保管用 7
96隻――――。
関東大震災時、東京湾上或いは横浜港沖合などに停泊し、罹災者の救出活動や壊滅した陸上通信設備に代わり通信基地機能を果たした日本船籍の民間船の総数だ。
客船、貨物船、貨客船……さまざまな船種で構成された船舶が余震の続く中、自船の危険を顧みず、また誰から命ぜられた訳でもなく、それぞれ自主的に救出活動に従事し、多くの罹災者を救う事に成功している。
しかしながら、収容した罹災者の多くは負傷しており、船舶が有する医療設備程度では重傷を負った者の処置を行う事は適わず、その多くを黄泉の地へと見送る他はなかったと言われている。助けを求める人々を燃え盛る火炎の中から収容しながらも、その命を救う事の出来なかった船員たちの憤懣、その哀しみは察するに余りある。
もし、整った医療設備と十分な医薬品、そして医師、看護婦を有する病院船があったら……。
もし、その様な船が災害時、現地に急行できていたら……。
力が及ばなかったケースがあったとはいえ、船舶関係者の中にもそんな想いに捉われた人々は多かったに違いない。
通常、戦時に用いる病院船は徴用した客船を改装し、この用途に供するものだった。戦時ならば当然、それでよい。事前に準備も出来るだろうし、改装するのに適した船をじっくりと選ぶこともできる。しかし、平時からこの様な用途の船を遊ばせておく予算的な余裕は陸海軍共にない。軍医や衛生兵、それに備蓄医薬品を臨時で供給することは可能だが、船舶の維持費を考えればさすがに二の足を踏まざるを得ない。
民間にしても同様だった。万が一の災害に備えて常時、病院船を用意していたのでは採算が見合う訳がない。
軍でも、民間でも、病院船を用意するのは難しい……となれば残るは省庁となる。医療行政を所掌するのは内務省衛生局だが、衛生局としても軍同様、医師や看護婦の手配は出来ても、船舶の運用ノウハウは皆無だ。
船舶の運用に慣れた省庁――――。
海軍省以外で自前の船舶を保有しているのは鉄道省と逓信省の二省。前者は鉄道連絡船を保有し、列島海峡部の人員貨物輸送に用いており、後者は郵便連絡船を多数保有している。航路によっては船内に貨車を載せる広大なスペースと千数百名の乗客を収容可能な鉄道連絡船と小型優速船中心の郵便連絡船ではどちらが病院船のプラットフォームとして優れているかは明らかだった。
かくして緊急災害時の医療関係者と医薬品は最寄りの陸海軍側が提供することを前提に、鉄道省傘下の鉄道連絡船内に各種医療設備の整備が義務付けられたのはこの時代からだった。
1925年10月4日
合衆国 各地
10月の第一日曜日にあたるこの日、全米主要五紙の中央見開き二ページにわたって全面広告が掲載されていた。日本製品の紹介記事や、日本国内の催事や出来事などの記事が中心で、それらを合衆国において俳優、映画製作者として成功を収めていた大スター・早川雪舟が紹介していく……という体裁の記事だ。
当時、早川雪舟と云えばオリエンタルでニヒルな風貌から女性に人気を博したサイレント映画界の巨人であり、その出演料はトップスターであるチャップリンと伍する程の人気者。その彼の演劇界、映画界における人脈を生かし「私は日本製品を愛用しています」とにこやかで虚ろな笑みを浮かべた当代のスター達が綺羅星の如く並び、紙面に花を添えている。
米国と日本に挟まれた太平洋の“永遠の平和”を疑いもなく信じきったような満艦飾の紙面には、折からの米国内におけるクロスワードパズルブームに便乗して趣向を凝らしたパズルが掲載され、また米国民の懸賞好きを逆手に取り、日本製品の紹介記事の末尾には必ず「正解者の中から抽選で○名様に」とご丁寧に書かれてさえいた。
これは無論、知米派の金子堅太郎が米国世論に仕掛けた宣伝戦略の一環だった。東郷一党の一員であり、米国世論操作に多大な実績を持つ彼は、皇室財産の一部を用いて米国内に現地法人を設立、大手広告代理店を指南役にこの世論工作に打って出たのだ。
