並行して大規模なコミュニスト狩りが日中協力の下、行われている。共産主義者、朝鮮独立派などが巣くう間島地方に乱入した朱紹良指揮下の国民革命軍が片っ端から抵抗する者を追捕しており、国境の南に有力な日本軍が展開して厳重かつ重厚に山間地を封鎖した事から、逃げ場を失った共産主義者や独立派朝鮮人は必死の抵抗を行っている。それは言葉通り「必死」であり、間島地方から反政府勢力が一掃されるのは最早、時間の問題となっていた。
国境に迫る大軍、親ソ派勢力の弾圧粛清、そしてロシア白軍という反動勢力の存在――。
丘の東側に赤軍の大部隊を埋伏した赤軍司令部は固唾を飲んで成り行きを見守っていた。
綏芬河から南に二〇〇キロほど離れた地、三国国境に近い行営村に師団司令部を進めた第一九師団長・森岡守成中将は今や陸軍でも数少ない長州閥の出身者であり、田中義一陸軍大臣直系の人物であると同時に騎兵科出身者として日露戦争では秋山が旅団長を務めた第一騎兵旅団の参謀を務めた古女房でもある。当時、個人的な事に全く無頓着な上に大の風呂嫌いな為、八か月間も入浴しなかった秋山に対し腕っ節の強い従卒たちを率いて無理矢理、風呂に入れ、その背を流したのは彼だった。
64歳、あくる年にはいよいよ定年が迫る。第一二師団長時代のシベリア出兵における赤軍パルチザンとの戦いで非正規戦の経験を積み、数々の勲章を叙勲した彼は、もし、長州閥、山県閥の天下であれば、朝鮮軍司令官どころか、参謀総長、陸軍大臣になっていてもおかしくはない人物だ。
森岡は、時には他者が驚く様な行動力を見せ、脇目も振らずに目的に向け突進するかの如く見えるが、その実、本人的には全てが冷徹に計算され、危なげな事は数手前に回避している……という様な典型的な長州人だった。その点において、どうしても人の良さや、生来の大らかさが前面に出てしまう田中義一とは大きな違いがあり、どちらかと言えば師である山県有朋に近い人物だと言えるだろう。
石光真臣朝鮮軍司令官からの命令は「間島地方と接する国境線内で待ち受け、追い立てられてくる反政府主義者を逮捕せよ」というものだった。
正直、あまり気乗りのしない命令だと感じていた。九州閥出身の石光の命令だから、という訳ではなく、まるで勢子に狩られた獲物を待ち伏せて射る狩人のような仕事が軍人らしいとは思えなかったからだ。
「巡査の仕事だ」
命令を受領した森岡は、そう副官に吐き捨てたという。日本は以前、間島に置かれた領事館の警察権を行使するという名目で間島に憲兵隊を送り込み、独立派朝鮮人に対する弾圧を行っていたが、さすがにこれは中国はもとより英米からも「領事警察権の拡大解釈である」という抗議があり、そそくさと部隊を国内へと戻している。
森岡にしてみれば、如何にも中途半端で生ぬるい―――と感じる対応だ。
抗議を受けようが、批判を浴びようが、やると決めたのであれば間島に兵を送り込み、一時的に保証占領下に置き、徹底的に抵抗勢力を討滅してしまえば、この問題、実に話は簡単だと思える。抗議を受けたとしても受け流し、時間を稼ぎ、その間に必要な手段を講じてしまえば良いではないか、その為の外交ではないか……。
師団隷下の歩兵第七三、七四連隊を国境に展開、間島出兵経験のある捜索第一九連隊をこれに付属させ、自身は予備部隊として歩兵第七五連隊、山砲兵第二五連隊を直卒、歩兵第七六連隊、工兵第一九連隊などは衛戍地である羅南に後置している。
又、対ソ最前線部隊である第一九師団には秋山陸軍になってから、その肝煎りで試験的に師団隷下に「師団飛行中隊」なる偵察直協を目的とした八七式軽爆撃機6機が配されている。同機は海軍の十三式艦攻の陸軍仕様機であり、本来の航空偵察の他に火砲の不足、機動力の欠如、山間地における火砲運用の難しさに対して航空機で代替できるかを研究する為に特に配属されたものだ。今回の作戦でも収穫を終えた行営村内の畑を整地した臨時飛行場を運用拠点として、度々、越境して抵抗勢力の動向に関する貴重な偵察情報をもたらしており、兵站面、整備面を無視すれば「かなり有用」である事が証明されている。
