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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
74/111

第19話 渤海炎上 (5)

1925年3月12日

(大正十四年三月十二日)


 明けて春。

世界は目覚めたかのように突然、動き始めた。

中でも日本政府が発表した金本位制への復帰は、世界の経済界を狂喜させるに十分なものだった。

人口八千万強を擁し、曲りなりにも大国と位置付けされる日本の世界経済への復帰は、合衆国を牽引車として安定的かつ持続的な経済成長を続けている各国に新たな市場の開放と受け取られ、更なる持続的な成長を約束したものと歓迎されたし、世界最大級の大市場を有しながら依然として金本位制への復帰を果たしていない大英帝国に対する無言の圧力とも受け取られた。

 しかし、そんな世界経済界の熱狂的歓迎とは裏腹に、当の日本経済は傲然と胸を張りつつ、死を許容する気高き武者の如く、自らをおい追い詰めていった。

主要輸出産業である絹糸、綿布などの繊維産業が極端な円高政策へのシフトにより事実上、壊滅。

更には対支市場への軽工業品輸出も中国情勢の緊迫化に伴い、今ひとつ振るわず、造船不況下、製鉄業界を支えていた満鉄需要も消滅。

大正十四年1-3月期の外貨流出は2億9千5百万円に達し、このままでは1年を経ずしてこの国の外貨準備は底をつき、輸入は途絶するものと予測されていた。


 しかしながら、強硬策ともいえる平価切り上げによる金解禁という政策に対し、三菱、三井、安田・鈴木、第一、住友の五大財閥は見事な程の適応能力と経営感覚を発揮し、それぞれの保有する系列企業の弱点を補うべく、製造権や許可生産権、販売権の獲得に一挙に乗り出していく。

東郷内閣発足以来、推進されていた金融再編によって有象無象の中小銀行を傘下に収め、豊富な資金力を有していた事もあったが、何より、1年前では考えられない格安価格で諸権利が買い取れるというメリットを見せられては、現状の輸出不振による景気悪化の時代をやり過ごしさえすれば、将来的に十分、元が取れると読み切り、先行投資を企図したのだ。

 巨大財閥による寡頭的な経済支配というリスクを冒してまで、金融安定、ひいては経済的な安定を求めた東郷政権であったが、その信念とするところは「民族資本なくして、国家の繁栄は無い」というものであった事は間違いない。

国内資本に限界がある以上、海外からの資本投下は勿論、歓迎すべきであったが過度の依存は、その外資の本国政府に生殺与奪を握られたも同然であり、下手をすれば経済植民地化への道を辿りかねない。

その点において、少なくとも、明治・大正期にこの国において勃興した日本の財閥(民族資本)は欧米一流企業と比して、国家経営・戦略よりも私企業を優先する事に関し、すこぶる自制心が効いている。

明治期以来、財閥に代表される民族資本と結託する政府・政党の関係は数多くの政商を生みだし、醜悪な疑獄事件が新聞紙面を騒がせる事も多かったが、少なくとも政府・政党側が主導権を握り、健全なマスメディアによる批判と警鐘、そして市場独占と価格操作への監視や後発企業への適正な信用供与が為されている限り、問題は小さなものである筈で、逆に言えば、寡頭制経済体制を選択した東郷政権と二大政党にとって、それを実現する事が、その存在理由であり、使命であるとも言えた。

勿論、寡頭制経済支配は後発企業の新規参入を阻んだり、既得権益防衛の為、経済界全体が保守化、硬直化したりするなど弊害も大きく、これへの反発から、財閥の強権的解体を求める声もあるにはあったが、競争力ばかりを追い求めて完全な自由主義経済体制に移行するには、この国の経済体質はあまりに脆弱だった。

 国富三〇〇億円と言われた大正初年から僅か14年間で国富は一千億に達し、米英仏に次いで世界第四位の地位を獲得してはいるものの、前三者との格差は絶望的な程に開いている。

所詮、貧乏国家。

力の集中なくして、巨大な海外資本になど対抗出来る筈もない。


 輸出産業壊滅。

突きつけられた現実に対し、この国の国民が驚く程、平静でいられたのは奇跡だった。

その理由として一つは、日本の経済構造が根本的に輸出依存型では無かった事が上げられる。

こと、輸出に限って言うのならば、その比率は国民総生産に対し1割弱程度でしか無く、しかも輸出産業を担っていたのが、ほとんど資金的に体力のある大企業が中心であった事も救われた要因だった。

