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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
95/111

保管用 12

大正十四年十一月二十二日(1925年11月22日)

東京 霞が関

外務省


 ニューヨーク総領事館勤務を経て、本省北米局北米第一課長を拝命した西春彦はこの時、若干32歳だった。外務官僚の主流学閥・東京帝大卒のエリートとはいえ、任官して僅か10年での任命、異例中の異例ともいえる人事である。

 無論、これには政治的な理由が大いにあった。現外務大臣・金子堅太郎は日本社交界きっての知米派と言われる人物ではあったが、既に政治の第一線、外交の最前線から退いて久しい隠居の身でもあった。外務省内に有力な人脈を有する訳ではなく、あくまでも東郷内閣による政治的な意味合いでの外務大臣就任であった為、省内における幹部たちの潜在的な抵抗、反発は大きかった。意のままに動かない外務省内の既成幹部に対抗するべく、金子は、この西の様に任官10年前後という若手官僚を積極的に登用する抜擢人事を行い、自家薬篭中の者として使役したのだ――と言われている。

 自ら日米上流階級の社交の場である「日米協会」の会長を務めるほどの「知米派名士」を自認する金子によって、この時、抜擢された若手官僚を中心に所謂「知米グループ」の中核となる派閥が形成され、その後の省内における勢力争いにおいて、大いに発言力を得ることになったという。


 若手抜擢の象徴の様に省内で囁かれる西はこの日、二つの案件を処理し終えたところだった。

 一つは、上司・金子堅太郎の悲願中の悲願である「万国博覧会」招致についてである。東郷内閣で政界復帰するまで、長きに渡ってほぼ全ての公職を退き、名誉職に名だけ残していた金子が最後まで固執していた「ライフワーク」がこの万博招致に関するものだった。

 高橋積極財政、そして後藤復興計画によって南関東全域に薄く、広く、首都圏が拡散しはじめた事から東京近郊での万博用地獲得が比較的、容易であった事、大正十八年開催を目指す立候補地のスペイン、米国が過去に一度、開催していた事情が国際万国博覧会本部において敬遠された事など、国内的にも、国際的にも下準備は整っていた。

 最大の対抗馬と目されていたのは米国・シカゴであったが、この年、フランス・パリで開催中の万国博覧会にて催された総会において

 「震災復興を成し遂げた日本を見に来てほしい」

 という情感に訴えた日本側の作戦が実り、遂には総会において僅差ではあったが招致が決定したのだ。事情通の間では、水面下、日本と米国の間で取り交わされた「次々回開催地として米国を推す」という密約の存在が疑われ、「米国で開催するのは面白くない」という捻じれた対米感情が渦巻く英国系の票が日本支持に雪崩たのだ、とも噂されたという。


 もう一つの案件は「国際アマチュア無線協会」本部の日本招致についてであった。この年の四月にフランス・パリ大学の構内において「間借り」の状態で見切り発車のまま発足が宣言されたこの民間交流団体の本部招致運動に関しては、大きな問題はなかった。事務局候補としてとしては米国・コネチカット州の無線協会が既に名乗りを上げていたが、千代田区霞が関からの四省移転が本格化した日本側が、逓信省跡地の再利用を提言し

 「土地・建物まで全てを保証する」

 と、官民一体となって大々的に売り込んだことが決め手となっている。日本側の意図としては国際団体本部招致という実績作りの為の厚遇であったが、無線に関する国際的な規範・協定・基準策定を主導する専門団体として、国際電気通信連合内に一定の発言権を保有するとはいえ、一介のアマチュア交流団体側にしてみれば列強の一角を占める国家の首都に一等地を無賃で提供されるとなっては、そうそう断れるものではない。

