保管用 6
大正十四年十月(1925年10月) 初旬
埼玉県 草加町
千代田区を基点とし、北に向かう東京縦貫街道、通称:放射十二号線はかつて日光街道と呼ばれた街道を拡幅したもので、千代田――草加町区間の道路幅員は四十間に達する。同じく、千代田区から南に向かい、品川を経由して神奈川県川崎市までの区間も同様に四十間に拡幅されており、こちらは放射六号線と呼ばれている。両道路共に震災復興事業の一つとして整備された東京の南北を結ぶ大動脈であり、同時に帝都を東西に分ける防火帯でもある。
この南北縦貫街道に限らず、千代田区を中心として西に東に三十間道路が放射状に整備されつつあり、それだけでなく、その放射状道路を結ぶ幅員三十間の環状街道が二重、三重に整備され始めていた。更に、復興都市計画区域内のありとあらゆる場所において広大な公園用地として空き地が確保され、加えて東京市内の大部分の商業用地には建築構造上の制限や建蔽率に関する厳しい制限が課せられた。
無論、これらはいずれも将来再び起こるであろう“震災”に備えてのものであり、先の震災時の被害を拡大させた主たる要因である火災の類焼に対する予防措置でもある。
後藤新平が采配を振るうこれら帝都復興計画は都市計画としては未曽有の規模に達していた。もとより「大風呂敷」と仇名される人物に二五憶円という途方もない資金を与えたのである。後藤に任せた時点でこうなることは分かっていたはず――と言わざるを得ないであろう。
復興都市計画区域内に指定された東京市内においては次々と強制執行によって土地が政府に買い上げられている。従来の東京市民は、東京郊外や神奈川、埼玉、千葉といった周辺地域に代替地を与えられ、追い立てられていく。焼け野原とはいえ住み馴れた土地を追い出され、集団移転させられた江戸っ子達の憤激と怨嗟の声は大正デモクラシーの自由な風潮に支えられ、政府に対する厳しい糾弾の声となったが、政府はあくまでも初志を貫徹する姿勢を崩さす、後藤が推進する施策を全面的にバックアップし、断行させた。それが可能となったのは、後藤自身が矢面に立ってこれら厳しい糾弾の声を受け止め、各地に説得に赴いたことが大きい。
だが、それはあくまでも表向きの理由だ。
本当の理由は、政府による土地買い上げに対し、真っ向から批判を行っていた枢密院の首領 伊東巳代治の事実上の失脚にある。銀座周辺をはじめ東京市内の一等地において“大地主”として必ず名前の挙がる伊東は前年の選挙において田中義一を支援した閥の領袖の一人であったが、その田中が予備役編入に追い込まれ失脚した後は、自身も政財界に対する影響力を一気に喪失してしまい、彼が暗躍し、音頭をとっていた強制執行反対運動は東郷という錦の御旗を掲げた政府の前にあっさりと潰えてしまったのだ。
核を失った住民運動ほど脆いものは無い。
霞が関から距離にして二十キロ。自動車であれば三十分足らずのごく僅かな距離を隔てた埼玉県北足立郡草加町は今や「第二の霞が関」に変容しつつある。これも無論、後藤の発案によるものだったが実際に強力に推進したのは浜口以下内務省三役を中心とした官僚団だった。政治の中心地である霞が関周辺から、この一面の田畑が広がる長閑な武蔵野の農村地帯に本省を移転する事にした省庁は内務省と商工省、そして逓信省、鉄道省の四省だった。
前年に農商務省が分割され、のれん分け同様に成立したばかりの商工省はその後も農林省と同じ庁舎に雑居状態が続いていたのだが、これを機会に間借りの身から一国一城の主となるべくこの草加町に移転、これは誰しもが納得できる理屈だった。
内務省に次ぐ人員を傘下に収める逓信省は産業整備そして景気回復の為のインフラ整備事業の目玉政策の一つである“ラジオの普及”“電話の普及”を推進するに当たり、大幅な人員増員を行っている最中であり、既存の逓信省本省では色々な意味で手狭となっていたことから、この移転計画に乗り、草加町に引っ越した。これもまた、皆が納得できる道理であり、この逓信省と密接な関係を持つ鉄道省の移転も同様だった。
