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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
86/111

保管用 3

1925年9月10日(大正十四年九月一〇日)

東シナ海

沖縄本島 西方海上


 「二時方向に発光信号、認む」 

 「信号は日本海軍所属艦よりのものと推定。内容はテイセンセヨ、コレヨリ……」

 夜明け直後、外海特有の静寂に包まれていた船橋内が突如として喧騒の渦に巻き込まれていく。

 「貴船を臨検する、だろう? もういい」

 信号を読み上げる船員の声を遮るように初老の船長は呟く。その声には呆れた様な溜息が微かに混じっていた。


 仏領インドの首府ポンディシェリを出港し、シンガポール、そしてコタバルを経由した英国籍東洋定期航路貨客船『オーバーメリー号』が日本海軍による臨検にあうのは、今回が初めてではない。昨日も、一昨日も、そしてその前の日も、彼女は東洋の警察官顔をした日本人達によって、その下着まで剥ぎ取られ、辱めを受け続けているのだ。今更、隠し立てするものとてない。威海衛へと向かう『オーバーメリー号』の船倉には中国大陸に居住する自国民向けの日用品が山と積まれ、そしてそれ以上に駐留する英国陸軍向け“名目”の補給物資が積載されている。

 今、カッターから舷梯を駆け上がってくる日本人達の目当ては無論、後者だろう。

 しかしながら英国陸軍が、つまりは英国政府が正式に『オーバーメリー号』の所属する船会社に運搬を依頼した物品であり、やましいところなど“書類上”一片もない。今回の臨検もそれを確認するだけのものに終わるはずだ。

 航海士に案内された日本海軍の大尉が船橋内に上がってくると船長は椅子から立ち上がると彼と彼の部下たちと挨拶を交わす。航海士の肩に満たない身長の大尉は緊張を隠せないのか、少しだけ強張った表情で船長に答礼すると、背筋を伸ばしたまま実に申し訳なさそうに要件を告げてきた。

 「国際連盟十か国委員会の付託により貴船を臨検する権利をここに行使いたします。願わくは貴船側の協力を求めます」

 実に流暢な英語だ。正しい英語を教えられた者だけが使いこなせる類の言葉の羅列。ニュー・ファンドランド・ドミニオンで生まれ育った船長には到底、真似できない正確な英語。

 「当船は貴官が任を全うされることを願います。どうぞご存分に」

 船長はここ数日、繰り返し言い続けた台詞を大尉に向け放つ。几帳面そうな大尉は、船長のその言葉にややホッとした表情を見せた。公海上であるこの海域での臨検など、その気になればいくらでも拒否できるのだ。

 だが、船長は拒否権を行使しなかった。無論、それは船長の意志などではなく、彼の所属する船会社の意志であり、その船会社に物資輸送を依頼した英国政府そのものの意向でもある。

 「ルールは守る。但し、我々を利するルールであれば」

 それが英国紳士の嗜みというものであり、むやみやたらと己の権利など主張し、行使するなど国際法を盾として都合よく実力行使を続けてきた英国人の振る舞いではない。その点、

 「ルールは守る。だがルールは我々が作る」

 という巌の様に固く、頑なな信念を持つ米政府、米国人の無粋な生き様とは違うと自負している。

 国際連盟に付託された十か国委員会が「中国大陸の戦争認定」を決した以上、中立国の義務として中国船籍以外の中国への乗り入れは禁止されているが、法的な抜け道はいくらでもあったし、この『オーバーメリー号』の様に、自国租借地や租界への物資移動までは制約する事は不可能だ。だからこそ、英国は正々堂々、威海衛に駐屯する自国軍向けの兵器を送るという名目で船舶を運航していたし、法的に認められた権利である以上、臨検活動に対しても恐ろしく従順で協力的だった。

 日本とイタリアがしゃしゃり出て国際連盟における英国批難の大合唱が行われた事には、いささか不快ではあったが、逆に言えば国際連盟が行使できる権利など恐れてはいないし、ましてや目前に立ちはだかる日本海軍の威光に萎縮している訳でもない。

