第28話 渤海炎上 (14)
公式には『国民党・外人部隊』とされる傭兵集団・ロシア白軍の電撃的な機動力の大部分は満州鉄道によって支えられていた、と言っても過言ではない。
実質的な雇用主である合衆国の意を受け、マッカーサー少将の指揮に従う熟練のロシア白軍将兵は、東北三省の主要都市に点在していた数で上回る奉天軍を短期間で各個撃破していく、という難題を見事に成し遂げた。
決起前夜、満州鉄道沿いに伸びる電信網は各地で寸断され、指揮・命令系統が不在となった奉天軍は、援軍を要請する事も、要請される事もなく「一体、何が起きているのか?」さえ分らぬまま、唐突に攻撃され、唐突に殲滅されていった。
この時期、二十万を呼号する奉天軍四個軍の内、主力とされる第一軍及び第四軍は北京に在り、第三軍の大部分と第二軍の半数は長大な中ソ国境に沿って展開していた為、身動きが取れない。この為、奉天軍閥が支配する主要都市に駐屯していた戦力は第二軍の凡そ半数、つまりは三万余であったとされる。
マッカーサー少将の作戦指揮は実に巧みだった。
総数二万に満たないロシア白軍を必要以上に分散すること無く、まずは南満州鉄道の北限駅である長春を少数の兵で抑えて奉天軍が満州北部へと敗走する事を阻止しつつ、長春南方の要衝・四平や鉄嶺を無視して、主力を用いて奉天を直撃、制圧し、これにより奉天軍を南の遼陽、北の四平、鉄嶺に分断、あとは列車の機動力に任せて南に北に自在に兵を動かし、情報不足で混乱中の敵を逐次制圧してのけたのだ。その間、僅か二日であったという。
元々、国境守備の任を帯びていた第三軍及び第二軍は組織的な機動力に劣っている上に、奉天軍閥支配下の小規模軍閥の私兵という位置付けもあって戦意と言う面では著しく乏しい。
その上、満州里からハルピンを介して綏芬河に抜ける中東鉄道はソ連側が利権を保持している為、これを軍事目的に利用する事は不可能だ。
「国境に展開する戦力は無視してかまわない」というマッカーサー少将の読み通り、彼らは「動くに動けず……」と言うよりも「動こうともせず」に奉天における軍事クーデターの行く末を傍観するだけの存在へと成り下がっていった。
尚、『国民党軍事顧問』という肩書で本作戦を立案・指揮したマッカーサー少将は報道陣を前にして、最初から事実上、戦力外であったこれら国境展開部隊を含めて「十万以上の敵を二万足らずの戦力で殲滅した」と盛んに喧伝、その名は合衆国陸軍きっての名将として大いに知られるようになり、後に政治的にも無視し得ない存在へと変化を遂げる事となる。
大正十四年六月三〇日(1925年6月30日)
東京・霞が関
内務省 大会議室
首相官邸の新築工事に伴い、官邸閣議室が使用できなくなった為、近頃、閣議は内務省において行われていた。巨大省庁である内務省には予備の空き室はいくらでもあったし、こぢんまりとした首相官邸の機能・人員をそっくり呑み込んでも、十分に余力があったからだ。
急場の閣議室にしつらえられた、この大会議室は当然ながら、豪華な装飾とは無縁の質素そのものの部屋だ。伝統が黒光りの艶となって威厳を醸し出す椅子や机こそ官邸から運び込まれたものだが、天井や壁はごく普通のありふれた板張りであり、情緒の欠片もない。
国民党右派による満州決起事件『満州事変』より、既に一カ月近い月日が経とうとしている。国際連盟十カ国特別委員会の議長国として、この問題に最終裁定を出さなくてはならない立場の日本、今更ながらであったが、厄介事に好んで首を突っ込んでしまった感は否めない。
事態は当初、日本の思う壺だった。
日本が連盟の場で大々的にこの問題を取り上げた結果、表立った兵器供与に制動が利いた結果、完全に決め手を欠く事になった民国、連邦の両者。戦線は硬直し、流血は極限まで抑えこまれ、局面は外交の場において決着を見出す事になるだろう、誰しもが予測し、法の下の正義を唱えた日本の名望はいやが上にも増すかと思えていた。
