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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
68/111

第13話 狂犬降臨

 朝鮮半島中央部日本海側の元山、同じく黄海側の仁川に鎮守府の名を冠した港湾施設群。

半島北東部羅清を中心とした地方には長津江、赴戦江の発電施設と電気化学工業団地、そして同地で産する鉄鉱石、石炭を背景とした製鋼所群。

半島北西部、満州と国境を接する新義州府とその南の平壌府を中心とした地域は豊富な石炭資源を利用した液化石炭の重化学工業コンビナートが建設され、将来的には鴨緑江の発電力を背景とした電気化学工業群の建設が企図されている。

半島南端の良港・釜山は内地・半島間の海上交通の要衝であり、放っておいても発展する下地が十分にある。


……と、ここまでは良い。

 

 半島における産業育成を目指した後藤以下の新官僚達も、その上位に君臨する総督・犬養も少なからず先々に対する見通しが出来たと考えていた。

前述した五つの地域を牽引車として半島の工業化は急速に進むだろう。

各地域の発展に必要な資金の多くは満州からの日本資本引き上げに際して米国資本に譲渡された非満鉄系民間の動産、不動産の売却益が投下されたものであり、元手としては十分な額が用意されている。

 資本引き揚げによって生み出されたこれらの売却益が内地ではなく、朝鮮半島を中心に投下されたのには理由がある。

それは内地における金融再編により、非五大財閥系の金融資本が淘汰された結果、巨額な資金を受け入れるだけの器のある金融機関が朝鮮銀行、台湾銀行という二つの国策殖産銀行だけとなり、満州に進出していた民間資本の多くが非財閥系であった事もあって、両行に資金預託が集中されたからだった。

野口遵の率いる日本窒素グループを始め、野村、川崎、理研などの非五大財閥系の新興企業集団は急速に経営体質の改善された両行からの融資に期待し、続々と朝鮮および台湾への進出を開始している。

特に米国の関東州、英国の威海衛、列強の天津が沿岸部に列を成す黄海周辺の経済活動が活発化する事を見越し、これと隣接する朝鮮への期待は熱い。

そうでなくても朝鮮銀行は『朝鮮円』の造幣許可を有する造幣銀行であったことから、その信用と期待は大きく、新興企業集団の経理担当者は同行へ日参し、その融資を受けるべく長い列を成したという。



「金が足りない……」

民間における経済活動の活発化とは対照的に犬養の朝鮮総督府は相変わらず貧乏だった。

民間が数年先の利潤を見越して資金調達を行い、先行投資に力を入れられるのと違い、行政機関に求められるのは日々の経済活動だった。

僅かばかりの税収入と専売収入、炭鉱や鉱山、山林などの国有地を切り売りした売却益、それに内地公債市場での募債によって成り立っている様な総督府の台所は厳しい。

進出企業から安定的に税収入が得られるようになるのは数年先になるであろうし、それまでの期間、その厳しい台所事情をやりくりする他は無い。

 

 内地においては近々、高橋蔵相発案の最低賃金法が施行される予定となっていた。

同法の施行によりそれまで食うや食わずの低賃金に泣いていた一般労働者に消費財購入を促し、需要の掘り起こしによる国内経済活動の活発化にも期待でき、最終的には納税義務者を倍増させる効果を生み出す、と高橋は考えていた。

円高政策により、輸入品価格が下落し、企業はこの低価格の輸入品に対抗しつつ、従業員の賃金を上げねばならず、その苦境は想像を絶する。

誰でも性能が同じであれば、安い物を購入したいと考えるし、当時の日本における国産品への侮蔑、そして舶来品への信仰は絶対的なものだった。

 

 ……余談だが、舶来品信仰の面白い例として『機械式卓上計算機』が上げられる。

当時、震災復興による建築、建設が急増しており、その設計段階において複雑な強度計算に用いられる卓上計算機は非常に持て囃され、膨大な需要を生み出していた。

この時代、日本国内において利用されていたものの多くはフランス製の卓上計算機であったのだが、実のところ、非常に故障が多い代物であり、故障しても海外製品だけに簡単には修理がきかない。

