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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
88/111

保管用 5

 国家最高機密とされ、帝国の国家戦略を定める帝国国防方針は、その特殊性故に関係者すべてに厳重に箝口令がしかれ、個人的な覚書や日記一切にすら記録を残すことは許されず、内容はおろか携わった者の官職氏名すら全て非公開とされている。

 ましてや大正十四年に策定された第五回帝国国防方針は、その中心人物となった内閣総理大臣 元帥海軍大将 侯爵東郷平八郎の威光を慕う海軍の猛烈な反対により、後年に至るまで改定は行われず、結果、国策を末永く拘束し、次代へと引き継がれる『不磨の大典』へと変化していった。「盲信」と言ってもよい程の東郷個人に対する過剰過大なまでの海軍の評価に関して言えば、この時代以降の海軍にそれを超える人材を得なかったという事実の裏返しであった、ともいえるだろう。

 尚、内務省という巨大省庁に対抗する為、予算獲得の面から海軍省と共同歩調を取らざるを得ない陸軍省は、政府と教条主義的な性格を帯びた海軍の間に挟まれ、気の毒なほど対応に苦慮をする羽目に陥る事になったという。




1925年9月

ドイツ・ワイマール共和国 ベルリン


 この日、スタンダートなブルーグレー色のヨーロピアンスタイルスーツを纏った山本五十六海軍大佐は巨大なフリードリッヒ大王騎馬像の足下を過ぎ、有名な散策道『ウンター・デン・リンデン』をゆっくりと歩んでいた。ベルリン中心街を縦断し、古今数々の文豪、芸術家を魅了してやまないこの長大で直線的な並木道に植えられた菩提樹は樹齢三百年に達していると言われている。一抱えもある幹からは天を衝く枝振りを誇らしげにかざし、長年の風雪に耐えた古木たちは、数々の歴史的事件の目撃者としての威厳に満ちている様にも見えていた。春には小さく淡い黄色い花を無数に咲かせ、晩秋には見事な紅葉となるこの樹も、夏を過ぎたばかりのこの季節では深緑の葉を纏っており、その樹皮から漂わせる独特のハーブ香が周囲の空気を心なしか落ち着かせてくれる。

 静かに佇む国立図書館、国立歌劇場を過ぎ、ベルリン最古の大学であるフリードリッヒ・ヴィルヘルム大学の前を通りかかると、校内から吐き出された多数の学生達の波に山本はのまれた。

 山本は静かに観察する。

 ベルリン駅を降りて以来、失業者が溢れるこの国の生活が相当に厳しいものであることを改めて知った感が強い。盲目的に政府の主戦論に従って開戦し、国内における叛乱発生という結末を迎え一敗地にまみれた彼らドイツ市民は今、敗戦国として多額の賠償金を課せられ、日々、物価高騰に苦しんでいる。几帳面に手入れされた街並みに被害が皆無である為、そこに息づく人々の生活苦が余計に際立って見えてしまうのだ。

 しかし、希望がない訳ではない。

 米国が約束していた借款は前年、反故にされてはいたが、東隣において大国として復興したポーランドが統制経済を敷いて以来、農業国からの脱皮を狙う同国からの工業品をはじめとした受注が相次ぎ、精密さと先進さで知られるドイツ企業は静かに復活の兆しを見せていることが大きい。

 ポーランドからの支払いの多くは外貨ではなく、小麦など食糧によって支払われるバーター貿易ではあったが、戦争によって働き手の多くを失い、農地荒廃が進んでいたドイツでは食糧不足が深刻な時期でもあったので、外貨以上に尊ばれていた時期でもある。

 加えて、ポーランドとの関係改善は双方にとって良好な経済効果を伴っていた。互いに兵力の過半を国境地帯に配備していた以前に比べ、財政負担は大幅に減少し、更にポーランド側が所謂“ダンチヒ回廊”を経済特別区として開放、ドイツ人の自由往来を許可した結果、かつての支配民族と被支配民族という敵愾心に満ちた両国民の関係は著しく改善されつつある。

 ヨゼフ・ピウスツキが主導する開発独裁体制により、国家リソースを適宜、必要な地域、業種に投入できるポーランドの経済的伸張に引きずられ、復活の兆しを見せ始めたドイツ企業の存在は、失業者予備軍の若者達の光明となっていた。父や兄を戦場で失いはしたものの、自身は戦場を知らない彼ら学生たちはあくまでも快活であり、極貧の中にも豊かな未来への希望にあふれているように山本には思えた。