 ましてやこの年より日本国内ではラヂオ放送が本格開始されたばかりであり、一般無線からラヂオ受信機に至るまで種々の無線機器の売れ行きが流行となって爆発的に拡大していた時期でもある。これに加え、震災が有線通信設備に壊滅的な打撃を与えることを学んだ政府の無線・ラヂオ普及への誘導政策が追い風となった事もあり、日本におけるこの分野の継続的な成長が見込まれていた。国産無線機メーカーなど皆無に等しい日本の産業事情を知る協会の資金的スポンサーである欧米電気無線メーカーにとって、日本は急激な市場規模拡大が見込まれる好物件、将来的なアジアにおける販路拡大の拠点づくりという意味合いも含めて東京への本部設置に関してはすこぶる乗り気な姿勢であり、そのスポンサー達の意向も大いに反映されたのだ。

 蛇足だが、日本への進出を果たした欧米電気無線メーカーの支社・支店が立ち並び、これらと取引を行う国内電気機器卸商が軒を連ねる「電気街」と通称される街が逓信省跡地近くの千代田区・秋葉原に形成されたのはこの時代以降の事となる。又、この電気街を中心に奔流の如く流れ込む先進的で溌剌とした軽快な欧米文化と、デモクラシーの影響を受けた日本文壇・演劇界の大衆化の流れが融合、この地を発信地として前衛的な和製大衆文化が創造される事になる。中でも関西圏から東京進出を果たした東京宝塚劇場(東宝)と並び称される少女歌劇団が結成され、ここ秋葉原を拠点として国民的人気を博するのは、遥か後年の事象である。


 日本駐箚米国大使館の書記官ドミトリー・マクラスキーの訪問を受けたのは、西が遅い昼食を食べ終えた弁当箱に熱い湯を注ぎ、箱にこびりついたご飯粒を丹念に沢庵の切れ端でこそぎ落としていた時だった。いつもなら、食後のお茶代わりにそれをゆっくりと飲み干してから午後の仕事に取り掛かるのであったが、急な来客という事もあり、この日はそのゆとりある食後のひと時を満喫する事は適わなかった。

 西は湯を捨て、口をゆすぐと引出しから卓上鏡を取り出し、身だしなみを整え、案内の職員に入室を許可する旨を伝える。マクラスキー書記官との関係は、西がニューヨーク総領事館に勤務していた頃まで遡り、過去、何度も交渉を重ねた関係にあり、公的にも、私的にも旧知の間柄であった。

 「お食事時でしたかな?」

 入室すると、室内に薫る沢庵の香りに気が付いたらしく、マクラスキーは一瞬、鼻をひくつかせる。米国人にとっては、どうにも慣れない匂いの様だ。

 「いえ、済ませました。お気遣い無く」

 西は屈託ない笑顔を浮かべ、マクラスキーの気遣いに謝意を示す。

 「如何されました?」

 マクラスキーに椅子を勧めながら、西は尋ねる。書記官が課長級に面談を求めるのであれば、事前に連絡しておくのが筋だ。西とマクラスキーは個人的なつき合いも長く、そこまで拘る気はないが、外交には外交の儀礼があり、面倒でもそれだけに大事なものなのだ。

 「突然の訪問、非礼は承知の上でミスター・ニシにお伺いしたい事があり、参上いたしました」

 西はマクラスキーの表情と口調から、彼が微かに緊張している事に気が付く。ロシア系移民の二代目だというマクラスキーは、白人にしては珍しい程の小柄であり、その身長は西と大差ない。栗色の癖の強い髪の毛と、深緑色の瞳、そばかすだらけの容姿で決して美男とは言えず、どこかイタチを思わせる風貌をしている。

 「お答え出来る事であれば、お答えいたします」

 西は微笑を表情に張り付け、口調は儀礼的に返しつつ、何事かと内心、訝しく思う。現在の日米関係において迅速さを要求される案件があるとは思えない。無論、二国間の懸案事項はいくつもあるが、だからといって急いで処理を進めなくてはならない問題は無い筈だ。