それでも日本人の舶来信仰はやまず、卓上計算機と云えば輸入品、という時代であった。

そんな時代に大阪のとある小さな鉄鋼所「大本鉄鋼所」の社主・大本寅治郎がこの計算機需要に目をつけ、創意工夫の末、自社製計算機「虎印計算機」を発売した。

海外製品に比べて故障が少なく、計算桁数も遥かに多い驚異的な傑作計算機「虎印計算機」であったが、日本人の舶来品信仰には太刀打ちできず、さっぱり売れない。

そこで一計を案じた同社、名称を「虎印」から「タイガー」に変更、国産品なのか輸入品なのか、出自のよく分からない製品名としたところ、官公庁から一般企業に至るまで“何故か”膨大な注文が舞い込み、それこそ爆発的に売れ始める。

後に帝国の主力産業となる小型機械類の先駆となった卓上計算機はこうして日本国内を席巻し、後には海外へも進出、「タイガー」の名は計算機の代名詞となったのだ。



 秋も深まったこの日、建設途中の朝鮮総督府前の空き地は数万の群衆によって埋め尽くされていた。

群衆などと書くと、熱気を孕んだ集団を思い描くかもしれないが、実際のところ、そこに集まった人々に熱気も狂気も皆無だった。

彼らが集まった、否、正確には集められた理由はただ一つ、納税が出来なかったからだ。

 

 朝鮮半島における税制は基本的に内地と同等なものだ。

労働者や農民は収入に応じて所得税を納付し、地主は固定資産税を納める。

そこに何ら変わりは無い。

しかしながら、列強他国と比べて労働者の賃金が安い内地よりも、更に半島の賃金は安い。

さほど多いとは言えない工場に勤務する労働者やサービス業に従事する者の賃金では、生活するのがやっと……というのが現状であり、とてもではないが納税までは金が回らない。

農民とて同様だ。

農地の8割を2割の地主・富農層が保有する極端な土地分配の偏重により、農民の多くは小作農であり、その比率は日本国内を遥かに上回る。

労働者同様、やはり小作農にも納税は不可能だ。

ましてや換金作物と云えば10数年単位でしか収穫できない朝鮮人参や煙草ぐらいしか知らず、内地農家であれば当たり前の農閑期の副業、即ち出稼ぎや機織などを行う事さえない。彼らは農閑期である冬季の間中、ただただ寒さと飢えに震えているだけだった。


 この現状を新官僚達は看破していた。

半島住民の圧倒的多数派である納税不能者である彼らを納税可能な状態にする事が、半島経営の厳しい台所事情を克服する手段だと後藤達は考えた。

だが、現実的に無一文に近い彼らから税金を徴収する事は不可能だったし、一朝一夕に彼らを納税可能な程度にまで裕福にする事も不可能だ。

 後藤達は自分達の最終目標である中央政界復帰を成し遂げる為、多少なりとも、強引な手段に訴える事を暗黙の了解のうちに取り決めていた。


「金で納められないのなら、労働で納めてもらう」

 

 この前時代的な租庸調税制にも似た「庸」による納税制度はこうして始まる。

農閑期を迎えたこの日、その第一弾として京城周辺の貧困者、納税不能者達が集められ、彼らはその滞納額に応じ短い者で1週間、長い者でも2週間程の間、道路建設や線路敷設、水路掘削などの土木作業に従事させられる事となっていた。

無論、無賃だ。

十代半ばの少年のもいれば、五十代、初老の人物までいる。

彼らはいくつもの班に編成され、これから京城周辺で行われている公共事業の建設現場に建てられた簡素な飯場へと送り込まれる事となっていた。

期間中の三食は総督府側で準備し、給仕するとは云うものの、どんなに豪勢な食事を出そうとも本来、彼らに支払わなければならない一日当たりの賃金の事を考えれば、そんなものは僅かな出費だ。

陰鬱たる不平の炎を目の奥に燃やす彼ら納税滞納者の集団に冷ややかな視線を送る犬養総督府の高級官僚である新官僚達は傲然と胸を聳やかし「嫌なら税金を納めろ」と挑発的な態度を隠そうともしない。

納める者と、納められる者。

治める者と、治められる者。

その間には目には見えぬが肌で感じられる程に深い溝が横たわっているようだった。



 この労働による納税を滞納者への義務とする、という総督府条例案を聞かされた時、犬養は露骨に嫌な顔をした。

犬養にしてみれば、新官僚達が何故、こうも安易に日本政府が憎悪される様な条例を思い付くのか? 理解出来なかった。

勿論、総督府の財政が完全に行き詰った状態である事は理解しているし、総督府の財政を健全化させる為には半島の工業化は必須、そして工業化への道筋を作る為には道路や線路などのインフラ整備を行わなくてはならないのは理解している。

