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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
67/111

第12話 黒い宮殿 

ご無沙汰しております。

ようやく勤務先の決算が終了、一息つくことができました。

少しずつペースを戻せるとは思えますが、お見捨て無きよう宜しくお願い致します。

 『水主火従』というのは、明治日本のエネルギー政策を示した言葉だ。

意味はその文字の示す通り

「水力発電を主とし、火力発電を補助とする」

というものであり、発電用ダムを建設しやすい狭隘な渓谷地形が多く、同時に国内炭鉱開発に遅れをとっていたこの国が当然の様に選択した政策方針だった。

 しかし、この政策が東郷内閣時代に入ると一変する。

理由の一つは各国において積極的な油田開発が行われた事により、石炭に代わり石油が新たな熱エネルギー源として安定的に供給される様になり、結果として供給過多におちいった石炭の市場価格が大幅に下落したこと、そして、もう一つは急激な震災復興需要によるセメント供給能力の逼迫によるものだった。

本質的にコンクリートの塊であるダムは当然ながら、その建設時に大量のセメントを必要としており、この時代、多数の水力発電所建設に応えられるだけの供給能力は国内に存在しなかったのだ。

 石炭価格の下落、そしてセメントの高騰という時代背景を受け、速やかな電力供給を要求されていた政府は、それまでの『水主火従』から『火主水従』へとエネルギー政策を大きく転換させる事となったのだ。

 

 当時の国内発電事業は民間企業によって営まれていた。当初、数百社を数えた電力会社も企業合併による淘汰を繰り返し、大正もこの頃になると大手数社にまで絞り込まれており各企業はそれぞれ、政党と組んで許認可に便宜をはかってもらったり、他社の縄張りを侵す手伝いをさせたりもしていた。

特に大都市圏や工業地帯の電力需要に対する争奪戦は激しく、各社が値下げ競争を繰り返した結果、電力会社は自分自身の首を絞める羽目に陥り、その影響は当然ながら、主たる熱エネルギー源である石炭を更に安く手に入れる方向へと進んでいく。

東郷内閣の推し進めた『円高政策』により、ただでさえ安価だった中国産石炭が更に安く手に入る様な事態となっている。

そして、この輸入石炭への対抗上、国内産石炭は価格下落の状況下、更に価格を下げねばならず、それは更なる合理化を促すと同時に、多数の炭鉱失業者を産み出す結果ともなっていった。


 水力発電は初期投資が嵩むが、ランニングコストは安い。反対に火力発電は初期投資が安価で済む割に恒常的に石炭を購入し続けねばならない以上、ランニングコストは嵩む。

この時代に琵琶湖水系で建設を予定された水力発電所建設予算を一例としてあげれば、総工費1250万円の内、発電設備関係は500万円程度であり、残り750万円の内、用水ダム建設費が500万円、用水路関係の建設が250万円となっている。反対に同時代に同程度の発電能力を持つ火力発電所の建設予算は、凡そ400万円であり、その初期投資額の差は歴然としている。

そして何より、建設工期の差が大きい。ダム建設の為には建設予定地近辺の土地収用に始まり、まずは建設水路を掘削して水を逃がす道を造り、その後、本来の川底にダムを建設し、その後、建設用水路を封鎖、それが終わってようやくダムに水を貯めるという方法をとる。その建設工期が数年単位に及ぶのはざらであり、水量豊富な(つまり発電能力の高い)水力発電所を建設しようと思えば、その工期は10年単位に及び、それだけ建設費用も嵩むという事になる。


 電力がなければ、工場は動かない。電力が無い所に、工場は建てられない。東郷内閣が目玉政策とする工業インフラの整備事業を行う為には、まず大量の電力供給を図らなくてはならなかった。

「短期間で工業化を促す為には、短期間で電力の供給を図らねばならない」

と考えた政府は、内地における新規水力発電所に対する建設許認可凍結を発表、反対に火力発電所建設に対しては規制を緩め、積極的に許認可を出す方針を打ち出すこととなった。

同時に、激しい値下げ競争により経営状態が著しく疲弊していた電力会社を救済する為、電力価格に対する公定価格を設定、これにより、多くの電力会社はようやく息をつく事ができたという。


 「円高政策」によって輸入資材価格が下落、結果として国内物価の暴落、経済収縮に見舞われた日本であったが、東郷内閣は、その基本方針として輸入制限の為に関税率を引き上げるという即効性の高い政策に対しては積極的では無かった。