加えていうならば、金子の対世論工作に関する手腕が尋常なものではなかった証左として、この新聞広告というある意味、あけっぴろげな宣伝の裏で『聯合新聞社』という既成の国内通信社に強力なテコ入れを行い、米国の大手通信社『AP』との協定締結に踏み切らせた事があげられる。
当時、世界の情報・通信業界は英国の『ロイター』、独国の『ヴォルフ』、仏国の『アヴァス』が三大通信社として君臨しており、各国の新聞社はこの三社と契約しなければ世界情勢に関するニュースの入手が難しいという状況が常態化していた。そして始末の悪い事に、この三大通信社は協定を締結しており、情報の世界分割を行っていたのだ。
『ロイター』が英語圏及び近東、中国、日本を、『ヴォルフ』はドイツ以東の欧州と北欧、ロシアを、『アヴァス』が欧州本土及びフランス語圏、スペイン語圏に関する情報を握り、欧州大戦以降『ヴォルフ』の力が削がれたとはいえ、依然として三社を経由しなければ新聞紙面に載せるニュース記事の収集も発信も出来ないという奇妙な情報紳士協定がまかり通っていた。
これに対し、金子の後援を得た『聯合新聞社』は、三大通信社の世界分割体制への不満から『アヴァス』の独占市場だった南米への進出という挑戦状を叩きつけながらも、逆に三社による包囲網に苦しんでいた米国の『AP』に協定締結を打診、孤軍奮闘中だった『AP』は、この思わぬ助け舟を快諾し、両社は独自のネットワーク構築へと動き出す。
南北アメリカ大陸のニュースを配信し、国外のニュースを米国内の新聞社に提供する『AP』と、日本及び東アジアに独自ネットワークを保有する『聯合新聞社』の提携は相互の市民が知り得るニュースレベルにおいて、お互いに好感情をもたらす大きな下地となる。日本及び東アジアに関するニュースを『聯合新聞社』に属する日本人記者が書き、それを米国市民が読むのだから、当然の帰結だろう。逆のケースもまたいえる事ではあるが……。
1925年10月より毎月第一日曜日に決まって掲載されることになるこの全面広告は、日本という国がどこにあるのかも知らない米国人にとって日本を知る小さな手掛かりになった。また、後年の事になるが、米国経済が不況の波に呑まれた時代にあっては新聞広告が激減するさなかでも毎月、多額の広告料を気前よく支払う日本政府のスポンサーとしての存在感は、新聞社にとって日本関連の記事内容に一定の手心を遣わざるを得ない抑止力となったという。
大正十四年十月五日(1925年10月5日)
東京 三宅坂 陸軍参謀本部
秋山は呑んでいた。
肴は鰻。旬は過ぎていたが、脂ののりは良く、トロリとほぐれる肉厚な身のところどころにある焦げた焼目が目にも旨い。贅沢に塗られた甘辛いタレは鰻の下に敷かれた飯に染み込み、茶色く光沢を放つその飯粒だけで飯が喰えそうだ。もっとも、秋山は飯などに興味はない。先ほどから鰻重の鰻ばかりを食べ、飯だけになった重箱は隣に座る渡辺に押し付けている。無論、渡辺自身の鰻は秋山の胃袋の中だ。
参謀総長と教育総監である両者の微笑ましい関係を見つめながら、陸大校長マンチンハイムもまた、器用に箸を使って鰻を食い、上等な日本酒でこれを飲み下す。故郷フィンランド、それに欧州各地でも鰻はよく食すが、主としてスープや煮込み料理の具材の一つという扱いであり、これだけをメインディッシュに、そしてこれだけ旨く食わせる技法は存在しない。振りかけられたミントに似た爽やかな香りのスパイスは驚くことに木の実の皮を乾燥させ、磨り潰したものだという。
「如何ですか? 陸大の方は?」
いい加減、タレの染み込んだ飯だけを食うのに飽きた渡辺がマンチンハイムに尋ねた。教育総監という職責上、彼はマンチンハイムの上司にあたる。無論、陸大における教育方針に対し「口を出すな」と秋山からきつく言い含められているので、それをとやかく言おうという訳ではない。ただの世間話のつもりだ。