そして“省庁の中の省庁”内務省がこの地に移転を決定したのは、草加町が震災時、直接的な一次被害が東京市内に比べ遥かに小さなものであったことから、霞が関の政府機能が麻痺した場合に備え、その緊急時の補完を行う為と公式表明されていたのだが、実際には違っていた。
元々、内務大臣は事実上の“副総理大臣格”と目され、総理に何か不測の事態が起きた場合にはその職権を一時的に継承する閣僚中の第一人者(総理を含めれば次席扱い)とされている。この事に目を付けた浜口内相、そして内務省三役が意図したのは、二月事件の様な大規模テロや昨今、世界的に世相を騒がせている革命が起きた場合に備えての政府・首都機能の完全な分散にあったのだ。
広大な敷地を持つ内務省新庁舎内には新設された国家憲兵隊が中隊規模で駐屯する事となっており、仮に霞が関の首相官邸や国会議事堂などが革命勢力によって制圧されたとしても、隅田川、荒川の北側にある草加町まで同時かつ短時間にて制圧するのは至難の技と言わざるを得ない。加えて内務省と同じく移転を決した逓信省と鉄道省は共に国内の通信、交通、郵政、物流を所轄する巨大省庁であり、それらは誰が政府転覆をはかるにしても必ず掌握しなくてはならない機能といえる。
巨大な私兵集団を保有する内務省と通信交通業務を統括する逓信省、鉄道省らが霞が関から“都落ち”し、この国の政府中枢は地理的には完全に『二極体制』へと移行したと言って良いだろう。それはこの国において軍事クーデターを成功させることが著しく困難な物になった事を意味していた――――。
この日、復興担当無任所相である子爵・後藤新平は旧友と面談していた。阿片禁止令違反の疑いにより起訴されていた旧友の嫌疑が晴れ、検察による起訴が取り下げられた事を祝して、ささやかな祝いの席を催していたのだ。
旧友の名は星一。
東洋最大の製薬会社『星製薬所』の社長であり、『星製薬商業学校』など主として医療製薬関連の企業集団を率いると同時に当時としては珍しいSF作家でもある。また、無所属ながらかつては代議士でもあり、かの高名なる医学博士野口英世のスポンサーでもある。
星は同時に後藤の政治資金源でもあった。彼が全くの冤罪と言って良い阿片禁止令違反の罪に問われたのは、その後藤との蜜月関係に起因している。後藤と政敵関係にあった故加藤高明内相が後藤の資金源を断つべく、内務大臣としての立場を利用して星を追い詰めたのだ。そもそも、この阿片禁止令違反自体、台湾総督府から払い下げられた阿片を薬剤原料として保管していたところ、早々に処分せよと内務省側に命じられた為、内戦中で麻酔原料となる阿片を欲していたロシアに転売しようとした結果、起訴されたものであり、星にしてみれば政府のいう事を聞いたのに何故、起訴されるのか、と全く理解に苦しむことであっただろう。
しかし、冤罪とはいえ起訴された星の世評における名声は大いに失墜した。もし、二月事件により加藤が横死していなければ、起訴は長引き、星の再起は不可能となっただろう。加藤側にしてみれば、星を投獄するのが目的であったのではなく、あくまでも星の社会的な立場を弱体化する事によって後藤新平の政治的排除が目的だったのだ。
加藤も、後藤も、ともに東郷内閣において重職を務めた間柄である。
だが、それでいて水面下、政治的な暗闘は絶え間なく繰り広げていたことになる。無論、加藤の陰湿なやり方を批判できる立場に後藤はない。後藤とて寺内内閣において内務大臣を務めたおり、自身もかつて所属していた加藤率いる立憲同志会(後の憲政会、政友会と合同した後は民政党主流派)に選挙干渉を行い、これを徹底的に叩きのめしている。