高関税に代表される保護貿易主義の台頭は、加工貿易国家を標榜する日本にとって、忌むべき最大の敵であり、日本自身がそれに与する事が思想的に憚られたからだ。

 だからといって、外国産品に荒らされる市場を政府が手をこまねいていた放置していた訳ではない。高関税政策にこそ嫌悪感を抱いていた東郷内閣・日本政府ではあったが、国内の産業保護には熱心に取り組み、ありとあらゆる形で助成金や補助金を交付し、その合理化・生産性向上の賛助を行い、国内産業の保護・育成に努めた。

「船質改善助成施設法」の施行により大型船舶が急速にディーゼル化されていく過渡期であったこの時代、船舶燃料向け石炭需要が急速に落ち込んでしまった石炭産業界などが、その好例として上げられる。

それまで最大の買主であった船会社からの需要低下に面を暗くしていた彼らに光明となったのは、やはり政府が同時に推進した「火主水従」政策によって多数の建設が見込まれる火力発電所群が要求するであろう膨大な石炭需要であり、この要求に応えるべく、助成金・補助金によって合理化・設備更新を成し遂げ、高い生産性を武器に再び増産体制へと移行していく事となったのだ。

 産業というものは、単体では成り立たない。

一つの政策により一つの産業を保護すれば、善きにつけ、悪しきにつけ、必ず連鎖する。

震災復興と電力の緊急需要に応えるべく、あえて水力発電を切り捨てた東郷内閣の政策により、当時の試算によれば国内埋蔵量三五〇年分と言われた炭鉱産業は偉大なる復活を成し遂げ、再び国内重要産業の地位を回復する事となった。




大正十三年十月(1924年10月)

京畿道 京城府

朝鮮総督府 総督執務室


 既に犬養が朝鮮に到着して数日の時を経ている。

今、彼は新たな日課となった総督府への出仕の為、土埃舞う未舗装の轍道を歩んでいた。

出仕と言っても、総督公邸は広大な敷地面積を有する総督府施設群の一画にあり、老齢な犬養がゆっくり歩いても、15分もあれば十分な距離だ。

屈強強面の警吏達を従えながら犬養は杖を片手に歩む。

 今、総督府は庁舎建設の最終段階にあった。

李王家の宮殿であった『景福宮』の敷地内に建設されつつある朝鮮総督府は、李王家時代の歴史的な建造物を取り壊して無理矢理に開けた土地に庁舎を建設している。

中には『光化門』の様に日本の思想家・柳宗悦らの運動によって破壊されず、移築された建造物もあるにはあったが、全体的に見てみれば、被支配民達にとって支配者の交替を実感させられる建設工事であり、ただの庁舎建設とは訳が違う。


「馬鹿な事をしたものよ……」


 多数の労働者が汗を流す建設現場の横を、ゆったりとした歩調で歩みながら、犬養はため息交じりに独語する。

「もし……もし、日露で負けて……いい気になった露助どもが皇居半蔵門壊して、そこにど派手な宮殿をおっ建てていやがったらどうなったか……少し、考えれば分るじゃねえか」

懐から取り出した煙管に煙草を詰めながら、犬養は徐々に暗澹たる気分へと落ちて行く。

「そんな真似しやがったら、火の玉だ。帝国臣民六千万全てが火の玉となって、露助を殺し尽くしただろうよ……景福宮、壊して総督府を建てる。それがおんなじ事だって、なんで分らねえのかな」

既に総督府庁舎建設が開始されて五年の歳月が過ぎており、二年後には完成する筈だ。

今更、犬養が指揮権を発動して建設工事を取り止めさせ、全てをひっくり返したところで、大した意味は無さそうだ。

犬養が煙管を咥えると、すかさず気を利かせた警吏の一人がマッチに炎を点して差し出す。

マッチから煙管へと火は移り、深く吸った息が吐き出される頃、それが紫煙であるのか、溜め息であるのか、当の犬養にさえ分らない。


 朝鮮総督府の下には、京畿道、江原道、忠清南北道などの“道”と呼ばれる地方行政府が置かれている。

無論、北海道の“道”と同じ、地方行政単位だ。

道の数は13を数え、その首長である13人の“道知事”の内、日本人は8名であり、朝鮮人は5名だ。

日本人道知事の多くは内務省から一時的に赴任してきた者が多くを占めていたが、朝鮮人道知事は李氏朝鮮時代に官吏として採用され、日本による支配開始以降もそのまま官吏として出世を重ねてきた者達だった。