師団通称号「虎」を率いる猛将は、苛立ちを携えて成り行きを見守っていた。
正午、馬占山に対する二回目の武装解除命令が拒否された時、何応欽は攻撃を決意した。早朝の軍使も、正午の軍使も、馬占山との交渉はおろか、直接、会う事すら適わなかったという。高緯度である綏芬河の地、日没は午後3時55分。グズグズしていれば寒気に包まれた闇が迫り、せっかくの包囲状態に綻びが出ないとも限らない。
「始めよう」
ストーブが置かれた幕舎の中、傍らの砲兵参謀に結論を伝える。幸い、前夜から降っていた雪はやみ、視界は良い。砲兵の観測に支障が出る事は無いだろう。
「ハッ」
砲兵参謀が隷下の第2師、第3師に属する師団砲兵に砲撃命令を伝えるべく卓上の有線電話に手をのばす。
「?」
連続的な発射音。
それは明らかに砲声であり、しかもその砲声は東側―――綏芬河方面――から聞こえてきた。
「先手を打たれたか」
幕舎内部の参謀達が互いの顔を見合わせながら、幕舎に直撃しない事を祈る様に唇を噛み締める。さすがに若く血気盛んな青年将校の集団だけあって慌てて地に伏せたり、幕舎横に掘られた掩蔽壕に逃げ出したりはしない。
「対砲兵砲撃を優先します」
砲兵参謀が何応欽に許可を求める様に顔を向ける。対砲兵砲撃といっても立て籠もる馬占山軍砲兵の配置が不明である以上、綏芬河の街に対する無差別砲撃となる。砲兵参謀はその許可を求めたのだ。
「やむを得ん」
何応欽は一瞬、考えた後、許可を出す。
その時、着弾音が聞こえた。遠雷の様な響き、先ほどの発射音から随分と時間が経っている。
「――――何?」
砲兵参謀は手にしたばかりの有線電話を放り出すと幕舎から飛び出す。様子が只ならない。
「どうした?」
「何だ?」
その様子を訝しげに思った何応欽以下軍團幹部が次々と幕舎を出、綏芬河の街並みを双眼鏡で覗く。
「馬鹿な――――!?」
何応欽はそれっきり、絶句した。彼が目にしたのは、綏芬河の市街に配された馬軍砲兵の発射炎、そして丘陵の向こう側――ソ連領――に広がる無数の着弾煙だった。
「状況を開始する」
やはり罠だった――――イエロニム・ウボレヴィッチ極東軍管区司令官は周囲に漂う土煙の中、吐き捨てるよう指揮下の極東赤軍4個師団に進撃を命じる。馬占山が反旗を翻したというのは虚報、それに対して国民革命軍が討伐軍を差し向けたというのも虚報、全てが虚報。その証拠に綏芬河の街から今、我々は砲撃を受け、国民革命軍はその後詰として街の西に展開しているではないか。間もなく、稜線を超えて連邦の先鋒として馬占山軍が姿を現すだろう。
「反動め! 帝国主義の手先め!」
ウボレヴィッチは口の中で呪詛を呟く。
汚いなさすがブルジョワきたない。
まんまと計略に嵌められた自身をモスクワは許すまい。ならば、一人でも多く、道連れを作るまでだ。反撃に成功すれば、万が一にも恩赦があるかもしれぬ。
「許さん。許さんぞ」
真っ白な雪に覆われた稜線の向こう側、吉林の原野に赤い思想と暗緑の外套を纏った人民の絨毯が雪崩れ込んだ。
「ソ連軍、越境す――――」
北京駐箚英国公使館からの一報をロンドンが手にしたのは現地で衝突が起きてから数時間が経た後、ロンドン時間朝8時過ぎの事であった。
朝食を終えたばかりのボールドウィンのもとにこの報を伝えたのは、オースティン・チェンバレン外相がスイス・ロカルノに出張中の為、外務省の名も無き若い事務官だった。老眼鏡をかけ、電報を読み終えたボールドウィンは
「してやったり……」
とばかりに会心の微笑みを浮かべる。もとより失敗しても英国は最初から何一つ、損する事などない。せいぜいがチャータード銀行の行員たちが満州でばらまいた名刺の印刷代と紙代ぐらいだ。
「現地は既に夜の闇に包まれております。北京よりの続報によれば、国民革命軍の第一線は破れ、ロシア白軍が間もなく戦闘に加入する模様との事です」
「馬占山将軍の安否はどうか?」
「現状、不明です」
「ふむ……。最優先で生死の確認を。万が一、米軍にでも投降されたら厄介な事になる」