しかし、叛逆者・馮玉祥による大総統・曹昆の殺害に端を発した『北京事変』により、事態は急展開、政府最高指導者を失った北京政府は、英国の説得により主導権を握る陸軍参謀総長・呉佩孚が張作霖を新大総統として奉ずる事を決し、迎え入れるという一大珍事へと発展していく。
この時点で、十カ国特別委員会は事実上、その役目を終えた……と思われた。何しろ、中華連邦の正当性を問おうにも、その連邦の最高指導者が中華民国の最高指導者に就任してしまったのだ。
これでは十カ国の代表者は何の為に東京に集まらなければならないのか分らない。
それでも、連盟総会で決せられた事であるに加え、奉天派・直隷派連合対陝西派という別な形の内戦の行く末が不透明な以上、十カ国は代表団を東京に送り込み、正式な形での大総統就任式が行われるまでは、事態の推移を見守る事とした。
そして就任式当日に発生した満州事変――――。
この一撃により、解散宣言こそ出されていなかったものの、事実上、うやむやのうちに消滅したと思われた中華連邦が全く新たな形で再生されたのだ。
振り出しに戻る―――まるでスゴロクの様な展開に、十カ国代表は頭を痛めざるを得ない。
中でも、日本の苦悩は深い…………と思われた。
困った事に東郷政権の閣僚陣、正確にはその一部は、この不測の事態を前にして不謹慎な事に明らかに楽しんでいた。
英国が絵図をひいた張作霖と呉佩孚の電撃的合体、そして合衆国が取り仕切ったであろう国民党右派による政権奪取……。
どちらも、見事という他は無い。
しかし、事態は当初よりもスッキリした、とも考えられる。
「世界中に相手にされなかった地方政権の分派が、実力行使によって永住の地を得、尚且つ、中南米のいくつかの国々がその政権を正式に承認した」
表面に出ている事実だけに目を向け、合衆国が雇ったロシア白軍が好き放題に暴れまわって奉天派を壊滅させた、という真実を無視すれば、当初の「軍閥連合対軍閥連合」という図式よりも、「軍閥連合対革命政府」は、はるかに説得力がある。
現状、中国情勢を不透明なものにしていたのは、5月30日に発生した『5・30事件』、別名『上海暴動』と呼ばれる事件と、6月23日に発生した『広東沙面事件』だ。
『5・30事件』は、日系紡績企業の上海工場において共産党活動を行う中国人労働者の解雇が引き金となった一連の事件の総称だ。その後、日本人管理職によって中国人労働者が射殺されたり、逆に日本人社員がスマキにされて河に放り込まれ、溺死させられたりするなどの悲惨な事件が発生、その後も刻一刻と事態はエスカレートし、遂には5月30日、待遇改善、賃上げを求めて租界近くをデモ行進中の中国人従業員に対し、脅威を感じた英国人租界警察部隊が発砲、13名の死者が出るという事態へと発展した。
この上海における騒乱は、最終的には日伊米三国が協調して部隊を派遣した事によって沈静化し、市内は現在、表面的には平穏を取り戻している。
続いて発生したのが『広東沙面事件』だ。広州政府が本拠を置く広州市、その市街地に『沙面』と呼ばれる中州の人工島があり、この地はアロー戦争の結果、五分の四が英国の、五分の一が仏国の租界となっている。グラバー商会を介して幕末明初の日本とも関係が深いロスチャイルド系の世界的大企業ジャーディン・マンセン商会の本拠である、この沙面租界において英仏排斥を叫ぶ五万人以上の市民が参加する民衆暴動が発生、これに対し英仏租界警察が無差別発砲を行った結果、52名の中国人市民が死亡、双方に多数の死傷者が出たのだ。
国家間によって正式な条約が締結されている以上、二つの事件、そしてその対応において列強側に法的な非は無い。
だが、一言で言ってしまえば時期が悪かった。平素であれば、新聞の三面に小さく載る程度の東洋の果ての小さな事件だったが、世界の耳目が中国大陸に向いている時期であり、取り分け、多数の死傷者を出した英仏の行動はたちまちのうちに世界中で報道され、両国に対する批判の声は否応なく高まっていった。