 「英国と貴国が朝鮮半島北東部における港湾の共同開発に関し協議を行っている、という噂がワシントンで話題となっています。この噂に我らがワシントンでは非常に興味を持っています。但し現状、噂の域を出ませんので、我が駐箚大使より貴国外務大臣閣下に正式に問い合わせる訳にもいかず、我々、事務レベルでお話させて頂ければと思い、私がこちらに伺いました」

 「……その噂とやらは、どこから?」

 西は依然として表情に微笑みを浮かべたまま返答するが、その微笑を支える9種類の表情筋は1ミリたりとも動いていない。徹底して無表情だ。

 「東京、旅順、奉天、北京、天津、上海、ジュネーブ、ロンドン、ワシントン……」

 マクラスキーは指を折りながら数え始める。その表情は真剣そのものだが、教師から世界地理の質問を受けた学生の様な仕草は少々、間の抜けたものだった。

 「お待ちください、書記官殿」

 西は笑い出しそうになるのを堪えて、尚も指を折ろうとするマクラスキーを遮る。

 「随分とあちこちから流れているのですね、その噂とやらは……正直、申し上げれば日英二国間の交渉に関する事項は、私の所掌範囲を超えております。本来であれば、お答えする筋合いのものではありませんが……」

 西は言葉を切り、マクラスキーの反応を見る。前屈みにやや身を乗り出し、噂の真偽を確かめようと如何にも真剣な様子だった。

 「噂についていえばイエスでもあり、ノーでもありますね」

 「不躾の質問にお答え頂き感謝いたします。宜しければ、どの部分がイエスで、どの部分がノーなのかご教示願えますか?」

 「英国が我が国に問い合わせをしてきた――という点についてはイエスです。ですが、英国と我が国が協議している、という点に関しては私が知る限りノーです」

 「……つまり?」

 「政府間で公式な協議は行っていない筈です。英国の問い合わせは、あくまでも朝鮮北東部への英国資本による投資は法的に問題があるか? という内容であり、打診というレベルですらなかったと聞いております。考えるに我が国の民間企業との合弁会社設立を考えている、という事でしょう」

 マクラスキーは西を上目づかいに見る。何かを探るような目だ。

 「貴国政府はそれになんと?」

 「法的には問題ない、と回答したという様に聞いております。但し、我が国の民間資本で、その申し出を受ける企業があるかどうかまでは存じません」

 「民民間の問題であり、日本政府としては関与していない、という理解で宜しいでしょうか?」

 「我が国に関してならば、それで結構です。英国政府側の考えまでは分かりませんが」

 マクラスキーは聞きたい事は聞いた、という様に小さく頷くと立ち上がり、礼を述べると辞去していった。如何にも急いでいる様子が見受けられる。西はその後ろ姿を見ながら、聞こえぬ様に呟く。

 「東京に上海、ワシントン、ジュネーブ、ロンドン――そんなにあちこちから話が漏れ聞こえるという事自体、外交の世界では怪しんでしかるべきだろうに……アメリカさんも随分と迂闊に動き回るものだ」

 西は、そっとため息をついた。




1925年11月22日(大正十四年十一月二十二日)

吉林省・綏芬河


 間もなく四十の大台を迎えようという年齢になる馬占山は綏芬河にある別邸で一通の手紙を読んでいた。馬賊として身を起こし、張学良の側近として台頭、第二次奉直戦争においては奉天派の大幹部たちがこぞって出征した為、比較的、軽輩な彼は吉林省政府代理主席に任じられ、残留を命ぜられた。それが僅か一年にして、今では四巨頭の一人とまで呼ばれる存在に成長している。