金解禁と同時に繊維株は大暴落したものの、政府が米国より棉麦借款で得た『ただ同然』の綿花をこれら綿布輸出企業に供給した結果、彼らは、かろうじて倒産一歩寸前で踏みとどまり、経営体質の転換に必要な時間を稼ぎだす事が可能となったのだ。

 そして繊維業界のもう一方の雄である生糸産業。

背景に190万戸もの養蚕農家を抱え、より社会的な影響が深刻な生糸業界に対して、政府は政府系金融機関を総動員して株を買い支えるという超法規的な対応をとり、企業の業種転換にテコ入れを図る。

表面的な平静と内面的な困惑が広がる中、新年早々に行われた政府の説明会に殺到した生糸業界関係者は、この時、石橋商工大臣の示した方策に文字通り、腰を抜かしかけた。

――――既成服の製造・販売。

それが石橋と商工省の官僚団が取りまとめた、生糸産業界の進むべき新たな道だった。

この時代のアパレル業界においては既成服という言葉、概念すらなく、この年のパリ万博に漸く発露が見出せる程度の考え方だ。

服と云えば、和装・洋装を問わず、「身体に合わせて布を裁断し、縫製する」時代であって、唯一例外的に既成服と言えそうなのが徴兵されたばかりの初年兵に与えられるお仕着せの軍服ぐらい……。

つまり、軍隊という一部の例外を除けば、一般社会においては貧富を問わず、服と云えばオーダーメイドが普通であり、当然ながら、一品物であるが故に現代の様に、いつでも買える手頃な商品などではなく、文字通り高価な奢侈品と位置付けされており「正月に一枚、家族揃って新しい服を作る事」が庶民の人並な暮らしの目安とされていた程だ。

数種類の胴周りや胴丈、袖周りや長さ、襟周り等々……業界として統一規格・基準の組み合わせを構築し、工場生産によって大量供給、その安価さを武器に需要を創出するという産業界全体を包括した戦略……。

幸い、生糸業界には生糸の紡績を担っていた勤勉で低賃金な女工達を大量に抱えており、縫製技術が嫁入り修行の最たるものとされていた時代、彼女達は全くの素人ではない。

十分に転用は可能だろう。

そして何より、大量生産を可能とする為には大量の工業用ミシンを必要とするが、当時、シンガーに代表される舶来品一辺倒だった現状を打破しようと国内には安井兄弟社をはじめとした工業用ミシンメーカーの勃興期であった事も僥倖だった。

 前年、農商務省から分離されたばかりで遮二無二、存在感をアピールしたい商工省官僚団を率いる石橋の目線は、単に生糸産業を被服産業に転換し、規格化された大量生産によって国内における大量消費社会の到来を喚起することだけでなく、それまでの糸や布の輸出から付加価値の高い製品輸出に切り替える事、そして急激な業種転換によって生み出される設備投資によって波及効果を狙い、景気を下支えする事にあったようだ。


 190万戸の養蚕農家。

現金収入を繭に頼っている彼らはより深刻だ。

養蚕に欠かせない桑畑は急傾斜地が多く、稲作への転用が不可能な場合が多い。

輸出に代わり、国内需要が拡大される見込みはあるものの、いずれにしろ大幅に縮小される事はやむを得ない。

所轄省庁である農務省を率いる農相・元田肇、そして農務省官僚団はこの時、文字通り、足で稼いだ。

各地の名望家や篤農家を一軒一軒回り、余剰となる桑畑の麦作への転換を説き、その転作面積に応じた地租の減免を確約し、更に転作農家に限って麦の政府買い上げ価格を割り増しする事を約定するなどして、この転作政策を推し進め、理解を求めた。

 だが、一朝一夕に転作が可能な訳ではない。

いくら、その利害を説かれても愛着ある桑畑を潰す事への精神的な抵抗は少なからずあったし、何より、現実問題として桑の木を畑から可及的速やかに取り除く事が不可能なのだ。