加藤の星に対する起訴は後藤に対する、言わば意趣返しだったのだ。
後藤は夢が大きく、その発言は放言と受け取られる様な男だ。その後藤と長年に渡って行動を共にしている星もまた、気宇壮大な夢を追う男だった。五十を過ぎるまで結婚をせず、私生活を顧みずに事業に、政治に打ち込んで生きてきた。それが取り下げられたとはいえ起訴されたのだ。星の名声は大きく瑕ついた。
しかしながら世間一般の評価と違い、投資家や銀行家から見た企業家の名声とは、この時代も、そして現代においても、過去の実績にあるのではなく、将来の事業計画を如何に見通しているかで決まる。起訴によって、確かに星の社会的な名声は多分に危ぶまれるものにはなったが、企業家としての星の名が必ずしも致命的に疵ついたとは言い切れない。
彼が次々と考え出す独創かつ壮大な事業計画は妄想と計画の境界線上に位置する類の物であったが、その実現は不可能とは言い切れず、不可能でないならば博打を打つ投資家や銀行家は少なからず存在する。
投資が得られず、銀行融資が受けられない時、企業は壊死する。
それはかつての鈴木商店がそうであったように企業の大小に関係なく自然の理だった。本来であれば企業家として生き延びることが適わない筈だった星と彼率いる星グループは、一旦は窮地に追い込まれたものの二月事件の思わぬ顛末によって死の淵から昂然と蘇ろうとしていた。
小ざっぱりとしたスーツを身に纏いながら、その頭髪は櫛などいれた事がないようなボサボサの白髪、大ぶりで厚めの丸眼鏡、長身でありながら痩せすぎの印象がある星は久々に心が晴れていた。起訴期間中、もちろん拘留されていたわけではないし、自宅に住んでいたのだが、やはり精神的にかなり辛かったのは確かだろう。彼自身の身に降りかかった“災難”の原因が目の前に座る後藤新平にあることは十分、承知していたが、その事で後藤に恨み言を言ったことはない。むしろ、起訴期間中、自分と関係で後藤によくない噂が立つことを恐れて、会うのを遠慮していたぐらいだ。並の企業家であれば、後藤との親密な関係を言い立てて、捜査当局に対し圧力をかけてもおかしくない状況だった。
だが、星はそれをせず、後藤もまた、星を己の政治力を行使して庇護しようとはしなかった。二人は盟友と言って良い関係にあったが、それは互いを利用する為のものではなかった、という事だろう。
「こいつらは君への祝儀だ」
草加町の商店街、この地における新たな商売の匂いを嗅ぎつけて赤坂の高名な料理店からのれん分けして開店したばかりの割烹の座敷、その上座に座った後藤が、右手に座る盟友に酌をしながら笑う。いたずらの成功を確信した笑いだ。
「子爵もお人が悪い」
驚きを禁じ得ない様子で、星が応じる。その顔色には緊張の色が伺える。この日、座敷には後藤と星の他に二人の男が座っていた。
一人は金子直吉。鈴木商店の専務取締役を務める男だ。そしてもう一人は結城豊太郎。安田保善社において同じく専務取締役を務める男だ。
両者は安田・鈴木連合結成の功労者であり、今や、既成大財閥に対して挑戦状を叩きつけた財界の風雲児と目される。そして星が起訴されていた間、後藤の政治資金を賄っていたのもこの両者だった。
「金子です。お見知りおきを」
商売人として天賦の才を持つことで財界にその名を知られる鼠の様な初老の小男が如何にも腹に一物ありそうな顔で自己紹介する。策士を絵に描いた様な男だ――星は金子を見てそう思った。
「安田保善の結城です。いや、大変な災難でしたな。誠、お疲れ様でした。仔細は子爵より伺っています」
後藤に注がれた杯を星が空けるのを待ってすかさず銚子を差し出し、酌をする。安田銀行副頭取という金融界の実力者を前に、さすがの星も思わず杯に両手を添えてしまう。米国留学が長かったせいで日本財界に知己が少なく、疎い星でさえ結城の名は知っていたし、星を畏まらせるだけの権力を結城は持っていた。