「皆、よく励んでいますよ。学ぶという事にこれほど真摯な人間の集団を私は見たことがありません。但し――」
言い澱むマンチンハイムの言葉が気にかかったのか、秋山は杯をおろし、その大きな目で問いかける。
「但し? 何か気になることがあるのでしたら、言っていただければ渡辺が対処いたしますが」
「……はい」
厄介事はいつだって僕だ……内心、そう思いつつ、渡辺も飯だけの重箱をテーブルに戻して頷く。
「気になる、という程の事ではありませんが――」
マンチンハイムもまた優雅に杯をテーブルにおいてから、話し出す。
「彼らの卒業後の事です。原隊に戻った時、現在の彼らでは既成の教育方針を受けた上官達と軋轢をおこすのではないかと……あまりにも急激な方針変更を行ったもので」
――――なるほど。
その言葉に秋山も渡辺も首肯する。
陸大における教育は、秋山ら一期生が師事したメッケルが確立した「教本(操典)の徹底理解と現地運用」「火力・兵站重視」という基本はその後も連綿と受け継がれており、秋山も、そして渡辺もその教育方針のもとに育った世代だ。同時に日露戦争直前の十七期卒である渡辺はその方針で育った最後の世代でもある。メッケルの軍事思想は日清、日露における勝利を日本陸軍にもたらしたが、日露戦争において多くの戦訓を得た日本は独自の軍事思想へと傾斜を開始する。
所謂「白兵戦重視」である。
それまで国力の限界まで、予算の及ぶ範囲で最大限「火力優越主義」を思想としていた日本陸軍ではあったが、日露戦争の戦訓を取り入れる過程で、何故かこの「白兵戦重視」に大きく舵を切ってしまっていた。
推定される理由は様々だった。
二〇三高地攻略における戦略的な準備不足という失策を糊塗する為とも、戦後、大幅に削減された予算に対する方便だったとも言われる。そして白兵戦を重視した結果が、火力戦を支える兵站の軽視につながり、兵站の軽視が更なる火力の不足を招いた。そして行き着いた先が、不足する火力を精神力によって補うという逆転の発想。
部隊の機動力に関してもそうだった。「機動力」を重視し「包囲殲滅戦」を標榜しながら、機動力の向上を機械化によってではなく歩兵の軽装化によって成し遂げようとしている。歩兵だけでなく砲兵にしても機力の不足により重砲は運用上、難しくなり、装備の大半が分解駄載可能な山砲へと移行している。
秋山にしてみれば、今までの陸大教育は何から何まで本末転倒も甚だしく、目的と手段を履き違えていると感じざるを得なかった。そもそも火力不足に対応する手段の一つとして白兵戦重視は間違っている訳ではないが、あくまでも次善の策に過ぎず、この次善の策をまるで至高の策の様に考え、教育の根幹に据えるのは解せない――――大正九年から十二年にかけて教育総監を務めていただけに将校教育に造詣の深い秋山は考えていた。彼の受けた教育と、陸大の現場で講義されている内容は明らかにかけ離れていたし、それが進化であれば喜ばしいのだが、明らかに退化であり怠慢による物だと思えたのだ。
現教育総監を務める渡辺にしても同様だった。彼は“旧世代”の教育を受けていると同時に欧州大戦をつぶさに観察した戦史研究者でもある。国内交通インフラ全てを動員し、補給戦の様相を呈した欧州の戦場をその目で見ている。結果、「兵站が賄えないからと言って、最初から兵站を軽視して良いものではない」というあまりにも常識的な持論を有しており、この部分に関しては現陸軍大臣にして総力戦研究の第一人者である田中義一にしても全く同意見であった。
現在、秋山――渡辺ラインに田中も加わり、マンチンハイムの教育方針を強力にバックアップしている訳だが、日露戦争以降からマンチンハイムの陸大校長就任までの間に陸大を卒業した現場の実務を握る佐官級との間に潜在的な思想対立が発生する可能性もある。マンチンハイムの危惧もここにあった。