しかしながらこの二つの事件、あまりにタイミングが良すぎたとも言える。場所は、列強租界がひしめき合う上海市、そして右派が離脱したとはいえ国民党の本拠地である広州市。
『5・30事件』に関して言うならば、日本企業の過酷な労働条件や低賃金、そして日本人管理職による横暴な行いに対する中国人労働者の反発が根深く、その火種は二月頃から既に燻り始めていた様子であり、待遇改善を求める純粋な労働運動が浸透する共産主義勢力と結びつき、雪だるま式に事態が悪化していった典型的な例だと推測される。
問題はもう一つの『広東沙面事件』の方で、こちらは日本企業が進出していない広州市での話であり、しかも、この暴動が上海からの飛び火である、と軽々しく断定する材料に欠けている。加えて、この事件と連動するかのように開港諸都市において英仏排斥を訴えるデモや外資系企業に対する大規模ゼネストが発生、その動きは英国企業がひしめく香港にまで広がりつつある。
これら中国全土へと拡大する抵抗運動が、労働運動という体裁をとる以上、本来であれば国民党左派、即ち中国共産党及びソ連の関与を疑うべきだろう。もし、時計の針が数か月前に遡った時期に発生していたのならば、誰しもが、そう考えたに違いない。
しかしながら、今は状況が違っている。
右派グループとはいえ、国民党という大衆政党を掌握した合衆国政府の潜在的な影響力は、党の末端組織を介して中国全土へと広がりつつあるのではないか……と想像するのは容易い。そして、英仏はこの想像に文字通り、恐怖した。
地理的には東北三省に押し込められた存在に過ぎず、純軍事的には奉天派支配時代よりも遥かに弱体な存在に過ぎない中華連邦――――。
しかし、党組織による大衆扇動、民衆蜂起という、巨大にして見えない軍団を手に入れた今、その存在は軍閥時代よりも遥かに強大なものへと変貌を遂げたのかもしれず、英仏にとって、それは正しく悪夢だった。
この日の定例閣議が始まる前、閣議室がわりの大会議室に先に参集していたのは、東郷内閣でも経済通と目される浜口雄幸内務大臣、石橋湛山商工大臣、江木翼無任所大臣の三人だった。三人は他の閣僚が集まるまでの間、手持無沙汰に卓上におかれた大振りのグラスに満たされたカルピスを飲みながら、それぞれ時間を潰している。
…………ちなみにこのカルピス、関東大震災後に爆発的に普及した飲み物であり、それまで鳴かず飛ばずの売れ行きに過ぎなかったこの世界初の乳酸飲料を、被災した市民の労をねぎらう為に同社が無料で配布したところ、疲れ切った身体にしみわたる冷たく甘酸っぱい風味が受け入れられ、近頃では子供から老人にまで一種の健康飲料的な扱いで持て囃されている、という話だ。
「米国は国民党を使って英仏に揺さぶりをしかけているのではないか?」
『広東沙面事件』の顛末を報ずる新聞を読んでいた浜口内相が、そう英仏当局者に似た疑念を呈すると、石橋商工相がカルピスを卓上に戻しながら、小首を傾げ、応える。
「それは考えすぎではないでしょうか? むしろ、純粋にナショナリズムを背景とした上海暴動の飛び火ではないか? と私は考えております」
『5・30事件』は、明らかに労働運動絡みであり、その経緯から国民党右派ではなく、左派によるものだと見られる。右派と結んだ米国が仕組んだものとは考えづらいし、その証拠に、鎮圧には米国海兵隊も動いているではないか……。
石橋は、そう考えている様だ。
「しかし、まあ……その暴動のお陰と言っては何ですが、上海や山東の紡績工場が軒並み、内地に資本総引き上げを開始した訳ですからね。一応、英仏米三国の企業が買い手として名乗りを上げているようですが、現地では紡績機などの機械類の一部は既に船積みが始まっているそうです。低賃金を求めて大陸に進出した企業が内地に戻ってくれば国内での失業者対策に大いに寄与する……と期待するのは、少し不謹慎ですかな?」
苦笑を浮かべつつ、そう言葉を継いだ石橋の問いに、浜口が応える。相変わらず、その言葉は容赦もなく断定的に他者を両断する。