 そこにあるのは圧倒的巨躯と実力を兼ね備えた巨人の余裕に他ならない。

 まだ三十代半ばと思しき大尉は船長の笑顔の底に潜む辛辣な余裕に気づかぬふりをし、甲板長から渡された積荷目録に目を落とす。一行一行を指で追い、実に丹念に、実に正確に、そして実にゆっくりと書類を精査していく。無論、その間『オーバーメリー号』の機関は停止状態であり、その分、目的地への到着時間は刻一刻と確実に遅れていく。

 東洋・太平洋航路での船舶運用に長年、携わってきた船長にとって日本人を見るのは初めてではない。ヨコハマ、コウベ、ハコダテ……名だたる日本の港にも幾度となく寄港した経験があった。どこの港においても、おおむね日本人は皆、親切であったし、目の前の大尉同様に礼儀正しく、几帳面だった。ほとんど機械化されていない港での荷卸しでも、日本人の港湾労働者たちは他国のどの港の港湾労働者よりも手際よく、正確な仕事をしたし、日本の税関職員は上陸にあたって書類上の不備さえなければ型通りの手続き以上の“もの”を要求しない。勿論、賄賂を要求されたことなどただの一度もない。もし税関職員に例え善意であったとしても謝礼の金品を渡したりしたならば、彼らはその侮辱に憤然と抗議するに違いないだろう。

船長にとって、日本という国は積荷をくすねられる心配をせずに安心して寄港できる数少ない国であり、その点において少なからず敬意を抱いていたものだ。だが、どうも此度の航海でその点、この国に対する認識を改めざるを得ない、と感じつつあったのも事実だった。

 大尉の漫然とした指の動きを目で追いながら、やや苛立ちを覚えた船長は潮に焼かれた太い声で苦言を呈する。

 「当船が貴国に臨検されるのはこれで四度目ですが……貴海軍には横の連絡というものはないのでしょうか? もちろん、これは抗議ではありません。しかし、こう度々では……」

 大尉は、書類から目線を上げると、実に申し訳なさ気に答える。

 「中国大陸へ向かう全船舶に対する海上臨検活動は、我が国に託された任務でありますので……」

 「それは承知しております。承知しているからこそ、連盟常任理事国として我が国も協力を惜しんでおりません。ただ、過剰なのではないかと申し上げたいだけです」

 「承知しました。貴船よりの要望として、上官に必ずやお伝えします」

 大尉は力強く船長に約束し、再び、書類の一行一行を指で追う作業に没頭する。

 仕事熱心で実直そうな大尉の仕事ぶりからして、彼が口にした約束は必ずや守られるだろう。この大尉は帰艦後、船長の要望を所定の用紙に所定の様式で書き記し、所定の手続きを踏んで上官へと提出し、その上官は書類に何がしかの意見を付け加えて更にその上官へと書類を回し、回されたその上官は……。

 つまりは何の解決にもならない、という事だ。

 

 数時間に及ぶ臨検が終わり、大尉は船長以下『オーバーメリー号』乗員の協力に謝意を表し、航海の無事を祈ると、にこやかに伝え下船していく。生真面目な大尉の乗艦の乗組員たちは半舷帽振れで愛想よく『オーバーメリー号』に別れを告げると船足も早く右舷側に向かい海域を離脱していく。きっと中国大陸に向かう新たな貨物船がやってくるのを見つけたのだろう。

 その姿を見送り、ホッとため息をついた船長はようやく座りなれた革張りの椅子に腰を下ろすと、帽子を脱ぎ、禿げ頭に浮かんだ脂まみれの汗をハンカチーフで拭う。ふと見上げた目線の先に忠実な航海士の姿が見える。彼はじっとこちらを見ている。

 「ポート・エドワードへ」

 航海士が出発の合図を待っているのだと考えた船長は命令を出す。しかし、航海士は無言のまま、哀しげな表情で目線を左前方に向けただけで、命令を実行しようとしない。

 「どうした?」

 「……あれです」

 航海士が髭にくるまれた顎をしゃくった方向には発行信号を点滅させながら近づいてくる、新たな日本海軍駆逐艦の姿があった。




 ――――中国大陸海上封鎖。

 中華連邦の建国宣言から始まった複雑怪奇な中国大陸の政情は、中華民国総統・曹昆の不慮の死、中華連邦総統・張作霖の中華民国総統への就任、そして国民党右派による中華連邦の実権掌握という形を経て、ここに至る。