「その件に関しては、時が解決するのを待つしかないでしょうな」
マンチンハイムの危惧に対し秋山はそう断言する。彼自身、ドイツ式に転換したばかりの陸大を卒業しており、それ以前のフランス式教育を受けた世代との間に何度も、軋轢や衝突を経験している。その過去から、一朝一夕で分かりあえるものでない事は十分承知しているのだ。
「日露の戦訓を研究し、重視するのは結構だが、俺にはどうにも納得できなかった。だからこそ、マンチンハイム閣下に陸大校長就任をお願いしたのだ。日露の際、敵将であった閣下に……。戦訓を重視するのであれば、都合の良い味方の戦訓だけではなく敵から見た戦訓も付け加えねばならぬと思ったからだ」
「承知しております」
秋山の言葉に、マンチンハイムは頷き、渡辺もまた頷く。
「私は日本陸軍を仮想敵国が迂闊に手を出したら厄介だと思う様な“嫌味な軍隊”に育てあげるつもりです」
“騎兵の神様”が招聘した“黒船”マンチンハイムはそう言って不敵に微笑む。
火力を重視するには、火力戦を支える兵站を重視せざるを得ない。そして味方の兵站を重視するということは、敵の兵站についても重視する事に繋がる。そして、敵の兵站を知る為には情報収集を重視せねばならない――――。
騎兵将校上がりであると同時に情報将校でもあったマンチンハイムの教育の肝はここにあった。
白兵戦を重視し、正面戦力を拡充し短期決戦を標榜するのは良いが、仮想敵国が相手にしなかったら手の打ちようがない。しかし、長期戦や国家総力戦を行うには日本の社会構造、産業構造はあまりに不向き……つまり、現在の日本に出来るのは限定的な局地戦争までである、そうマンチンハイムは見切っており、その点に関して秋山も渡辺も同意見だった。
総力戦を可能にする国内産業を育成するのには、少なくとも向こう二十年はかかると見積もられている。先頃、改訂されたばかりの帝国国防方針内でも「総力戦体制の構築」は目指すべきものとして高らかに謳われてはいるが、目標はあくまでも目標であって、現実ではない。
そして実働部隊を握る秋山に必要なのは遥か二十年後の軍事ドクトリンではなく、今日明日にでも必要となるかもしれない現実の軍事ドクトリンだった。
『総力戦はやらない。しかし、局地戦には積極的に打って出、仮想敵国の心胆を寒からしめるほど徹底的に殲滅すること。あとは政府が外交で何とかするだろう』
まるで暴論だが、これが現在の陸軍を仕切る高級将官の共通した認識だった。
その認識の基礎となっているのは、同じく総力戦は不可能と見切っていた故・上原勇作率いる九州閥の軍事理論であった「短期決戦構想」であり、この理論を極限まで先鋭化し、推し進めたのが秋山率いる現在の陸軍主流派(つまりは九州閥の流れを組む)の軍事理論だった。
例え小事であろうと投入可能な武力を“適宜”ではなく“最大限”かつ“徹底的”に投入、迅速な包囲機動による過剰殲滅戦を実施し、敵国との本格的戦争を未然に防ぐ……総力戦に対応できていない現状では、外交交渉と局地限定戦という二本柱で本格的戦争を避け続けるしかない。
しかし、局地戦で戦争が終結するかどうかも、やはり相手次第な事。
そこで生きてくるのが「彼我の兵站を重視」した教育だった。これこそが自軍の兵站確保と同様に敵国の兵站線をまさしく寸刻みに分断する事を主眼とした非決戦型の軍事思想、日本陸軍独自の軍事ドクトリン「戦略的立体浸透戦」の原型となる。
戦術戦闘レベルの浸透戦術を大規模かつ戦略的に行い、敵に“前線”の構築を許さない。陸路、空路、海路などあらゆる手段を用いて敵を上回る機動力を確保し、敵の捕捉を許さず、敵の意表を突く場所に、敵の不意を突くタイミングで攻撃を行う。
云わば“騎兵の戦術”を数十万単位の兵力で行うという発想のこの軍事ドクトリンは、今現在、秋山らに取り得る最良の選択と考えられていた。
「まるで馬賊山賊の戦い方ではないか」
陸軍部内においても、そう批判の声をあげる者も少なからず存在した。