「就業先が増えるのは結構だが、経済全体を見たら喜んでもいられまい。……とは言え、目先の利益に眩んだ紡績企業も少しは懲りただろう。次からはどうせ進出するならば、政情の安定しているシャムにでも行った方がいいだろうな」
「だが、正直、気の毒な事をした、という気もするな。これまで政府が音頭をとって中国への企業進出を宣伝していたのだ。企業家ばかりのせいには出来ないさ。彼の地で手に入れた不動産までは引き上げてこられない以上、それ相応の損失を計上せざるを得ないだろうし……それに、既に我が国の華北華中地域への投資は10億を超えている。買い手がついて操業を継続する工場もあるだろうが、それだけの資本に引き上げられたら、彼の国にとっては、目も眩むような大きな痛手になるだろうよ」
金為替本位制への舵取り役を高橋蔵相と共に担った江木無任所大臣が短髪を掻きながら、やや自責の念を込めて呟く。
江木は高級官僚上りの政治家として、この国の政治に長年、携わってきており、此度の入閣も初入閣という訳ではない。そのせいもあって、多少なりとも過去の政策に対し反省している様だった。
「彼の国とっては痛手でしょうが、我が国にとって僥倖であれば、別に文句はありません」
商工相としてこの国の産業立て直しの総責任者役を務める石橋は、そう独り言の様に内心を吐露する。もし、公の場で言ったら大問題になりそうな発言だが、石橋自身、経済の専門家ではあっても、まだ政治家としては青二才である以上、仕方なかろう。
「いずれにしても、内地への資本引き上げは国内資本の乏しい我が国経済にとっては、今のところ好ましい事です。彼らの新工場を臨海中核港湾施設周辺の工業団地に誘致すれば、その後の企業誘致にも弾みがつくでしょう」
「……そうだな。欧州大戦の人的損失で労働力が決定的に不足し始めている先進列強と違い、我が国には、まだまだ安価な労働力が眠っている。他国に進出するのは、この宝の山を掘り尽くしてからでも十分だろう」
浜口がそこまで口にした時、他の閣僚達も顔を揃え始め、最後に東郷御一行が入室してきた。
この日の定例閣議において議題となるのは、先程も話題となった日本資本の引き上げに付随して、引き上げ企業の国内生産拠点建設に関する支援策や税法上の優遇策の検討が中心だった。
中国大陸に進出していた紡績企業、通称「在華紡」は、別名「十大紡」と呼ばれており、いずれも国内有数の巨大企業ばかりだ。元々、彼らが中国に進出したのは現地の賃金の安さもあったが、最大の理由は内地における工業用地そのものや工業用水、電力などのインフラが決定的に不足していた事にあり、欧州資本によってそれらの設備が整っていた上海や青島周辺地域にこぞって進出したのだ。もし、彼らが国内生産に固執し続けていたならば、欧州大戦時の狂った様な増産要求に対し、短期間での工場拡大が望めなかっただろう。
それが今では、震災復興で日々、街並みが変わっていく関東一帯や中核施設指定を受けた大湊、室蘭、そして鎮守府への再昇格に伴い、周辺地域の整備事業が始まった舞鶴などを中心に内地でも広大な工業用地が確保されている。それらの地では港湾設備に鉄道網、電信網の整備が集中的に進められ、増設された石炭火力発電所群は長大な煙突群を聳やかし、稼働を目前に控えている。
「納税者倍増」を目指して施行された最低賃金法により、国内労働賃金も徐々に上昇曲線を描いてはいる。それでも元々、米国の九分の一、英国の八分の一だったこともあって、先進列強と比べれば遥かに格安だ。
用地、用水、電力、港湾、鉄道、通信、労働力……必要な全てのインフラは各地において整いつつある。あとは肝心の資本さえあれば、この国の産業はいつでも産声を上げられる筈なのだ。
閣議は順当に進み、在外資本の受け入れ準備も現在、比較的、手が空いた状態となっている江木無任所大臣を調整役に指名し、各省庁間で協力して進められる事に決した。