 米国駐箚大使館附陸軍武官である原口初太郎少将に紹介された独国駐箚大使館附陸軍武官 石原莞爾中佐と待ち合わせたのはノイエ・ヴァッヘと呼ばれる場所だった。

 元々は帝国の近衛兵詰所だったというこの建物は、帝国崩壊後もベルリンの中心街であるこの場所で滅び去った栄華を懐かしんでいるかのように屹立していた。ドイツ流新古典主義的の特徴を有しているノイエ・ヴァッヘは華美な装飾を忌避し、質実な中にもゲルマン好みの荘厳さを醸し出しており、新古典主義そのものに対する歴史的な嘲笑を物ともせず、その設計者、そして建築を命じたフリードリッヒ・ヴィルヘルム三世の意図通り、格調高く今日も聳えている。色調や装飾に派手さは一切なく、直線の組み合わせで作り上げた様な無骨な外観でいながら、ドーリア様式の柱廊回廊を構成する前後二列に建てられた十二本の石柱はいずれも古代ローマの建造物を彷彿とさせる巨大さを誇っており、見る者を圧倒する意図を隠さない作りは如何にもドイツ人が好みそうな作りであり、同時にそれは日本人好みでもあった。

 先に待ち合わせ場所に到着したのは山本の方だった。

 スーツ姿の山本は如何にも観光客といった風を装いながら、手近にあったベンチに座り、くつろぐ。ノイエ・ヴァッヘを囲む広場には夏の最後と秋の予感を楽しむドイツ人たち、そして米国人と思われる多数の観光客がおり、実に賑やかだった。

 

 十二月一日付で米国駐箚大使館附海軍武官を拝命した山本は、通常であれば東回りで西海岸経由かパナマ経由でワシントンに向かうところを、あえてシベリア鉄道を使い、ヨーロッパ視察を兼ねて西回りでワシントン入りすることを海軍省に希望し、その許可を得ていた。無論、目的は原口に紹介された陸軍の対ソ戦研究の第一人者 石原に会うためだった。


 (大使館ではなく、こんな場所を選ぶとは……石原中佐という男、何か考えがあっての事か?)


 待つまでの間、時間を持て余した山本はいつもの様に思考の海に沈む。米国アナポリスにおいて東郷が山本に課した宿題。あれ以降一年半もの間、ずっと、答えを考え続けた。しかし、いまだ答えは出ない。


 (帝国本土に直接、敵を寄せ付けない為には、内線を利用できる日本海は格好の防衛拠点。しかし、日本海を完全に安全な領域とするには、沿海州の存在が邪魔……沿海州を得るか無力化して、日本海を内海とできれば、日本の『盾』は完成するのか?)


 東郷の兵棋演習を観戦したものならば、誰でもここまでは思いつく。

 仮に米国、或いは英国、又はその両者と戦火を交えることになった場合、大陸との安全な航路として日本海軍が完全に管制できる内海は掛け替えのない存在となる。内地で獲得できない戦略物資の大半は至近の大陸で調達できたし、しかも外海と隔離するのに必要なのは高価で大規模な艦隊などでなく、対潜能力に秀でた廉価な小艦艇と機雷で十分であり、費用対効果は抜群だ。

 加えて日本海はそれなりの大きさを持っている。艦隊保全主義に徹し、主力を埋伏しておくには格好の場所でもある。


 (漸減邀撃作戦は絵に描いた餅、成立させることは不可能。ならば大洋海軍ではなく、近海海軍で十分ではないか。海上、海中、空中、陸地、全てに均衡した戦備を整え、立体的に敵を本土近海に近づかせない事こそ肝要……)


 山本の思考はまとまらない。

 常にその思考が行きつく先は、現在の海軍首脳部が固持する戦略に対する不信感だった。或いは東郷が課した宿題は、軍令部が推し進める戦略方針の不備を知らせる為だけの物であり、東郷自身、正解には辿り着いていないのかもしれない。

 駐米経験のあるという理由だけで東郷訪米団の随員に選ばれた山本が、あの兵棋演習を目にしたのは単なる偶然であり、東郷が山本に期待をしている訳でも特別、目をかけている訳でもないだろう。ならば自分はどの様にして自身の能力を示せばいいのだろう。


 遠くからどよめきが聞こえてきた。珍しいものを見かけた時に人が自然に発する声音は万国共通らしく、事情を察した山本は声のする方向に目をやる。

 パナマ帽に黒羽二重の羽織袴、下駄履き、手には扇子。

 広場でくつろぐ人々の好奇な視線を浴びながら、どう見ても日本人だろう、という人物が山本のいる方向に近づいてくる。

 「山本さんですか?」

 日本ではスタンダードだが、ここベルリンでは奇異にしか見られない民族衣装姿の男が問いかけてきた。歳は三十代半ばの筈だが、くりくりとした大きな目がよく動き、年齢よりも若々しく見える。