 紛糾し結論を見いだせないまま、いたずらに時を過ごす国際連盟よりその実情調査と裁定を依頼された十か国委員会は数次に渡り元帥陸軍大将・柴五郎を長とする調査団を派遣しており、その動きは現在も継続している。

 現状、暫定的にではあったが十か国委員会は

 「中国大陸は戦争状態にある」

 という結論を導き出し、それを根拠として連盟加盟の有志各国は海上臨検活動を行っていた。無論、その臨検活動の主体を担うのは大陸至近に位置し、世界第三位の海軍力を保有する日本であり、イタリアやオランダなど数か国が艦艇を派遣しているものの、規模的にも質的にも前者には遠く及ばない。

 19世紀半ば、主要国により締結されたパリ宣言に従えば、交戦国に対する戦時禁制品の輸出は中立国船であっても全面的に禁止され、戦時禁制品でないものであれば例え交戦国船によるものであっても禁止はされない、とされている。但し、戦時禁制品の範囲は交戦国相互の主張によって定められるものであって、その適応範囲は相応に曖昧なものであり、下手をすれば交戦相手国に拿捕鹵獲され「船ごと積み荷まで只同然で奪われる」可能性を考えれば中立国及び中立国に属する企業が主体的に交戦国との貿易関係を維持するのは実質的に難しい。この点もあって、交戦国との民民間貿易は事実上、交戦国に属する船舶が貿易相手国の港湾に出向く必要が出てくるのだ。

 十か国委員会の導き出した中国大陸海上封鎖という結論は、欧州大戦後の世界的な反戦気運に合致したものであり、戦時禁制品に対する禁輸措置は戦争不拡大の方針に準じたものとして国際的にも強く支持されていた。本来であれば「内政不干渉」を大原則とする連盟において取り上げられるはずのないこの問題を「戦争認定」に持ち込むことによって国際問題に格上げし、関係各国に自制を呼びかけた日伊両国政府の名望は、こういった国際世論に後押しされ、少なからず上がっている。

 だが、十か国委員会とて万能ではなく、彼らに許されたのは「中国問題の国際的な対応」を決するための「調査」と「裁定」であって「中華民国、中華連邦両国政府のどちらが正統な政府である」などという問題は、それこそ「当事者同士の問題である」と考えられており、何ら権限は有していない。十か国委員会に出来るのは海上臨検活動、即ち中国大陸の海上封鎖までであり、しかも現状では「完全に片手落ち」な状態……。

 これに対する国際的な批難は強い。

 第一に、英仏など中国大陸に租借地、租界を有する列強は「居留自国民向けの物資」という名目でいくらでも(日本海軍による過剰な臨検活動さえ許容できるのであれば)事実上の貿易が可能であったし、中華民国では絶対的な物資輸入量の激減により領域内では物価が天井知らずに上がり続けるのと同時に、自国の保有する船舶の絶対数の不足から輸出機会はこの租借地・租界を介さざるを得ず、質量的にかなり限定されたものへと変化している。

 結局、当初予想された交戦国認定によって対中進出の先発、後発国家双方に均等に機会が与えられるという幻想は日本が主導する海上臨検活動によってもたらされることはなく、租借地・租界を有しない後発国から対中貿易のチャンスを奪い、列強を利するだけのものだ、という見方さえ昨今、一部では流布され始めているのだ。

 第二に、米国の対応だった。

 連盟非加盟国である米国は十か国員会による戦争認定、そしてそれに伴う海上臨検活動に対し、この発表直後に

 「米国政府及び米国民はこの決定に一切拘束されない」

 との冷ややかな声明を出し、海上臨検に対して拒否する姿勢を貫いている。米国のこの態度が改まらない限り、同様に裁定を無視して貿易活動を再開する国がいずれ出てくるのは目に見えているだろう。