一見すると、日本人の比率が8:5と多く、朝鮮人の比率はこれ以降、下がり続けると思うかもしれないが、この時代以降も、朝鮮人道知事は誕生し続け、時期によっては比率が逆転する事さえあった。

更に後年となるが、朝鮮総督府は巧妙にも、もう一つの植民地である台湾・高雄帝大の卒業者を総督府高級官吏として多数、採用、その支配構造の一翼を担わせている。

支配国家と、被支配民との間に現地採用の官吏や異民族を巧みに織り込んで緩衝材とする、という構造は英国が得意とした植民地支配の手法であったが、こと朝鮮支配に関して言うならば日本人は英国人の忠実な弟子であり、最も優れた生徒であった、と言えるだろう。



 ―――犬養が建設途中の総督府庁舎に到着し、朝鮮独特の熱い柚子茶の芳香を愉しみつつ、いつもの様に書類の山と格闘し始めた頃、この日、最重要の面談予定者が到着した旨を秘書官の一人が告げ、犬養は待ちかねたように直ちに通す様に命ずる。

来訪せし面談者の名は野口 したがう

言うまでも無く日本を代表する電気化学工業界の雄『日本窒素肥料』の代表者であり、近代日本産業界最大級の功労者にして、実力者だった。



 犬養が総督就任に際して、日本から連れて来た新官僚の集団。

自らの能力と経済政策に絶対的な自信を持ち、その実験場を欲した少壮の官僚集団と、己自身の目的の為に朝鮮半島の近代化を短期間で成し遂げる必要があった犬養の利害は完全に一致していた。

 朝鮮赴任以来、犬養は毎日の様に後藤以下、新たに朝鮮総督府の高級官僚に就任した新官僚達と朝鮮半島の新たな経営方針を探るべく会議を行っていた。

元来、積極財政論者の犬養である。

支出過剰で緊縮予算しか組めない朝鮮の経営は決して面白いものではなかった。

文治主義を掲げ、朝鮮経営に一つの方向性を示した偉大なる前任者の総督・斎藤實海軍大将も、この逼迫した赤字経営状況にはさぞかし頭を痛めた事だろう。

 予算が心もとないこの地の近代化は容易な事ではないし、昨今では別な問題が頭をもたげ始めている。それは急激な人口の増加だった。経営開始以来の食糧増産政策が効力を発揮し始めた昨今、家庭における保健衛生の概念定着や初等教育の普及が半島における爆発的な人口上昇カーブを描く原因となっている。

 人口増加は国力の源。人口が増えれば需要が増え、需要は供給を呼び、供給は産業の発達を促す。それは、本来ならば喜ぶべき事だった。

しかし、朝鮮半島におけるその増加はあまりにも過剰かつ急激過ぎた。このままでは数年を経ずして、就業適齢人口が毎年、十数万単位で増え続ける計算が成り立つ。

気候の寒暖が激しく、決して土地が豊かとは言えない朝鮮半島において農村部がその増加人口を全て吸収出来る筈もない。農村部で吸収しえない過剰な求職者は自然と都市部へと移動するが、工業化の未発達なこの地において工場は希少な存在だ。その希少な工場の数では、求職者の求めに応じるだけの職場を与える事は、やはり出来ない。


「賃金を値下げしても就職を希望する者は幾らでもいる」


 その事に工場経営者が気付いた時、この地の微細なる産業は最終崩壊を開始する。高給取りの熟練労働者が解雇され、低賃金の若年労働者がその比率を高めれば、結果として、その生産品の性能は低下し、性能低下は価格の低下を生み、価格低下は賃金の低下を招く。そして低賃金の若年労働者だけが比率を増し続け、その結果は火を見るよりも明らかだった。


 それでも都市部で職を見つけられれば幸せな方だった。着の身着のまま、田舎を飛び出してきた多くの都市流入民は職を得られず、その足の向く先を内地へと向ける。しかしながら、ただでさえ内地人口の増加に頭を悩ませていた日本政府は、この半島からの“移民”に関しては心底、困り果てており、幾度となく渡航制限を出し、規制したのだが、所詮は海峡を一つ隔てただけの同じ日本国内、小型漁船の船主に借金をしてまでしてかき集めた高額の船賃を渡せば、いくらでも渡航は可能であり、釜山付近の漁村は多数の渡航待ちの人々によって大いに賑わいをみせている程だ。