 「石原中佐ですか?」

 躊躇いがちに山本は問いかける。原口から「相当な変わり者」とは紹介されていたが、まさかこれほどとは……。

 「左様左様。原口閣下から山本さんの噂は聞いております。以後、お見知りおきを」

 パナマ帽を右手で軽く掲げ、扇子を盛んに煽ぎながら石原はどっかりと山本の座るベンチの横に腰を落とす。

 「てっきり人目につかない為に、この場所を選んだものかと思いましたが……」

 年長でありながら、山本は石原に静かな理知的な口調で問い質す。それには暗に目立つ格好で現れた石原に対する抗議の意味がこもっていた。

 「いや、今日は休日なんですよ。休みの日ぐらい大使館には顔を出したくなかったので」

 快活に石原は答える。その素振りに悪びれたところはない。心底、そう思っているらしい。


 (まるで野人ではないか)


 海軍士官として礼節を叩き込まれてきた山本は、石原の奔放な振る舞いにやや呆れ、この人物が本当に対ソ戦備計画の第一人者なのだろうか? と不安が微かに脳裏をよぎる。

 そんな山本の困惑を全く意に介さず、石原は喋りだす。

 「やるなら、今少し待つべきです。今はまだ機が熟しておりません」

 「え?」

 唐突な言葉に山本は目を瞠り、石原の方に向き直る。

 「え? って、対ソ戦の相談に来たのでしょう?」

 「いや、そうではなく、沿海州の現況や陸軍の方針などを……」

 ――――伺いたい、と言おうとする。

 「あぁ……そうなんですか? 私はてっきり今度は海軍さんが主力となって沿海州に攻め込むのかと」

 「まさか」

 「ですよね……原口教官の言葉足らずも大概だな。いや、これは失礼」

 原口は石橋が陸大学生時代の教官だった。きっと教官時代の原口は、課題だけ出して生徒の自主研究に任せるダルトン式教育の実践者だったのだろう。山本の訪問理由も、適当に掻い摘まれ、石橋には正確に伝わっていないらしい。

 「山本さん、間もなく欧州で二度目の大戦が始まります」

 突然、真顔になった石原が話し始める。その態度もそうだが、話の展開のあまりの変化にやはり山本は戸惑う。話題が飛び飛びになるのは頭の回転が速すぎる人物の特徴でもある。自身の中では筋道が通っているのだろうが、話し相手にしてみれば、まるで取り留めもなく話題を垂れ流されている様にも思える。きっと、この石原という男はそういう誤解を受け続けているだろう。

 「既に欧州各国は密かに動き出しています。東京は対支問題で手一杯の様ですが……」

 「欧州で、と言われるか。いったい何処と何処の国が?」

 そんな話を聞きに来たのではないが――山本は内心、そう思いつつ、石原の相手を始める。しばらく、この男のペースに合わせてみるか……そんな心持ちだった。日差しの中にいるが既に秋の気配が濃厚なベルリンでは暑さは気にならない。時折、頬をくすぐる様に木立を吹き抜ける風が実に心地よい。無駄話に付き合うにはちょうど良い季節だ。

 「第一に昨年五月にポーランドで発生した五月革命。この成功が、おそらく発端となっています」

 ――――ヨゼフ・ピウスツキ国家元帥に率いられた軍部によるクー・デターは政界浄化の国民世論に乗る形で、ほぼ完璧な無血クー・デターとして成功、その後、同国は開発独裁体制を敷き、国家再建を急速に成し遂げようとしている。その上、仇敵の関係にあるドイツから軍需、民需を問わず優先的に物資を調達し、いまやドイツ経済の復興はポーランドからの大口受注にかかっているとまで言われている。同時に対ドイツ国境に展開していた大兵力を東北部国境に近く、東西交通の要衝でもあるバラーナヴィチ市を中心に移駐させ、盛んに示威的な大演習を行っている。その移駐兵力は人口1万人程度だったバラーナヴィチが一躍、大都市に変貌するほどの規模だったという。

 「ヴィスワ河の奇跡を経験している赤軍にしてみれば肝が冷える事でしょうね……日本とは違い、ソ連国内に関する情報は地続きの欧州ではよく入ってきます。ポーランドに対抗する為、ソ連は白露の首都ミンスク周辺に駐留する部隊の増強を加速させているようです」