この日、後藤新平は自らこの草加町の新省庁建設区域の視察に訪れており、星はここに呼び出されたのだった。旧友同士、久々に水入らずで……と思い、指定された料亭に顔を出した星にしてみれば、後藤が財界の新興勢力を代表する二人を伴っていたことは驚きだった。
驚きではあったが後藤の狙い、そして金子と結城の求めも正確に察知した。恐らく、後藤は結城に星への融資に便宜を計らう様に依頼し、結城は商売上のパートナーである金子にその件を相談したのだ。そして二人は星という男が企業家として融資をするに値するかどうか、面接する為に同席したのだ。だからこそ、星は二人を前に緊張した。
しかし、星自身は気が付いていなかった事がある。いや、気が付いてはいただろうが、それを利用する事を躊躇っていたのだと思われる。故に後藤はこの盟友の背中を押さねばならなかった。そして安田・鈴木連合を率いる二人にしてみれば、星に出資するかどうかは星が彼らの求めに応ずるかどうか、ただその一点にかかっていると考えていた。
欧州大戦後――――。
ドイツの科学者、中でも化学者たちは悪名高い毒ガスへの関与から資金面で完璧に冷遇されていた。研究資金はもとより、日々の生活資金にさえ事欠くほどであり、世界で最も先進的な頭脳を有する集団でありながら極貧生活にあえぎ、芽だらけになった萎びたジャガイモで日々、腹を満たすのがやっと……という生活を送っていた。
「今日の日本があるのは、明治維新の時、ドイツ科学界の協力があったからだ。我々は恩返しをしなくてはならない」
この悲惨な状況を知った星は一人、そう決意した。彼は邦貨で8万円もの大金を投じて『星基金』を設立、“毒ガスの父”と呼ばれたノベール賞受賞の天才科学者フリッツ・ハーバー博士にこの運用を託し、その後も毎年、数万円単位の資金を寄付し続けている。
星の事業が順風満帆な時代には十分、可能な寄付であったが、その後、星は起訴され、また日本は不況の波に呑まれた。
それでも、星は寄付を続けた。自宅を抵当に入れ、莫大な借金を背負いながらも 「一度約束した事だ」と言い、寄付を続けた。
その結果、前年にはハーバーの日本招請に成功し、自身は国賓待遇でドイツに招かれ、熱烈な歓迎を受けている。
「相手の弱みにつけ込んで、籠絡しようとしただけ――――」
星の行いをそう悪意を込め、悪し様に罵る者も確かにいた。だが、その者達もハーバー博士が日本来訪時に星への感謝を込め、贈呈しようとした最高級ドイツ染料の日本国内における独占販売権という破格の贈り物を辞退した時点で、その口を閉ざさざるを得なかった。当時、染料と云えばドイツ化学産業界の独壇場として他国の技術水準を全く寄せ付けない代物であり、その利権は巨万の富を産み出す物だったからだ。
それを星はいとも簡単に断ったのだ。
彼が如何に無私の人であったか、その一例だけでも十分な証明となるだろう。
「もし……もし、ご両所のお望みがドイツより化学者を招請せよ、という事でしたら、先にお断りさせて頂きます」
星は居住まいを正すと、そう毅然と言い切った。星の保有する最大の財産、ドイツ化学界との極太の人脈を利用しようというのであれば、例え後藤と終生、袂を分かつ事になったとしても良いと思った。ドイツの化学者たちは今、賠償金の返済に苦しむ国家、国民を救おうと一致結束して研究に打ち込んでいる。彼らの研究の成果は、彼らの、そしてドイツの物であり、ドイツ人が育てた彼ら研究者の成果を日本人が横取りして良いものではない。
「そう言うと思ったよ」
微笑を浮かべ、後藤は再び銚子を差し出す。しかし、星は両の拳を正座した膝の上に置いたまま、ピクリとも動かない。
「堅物め」
星の頑なな様子を見て、酌をするのを諦めた後藤は、差し出した銚子を下げ、自らの盃を満たしてから苦笑とともに視線を金子と結城に向ける。