そろそろ散会か……という頃になって、誰言うともなく、此度の中国問題に関する最終決着をどの様につけるか? という話題へと移る。問題発生時と同様、中国は二つに分裂しており、違うのは山海関を挟んで大軍同士が睨み合っていない、という点ぐらいだ。差し迫った流血騒動の心配がないというだけで、何一つ、解消されてはいる訳ではないのだ。
「しかしまあ、ものの見事にしてやられましたなあ」
悪びれもせず、金子外相が大声を放つ。
「さすがは英国だと感心していたら、米国の切り返しもなかなかのものです。それに、ここのところの一連の暴動騒ぎ……今頃、米国資本以外の企業家は息を潜めているでしょうな」
「外務大臣たる金子さんが、それでは困ります」
司会役の浜口が海千山千の老人の惚けっぷりに、半ば呆れつつ、苦言を呈する。
「まあまあ……しかしながら、十カ国特別委員会の議長国として、我が国がどの様な最終決着を望むか? これは先々の我が国の外交方針そのものを決する問題とも思える」
雑談めいた雰囲気の中、金子外相が改めて表情を引き締め、そう発議する。
「外交方針の前にやらねばならぬ事があるでしょう」
金子の発言に、ここまで経済問題に関する閣議内容に対し、沈黙を守っていた田中陸相が、やおら、発言した。田中の声は平静そのものであったが、表情はその内心の緊張を表すかの様にやや強張り気味だ。
田中の内心は忸怩たるものだ。
張作霖が田中に送った手紙には、曹昆の殺害から始まり、呉佩孚との合体を経て、中華民国総統への就任という大計画の一部始終が記されていた。しかし、手紙を受け取った時点では、計画の要となる馮玉祥の造反事件すら起きていない。そのタイミングで田中に真実を記した手紙を書いた張作霖の真意……それは紛れもなく、自身の保身を願っての事だろう。
(雨亭は内心、怯えているのだ)
表に出た事象を追えば、手紙に記されていた内容そのものの通りに事態は進行していった。
しかしながら、英国の仕掛けた謀略戦―――中華民国という独立国家の元首の首を挿げ替える―――は、表沙汰になれば並の国際問題へ済まされない種類のものだ。だが、英国はそれを平然とやってのけた。表向きは、大総統・曹昆が叛逆者・馮玉祥によって殺害されるという事態に際し、民国政府の庇護者として、民国・連邦両国間の調停を行ったという大国の仮面を被りつつ……。
張作霖が自筆の手紙を田中に託した理由はただ一つだろう。万が一の場合、つまりは英国が張作霖を曹昆に対して行ったのと同様に、その生殺を当然の権利とばかりに行使しようとした時、全ての真実を記した手紙を日本の田中義一という漢に託した事を英国政府に向かって冷ややかに告げる気なのだ。
英国という世界に冠たる大帝国を恫喝するに足る巨大にして凶悪な兵器を託されることとなった田中義一。
彼がもし、不用意にこの兵器を使えば、盟友・張作霖の命は無い、という諸刃の剣。
だが、真実を知りつつ、世間に公表するどころか、閣議に諮ることもない田中の立場は日を追う事に悪化していっているのも事実だ。
田中は恐れている。ある意味、何をやり出すか分らない、東郷という神と、それを御神体の如く敬い、担ぎあげている不遜な政党人達の内閣に真実を告げた時、彼らがどんな悪辣な企みをひねり出すかを……。
そして知っている。今の自分に、それを阻止する力が無い事も……。
公人としての田中の立場を優先するのであれば、この真実を閣僚同輩一同に告げ、日本の対英外交優位を確立するに資するべきであろう。
しかし、田中は“私”を優先した。
田中は決意していた。
雨亭はオラが守る……と。
「何だね?」
自分より遥かに若輩の軍人官僚如きが、何を言うか……そんな冷めた目で金子は田中に問い掛ける。
陸相である田中は、その職責上、外交問題に安易に口を挟む事は許されていない。以前であれば、陸軍の総意を盾に政権に対し強面で迫ることも出来たが、金子堅太郎という百戦錬磨の老人は、そんな越権行為を行っても鼻先で笑うだけで歯牙にもかけないだろう。