 一つは、前述したように張作霖以下、奉天派に身をおく軍閥の領袖達が北京で易幟した事により、満州の地に権力の空白が発生したこと。

 一つは、米国が主導した中華連邦クーデターに際して、無抵抗を貫いた結果、戦力を温存できたこと。同様に残留を命じられていた諸将の中でも、有力な者は満鉄沿線に駐屯していた事から、その多くがロシア傭兵との交戦を余儀なくされ、次々と壊滅していく中で満鉄とは離れた中東鉄道沿線に本拠を持つ彼は全くの傍観者として、この事変の推移を見守る事が出来たのだ。

 「まったく、運命とは分からぬものだ」

 自慢の八の字髭を指先で撫でながら馬占山は手紙に目を通す。何もせず、ただ傍観していただけで彼は現在の地位を手に入れた。自身が優秀であるが故に、馬の様な野人を好んだ張学良に側近として迎え入れられていたとはいえ、一年前の彼は奉天軍閥全体から見れば中堅どころに過ぎなかった。それが今では大軍閥として扱われている。

 彼の手にする手紙の差出人は、彼にとって唯一の主人である学良からのものだった。文面には、ある指示が記されている。幼い時から君子の様に周囲から扱われ、撫育された学良は他者に命ずることが実に自然だ。父・作霖が馬同様に卑しい馬賊から身を起こして今日の地位を手に入れたのに比べると、何と嫌味なく、爛漫なことか……。


 米国の後押しにより奉天派の士官学校・東三省講武学堂は短期士官養成学校に改組され、僅か半年という単位で促成された士官が量産され始めている。その一期生が間もなく、任官し、馬の下にも配属されてくるだろう。新米士官の多くは満州人ではなく、国民党右派に賛同して満州入りした中国本土の民族主義者だ。国民党右派政権が今でこそ馬の実力を恐れて丁重に扱っているが、彼ら若い民族主義者達の台頭とともに、いずれ実権を奪われるのは火を見るよりも明らかだ。

 「簡単に言われるのだな、閣下は……」

 遠く北京の空の下、馬占山に紙切れ一枚で指示を下す学良の事を想い、馬は苦笑する。しかし、幸いにして馬が本拠地を構える牡丹江と綏芬河、南の図門、延吉一帯は中ソ日三国の国境に近く、その庇護下には旧大韓帝国軍として正規訓練を受けた義兵の流れを組む抗日独立派朝鮮人組織もある。馬が反逆の狼煙を上げたとしても、中華民国政府の正規軍や米国に雇われた白系ロシア義勇兵が軽々しく動けるとは思えない。白系ロシア義勇兵が国境近くにまで押し出して来れば仇敵である極東赤軍を刺激するし、中東鉄道を超えて米国の勢力が及ぶ事をソ連政府は座視するかだろうか? それはありえない。米正規軍にしても同様だ。正面切って勝てる相手ではないが、正面切って戦う義理がある訳ではない。三国の国境という見えない城壁が馬の不正規戦を可能にする。


 (俺は、所詮、馬賊だ)


 一介の馬賊出身という点において、馬は自身の主・学良の父、張作霖と同様だ。張作霖はロシア、日本、北洋軍閥の間を巧みに泳ぎ、それぞれから膨大な支援を引出し、今日の勢力を築き上げた。


 (俺にそれが出来なかったのは、ただ単に生まれてくるのが遅かったからだけさ……)


 馬は従卒の淹れた柚子茶を喫し静かに笑うと副官を務める若い上尉を呼ぶ。

 「兵を挙げる」

 「はっ」

 上尉は馬の言葉に一瞬、目を見開く。

 「盛大にやれ」

 「盛大に、と言われますと?」

 「あぁ。奉天に聞こえる様に兵を集めよ」

 訝しげな表情を見せる上尉に馬は微笑みを返す。

 「青天白日旗の下、吉林の山野は赤く染まるだろう」




1925年11月24日(大正十四年十一月二十四日)