「……という訳だ。残念ながらこいつはご覧の通りの男なんでね」
金子の表情にも、結城の表情にもありありと落胆の色が伺えた。
――――円高を利用して世界各国から製造権や販売権、特許を買い取っている現在の日本産業界ではあったが、それらが必ずしも全てうまくいっている訳ではなかった。現段階の日本の基礎技術の稚拙さは、外国企業から諸権利を買い、技術支援を受け、製造プラントを買ったとしても簡単には軌道に乗らないのが実情であった。
一例をあげればハーバー博士も在籍しているカイザー・ウィルヘルム研究所から日本窒素が液化石炭の特許及び製造権を数百万円で買い取ったが、水よりも安い価格で原油が輸入できる現状では経営的なメリットは全く無く、それに加えて量産化するには技術的な課題が山積み状態であるという。結局のところ、日本窒素が買い取ったのは「石炭を液化して代替石油を作る技術」であって「代替石油を量産する技術」ではないのだ。それを量産化するには継続的な研究開発が必要であり、その為に必要なのは権利ではなく研究者なのだ。
その研究者招請への道を拓く者として、その人脈から期待された星ではあったが、カイザー・ウィルヘルム研究所に日本人研究者を派遣し、学ばせることを仲介し斡旋する事には同意したものの、招請に関しては首を横に振るのみだった。
「誠に残念」
金子はそう言うと「もう用はない」とばかりに手酌で満たしていた杯を干す。
「ご立派なお考えです。感服いたしました」
口ではそう言ったものの結城は吸っていた紙巻の火口を揉み消すと、席を立つ準備を始める。後藤からの依頼とあって星に会ってはみたものの、その心意気は彼らの商売人としての琴線に触れることはなかったようだ。
「私は医師です。子爵、貴方もそうでしょう?」
白けきった座の中で星は後藤に向き直り、そう問う。
「如何にも」
後藤はそう答えつつ、関西からわざわざ汽車でこの草加まで出向いてくれた金子に労いの言葉をかけはじめる。星の問いは、適当にあしらわれ様としていた。
「ならば、医術で国が治せますか?」
「医術で国が治るのであれば、俺は扁鵲や華佗を超える名医だろうよ」
「いいえ子爵、貴方はとんでもないヤブ医者ですよ」
星との付き合いは長い。だが、後藤は星から戯れであったとしてもこの様な事を言われたのは初めてだった。
「ヤブ医者か……ふん」
(俺に向かって面白い事を言うじゃないか)
後藤は視線を細め、糸の様にした僅かな隙間から星を睨み付ける。
「私が会社を起こし、今日の地位にあるのは薬を売ったからです」
「知っておるわ」
――――米国留学から帰国した星が、消炎湿布薬の販売に乗り出し、それが大ヒット商品となった事が彼の製薬会社の基礎となっている。その後も胃腸薬やマラリアに対し唯一効力を発するキニーネなど彼は大ヒット薬品を次々と発売し、その財を成した。
「日本は他国から原料を輸入し、これを加工して輸出し糧を得る。これは言ってみれば点滴で輸血してもらいながら働くようなものでしょう?」
「輸血か……星さんは面白い事を言いなさる」
杯を膳に戻しながら金子が愉快そうに笑う。
「だが、私の会社は違う。全てとは言わないが、他国からの輸血に頼らざるとも 十分な糧を稼ぎ出しています。重工業など他の産業と違い製薬産業とはそれが可能な産業なのです」
星製薬の主力商品の原材料はアルカロイド化合物であり、それは植物由来の物だった。植物由来である以上、北は千島樺太から南は台湾にまで至る南北に長い日本の特性を活かせば、ありとあらゆる原料植物が自給栽培可能であり、それは「輸入に頼らなくてすむ」産業だった。星は次第に熱を帯びた様に語る。
「何故、この国が製薬事業に力を傾注しないか? だから私は子爵、貴方をヤブ医者だと言うのです」