 英国をはじめとした列強には嫌がらせ程度の真似しかできず、米国には無視され、当事者中国には物価の高騰と輸出の不振を詰られ、事実上の対中貿易停止に追い込まれた国々からは不公平な措置に対する怨嗟の声が噴き出す……。

 「このままでは、いずれ日本が批難される」

 東郷とその一党は、何としてでも日本が批難の矢面にさらされる前に、この自ら首を突っ込んだ問題に決着をつけねばならないだろう、そう思われていた。




1925年9月10日(大正十四年九月一〇日)

内務省・大会議室

臨時閣議室


 再建中の首相官邸の代替え地として一時的に機能を移された内務省において、この日も定例閣議が開かれていた。議題の中心となるのは、やはり「対中問題の取り扱いについて」であったが、二か月ほど前に田中義一陸相の提案した「帝国国防方針への策定への政府参加」という発議以降、その議論は遅々として進んでいない。

 浜口内相を中心とした閣僚陣は早急に結論を出して、自国に向きつつある国際世論の矛先を変える必要を感じていたのに対し、田中陸相は原則論に終始し、あくまでも策定を優先し、その方針に従って行動を起こすべきと主張し譲らない……。

田中陸相の発議以降、東郷内閣の閣僚達は既に幾度となく陸軍参謀本部、海軍軍令部側の担当課員と折衝を繰り返し、研究を重ねていたが、帝国の命運を決するかもしれないこの大事が二か月という僅かな期間で策定される筈もない。かつては統帥部がいかなる方針を出そうが政府・内閣が抑制力として機能し、その独走を押し止めることが出来たし、逆に政府がどのように画策しようと実行部隊を握る統帥部の同意がなくては物事が進展する事はない。縦割り行政特有の抑止力が一部の者の思惑でこの国全体を動かすことが出来ないように良い意味で機能し続けていたのだ。

 だが、帝国国防方針への政府参加はその戒めを解き、箍を外す。

 政府、統帥部双方の合意の上に成り立つ、新たなる方針は国家そのものを一定の方向に向け加速することになるだろう。

 それがどの様な方向であろうとも……。


 「布陣に恵まれていただけだ」

 と後世、批判的に評されることもあったが、とにかくこの東郷内閣時代は帝国国防方針を策定するのに最適な人材が適所に揃っており、文字通り、恵まれすぎているほどだった。

 まず、陸軍側が発議者である田中義一陸相、そして第一次東郷内閣の陸相だった秋山好古元帥が参謀総長だったこと。そもそも田中は帝国国防方針の第一回、第二回策定の陸軍側中心人物であり、彼以上にこの策定作業に精通した人物はおらず、加えて第三回策定の陸軍側担当だった武藤信義中将は現在、陸軍次官でもある。

 一方、東郷の旗本たる海軍側。

 海相である股肱の臣・加藤寛治海軍中将は第三回策定時の海軍側担当、軍令部長であり第一次東郷内閣の海相だった財部彪海軍大将は第一回策定時において海軍側担当として田中と研究を重ね帝国国防方針の骨子を決めた張本人である。

本来、政府の参加に対して頑強に抵抗する筈の陸海軍の省部、統帥部共に東郷と強固な結びつきを持ち、尚且つ、国防方針策定の実務経験者で偶然にも固められている。

 中でも一つ間違えれば反対派の総帥に推されただろう加藤中将が逆に人事権という超兵器をちらつかせながら説得役に回らざるを得ない海相を務めるという皮肉な役割を任されており、更に九州閥を継承した稀代の政治音痴・秋山が本人の望まぬまま、知らぬままに強固な地盤を陸軍部内で作り上げていた事もあって若手・中堅将校級が

 「統帥権の侵害ではないか」

 という率直な疑問を持ったとしても迂闊に声には出せない雰囲気となっていた。

 それに何より、軍神・東郷平八郎。

 満鉄すら売ったこの男にしてみれば、国防方針への政府参加など「お楽しみが増えた」程度の感覚しかなかったことだろう。

 しかし、その東郷時代においてさえ、この策定作業が短兵急に成し遂げられるほどに簡単な問題でない事に変わりはない。そしてその策定作業が長引けば長引くほど、連盟総会の場で国際法の原理原則論を主張し、海上封鎖にまで踏み切った日本政府がその後、無為無策に時を過ごしているように見られてしまっているのも事実だった。