「不正規戦を正規の軍にやらせようというのか」
と憤慨する者もいた。
秋山は彼らに対しただ一言、こう言って黙らせたという。
「貴様らはシベリアでいったい何を学んだのだ?」
マンチンハイムの微笑みに秋山も応ずる。
「貴国の為にも、ですかな?」
取り様によっては、底意地の悪い質問だ。だが、秋山がその様な人物ではない事は、マンチンハイム自身が一番承知している。
『戦争と馬の事なら何でも知っているが、それ以外の事は何も知らない』
それが秋山という好漢だと思っている。
「ええ。古来より敵の敵は味方、と申します。であれば隣の隣は味方でしょう?」
故国フィンランドの隣はソ連。ソ連の隣は日本。
日本がソ連にとっての脅威であることは、巨熊の侵略に絶えず怯えざるを得ないフィンランドにとって何よりも喜ばしい事であり、その考えはポーランド人が日本を見る目線と一緒だった。故に、この三国政府は先頃より急ピッチで対ソ情報を交換、共有する各種の協定を締結し、密接な関係を築き上げ始めており、中でも軍関係者は対ソ情報だけでなく兵器関連の技術情報の交換に熱心だった。三国のこの関係が急速に進展していったのは互いの間に最大脅威・ソ連が存在していたからであったが、それ以上に
「ソ連という巨大な国家が中央にいることによって、お互いが戦略的脅威に成り得ない」
からでもあった。既にこの方針に従い、外務省はそれまでスウェーデンのストックホルム駐箚公使にフィンランド駐箚公使を兼任させていた体制を改め、首都ヘルシンキに新たに公使館を開設し、業務の移行を開始している。
マンチンハイムの言葉に秋山は笑い、手にした一升瓶を勧める。杯を出しながらマンチンハイムは心の奥で引っ掛かっていた事を思い切って聞いてみることにした。
「総長閣下、お伺いしたいことが……」
「はい?」
杯に注がれた日本酒で唇を湿らすとマンチンハイムは問う。米から作られる日本酒の臭みにも最近はすっかり慣れた。
「貴国とソ連との国交回復についてですが……今後の見通しをお聞かせ願えないでしょうか」
聞かれた秋山は少し考えた様子だったが、自分で説明するよりも渡辺に任せることにしたらしい。促された渡辺が答える。
「南満州鉄道を米国に売却した結果、我が国側としてソ連側に対し国交回復交渉を行う意欲が欠けてしまっており、今は完全に頓挫しております。ご存知のように、南満州鉄道はソ連が権益を持つ中東鉄道と接続しておりましたので、以前は我が国の方が積極的に働きかけていたのですが……」
渡辺の言葉は歯切れが悪い。かといって何かを隠しているという様子はなく、むしろ現・東郷政権が対ソ問題を棚上げし、完全放置している事に困惑している、という感じだった。
「陸軍としては、北樺太に軍を派遣しておりますので……いつになったら同地にいるサガレン派遣軍を撤兵できるか気にはなっているのですが」
「確か名目は保障占領、でしたな?」
「ええ。国交回復がなされ、尼港事件の保証が成された後、撤兵し返還の予定となっていますが……現地の綿密な測量や地図作成、地質調査など必要な事は全て終わっていますから正直、陸軍としては駐留経費がかさむばかりで投げ出したい気分です」
渡辺が苦笑を浮かべながら、そう答えた。
フィンランド自身はソ連と既に国交を回復している。ポーランドも同じく、ソ連との間に外交関係を樹立している。しかし、いまだ日本はソビエト政府を正式承認しておらず、実務を取り扱う領事関係の回復のみを行っている。
日本がどのタイミングで対ソ国交回復を果たすのかは、フィンランド、ポーランド両国にとって外交上、極めて大きな意味を持つ。何故なら国交回復だけならまだしも、同時に何がしかの軍事条約が締結されたならば、日本がソ連の脅威となり得なくなる可能性もあるからだ。フィンランド独善の理想を言えば、ソ連・日本間に常に戦争一歩手前の気配が漂うぐらいの緊張感があった方がいいに決まっている。