 借金に借金を重ねて内地に移住してきた大勢の朝鮮人労働者達は、その法外な利子で借り入れた渡航費用を返済する為に仕事を選ばず、日本人労働者最下層の人々よりも低賃金で、過酷で危険な労働に従事する。

中には数百人が犠牲となった東海道本線最大の難所・箱根山隧道貫通工事の様な危険な肉体労働にも果敢に従事し、当時の稚拙な建設技術や崩落事故などによって、その尊い命を落とした人々の数は少なくない。

半島で喰い詰め、食うや食わずで内地に流れて来た彼らの骸は未だにこの内地の地下、奥深くに眠っている。


 『1ドル=1円』という極端な円高を武器に、海外から新技術を買い漁り、新産業を誕生させる……という東郷内閣の政策に先鞭をつけた人物、それが野口遵だった。

ドイツ・シーメンス社に勤務した経歴を持つ彼は、早い時期から海外の先進な技術を導入する事が企業躍進の秘訣だと信じており、欧州大戦終結直後にはイタリアの著名な化学者・ガザレー博士が考案したアンモニア合成法の特許を買い取った。

当時とすれば錬金術の様な、言いかえればホラ話の様なこの新技術買い取りに全てを賭けた野口は、正しく全財産を投げ打って、これに賭けたのだ。

結果的に野口はこの賭けに勝ち、ガザレー法により極論すれば電気さえあればアンモニアを幾らでも作りだす事に成功した彼の率いる日本窒素は、瞬く間に国内有数の電気化学産業界の雄へと飛躍を遂げる。

だからこそ野口は電気を欲していた。

この時代の誰よりも。


 朝鮮半島北東部に長津江、赴戦江という大河が流れている。

その地形、水量からして早くから水力発電所建設の適地と目され、知られていた。

長津江20万キロワット。

赴戦江22万キロワット。

それが両水系に発電ダムを建設した場合の推定発電量だった。当時、工業化の遅れた朝鮮半島における電力需要は驚くべき事に僅か3万、乃至は4万キロワットと言われていた。

普通に考えれば両江合わせて42万キロワットの電力供給量と、最大でも4万キロワットの需要量では全く見合わないが、野口にはこの差こそ魅力だった。既存の発電設備を考え合わせれば、40万キロワット前後に達すると見られる余剰電力、これを自社工場に導引出来れば、その力、計り知れない。両江におけるダム建設が許可されれば、彼の率いる日本窒素が更なる飛躍を遂げる事は明らかだ。

 そしてその肝心要の両江開発の許可権を有するのは朝鮮総督府。数千枚にも及ぶ申請書類の提出を夏には終え、いよいよ総督府からの許可待ち状態となった野口率いる日本窒素は既に許可が下りるのは、時間の問題と捉え、4千5百万円という大金を調達していた。両江開発に成功し、その電力を自在に操る事が出来れば、財布の底をひっくり返してかき集めた資金は数倍、数十倍の利を生む……筈だった。


「三菱が2億出すそうです」

応接室に通され、席に腰を落ち着けたばかりの野口が犬養から聞かされた最初の言葉はそれだった。

瞬間、野口の顔が呆けたものへと変じ、数秒の後、怒りに彩られる。

 両江開発を睨んで暗躍していたのが、自分だけでない事は無論、知っていた。日本産業界の覇者・三菱が遅れをとった電気化学分野への参入を睨んで、野口同様に両江の電力を目当てに朝鮮進出を狙っていたのは十分承知していたし、満鉄系列の企業や、総督府の附属機関である朝鮮鉄道が鉄道建設と抱き合わせで両江開発を狙っていたのも承知していた。

 そして満鉄の米国売却に伴い満鉄系企業の半島進出は沙汰止みとなり、朝鮮鉄道が半島内の私鉄買い上げにその資金を集中し始めた結果、残るライバルは三菱のみ。野口と三菱はどういう訳か予てより折り合いが悪く、その関係は鈴木商店を目の敵にした三井と似ていると言えるかもしれない。