旅順・民政局


 第四木曜日の感謝祭まで、あと2日。

 アメリカ人にとって、それは特別な日だ。祭りに必要な二羽の七面鳥は、昨年、本国から取り寄せた親鳥たちのおかげで今年は大量に用意できた。今年はきっと、多くの家庭において秘伝のグレービーソースをかけながらじっくりと丸焼きにされた鳥が切り分けられ、晩餐に供せられることになるだろう。

 七面鳥に添えられるカボチャのパイや蒸したトウモロコシ、ヤムイモのスイートポテト、ジャガイモのマッシュポテトなどの新大陸原産とされる食材も、足りない分は本国から取り寄せた。米本土からの移民たちによる熱心な耕作のおかげで数年後には自給できる体制が整うだろうが、今はまだ無理だ。この日ぐらいは日々、慣れない地での厳しい生活を余儀なくされている移民者達に最良の贅沢を味わわせてあげたい――――そう、善良なるフーヴァーは思う。

 パレードの準備も忙しい。伝統ある東部諸州の華やかなパレードの様に……とはいかずとも、フーヴァーの育った太平洋岸のオレゴン州並には行いたい。フーヴァー自身は物静かの代名詞であるドイツ系スイス移民の出身だけに、どちらかと言えば質素な方が好みではあったが、他人にそれを強要しようとは思わない。

 感謝祭からクリスマスまでの1か月間、米国は最大の商戦シーズンとなり、一年で使う金の半分をこの一か月に浪費する。旅順や大連市内には米本国から進出してきた小売資本や、満鉄売却以降も残留した日系資本の百貨店が軒を連ねており、商業地区は連日、近しい者への感謝の品や生活必需品を買う客で大変な賑わいをみせている。急増中の米国系市民に比べ、店舗の絶対数が足りず、日常的な雑貨類は陳列棚に置いた途端に売れていくそうだ。


 「それでは、またお会いできる機会を楽しみにしております」

 フーヴァーはそういうと受話器をおろす。 

 「ミスター・イヌカイは何と?」

 ソファーでふんぞり返っているマッカーサーの問いに、フーヴァーは視線を一瞬、投げかけると立ち上がる。

 フーヴァーが長距離電話で話していたのは朝鮮総督府にいる犬養毅だった。元々は旅順の満鉄支社と京城支社を結ぶ直通回線だったものだが、先頃のフーヴァー・犬養会談の結果、それぞれ民政局と総督府のトップ同士を結ぶ電話回線へと変更されたものだった。電話自体は雑音がひどく、相手の声を聞き取るのは難しい。しかも、犬養の英語はひどく下手であり、何度も聞き返すのを悪いと思うほどに繰り返し、相手に話させなくてはならないほどだ。もっとも、犬養にしてみればフーヴァーが日本語を話さない方が悪いと思うであろうが……。

 「連邦と朝鮮の国境に部隊を派遣する事を約束してくれた。馬将軍に対する南からの圧力となるのと同時に、彼が日本領への逃亡を防ぐ事が出来るだろう」

 フーヴァーの答えにマッカーサーは破顔し、頷く。

 「それはありがたい。討伐戦の開始が事前に漏れる事に繋がるかもしれませんが、彼らを取り逃がすリスクを大幅に軽減できます」

 マッカーサーの言葉に傍らに立つ参謀長ウィリアム・ミッチェル大佐は頷くと手にした紙片をフーヴァーの執務机に差し出す。

 「つい先程入った情報によれば馬将軍が動き始めたようです」

 紙片に記された文面はその事実を告げるものだった。

 「勢力圏下の街や村々から兵を募り、糧食の徴発も開始したとの報告が入っております」

 「肉を焼き始めてから薪を集めるような真似をするのだな、馬将軍という男は……今更、兵を集めて役に立つのかね?」

 ミッチェルの言葉にフーヴァーが疑問を挟む。

 「馬将軍の狙いは正面決戦ではありません。こちらが討伐軍を送り込めば、大衆の間に兵を潜め、我が兵站を狙う不正規戦です。要は銃を撃ち、弾を込める事を教え込めばいいのです。それ以上の兵の練度はあまり関係ないでしょう」