そこで田中は一計を案じ、合法的な方法を用いて軍部として外交政策に介入することにしたのだ。
「現在、陸海両統帥部により度々、協議されております帝国国防方針の改定……現状、急転甚だしい東亜情勢を鑑みるに、事実上、その策定作業は停止しております。つまりは、我が国の国防策を決定するこの国防方針を決する事が出来ないまま、我々は日々、無策に過ごしているのです。この先、あくまでも東亜情勢の落ち着きをまって策定を進めるか、我らが欲求する東亜情勢を描く為に策定を行うのか……不肖田中は我が国の国策の根幹を定めるこの方針を決した後にこそ、外交方針も決まる、と考えております」
田中は嘘を言っている。
陸海軍統帥部が急転著しい東亜情勢に振り回されているのは事実だったが、策定作業の停止という事態には至っていないし、海軍も、陸軍も朝鮮半島の付け根を境に勢力圏を接している米国を仮想敵国の第一位に昇格させたのは、既に満州鉄道売却が決定した時点においての事だ。今更、仮想敵国の優先順位に迷ってなどいない。
だが、殊更、田中は国防方針の策定が先送りされているかの如く言を弄しており、その言葉を耳にした一方の代表者たる加藤海相に至っては目を見開いて、やや、茫然としている。
この時、田中が口にした『帝国国防方針』は元来、政府が作る方針ではなく、大正七年の原内閣以前の改定では、政府側を代表して首相のみが閲覧できる、という程度にしか政府は関与を許されなかった国家の最高機密文書だ。それが、原内閣当時の陸相であった田中の英断によって、閣議了承を得ることが定められ、政府・内閣の予算的な協賛を受けるところまでは軍・政府双方が歩み寄ったが、それでも
「これこれこういう方針に決まりましたから、了承して下さい」
と軍部側から提出された方針を内閣が了承する、という程度のものであり、実際の策定作業は国防を担う統帥側に一任されている。
そして、当然ながら、この軍部の態度に対し、予算面にしか口が出せない歴代内閣・政府側は不満と不信感を募らせている。
――――畏れながら、と前置きをした田中は、東郷に視線を移して微かに目礼すると、発言を続けた。目礼された東郷の方はと云えば、両手で大事そうにグラスを抱え込み、馴れない麦藁ストローに悪戦苦闘中の様子だ。東郷は、上目づかいで田中を一瞥すると、ニッコリと微笑みを返してくる。
「国防とは一代の内閣で成し遂げられるものではありません。昨今の我が内閣の動きを見れば、戦術あって戦略なき論議に終始しているかのように思えます」
「おいおい……」
田中の発言に閣僚一同が微かにどよめく。内閣の一員である陸相が、突如として内閣批判、閣内不統一ともとられかねない発言をしているのだ、それも当然だろう。
「兵隊さんの言葉はよく分らんが、戦略と言うのは目的のことだろう? 我が内閣が震災復興をバネとして国家改造に邁進しているのが陸相には理解できぬか?」
「もっと大砲を作らねばならん、などと言わないでくれよ、田中陸相」
不思議な事に、田中に対し批判めいた口調で発言したのは床次鉄道相、そして山本司法相だった。いずれも、田中と同じ自由党出身の閣僚であり、本来であれば擁護にまわるべき立場の人間だ。或いは単に「身内に失言でもされたらかなわない」という杞憂からかもしれないが……。
田中は両者を無視して、持論を展開し始める。
「経済も、国防も、外交も、内政も、手段であって目的ではありません。政策は戦術にすぎず、どんなに良い政策であったとしても、それは所詮、戦術です。戦術的勝利の積み重ねが戦略的な勝利を生むとは限らないのが軍事兵学上の常識であります」
「陸相が言いたいのは、政治家は対処療法に追われているだけ……という事かね?」
意外な事に田中の発言を引き受ける様に口を挟んだのは、浜口だった。
田中は、我が意を得た……と、ばかりに頷くと、言葉を続ける。