 犬養の言によれば、新進気鋭の企業家・野口が調達した4千5百万円という金など消し飛ぶような2億円という大金を三菱は両江開発に投じる用意があるという。系列に三菱銀行という巨大銀行を持つ三菱にしてみれば、2億という金を用意する事など、恐らくは電報一本で済ませられる程度の造作もない事だっただろう。


「それで?」

野口は怒りの咆哮を漸うに抑えこむと、この件における審判である犬養に問い掛ける。

『総督府は三菱に任せる気なのか?』

その目は、そう犬養に問うている。

 実のところ、新任の総督が犬養だと聞いた時、彼が三菱と関係の深い民政党ではなく、対抗政党である自由党出身という事で密かに期待していた野口だった。それだけでなく、腹の底では自らに許可が下りるのは間違いない、という計算が成り立っていた。

 その晩年、現在の貨幣価値に換算して数千億円とも言われる個人資産を有し、その遺産のほぼ全てを朝鮮人徒弟の教育に献じた程の男である彼は列島出身者特有の村社会的な世界観を超越している。その遠くを見つめる視線の先では犬養の標榜するアジア主義に共感するところ大であり、実際、彼はアジア主義者達にとって有力な後援者の一人でもあったのだ。だからこそ、心中、密かに犬養に期待していた。


(しかし、所詮……)


政界と長年、交わり続けた大財閥という存在に対抗するという事が如何に難しいか……今日的に言えば“ベンチャー企業家”である野口の絶望は深い。


「……」

野口の問いに犬養は答えない。

必死にかき集めた4千5百万と、電報一つで調達できる2億。

問いに対し、微かに反らした犬養の視線が物語るのは「言わずもがなの事を聞くな」という厳然たる事実だった。

 ダムを建設するだけならば、野口の用意した4千5百万円でもお釣りは来る。だが、水系全体の開発を考えれば、その金額ではどう考えても足りない。無論、野口もダム建設後に自社工場を基幹とした工業団地の造成は計画しているし、それこそが目的だ。

 しかし、その計画もダム建設の目途がついたら工場建設を行う、という二段構えであり、最終目的である工業団地の完成に至るには恐らく十年単位の月日を要する事になるだろう。

 結論から言ってしまえば、短期間で朝鮮の近代化を完遂させてしまいたい犬養も、そして新官僚達も十年という歳月をベンチャー企業家・野口にくれてやる気はサラサラなかったのだ。

 反対に資金力のある三菱ならば、ダム建設と同時にありとあらゆる多方面の開発事業に着手できる。

実際、三菱が本気になれば十分、可能だった。彼らがこの地に鉄道を通し、道路を整備し、港湾を掘削し、工場団地を造成し、同時に灌漑施設を完備した広大な農地開拓や宅地造成まで視野に入れているのは明らかだ。言うなれば、三菱は朝鮮北東部に数十万人が奉職する事が可能な巨大な複合産業王国を築こうと考えているのであり、電気化学工業一本に絞りこんだ野口の構想とは土台、スケールが違っている。

 反らされた視線が意味するものを知った時、野口は、ほろ苦く敗北を悟った。



 気鋭のベンチャー企業家が両江開発への野望を諦めた……その頃合いを見計らって犬養は本題に入る。

新官僚達との連日の会議の結果、三菱に両江開発の許可を与えると決したのは犬養自身だった。前述した様に三菱の構想はスケールがでかい。その建設過程で投下される資本額も膨大だが、成功した暁には数十万人単位の職場が確保される見込みがある事も魅力だ。赤字続き半島経営において、その意味は重要であり、同時に将来的には最も有効な失業者対策ともなる。

 失業者という存在はそのまま不平分子となり、その生活苦がもたらす不満こそが恐ろしい。ソビエトという存在をすぐ向こうに控え、同地から流れてくる赤い遺伝子が暗躍している朝鮮半島北部において、失業者を放置することの危険性は火を見るよりも明らかだ。

「燃え盛る焚火の横で、器が無いからと言って灯油をこぼす様なもの……」

言ってみれば、そんな感じだ。


 絶望感から悄然としている野口に、犬養は一枚の地図を差し出すのと同時に、まるで合図されたかの様に次室に控えていた総督府殖産局長・吉田茂が無言で入室してくる。

 その脇には分厚い書類の束。

不遜な態度が持ち味の吉田は、野口にも犬養にも儀礼上の言葉、一切を発する事無く、卓上に広げられた地図の説明を始める。正確には地図に描かれた記号の説明であり、記号は咸鏡北道、咸鏡南道、平安北道などの朝鮮北部一体に記されている。その数は一つや二つではなく、数十か所にも及んでおり、吉田の説明によれば、それらの記号が示すのは炭鉱の位置だった。