今までならば公債を募集し、その重ねた借金により細々と、だが、堅実に整備事業を行っていた。

だが、新官僚達はその様な気の遠くなる様な歳月を必要とする手法を生温いと断じ、このある意味『強制労働』の様な手法を思い付き、それを実現させようとしている。

 農閑期が始まる11月から翌3月迄の間、滞納者は入れ替わり立ち替わり招集され、連続的に建設現場へ投入される。

その数、延べにしてざっと1200万人。

準備不足なまま動員、開始される事となった今年度でもこれだけの人数が工事現場に投入されるのだ。地方末端まで準備が整えられるであろう来期には、少なくともこの倍の人数が投入される事になる筈だ。

もし、「税滞納」という名目で駆り出される彼らではなく、正規の公共事業として発注されたのであれば、その人件費は賃金が仮に内地の半分だとしても1000万円は下らない。つまり、その1000万円がそっくりそのまま予算の削減として跳ね返ってくるのだ。

これが内地であれば、貧農救済を目的とした砂防工事など、いろいろな名目で公共事業として行われ、賃金も少ないながらもきっちりと支払われていたし、高額な借地料を支払っている小作農達にとってこの農閑期の公共事業は貴重な現金収入の場とさえなっている。

だが、今の総督府の財政状況ではその僅かな賃金さえ捻出は出来ない。

口汚く言えば『強制労働』以外の何物でもないこの手法を嫌悪しつつも、その事を犬養はこの地にいる誰よりも理解していた。


 群衆はざわめきさえしない。

完全武装した屈強な巡査や憲兵隊に周囲を取り巻かれ、鋭い視線を浴びせられているとはいえ、その冷めた雰囲気は異様なものがあった。

怒りでもなく、諦めでもない、静かな憤りが彼らをかえって鎮めてしまっているようだ。

「こやつら役に立つのか? やる気がある様には思えんが……」

居並ぶ新官僚の一人、総督府土木局長の松木学がやや不安そうな声で囁く。

「役に立ってもらわなくては困る。文無しの彼らを冬場の間、無為に遊ばせておく事の無意味さは松木君も分っているだろう」

隣に立つ農務局長・石黒忠篤が自らを鼓舞するかのように囁きを返す。

二人の会話は風にのり、近くに立つ犬養の耳にも届く。


(仕方ねえ奴らだな……)


 苦笑と共に、ため息をこぼす。

所詮、算盤づくの官僚仕事、数を合わせる事だけに熱中して、数字の裏を読もうとしない。

仏作って魂入れず、画竜点睛を欠く……。

思い浮かぶ格言は数あれど、そのいずれもが新官僚達の見通しの甘さを適確に物語っている。


(石ころ一つ運ぶのだって、所詮は人間様の手でやる事だ。手を動かす魂がなくちゃあ、動く石だって動かねえよ)


 この日、犬養は新調した礼服に身を包み、納税滞納者達で編成された勤労奉仕団の結団式に出席していた。

その陳腐な程荘厳な衣装とは対照的に、群衆達の多くは着の身着のままの格好であり、それぞれが薄汚れた作業服や普段着に身を包み、唯一、共通性のある箇所と云えば所属を示す色分けされたタスキのみ。

群衆から瘴気の様に立ち昇る素っ気の無さに少なからず辟易としつつも、徐々にではあるが、犬養はこの場の面白みを見つけはじめていた。

 しつらえられた壇上では、名目上の動員責任者である京城府長官や道知事達が虚ろな挨拶や激励の言葉を投げかけ、強面の総督府幹部達を前に必死にこの“壮挙”の素晴らしさを訴えるが、その言葉は群衆の頭上をただただ通り過ぎて行くばかりだ。

その余りに虚しくも滑稽な風景を見つめながら、この国最高の群衆扇動家・犬養毅は少しずつ、己の本能の牙を剥くには格好の場所にも思えて来ていた。


「畜生め。予定よりも少しばかり早いが……今日から始めちまうか……」

犬養のこぼした呟きは周囲に陣取る誰の耳にも届く事はなかったが、恐らくは遠く東京にいる宿敵にして盟友・浜口の耳には届いていた事だろう。



 「ヨロブン!(諸君!)」

 壇上に立つ犬養の第一声に、その場の空気が文字通り凍った。犬養の傍らに立ち、通訳を務めようとしていた若い総督府官吏は間抜けなほどに目を丸くし、壇の左右に居並ぶ高官達は呆けた様に口を開け、水を打ったように静まり返っていた群衆達の間には、声にならないざわめきが起こる。