 大陸軍国だったロシアの後継国家ソ連と、欧州随一の陸上戦力を保有するポーランド両国が密かに緊張関係にある――それは山本にとって初めて耳にする情報だった。

 「ポーランド人は全くソ連を恐れていません。傍から見れば無鉄砲に思えますが、彼らにしてみたら僅か五年前の出来事です。あれだけの圧勝劇を行っていますから無理もないでしょう」

 「しかし、ソ連とポーランドが戦っても、それが欧州の大戦に再び結びつくとは……」

 ――――考えづらい、という言葉を山本は口に出さず、石原に対し目で言う。

 「ポーランドはフランスと良好な関係にあります。先のソ連との戦争に勝利できたのはフランスからの支援によるところが大きい。両者の関係は、一見するとフランスが主でポーランドが従ですが、現在では逆転しています。なぜかお分かりですか?」

 「……」

 山本は答えない。答えが分からないのも事実だったが、石原に試されているような感じがして気分が悪かったからだ。

 「フランスがポーランドに接近したのは、自国の安全の為にドイツの後背に盟邦が欲しかったからです。かつてはロシアがその役目を負っていました。しかし、その番犬であるはずのポーランドが事もあろうに隣人・ドイツと良好な関係を築きつつある……ドイツが逆に後背を固めてしまえば、フランスにしてみれば悪夢でしょうな」

 「なるほど」


 (そろそろ本題にはいってくれないかな)


 山本は内心、そう思いつつ、最小限の相槌で済ませる。

 「故にフランスはポーランドを何とか自陣営に引き留める為に必死に経済援助を行っています。逆に言えば、ポーランドはフランスの不安をあおって、援助を引き出しているのですが……実に巧妙ですよ。ああいう巧みな外交は残念ながら帝国には難しいでしょうな。能力の問題ではなく、多分に精神的な部分において我々日本人は好みますまい」

 「石原中佐、そろそろ……」

 「それにポーランドは新領土・西ウクライナにウクライナ独立派が拠点をおく事を黙認しています。いや、黙認どころか、彼らに支援さえしているでしょう」

 山本は閉口した。

 石原は山本と話している様で、その実、自分が知り得て予測した未来を誰かに話したくて仕方ないのだ、という事に気が付いたからだ。恐らく、話し相手は誰でも良かったに違いない。

 今、石原が言ったのはポーランド南東部・西ウクライナ地方ガリツィアの中心都市リヴィウの事だった。祖国を失い、ウクライナから西へと逃れてきたウクライナ人たちは、同胞である西ウクライナ人の支援とヨゼフ・ピウスツキの庇護の下、このリヴィウに亡命政府を組織し、ウクライナ独立闘争の準備を進めている。

 「ポーランドは仇敵ドイツ人との関係を改善して背後を固めつつ、フランス人から援助を引出し、ウクライナ人とともに対ソ戦準備をしている、そういう事ですか」


 (なんだ、それだけか)


 山本は石原の妄想に辟易としてきた。しかし、とうの石原はここからが本題とばかりにベンチに座りなおすと話し続ける。

 「問題はムッソリーニのイタリアです」

 「イタリアが?」

 「はい。始末の悪い事にピウスツキの国家運営はムッソリーニの唱える全体主義を範としています。故にムッソリーニはポーランドを愛弟子の様に思っている事でしょう。両国の関係もまた急速に蜜月の様相を帯びてきています。そして……」

 「そして?」

 「ロシア全軍同盟、つまりはロシア白軍が大同団結した組織が先頃、イタリア国王とムッソリーニに招聘される形でローマに本拠を構えました」

 「ポーランド・ウクライナ組にイタリア・ロシア組ですか……」

 「直接参戦はせずとも立場的にフランスはポーランドを支援さぜるを得ず、ドイツは貿易拡大の為に自慢の国産兵器を工業力に難があるポーランドに供給するでしょう。それにフランスは亡命ロシア艦隊を国内に抑留しています。その艦隊の自由行動を黙認し、尚且つ地中海最強のイタリア海軍が参戦するとなれば……」

 「地中海最強とは、すなわち黒海でも最強ということ、ですな」

 「ご明察。ソ連は西からはポーランド陸軍に、南からはイタリア海軍に。そして黒海に面しているソ連領は……」

 「いまだ独立派の動きが活発なウクライナ……ですか」

 石原はにこやかに頷いた。


 (だからなんだというのだ。欧州で騒乱が起きれば極東が手薄になるとでもいいたいのか)