 「何としてでも、米国に臨検を受けさせなくてはならん」

 「連盟非加盟であろうと、加盟であろうと国際法に乗っ取った行動だ。米国には従ってもらわなくてはならない。外務省は何をしている」

 「臨検など無駄だ。英仏を見よ。まるでザルではないか」

 閣議は開始早々から紛糾しており、閣僚陣は口々に金子堅太郎外相に対して批判めいた言葉を放つ。無論、これはこの問題に積極的に首を突っ込むことを指導した東郷総理に対し、正面切って批判する事が出来ず、その身代わり役として金子に批難が集中しているのだ。

 対する金子は皺の刻まれた双眸を固く閉じたまま答えない。

 閣僚からの厳しい批難にじっと耐える……一見して、ひたすらその態にも見える。しかし、閉ざされた眼、真一文字に結ばれた口、徹底して無表情なその面貌から真意は掴みとれない。

 同様に高橋是清蔵相も批難の的であった。連盟提訴、戦争認定を決したあの日の閣議の席上、東郷の発言に対して阿吽の仁王の如く応じ、他閣僚の煽動を行った金子と高橋。国際世論の変調と共に政府部内の両大臣への風当たりも日増しに強まっている。

 

 閣内において批判の矢面に立たされている両者に対し、田中陸相は真の狙いである

 「陸海軍共通の仮想敵国第一位である米国と対峙して親英路線を採用、日英同盟の復活に邁進し、ひいては日英仏支による多国間安全保障体制を東亜に構築する」

という線路にこの国をのせるべく寸暇を惜しまず努力していた。

 張作霖との個人的な紐帯の強さを利用すれば英国と中華民国の間隙を突くことも可能ではあったが、表立っては親英外交を標榜し、国際的な矢面には英国を立たせる。同時に中華民衆の間に燻ぶる民族主義の矛先も最大の利益享受国である英国に向けられる筈であり、あくまでも二番手、三番手に位置する日本は安全な場所から目立たず確実に利益を得ることに集中する。


 (独占する必要も、一番の位置に固執する必要もない。それを狙うからこそ、列強と軋轢を生み、ワシントン体制で“のけ者”にされるのだ)


 政治家としての田中は、理想に走ることなく、徹底して冷静な現実主義者として帝国の進むべき道をそうあるべきと信じていた。

 政治家・田中が親英路線を推すのと同時に軍人・田中は陸軍の予算獲得のために米国が仮想敵国であることの方が好都合だった。何しろ関東州を租借し、東北三省を勢力圏とする中華連邦の後ろ盾である米国、その勢力圏下と云える東北三省と朝鮮半島は陸続き……となれば、必然的に陸軍が国防の主体となる筈であり、予算配分の面から言って競合相手の海軍に対し優位を主張できる。最悪でも四分六分の現行配分を五分五分、或いは六分四分まで持っていくことが出来るかも知れない。


 田中の論ずるこの非米・親英路線がすんなりと帝国国防方針の骨子とならなかったのは、浜口雄幸内相を中心とした民政党系閣僚が

 「何故、親米ではないのか?」

 「何故、親英なのだ?」

 という主張を展開していたからだ。これは浜口以下が親米路線を推した、という訳ではなく、むしろ

 「米国と対峙するのに四か国を寄せ集めねばならないぐらいであるのなら、最初から米国と対峙しない方針を堅持した方がよいではないか?」

 という論拠に基づいている。その主張は浜口の性格を象徴して実に明快だ。

 日本と同じく国際連盟常任理事国を務める英仏と手を組むという田中陸相試案は当初、国際連盟重視という考えに合致するものであったが、浜口内相の合理的な主張を論破するのは難しく、両者は激しく対立し、国防方針に関しても、対支外交問題に関しても結論らしいものは何一つ出ぬまま時は過ぎ、閣議は散会するかと思えた……。

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