 よりにもよって、新任の朝鮮総督が驚くべき事に朝鮮語で演説を始めたのだ。

 腰を抜かす者がいなかったのは一つの奇跡だっただろう。




 金玉均という故人がいる。

明治維新初期に日本に留学し、アジアにおける近代革命の先駆となった明治維新に感銘を受け、故郷近代化の狼煙を上げるべく、清朝の属国に甘んじていた李氏朝鮮においてクーデターを決行した青年官僚だ。

しかし、その志は清朝を始めとした列強の介入により僅か三日で潰え、彼は日本へ亡命を余儀なくされる。

 彼は己の志を全うする為、妻子さえ捨て、単身亡命した訳だが、日本政府は諸外国との間に無用な軋轢を生む事を怖れ、彼を政治的に庇護する事も、その生活面を援助する事もなかった。

当時の日本政府の判断は賢明だったと言える。

時代は日清戦争の開戦よりも20年近く前であり、当時の清国は欧米列強でさえ、その実力を計りかね、自国の権益惜しさにその機嫌を損ねる事を怖れていたのだから。

もし、その亡命が、清国が張り子の虎である事が列強に看破される切っ掛けとなった日清戦争以降であれば日本政府の対応も違っていたかもしれない。

だが、時代はそれより遥かに昔だったのだ。


 亡命してきた金はたちまち生活苦に喘いだ。

日本に在住している朝鮮人や、福沢諭吉や大隈重信などがそれなりに援助はしたものの、常に李朝の権力者・閔氏が送り込む刺客に怯える毎日であり、各地を転々とする日常、そして精神的な負担、消耗は想像に難くない。

 そんな不遇な彼に自由民権運動家・宮崎寅蔵が手を差し伸べる。

彼は、同じ民権運動家で既にその名を馳せていた犬養毅に助力を求め、これがきっかけとなり金は犬養の庇護の下、あしかけ3年に渡ってその家に寄宿し、共に風呂に入り、共に喰らい、共に飲み、共に語る生活を送る。

犬養の朝鮮語は、この時代に金から自然と学んだものだった。

 ちなみに、後に金玉均は犬養必死の諌止にも関わらず、閔氏の計略にはまり上海に渡航、同地にて刺客の手によって殺害される。事後、次第を知り、慌てた日本政府の抗議にも関わらず、その遺骸は清国軍艦によって朝鮮国内へと送られ、首、胴体、手足に切り分けられると、朝鮮国内各地において謀反人、反逆者の末路として晒される事となった。

 尚、同氏の遺髪は日本国内に密かに持ち帰られ、犬養、頭山、宮崎らの手によって青山外人墓地に埋葬されたという。




 犬養の朝鮮語はハッキリ言って下手だった。

だが、それでも総督自身が朝鮮語を話し、解するという異常事態に群衆は明らかに興奮を覚えていた。

 それは取るに足りない、つまらない連帯感だった。だが、抑圧され、支配される者達の間にこれまで感じた事のない何かを呼び醒ます切掛けとなったのも事実だった。

犬養は下手糞な朝鮮語で叫ぶ。

叫び続ける。

『本家ヒトラー』同様に、生まれ故郷と違う異郷の地において扇動政治家としてカリスマ的な名声を博すす事になる『東洋のヒトラー』は、その仙人の様な一見、徳ある温和な風貌から連続的に繰り出す言葉の暴力によって、面前の群衆を時に愛撫し、時に罵倒し、熱病の如く凄まじき勢いにて彼らを従え始める。

遂には当の犬養自身でさえ制御不能な心地良い興奮に身を任せた時、その思うがままに唇から放たれ続ける熱気が、群衆達の間に内在する狂気を呑み込み、やがて孕む。

そこに産まれ落ちたのは熱狂。

犬養の咆哮に「日本」という単語も、「朝鮮」という単語もない。

繰り返されるのは、ただただ「亜細亜」という犬養にとって至高の聖言にして、誓言。

この日を境として、犬養は朝鮮の地に「最も純粋なアジア主義」の種を蒔き始める。

それこそが、いけずを知る彼がこの地に来た目的だったのだから。



 ……後年、日本政府すら手を焼く事になる“アジア主義の大本営”朝鮮総督府。

一介の出先機関、植民地の行政機関である筈のこの組織が、各国の理解を超える存在として注目を受けるまで尚、数年の時を待たなくてはならない。


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