 「そんな素人兵など脅威になるのかね?」

 「素人だからこそ脅威なのです。彼らに迂闊に手を出せば、自分たちは民間人だと主張し我らの無法を声高に詰るでしょう」

 ミッチェルの答えにフーヴァーは得心したように頷く。

 「それは厄介だな……実際に前線に向かうのは連邦軍の将兵なのであろう? 彼らに民間人と馬軍の区別がつくのかね? その点について連邦軍の将校達は何と言っている?」

 「本作戦は他軍閥への見せしめの意味合いが強いものです。民間人に多少の犠牲が出るのはやむを得ないと考えているようです。最大限、配慮はするでしょうが……国民党右派の出身者は蒋将軍以下、馬将軍討伐に関して我々以上に前向きです。建制上、連邦軍は8個師団を擁していますが今の段階では所詮、速成された戦力に過ぎません。旧奉天軍閥から流れてきた者と国民党の流れを組む者を無理矢理、ひとまとめにしているのですから……彼らが戦力として期待できる様になるのは、一年先かと思われます。しかし、匪賊の討伐程度であれば十分でしょう」

 ミッチェルの説明を傍らの椅子に座るマッカーサーは黙したまま頷く。軍事分野の責任者である彼の目では第一歩兵師団と鉄道警備隊六個大隊よりなる合衆国陸軍部隊と、歴戦のロシア義勇兵団の実力を高く評価していたが、タイプライトされたばかりのペーパー陸軍である中華連邦軍の実力となると全くの未知数の様に思えた。だが、その様な部隊であっても理想と使命感に燃える分だけ、軍閥の私兵よりも何倍もマシに思える。

 「この際、練度には目を瞑りましょう。一年も馬将軍の好きにさせていたら連邦政府が軽んじられますし、他の軍閥の動向までもが予断を許されなくなります。練度は実戦で高める、最初からそのつもりでいきます」

 「ふむ。連邦軍に供給する兵器弾薬、医療品、糧秣など必要な物資は揃っているのかね?」

 「陸軍の倉庫には先の大戦の遺物が山積みとなっていますので、ご心配には及びません」

 マッカーサーは両手を広げる様に上げると、肩をすぼめてみせ、言葉を続ける。

 「問題はこちらが馬将軍の本拠地に兵を進めた時に、馬将軍が国境の外へと退いてしまう事です。国境近くまで連邦軍が進めば、他国を著しく刺激するでしょう」

 「日本のイヌカイは全面的な協力を約束してくれた。彼の朝鮮総督府も馬将軍に庇護された抗日派の蠢動を苦々しく思っているところだ、と言っていた。馬軍閥だけでなく、抵抗勢力の本拠地である間島地方から共産勢力が一掃されるのであれば協力は惜しまない、と言っている」

 「民族派のイヌカイが民族自決を主張する抵抗勢力の討滅に協力する――――皮肉な話ですな」

 マッカーサーの揶揄する様な言葉にフーヴァーは眉を顰めると、やや不快気に答える。

 「イヌカイは職務に忠実なのさ。それに、彼は筋金入りの反共主義者だ。抗日派が共産主義勢力と提携している以上、情けは無用と考えているのだろう。ともかく我々は馬軍閥討伐を口実として、日本側の了解は得たという訳だ」


 何故、自分はイヌカイを擁護しているのだ? ――――半瞬の間だけ、フーヴァーはその疑問を持ったが、次の半瞬の刻には疑問は氷解していた。

 自分とイヌカイは似ているのだ。

 公的には植民地総督の立場にある者同士。

 その信条は共に古典的自由主義者であり、同時に徹底した反共主義者。

 そして、互いに次期政権を狙う者同士。今は偉大なる主人に忠実に仕える身であるが、虎視眈々と次代を見据えて水面下、蠢動している言わば同志。あのドクター・フーマンチューを彷彿とさせる不気味な老人と自分の間には、そこはかとなく通じ合うものがあるのだろう。