桑畑は、畑とは名ばかりで、その実態は整然と植林された桑の木林であり、根を張った桑の木を切り倒し、切株を取り除き、根を引き抜くだけで気の遠くなる様な労力を要する。

転作後の収入が確約されたからといって、転作が可能になるまで、何年かかるか分ったものではない。

言ってみれば、近隣の雑木林を開墾して畑にするのと手間の掛かり方としては大差がない作業量なのだ。

 無論、そう言って危惧を述べる養蚕農家に対し、元田は予め回答を用意していた。

「地域毎に官営の農家組合を組織し、海外からスクレイパーやブルドーザーを共同購入し、その圧倒的な機力を用いて一挙に耕地再編成を成し遂げる」

購入費用は転作面積に応じて各農家で負担すればよいし、開墾用途が済んだ重機は他の農家組合や、土木・建設会社に転売してしまえば、それなりに元は取れるだろう。

もし借入が必要ならば、政府系金融機関で融資を行おう、利子分ぐらいなら農務省が負担してもよい、それに円高の今なら、米国製の優秀な重機類が格安で購入できる筈だぞ……。

 元田は切々と帝国の窮状を訴えながら、農村地域社会において絶大な発言力を有する篤農家達に協力を求め、そして何の躊躇いもなく土下座して歩く。

与党・自由党第三派閥の領袖で現職大臣を務める政界の大立者が、帝大出身の超エリート官僚が、薄汚い畳や、板の間に敷かれた破れた筵に額をこすりつけ、一介の百姓に過ぎない自分に転作を哀願している……。

この異様な光景に男意気を感じない明治人はいない。

各地の養蚕農家は自らの拳で己の胸を打つと、雪崩を打って政府の転作政策に呼応しはじめた。

 

 …………後に日本の輸出品目で主要な割合を占め、「日本のお家芸」とまで呼ばれる事になる小型機械類の中でも、浸炭焼き入れ技術の独自開発と採用によって取り分け評価の高い「工業用ミシン(安井兄弟社、後のブラザー)」、震災復興需要とインフラ整備の設計・計算に欠かす事の出来ない「機械式卓上計算機(大本鉄工所、後のタイガー)」、その簡単な機械的構造と多目的用途、そして堅牢さよって農地開墾や農業生産、更には建設土木工事の機械化に大きく貢献する事となる“実現不可能な技術”を実現した「汎用水冷小型ディーゼル発動機(山岡製作所、後のヤンマー)」はこの時代、この様にして世に生み出されていった。



 しかしながら、技術導入や開発、新製品の投入、国内市場の開拓などいずれも末節な事に過ぎない。

本来であれば、社会秩序の維持さえ困難になっても不思議でない状況を、大過なくこの国が乗り切ったのは、政府が示した「一社たりとも潰さない。一人たりとも失業者を増やさない」という強い決意だ。

無論、現実には内需への転換に失敗した企業や、資金調達能力の欠如した中小企業から順次、倒産や工場閉鎖が相次ぎ、日増しに失業者は急増している。

だが、それら失業者を震災復興事業以下一連の内需拡大政策によって吸収し、とりもなおさず、日々の糧を間接的に保証する事に政府が注意を払った事によって、その不平不満が表立った問題とされることはなかった。

 結局のところ、庶民が時代を悲観せず、平常心を保ち続ける事が出来たのは国民が東郷個人を信任し続けたからであり、その背景には、彼と彼の政権が示した断固たる態度、そして明確な国家目標があったのは間違いない。

 内需拡大によって国家基礎体力をつけ、新たな技術を引っ提げて再び世界経済に挑戦する……。

豊かな未来への幻想が、この時代、この国の民の心を支え続けた。



 この日、首相官邸に集まった顔ぶれは東郷首相以下、高橋蔵相、金子外相、そして山本権兵衛の四人だった。

彼ら一同は宮内省から帰りついたところであり、正に祝杯を上げようとしていた。


 日本に数ある財閥の中でも三菱、三井、安田・鈴木、第一、住友の五大財閥は国内において他に比肩するものも無い程の大財閥であるのは疑いようのない事実だ。

そして、彼ら財閥群は己の企業防衛の為、企業利益追求の為、高橋蔵相が企んだ通り、諸外国から権利を買い漁る事に熱中しはじめていたが、その多くは直接的に金の稼げる製造技術や特許技術に終始しており、日本全体の工業力底上げにつながる冶金技術などの基礎工業技術に対してではなかった。