「ソ連側からの接触はどうなのです?」
再びマンチンハイムが質問すると、渡辺は秋山の方を一瞬見やる。その姿は「答えても宜しいですか?」と確認している様にも見えた。しかし、秋山は渡辺に任せず、今度は自身が答えた。一応、外交上の問題だけに渡辺に漏えいの責任を負わす訳にはいかない、といったところだろうか。
「かなり積極的です。しかし、彼らには我らを魅了するだけの切り札がありません……ほとんど地続きの国境がありませんからね。しかも、海の上は我が国海軍の方が遥かに強大な現状では、彼の国にとって我が国は脅威でも、我が国にとって彼の国は純軍事的には今やさほど脅威ではないのです」
秋山の言葉にマンチンハイムは納得し、胸の奥で安堵のため息を漏らす。少なくとも日本側にソ連との関係において、早急に親密な友好関係を築く必要性を感じていない事は確認できた。満足のいく答えではないが、互いに相思相愛でない事だけは確かのようだ。日本がソ連を脅威と感じるのは、ソ連側が海軍の拡張に着手した時だろうが、それが完成するには物理的に数年単位の時間が必要となるはずであり、それを日本海軍が座視する筈もない。
「なるほど……では、もし、日本とソ連間で交戦が行われるとしたら、どの様な形が考えられますか? 地域は満州方面でしょうか? それとも樺太方面でしょうか?」
マンチンハイムの今度の質問はフィンランド人としてではなく、陸大校長としてのものだった。どの戦場で、どの様な形の戦いが想起されるのか? は次代を担う俊英の撫育を任されている身として知っておかねばばらない問題だった。
「満州方面でやるとなると米国との関係が問題になります。米国が敵か味方か。もし敵であれば我が国は望まない米国、ソ連との二正面全面戦争という形になるでしょう。反対に味方であれば、あくまでも物心両面からの支援に留まるのではないかと考えています。兵力の派遣は何より米国自身が望まないでしょう」
秋山の言葉は、日本と米国の微妙な関係を物語っていた。互いに信用も信頼もしていない両国はひたすら相手を利用する事だけに励んでいるのだろう。それに事実上、勢力圏が地続きになった米国を制し、その向こうにいるソ連と対決する可能性など皆無と言って良い。
「ならば、日本がソ連と結んで米国を挟撃する可能性については?」
マンチンハイムの質問に秋山と渡辺はキョトンとした顔をするが、やがて苦笑いとともに答える。
「ソ連の共産主義も、米国の民主主義も、どちらも我が国の国体とは相容れません。実際にそのどちらかを選べと言われても正直、困りますな」
「共産主義は無論、論外です。それとは別としても民主主義が至高の政治体制という訳ではないでしょう? それを信じている人間はアメリカ大陸の北の方に多いようですが、彼の地がそれほど理想的な国家であるとは思えません」
秋山も渡辺も口々に答える。主権天皇制の日本にとって、民衆に主権があると考える時点で共産主義も民主主義も大差はないのだろう。
「可能性の範囲でのお話でしたら、樺太方面における可能性が高いでしょう。それも我が国が北樺太を返還した後での話です。現状、さすがに海峡を押し渡ってまでしてソ連軍が進出してくる可能性はありません。冬の結氷期には海軍力を頼りには出来ませんが、敵にしても氷の上を押し渡ってくるとは考えられません」
秋山の言葉に、マンチンハイムはしばし考え込み、質問の切り口を変える。
「人口はどの程度いるのです? 樺太には」
意外な質問ではあったが、渡辺は懐から手帳を取り出すと、しばしの間、ページをめくる。その姿はまるで大学教授のようだ。
「北樺太が38018人、南樺太が195525人ですね。これは前年の調査になりますが」
(そこまで詳細にやっているのか……)
内心、あまりに細かい数値を出してきた渡辺に、そして日本政府の丹念さに驚く。南樺太はともかく所詮、返却する土地である北樺太の人口調査なのに、そこまで詳細にやる必要があるのかどうか。まったく何をやらせても日本人の徹底ぶりには驚かされる。