「物事が起きて、それに対策を講じる、これは確かに大事ですが、こればかりでは……。 我が国が戦略的、主導的に動く為には、各代の内閣が継承する国家の大方針を定めるべきなのです」
「それが、帝国国防方針だと言われるか?」
「然り」
「軍部が決めた帝国国防方針を金科玉条として後々の内閣に至るまでその実現を促す、と? 冗談ではない。それでは、まるで軍が政府そのものではないか」
不愉快さを隠そうともせず浜口が吐き捨てれば、他の閣僚陣もしきりと頷き、田中の言葉を不遜であると口々に非難する。
「ですから、不肖田中は申し上げたい。政府も、その策定に参加すべきである、と」
政治家の不満をとことん知り尽くす田中は巧妙に餌をまいた。己自身が外交問題に干渉する為、軍部の聖域である帝国国防方針策定作業に政府の関与を認めるつもりなのだ。
田中義一はこの国の軍人の中でも、最も早く総力戦の概念を理解した男だ。政治・経済・外交・軍事・情報……官も民も含めて国家のもち得る全ての力を統合し、結合しなくては総力戦という現代戦は行えない、と看破している。そんな男だけに、思想信条的には国防方針に政府の関与を認めること自体に抵抗は無いし、むしろ積極的に関与させ、協力させるべきだとも考えている。
もっとも、あくまでも政府は利用されるだけの存在であって、主導権は軍が握るという括弧つきではあったが……。
帝国国防方針の策定は統帥大権独立を象徴する『統帥の極み』と言っても過言ではない。
その「国防の本義」によって国家目標を、「国防の方針」をもって軍事ドクトリンを、「想定敵国」によって仮想敵国と同盟国よりなる国際情勢を、想定敵国と軍事ドクトリンから「所要兵備量」を算定し、「用兵綱領」によってあらゆる作戦を想定する……。
例えば海軍が主作戦として想定する漸減要撃作戦、これも数ある用兵綱領の一部に過ぎない。
その策定作業への政府参加を認める、それは国家内の聖域と己を定義する軍部の大譲歩に他ならない。
浜口は唖然として、田中の顔をまじまじと眺めた。
金子は皺深い顎を引き、大いに頷く。
床次も、元田も、江木も、山本も、尾崎も、この国の政治を担っている大物達がいずれも、田中の発言に口を半ば開けて、驚いている。
そして、海軍の加藤といえば、目を剥いたまま、卒倒しかねない様子で田中を凝視している。
田中は賭けに勝った事を確信した。
現段階の帝国国防方針において、仮想敵国は既に米国と陸海軍は決しており、これを覆す事は容易ではない。そして、日本に米国と単独で決戦しうる実力が無いのも明らかだ。当然、日本は同盟国を必要とする事となり、米国に対抗し得る国家となれば、世界でたった一カ国しかない。
「親英・非米路線」
政府を巻き込んだ上で国家の大方針として、これを決してしまえば、この先、外交政策も含めて、それに沿った形でこの国の政治は動いていくだろう。
無論、田中にこの国を無益な戦争に巻き込む気など無い。英国と中華民国という二カ国関係に日本を割り込ませ、張作霖と日本の蜜月を演出してみせれば、英国とて安易に首の挿げ替えを行ってまで日英関係に亀裂を招く様な真似はしないだろう。
加えて言うならば英国との協調は同国と蜜月関係にある仏国の対日政策にも影響を及ぼす事になる筈であり、田中の最終構想は日英仏の三国に中華民国を加えた形で米国に対抗する体制を整える事にある。米国が差し迫った脅威と言う訳ではないが、仮想敵国の存在しない安全保障体制などと言うものが、脆くて使い物はならないものだという事は、日英同盟崩壊の事例を見れば明らかだ。
(雨亭を守るだけではない。日本の国家戦略としても、間違った選択ではない筈だ)
田中はそう考え、理想の未来を模索し始めていた。
田中の提案に、浜口は涎を垂らしそうだった。それほどの提案であり、発議なのだ。
この国の聖域である統帥大権に大きく踏み込んだものであり、この国の政治責任者である内閣総理大臣でさえ触れてはならぬものに触れる機会が、事もあろうに向こう側から転がり込んできたのだ。