アルカロイド系薬品に限った事ではない。石炭乾留物から抽出されるタールを原料とする炭素系薬品も日本国内で自給が十分に可能だ。原材料を国内産で賄えるという安定供給の利は他産業には無い絶大なメリットであり、それは日本生糸業界が世界を制した絹製品と全く同じ種類のものだ。
そして何より売価の高さ。
研究開発に莫大な資金と年月が必要とはいえ、そこから得られる莫大な利益を見過ごし、この産業に力を入れぬとは何と不見識な事か。
「今、輸入している薬を全て国産化したらいったいどれほど外貨を使わずに済むか……お考えになられたことがありますか?」
後藤は答えようとはしない。医師であり、内務省の衛生畑を歩んだ彼にしてみれば、星の言っている事は痛い程、分かっていたからだ。
「そして私はもう一つ、提言したい」
星は企業家であると同時に教育者でもある。自身の製薬会社の教育部門を独立させて薬科専門学校を経営してもいる。その星が言い出したのは、日本の医療現場、言い換えれば病院経営の現状に対する批判であった。
この当時の日本の病院において、実のところ「看護婦」は稀な存在だった。
看護婦は医師の医療補助を行う立場の者であって、入院患者を看護する役目の者ではなかったからで、それ故、各病院で必要とする看護婦の数は恐ろしく少ない。病人が入院した時に看護を行うのは付添い家族の役目であり、また、入院患者に対する給食の提供すら行われておらず、食事は家族が持参していた。食事管理が大切な入院患者に持参した冷や飯や冷粥を与えているようでは、どんな薬を与えようと治癒するものもしない。
星は吠える。起訴中、鬱屈していたものを吐き出すかのように物静かなこの男は吠え続けた。
「病床の数に応じて雇用する看護婦の数を規定し、病院側看護を徹底させる法令を作る。これにより間違いなく絶対数が不足する看護婦の育成には、各地に看護学校を設立して対応し、その学生には当面の間、生活補助を与える。これだけで巷で失業中の婦女子がどれだけ近い将来、職にありつけると思われるか」
失業中の婦女子が救われる――――その言葉は、金子の胸に音を立てて突き刺さった。
金子は、鈴木商店の不採算部門を社員の身の振り方が心配であるとして切り捨てず、結果、同社の業績を急速に悪化させてしまったほどの男だ。人一倍、従業員の事を気にかけ、親身になってきた。そんな金子にとって、星の言葉は、首を切りたくとも切れない従業員達の先行きに対する光明に見えたことだろう。
「星さん、やりましょう」
金子は傍らの結城の方をちらりと見て、頷く。天才商売人であるパートナーの発したGOサインを見た結城もまた頷く。ドイツからの研究者招請に関しては思う様にはならなかったが「東洋の製薬王」と呼ばれる男は、全く別なアプローチから医療・薬品産業に巨大利権が存在する事を教示してきたのだ。
「法令の方は私の所掌外だからね……しかし、まあ、内務省の衛生局には旧知の者も多い。彼らに話はしておこう」
乗り気になった金子、結城の二人を見て後藤も応ずる。
(医薬品の輸出は外貨獲得の巨大な武器となりうる。そして医療現場の改革は、教育現場にまで新風を吹き込み、新たな雇用を創出するだろう。人件費が嵩むせいで、これから先、医療費は高くつくかもしれんが、東郷内閣が目指している国民皆保険制度と合わせて推進すれば、個人負担は相応に緩和されるはず……)
「明治の初めの頃、この国が海外に輸出できるものと云えば、マッチと注射針だけだった。あれから五十余年か……」
ヤブ医者と罵倒された男は、静かに感慨にふけった。
――――医療、薬品への莫大な研究投資の結果、後年、さまざまな医薬品、医療器具、看護介護用品、更には医師、看護婦、保健婦、助産婦などを含めた『総合病院そのもの』を輸出し、大いに『医療大国』の名を知らしめる事になるこの国。
この夜、草加町の片隅で開かれた小さな面接から、この国が喉から手が出る程欲しがっていた「代替の効かない生糸に変わる輸出品」が生み出されたのだった。