「もっとも、南樺太に関して言えば現在、大々的に開拓民を募集していますので、今後、急速に人口が増加するものと思えます」
一昨年、突如として米国内で沸き上がった排日移民法制定の動きは結果として東郷訪米の余波を受け、うやむやのうちに立ち消えになっている。しかし、米国のこの動きを見て取った日本政府は、いち早く米国への移民の自粛を行い、永住目的の渡航を制限し、移民希望者に対しては樺太開拓民となるよう指導している。この動きに満鉄売却以降、内地へ引き上げてきた満州開拓民や工業化が著しく遅れた結果、就業先に乏しい朝鮮人が職を求めて加わり、南樺太は現在、急激な人口増加を見せ始めていた。
林業と漁業、畜産業ぐらいしかなかった産業構造に、昨今では大規模な製紙企業が次々と進出、更に炭鉱開発が加わり、現地は労働不足の状態だ。なにしろ石炭が安価で安全な露天掘りで掘れるのは、日本国内ではこの樺太ぐらいであり、またその炭田自体、各地で次々に発見され続けているのだ。
住むにしても極寒の地と思われがちだが、冬期の平均気温は北海道内陸部と比べて暖かいぐらいであったし、その辺の沼地を手掘りすれば自家暖房用の泥炭はいくらでも手に入った。冬の寒さを安価にしのぐ方法さえ手立て出来れば、牧畜と漁業によって食の基盤がある樺太はそれなりに住みやすい。
「開拓民の子らが成人する頃には、人口は軽く100万人を超え、樺太県になっているでしょう」
「いっそのこと、樺太北部をこのまま占領し続けたら如何でしょうか? もし、貴国が領有を宣言するのであれば、私は我が国政府に働きかけて支持を表明させますが……」
マンチンハイムの突然の申し出に秋山は一升瓶を抱えたまま黙り込んだ。渡辺は懐に手帳をしまいながら、考え込む。
(閣下の申し出の真意は容易に推察できる。日本とソ連の間に緊張関係を増す為の見え透いた一手だ)
(国際世論はどうか? 日本の行為を批判するだろうか?)
(米国は批判しまい。彼の国は我が国以上にソ連に対し嫌悪を抱いているし、国交回復も政権承認も行っていない。支持こそしないだろうが、黙認はするだろう)
(英国は? 英国はソ連と外交関係を樹立している。日本の領有宣言を領土拡大への野心と見るだろう。しかし……最終的に日本とソ連、どちらを選ぶ?)
(そもそも、何の権利をもって樺太北部の領有を宣言できるのだ? 炭鉱も油田もあるが、そんなものの為に国際的な信用を失いかねないじゃないか)
――――不可能です。
渡辺がそう答えようとした瞬間、秋山が先んじて答える。
「領有は出来ますまい。しかし、実効支配を続けることは不可能ではないでしょう。国交回復交渉次第では割譲、或いは租借も可能かもしれませんが、そこまでして我が国は領土を拡大したい訳ではありません」
(さすがは総長閣下。的確な答えだ)
渡辺は秋山の意外な嗅覚に感心する。先ほど、マンチンハイムに説明したように日本側にソ連との修好を積極的に求める理由はなく、ソ連側には日本を交渉のテーブルにつかせるだけの切り札がない。
だが、樺太北部が“切り札”になると考えたら?
コミュニストの得意な不正規戦をやるには大衆の「海」に煽動工作員を埋没することが必要だが、残念ながら樺太北部の人口では「海」には成り得ない。せいぜいが水たまりだ。
海峡部には日本海軍が居座り、軍事的には当分の間、回復不能な樺太北部……。
過去、ソ連は政権確立の過程でポーランドにも、ルーマニアにも国境確定交渉に際して大幅な譲歩を行っている。日本に対しても譲歩する可能性は大いにあるのではないだろうか?
(もし、何らかの理由でソ連政権が不安定になり、我が国との外交関係樹立を急ぐような事態に陥ったならば、或いは……)
渡辺の予測は不幸にも的中し、日本は未曽有の厄介事に巻き込まれることになる。