どんなに先端技術を買い取ろうと、土台となる基礎工業技術が稚拙では、いずれ時代遅れとなり、評価を落としてしまうのは必定……無論、その事は高橋の計算の内にある。

私企業が利益を追求するのは当然であり、経営改善に直結する物や技術の購入を優先するのもまた、至極、健全で当然なことだ。

だからこそ、民間に期待するのではなく、政府として方針を定め、国家事業として工場立地に適したインフラ整備を行うのと同様に、基礎的な部分において底上げを行わなくてはならない。

 ネジやバネ、歯車などの規格統一は勿論、品質管理や生産管理、構造計算方法の統一、性能試験の方法、熱処理の方法やら加工物の許容公差の確定など無数と言って良い基準作り、そして新しい加工技術の開発や生産ノウハウの研究、更には基礎技術の普及など加工貿易で食っていかねばならない国家である以上、政府として積極的に動き、導かねばならない事は実に多い。


……多いが、やはり金が無い。


 日本は、その国家予算が欧米の大企業並という貧しい国家だ。

それら欧米の大企業、そしてその大企業を支配する財閥の創業者一族が所有する個人資産は並の日本人ならば卒倒しかねない程の天文学的な金額にのぼる。

しかし、彼らの家計簿を見て仰天する必要など、全く無い。

何故なら、日本には個人資産において世界最高額を保有する一族が存在するのだから。


 国際連盟設立会議において「人種的差別撤廃案」を強行に主張し、白人世界を瞠目させた事で後の世に名を残す事になった元・外交官牧野伸顕は現在、宮内大臣を務めている。

彼は今、頭痛のするコメカミを揉みほぐすと、大きく溜め息をついた。

その溜め息の意味するものは、東郷以下の閣僚陣、そして己の属する薩摩閥の総帥・山本権兵衛伯爵に強襲され、半ば強引に頷かされた事への憤り、そして先々への恐れ……。


日本海海戦での完全無欠の勝利によってこの国を救った男。


たった数十年でこの国を世界三大海軍国に変貌させた男。


莫大な戦費を奇術の如く調達してみせた男。


そして親露一辺倒だった米国世論を180度、捻じ曲げた男……。


 日露の大戦争を仕切り、この国を世界の列強に押し上げた常勝無敵の老人集団は頑迷に「貴様の首一つで日本が救われる」と言い張って牧野に決断を迫り、最終的にまんまと欲しい物を手に入れ、意気揚々と先程、帰っていった。

「そりゃあ、他人の首だものなぁ……」

改めて自らの首筋に手をやり、いまだにつながっている事を確認しながら、牧野はぼやく。

 恐るべき老人達が宮内省に集団で乗り込み、かっさらっていったのは宮内省が所管し、運用を一任されている莫大な皇室財産。

「国富の半分を皇室財産とすべし」を目標として明治政府が蓄財に励んできただけに、その普通御料(有価証券や土地、貴金属、預金類)を投じただけでも、前記財閥の二つや三つ、丸ごと買えるだけの資金力を誇り、伝家・門外不出とされる世伝御料と合わせれば、世界トップクラスのユダヤ財閥の当主達が顔を蒼褪めさせる様なとんでもない資産額となる。