 手薄になるのは事実だろう。だが、その手薄になった極東に手を出せば、各国の疑念を呼び、不興を買ったシベリア出兵の二の舞になるだけではないか。

 山本の考えを見透かしたように、石原は目を細め、辺りを伺ってから声を落とす。周りにいるのはドイツ人ばかり、日本語で会話している以上、落とす必要などないのだが、それでも殊更、石原はここからが本題とばかりに声を潜めた。

 「ウクライナですよ、山本さん。ウクライナがもし独立するような事態になったら……その時こそ、我が国は沿海州対策に手を打つべきなんです」

 「ソ連が独立戦争への対応で弱ったところを……?」

 石原は首を左右に振る。どうやら山本の回答は不正解だったようだ。

 「緑ウクライナ。ウクライナ本国が独立を勝ち得た時こそ、地の底に沈んだ彼の国が沿海州でもう一度、花開く時でしょう」

 その言葉に山本は絶句した。


 ――――ソ連の極東地方、とりわけ沿海州地方に混在する諸民族で最大の比率を誇るのはロシア人ではなく、実はウクライナ人だった。その比率は五割とも、六割とも、それ以上ともいわれる。

 ウクライナ人は古来より極端な重農主義者であり、都市に住むことを嫌い、工場や鉱山などで働くことを嫌う。ウクライナ人にとって広大な畑こそが己の住む場所であり、生活の場なのだ。その民族的嗜好を他の事例で説明するとすれば、バイキングが船に乗る事や、或いはユダヤ人が金融ビジネスを天職として好むのに近いかも知れない。

 帝政ロシア時代の十九世紀末から二十世紀初頭にかけて、この沿海州の積極開発を目論んだロシア政府は計画的にウクライナ人の集団移民を極東地域に対し行った。新たな農地の提供を約束されたウクライナ人は、このロシア政府の方針に嬉々として従い、自らこの移民に参加したし、ロシア政府側もコサックの母体でもあり、好戦的とは言わないまでも決して平和主義者ではないウクライナ人を極東に配する事で軍事的安定に利用しようと考えたのだ。つまり、彼らウクライナ本国から移住した武装農民は日本風に言うのであれば『屯田兵』そのものだった。

 『緑ウクライナ共和国』或いは『極東ウクライナ共和国』とは、ロシア革命以降の一連の混乱期である1918年から1922年にかけて、沿海州地方からハバロフスクにかける地域で建国をされたウクライナ人国家だった。しかし、同国は最終的には日本をはじめとした各国シベリア出兵軍の撤退とともに後ろ盾を失い、赤軍との武力闘争に敗れ、独立の夢は儚くも潰えた。

 その後、ウクライナ人独立派の多くは赤軍の迫害を嫌い満州へと逃れ、今では中華連邦外人部隊の主力を構成しているのは周知の事実だった。ここでいう中華連邦外人部隊とは名目上、中華連邦の指揮下にあるものの実質上、合衆国関東軍司令官マッカーサーの指揮下にあって、中華連邦及び国民党右派に対して睨みを利かせている傭兵部隊の事だ。

 「……緑ウクライナですか」

 確かにウクライナ本国が独立したとなれば、緑ウクライナ人にも再び独立の機運が漲るだろう。彼らの独立が失敗に終わったのはわずか三年前の事だ。モスクワの狂気じみた指導者たちを恐れるあまり、表面化はしていないものの、いまだに沿海州において独立への渇望は彼らの心を苦しませているに違いない。

 しかし、緑ウクライナが独立したとして、それを日本の影響下に置けるのだろうか?

 もし極東で独立の炎が燃え上がった時、その闘争の主力となるのは現に緑ウクライナ人を雇用している米国なのではないか。

 山本の質問に石原は答える。

 「米国を大いに利用するのですよ。いや、むしろ米国自身の手によって緑ウクライナを建国させるべきなんです。いいですか? シベリアから我々が撤退しなくてはならなかったのは我が国に対する不信感が根強く、国際的な圧力があったからです。米国自身の手によって極東地域に米国の傀儡国家を作らせることこそが何より重要なんです」

 「石原中佐。沿海州に米国の影響下の国家が誕生するなど、私には悪夢としか思えないのだが。ナホトカやウラジオに星条旗をつけた艦隊が在泊などしたら、わが海軍は……」

 「いえいえ……我々は最良の結果を得ますよ。但し、やり方を間違えなければ……」

 高緯度地方にあるベルリンの夏の昼間は長い。

 しかし、石原が淡々と語る計画の全貌が山本に明かされた頃には、周囲は夕闇に呑まれていた。

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