 「日本の了解を得た以上、残る問題はソ連ですね」

 ミッチェル大佐の言葉にマッカーサー少将が大袈裟な身振りを交えて応ずる。

 「ソ連! 忌まわしきアカ共の首魁! 全く民主党の馬鹿者どもが日本軍に自制を要求するから我々が手を焼く羽目になる。彼らは頼りになる反共国家の襟首を掴んで引き戻し、アカ共を延命させてしまったのだ」

 いずれ共和党から政界に打って出るつもりらしいマッカーサーは事ある毎に共和党の実力者フーヴァーの前で民主党を非難する。愉快でもあったが、そのあざとさが少々、鼻にも突く。

 「日本がシベリアを欲しかったのなら、くれてやればよかったのです。凍土と希薄な人口、それにトナカイしかいないのですからね」

 「まあ、そう言うな、少将。日本がもしシベリアを手に入れていれば我々が満鉄を手にすることは出来なかったのだからね」

 マッカーサーのわざとらしい言葉にフーヴァーは内心、苦笑する。

 「現状、ソ連が本気で合衆国と事を構える可能性は低い。何しろ、合衆国とソ連は現在、国交はおろか領事関係すら保持していないのだからね。一度、実弾の応酬が始まってしまえば交渉で全面衝突を回避できる可能性は全くない。だからこそ、我ら以上に彼ら自身が合衆国を刺激する事を恐れている筈だ。それに彼らは赤軍が満州に手を出せば、間違いなく日本の介入を招くと判断するだろう。日本が赤軍の側に立つことはあり得ないのだから……」

 「合衆国と日本の間に密約が存在する――――そうアカ共に勘違いさせる為にイヌカイに協力を要請したのですね? 閣下もお人が悪い」

 「存在しもしない密約を恐れてソ連は自重する。まあ、詐術も外交の内だろう……第一段階の目標は英国による中東鉄道買収の阻止。その為に、我々は実力を持ってジョン・ブルの手先・馬将軍を満州の地より排除し、権益を保持する道を選択する。ワシントンはその後、国交回復と国家承認を条件としてソ連が保持する中東鉄道権益を買い取るつもりのようだ。我々が最も忌避すべきシナリオは、英国が権益を買い取ることだが、それ以上に厄介なのは国民党右派が昨年、締結された民国・ソ連間の協定を破棄し、実力をもって中東鉄道権益回収に動き出す事だ。ナショナリストが条約や協定を反故にし、法を無視する面白みを覚えることは何としてでも阻止しなくてはならない。諸外国からの権益奪還は国民党支持層である中国本土のナショナリストを歓喜させ、連邦政府の存在意義、正当性を主張しやすい以上、連邦政府幹部は実力回収を狙うはずだ。我々としては、それを許す訳にはいかない」

 「連邦政府と我々は同じ船に乗っていても、向かう先は別という事ですね。皮肉な話ですが、そのナショナリスト達は中東鉄道だけでなく、南満州鉄道の回収も望むと?」

 「望んだものが全て手に入るほど、この世界は中国人に甘くないと彼らは知る事になるだろう。連邦政府が民国政府の締結した協定を遵守する必要がないのは法的に明白だが、連邦政府に合衆国との協定を遵守するように要求するのも、まったく法的には正当な行為だ。中国人が他国の善意に期待するのは勝手だが、我々がそれに応える義務はない」