何と畏れ多い事に、恐れを知らぬ暴徒の群れが如き老人達は、それを「出せ」と牧野に談判に来たのだ。


「全く、世も末だな……」

夕闇の中、一人、ぼやき続ける牧野であったが、不思議と下した決断に後悔は無い。

恐らく、枢密院や国内の右翼勢力は皇室財産を民間投下すると決めた牧野を許すまい。

いまだ志半ばとはいえ政治生命を絶たれて済むぐらいならまだしも、下手をすれば文字通り、正しく首と胴体が離れ離れとなるやも知れぬ。

「父上と同じ道を歩むか……まぁ、それもまた、一興」

牧野は『維新の三傑』と呼ばれながら、『紀尾井坂の変』によって若くして非業の最期を遂げた父・大久保利通に想いを馳せる。

 かつて西園寺公望に「腰抜け」と評された男・牧野伸顕は腹を括ると少しだけ、笑顔を浮かべた。



 己の身の破滅を確信し、死を覚悟する牧野とは対照的に、首相官邸で陽気に騒ぐ老いた獅子の群れが無定見である筈は無かった。

彼らがただ単に、それを用いて企業救済に動くのであれば、

「陛下の資産を用いて、資本家を利した国賊」

として背任の汚名を甘受するしかなかっただろうし、貧困にあえぎ、失業の恐怖に怯える民衆の反発は想像に難くない。

 当初、彼らが皇室財産を融通させてまで企図したのは、政権発足当初の所信表明演説で示した「産官学連携」に基づき、国家事業として工業基盤底上げに利するような技術を選定し、大学などの専門・研究機関への資金提供を行ってその開発を促すこと、そして、その研究成果の特許管理を行って民間への技術移転を促進することの二点だった。

 しかし、ここで第二次東郷内閣から参画する様になった外務大臣・金子堅太郎の登場によって、前記二点に加えて、もう一つの目的が加えられる事となる。

それは

「合衆国の宣伝広告会社と契約してマーケッティング調査を行いながら、新聞やラジオを介して日本製品の宣伝広告や意見広告を絶え間なく流し、その知名度、認知度を上げ“安かろう、悪かろう”的な蔑視、軽視の風潮を一変させる」

というものだ。

これで終われば単に皇室財産を宣伝費用に使っただけの話となってしまうが、これには無論、裏がある。

金子堅太郎が真に企図したのは、有力広告主という立場を利用し、各報道機関との間にコネクションを構築、発言力、影響力を確保、行使し、対日世論形成の一助としようというものだった。

 ……合衆国の富裕階級の多くは、歴史のない自家の“家格”を上げる為、欧州の貴族の子女を妻に迎えるケースが非常に多い。

中でも19世紀後半、人気のあったのがロシア貴族の子女を妻に迎え、ロシア貴族と姻戚関係を結び、自家に箔をつけること。

日露戦争開戦当初、合衆国において親露的な風潮が強かったのは、この両国の上流階級間で結ばれた血によるものだったのだ。

 これに対し、伊藤博文の特命を受け、世論工作の陣頭指揮を受け持った金子はハーバード大学出身という学閥を利用して上流階級に喰いこむのと並行しつつ、新聞紙面に盛んに日本の正統性を訴える意見広告を載せる事によって、上流階級ではなく一般市民の世論を直接、動かし、その世論(小国が大国に挑むところから、分りやすくダビデとゴリアテの故事が多用された)が最終的に合衆国政府を動かす事へと繋がる。

金子は再び、それをやろうとしている。


 企業は、資金繰りが苦しくなれば、不要不急なものから切り捨て、身を軽くする。

長期的視野に立った研究開発費用への資本投下が、これから先、企業単位で行われづらくなるのは明らかだった。

ただでさえ、「舶来品・海外技術への信仰」が強く「国内での独自開発技術への不信」が強い日本人は、目先で利を生まない研究開発への投資に対しては消極的な風潮が強く、それが基礎研究分野の立ち遅れたこの国の産業界にとって、更に致命的な遅れを招く重大な欠陥ともなっていた。

それだけに莫大な研究費を国家が負担し、その技術情報を民間に公開するだけでも十分に効果が期待できる。

その上、日本製品を売り込む為に合衆国内の世論形成まで国家戦略として行おうというのだ。

金子外相はこの時、品の良い口元を綻ばせながら、こう主張したという。

「広告は物を形作らない。形にならないものに金を支払うことを我ら日本人は生理的に無駄な事だと感じてしまう。だが、広告を利用すれば合衆国民に価値なき物、意味なき物でさえ売ることができる。……それに吾輩の経験から言えば、広告業界には拝金主義者が実に多い。彼らを巧く利用すれば彼の国の世論を操作するなど造作もなかろう。但し、金さえ積めば、の話しだがね」

巨額の皇室財産を手中に収めた彼ら……。

そう、金ならある。


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