米ソ軍事衝突という謀略の裏を知り、その鍵を握る馬占山を生かして敵方の手に渡すことは出来ない。北京の張学良配下の者達が馬占山を救出する手筈となっているが、救出が適わないと見れば暗殺する事になるだろう。ボールドウィンにとっては軍閥の僭主の生死など、どうでも良い事であったが、今回の謀略の要であるだけに身柄の確保だけは行わなくてはならない。
「それからモスクワとワシントンに駐箚する大使にチェンバレン外相名義で電報を。文面は『合衆国とソ連の国境紛争に関して、我が国に停戦仲介の用意がある』と……急げ」
「はい」
英国はマクドナルド政権時代にソ連との国交を回復している。しかし、合衆国はソ連と国交がないどころか、ソ連政府そのものすら承認していない。軍事衝突の拡大を回避する交渉窓口が存在していないのだ。加えて、ロカルノ条約によりドイツの西欧回帰が具体化した以上、ドイツとの蜜月が終わった事を知ったソ連政府の焦りは深刻な筈であり、想定外の軍事衝突に合衆国政府も悲鳴を上げたい気分だろう。
両者に恩を売る好機だ。
ガウンからスーツへの着替えを執事に手伝わせながらボールドウィンはソ連政府や、合衆国政府からどんな譲歩を引き出せるか、実に愉快な気分で妄想し始めた。
「閣下、こちらです」
綏芬河郊外の未舗装の林道の路肩に止められた黒塗りのT型フォードに乗り込む。さすがに中国の辺境で見る事はあまり無いが、世界最大の生産販売台数を誇る同車だけに目立つ……という程の車でもない。地方の名士であれば保有していてもおかしくはないのだ。
「ご苦労」
昨夜のうちに綏芬河を徒歩で脱出した馬占山は、張作良が派遣した諜報関係者に護衛されながら包囲網を大きく迂回して、その南に抜け出ることに成功した。綏芬河に残してきた子飼いの部隊には、軍事衝突が始まったら任を解き、地に潜行する様に予め指示してある。多少の損害は出るだろうが、元々が馬賊の集団、荒野に散った時の身の振り方は心配には及ぶまい。
「このまま数日間、老黒山に用意した宿に逗留して頂きます。その後、頃合いを見計らって……」
後部座席で馬占山の横に座り、この後の逃避行について説明していた工作員はそこまで喋った時、のけぞる様に倒れ込む。前額部には一点の赤い穴……。
「!?」
振り向きざまに一撃を放った運転席に座る男は、続いて助手席に座ろうとした工作員の側頭部にも一弾を送り込み、車内から助手席側のドアを開けると死体を蹴り落とす。
「閣下。では参りましょう」
おかしな抑揚の下手な中国語を操る運転席の男が恭しく馬占山に告げる。
「石光さんの手の者か……来ないのかと思ったよ」
「我らの主は約束を違えません」
感情の感じられない声音で運転席の男は答えると、目線を前に向け車を発進させる。同時に、車の背後から激しい銃撃音が聞こえてくる。別な車に乗り込もうとしていた北京の工作員を始末する日本人達の銃が放つ音だろう。
「彼らは予の口を封じるつもりだったのであろうな……」
「……」
「愚かな奴らだ……本日只今より、我が身柄を石光さんにお預けする。願わくは権利の保護と身体の庇護を……」
馬占山の問い掛けに石光真清配下の日本人は前方を向いたまま答えようとしない。中国語が理解できないという事は無いだろうから、馬占山との会話を許されていないのであろう。いささか不遜な態度にも感じられるが、日本人達は皆、大概こんな感じだ。
「予が石光さんに初めて会ったのは、もう二十年程前になるかな……あの頃、予はまだ十代で……」
日露戦争期、石光機関は複数の馬賊を雇い入れ、ロシア軍に対する兵站襲撃や後方攪乱の任に投じた。その中に張作霖に見いだされる前の馬占山もいた。愛想の無い日本人特務機関員に馬は殊更、彼らの長である石光との深く長い関係を強調し、自らを丁重に扱う様に暗に要求するが、日本人に特に動じた様子は見られない。面白みのない男だ。
(この馬占山の身柄、誰が一番、高く買うかな……)
埒も無い無駄話を聞き流しながら石光機関・機関長補佐官岩畔豪雄はその事だけを考えていた。