 「閣下のお言葉は、随分と身勝手な主張に聞こえますが」

 フーヴァーの雄弁に対し、マッカーサーは多少、皮肉を込めた口調で応ずる。

 「身勝手な言い分を言葉巧みに主張して通すのが外交、棍棒で殴りつけて通すのが戦争。本質的に変わりはないだろう、少将」

 帝国主義の真理をうがつ至言を毅然と言い放ったフーヴァーの言葉に二人の高級軍人は大きく頷く。とりわけ、マッカーサーの頷きは力強い。

 「馬将軍は、我々を甘く見ているでしょうな。我々がソ連や日本を刺激する事を恐れて積極的に動けまい、と……所詮は田舎軍閥、目先の力関係だけで物事を判断している。もっとも、彼の耳元にそう囁く者がいたからでしょうが」




大正十四年十一月二十四日(1925年11月24日)

朝鮮・京城

朝鮮総督府


 「他人様を利用するのは好きだが、他人に利用されるってのは、どうにもおもしろくねえなぁ」

 フーヴァーとの直通電話を終えた犬養は執務室内のソファーに座る朝鮮軍司令官・石光真臣大将に苦笑を向ける。石光は別件で偶然、犬養を訪問していた折りであり、たまたま居合わせたに過ぎない。

 「話しの肝は聞いた通りです、司令官。国民党右派が馬将軍を討つ。ひいては馬将軍が日本領内に逃亡しない様に国境近くで示威行動をとって欲しい、という事です」

 「……」

 石光は眼鏡を少しだけ指先で押し上げると、無言で犬養を見返す。

 「後藤君に命じて警察を国境近くに配置させても良いが……司令官、朝鮮軍に出張ってもらう事は可能ですか?」

 「陸軍に?」

 「相手は小なりとはいえ軍閥ですからね。重火器も保有しているのでしょう? 拳銃と警杖だけの警察官だけでは万が一の場合、反撃もままならない――――羅南の第十九師団にお願いするのが至当だと考えますが」

 犬養の言い分は実にもっともな事の様に石光には聞こえた。石光は本質的に軍官僚であり生粋の武人というタイプではない。平時であれば陸軍大臣であれ、参謀総長であれ、そつなくこなすであろうが、戦の匂いに荒ぶる実戦型という人物ではないのだ。

 「正式なお手続きを踏まれるのであれば職務上、本職は総督閣下からの請求にはお応えしなくてはなりません」

 感情のない案山子の様に石光は淡々と答える。そこには文官総督からの要請で軍を動かすという帝国史上、前例の無い行為に対する嫌悪は無い。

 「では、総督府附武官の林少将を介して請求を発しさせて頂く事に致します」

 「承知つかまつりました。文書の到着をもって第十九師団に対し準備を命じます……こう言っては何ですが、閣下は本職などよりも遥かに果断に優れられておりますな。武官の道を進んでおられれば元帥位を得らましたでしょうに……惜しいものです」

 石光の戯れに犬養は声を立てずに笑う。総督ではあっても文官である自分には、統帥大権の向こう側の存在である軍への指揮権は無く、あくまでも要請という形でしか関与できない。明治四三年の勅令では総督に対して朝鮮軍の統帥委任が謳われていたが、原内閣時代の大正八年の勅令により、その委任条項は削除され、その代わりに「陸海軍大将に限る」とされていた総督への任官制限も撤廃される事となり、結果、自身が総督へと就任する事が可能となったのだ。

 当時の新聞論壇では、原内閣のこの改革は「中途半端」の代名詞として大いに叩かれ、世評の猛烈な批判を浴びたのだが、当時は山県元老が健在であった時代の話であり、しかも朝鮮総督府はその山県閥の「牙城」と言われた機関だ。原は山県の激しい抵抗にあって、最終的に勅令の文面を和らげざるを得なくなり、もし、和らげなければ原は失脚していただろう。

 既に原も、山県も鬼籍に入り、その山県と原との間に立って妥協案である現在の勅令を考え出した当時の陸軍大臣・田中義一は今や犬養が掌中に収めた玉――――。

 瞬間、犬養の胸の奥で一つの考えが閃く。

 「内地に帰ってからじっくり手を付けるつもりだったが……少し早めるか」

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