勿論、田中は陸軍大臣であって、統帥大権の向こう側に位置する参謀総長ではない。だが、陸軍である事に変わりはないのだ。
「国防方針策定への政府参加――――」
これが認められた時、これまで予算を持ってしか軍部に対抗できなかった内閣・政府が軍部を管制下に置く事が可能となる。
無論、直ちに――――という訳にはいくまい。
恐らく、政府参加は諸刃の剣だろう。方針に軍部が従わなければならないのと同様、政府が参加すれば、政府もこの方針に従わなければならなくなる。軍部が独占していた今までの様に「勝手に決めおって……予算が足らぬわ、先送りとする」と抵抗する手段は使えない。
だが、千載一遇の好機。
浜口が、浜口雄幸という男が、この好機を見逃すはずなど絶対にない。肉食獣が獲物を捕らえるかの如く、獅子は大きく顎を裂いた。
チュルルルゥ、ズズッ、ズズッ――――。
政治家達が内心の興奮を抑えきるのに苦労している片隅で、グラスの底に残ったカルピスが最後の一滴まで飲み干された音がする。
ようやくにして麦藁ストローから口を離した東郷が自らのたてた、けたたましい音に少しだけビックリした様子で、はにかみながらグラスを卓上に戻す。
「東郷閣下。閣下は、如何ですか」
ふと、興味をそそられ、浜口が問う。
しかし、東郷は小首を少しだけ傾げ、微笑むと無言のままだ。
(も、もしかして、聞いていなかったのか?)
浜口はその想像にゾッとする。
しかし、聞いていなかったからといって、田中に再び提案説明を求める気にはならない。もし、途中で田中の気が変わったら、それこそ元の木阿弥だ。
だが、浜口の心配は杞憂だった。
考えてみれば、元帥府の一員でもある東郷は、ここにいる閣僚達の大部分とは違い、策定する側の一員でもあるのだ。参加することに興奮を覚える文民閣僚達の心情など理解出来る訳もない。
その事に思い至った浜口は、微かにため息をもらし、再び問い掛ける。
政治家である前に軍人である東郷が、軍人寄りの思考を優先すれば、策定作業への参加は政府にとって非常に危険なものとなる。その基本的な立場や考えを問わずにはいられない。
「閣下の御考えになる、理想の国家像とはいかなるものでしょうか?」
国家の理想像は帝国国防方針の前文とも言うべき「国防の本義」に謳われるものだ。
浜口は、それを問うた。
日本を列強の一角にのし上げた男が、どんな国家像を描いているのか?
浜口でなくても知りたいだろう。
無論、興味本位の質問ではあったが、同時に方針の根幹を成すものでもあるのだ。
東郷は、浜口と目線を合わせたまま、少しだけ考えると静かに答えた。
「……負けられる国」
全閣僚にとって、それは意外過ぎる答えだった。
日露戦争で負けられぬ戦いに勝利し、その名を世界に轟かせた男が口にした「負けられる」の意味。
それは恐らく、この男と、この男の世代にのみしか許されないものなのかもしれない。
「負けられる国」と「負けられぬ国」の差は雲泥だ。
負けることができる国、負けを認められる国の底力は、薄っぺらなものではない。
これは戦争に限った事ではないだろう。
負けることが許されるのならば、人は過ちを認めることができ、認められれば、過ちを正す事もできる。
戦って勝ち続ける者よりも、負けても、負けても何度でも立ち上がってくる者に相手は恐怖を覚えるし、その姿に他者は素直に感動し、敬意を表す。そして何より、国民は意気を振り絞り、立ちはだかる困難を克服すべく、団結し、何度でも再起していくだろう。
「負けられる……ですか」
浜口は思わず呟く。
かつて犬養木堂と二人、病院の一室で決意した「負けのない戦いをする」という意気込みを「覚悟が足りません」と断じられた様な気分だ。
「確かに……負けても、負けても次がある様な国が一番、強いのかもしれませんな」
「左様。何度でも負ければ良い。勝たねば国が滅ぶような戦は、もう、たくさんです。若い人にはさせたくありません」
何気ない東郷の言葉が、浜口の胸に突き刺さる。