 沈黙を守る犬養と、闇雲に説明を続ける吉田の態度に怪訝な様子を隠せず、野口は慌てて、その真意を問う。

「私にどうしろ……と?」

日本の電気化学産業を牽引する野口ではあったが、いきなり見慣れぬ半島地図で炭鉱の位置を示されたところで困惑する他は無い。

「これらの炭鉱を私に開発しろとでも? 私は残念ながら炭鉱開発に興味はありませんが……?」

野口は、短く刈った髪に手をやりながら、非難めいた口調を隠そうともせず、鋭い視線を投げかけて、畳みかける様に目的を告げずに弁を振るう吉田と、その背後の犬養を牽制する。

「話は最後まで聞くものだよ、野口君。……特に儲け話はな」

皺深い顔を歪め、そう犬養は嘯き、吉田に説明を続けさせる。吉田はその言葉に頷くと地図上を這わせていた指先で、描かれたある線をなぞる。なぞられた線、それは朝鮮と満州の国境を流れる『鴨緑江』だった。


 『鴨緑江』の存在は無論、野口とて知っていた。半島最大の水量を誇る大河である鴨緑江は白頭山に源を発し、半島の付け根を西に向かい、ほぼ一直線に貫いている。それは正しく大陸と半島の地形的な境界であり、同時に政治的にも、文化的にも、民族的にも境界を為している。

 指さされた瞬間、野口の脳裏に困惑が広がる。

……かつて東亜最大の複合企業・南満州鉄道が鴨緑江に発電所建設を計画し、試算した事がある。その水量から推測される発電量は最低でも60万キロワットにのぼり、その建設に使役される専用鉄道の敷設を含めた総工費は1億5千万円。

つまり、その発電量は両江の1.5倍に及び、開発費用は3倍を超える規模なのだ。膨大な発電量は魅力な事、この上ないが現実問題として、とてもではないが、今の野口の手に負える代物ではなく、何より建設資金の調達が不可能だ。


「資金についてなら、心配する事は無い。何なら、朝鮮総督府が保証人になって朝鮮銀行に話をつけてやろう」


 犬養の何気なく発した言葉に、野口は驚き、思わず呻く。

『政府機関が一企業の保証人になり、造幣銀行と結託する……』

それは、政治的にも、道義的にも許される事ではない。面前に座る老練老獪な政治家がその事を知らぬ筈は無いし、それを許す様な人物で無い事も野口は理解していたし、その発せられた言葉を額面通りに受け取るのは、阿呆の所業だ。若い野口は犬養の腹を必死に探り続けるが、如何様にしても、その真意が見えない。

 相手の慎重と困惑が混ぜ合わさった態度を見て、犬養は片頬を吊り上げて不気味な策士顔を更に際立たせると語りだす。

―――建設所要資金を1億5千万円と仮定する。

野口が用意できたのは4千5百万円。

つまり、1億5百万円足りない。

当時の朝鮮総督府の年間予算は僅か1億7千5百万円であり、とてもではないが補助金・助成金いかなる名目だろうと、足りない資金を全て出資する余裕は無い。

「分るな?」

犬養は片膝の上に肘をつくと身を乗り出す様にして、野口に念を押す。知らぬ者が聞いたら震え上がる様な、有無を言わせぬ迫力ある声音だ。

「じゃあ、よ。残りの金、誰が出す?」

「……」

野口は答えられない。

「この総督府がどんなに頑張ったってお前さんに渡せる金は5百万がいいところだ。都合5千万で1億5千万の工事をしなきゃあならねえ。やらなきゃ、お前さんは電気を手に入れられねえ、という訳だ」

「……ええ」

鴨緑江60万キロワットの電力は喉から手が出る程欲しいだろうが、それは所詮、手に入らぬものだ……野口には犬養の言葉がそう聞こえており、それは即ち、朝鮮進出を諦めろと説得されているようにも感じられた。犬養は相変わらず、抜き身の刀身の様な、油断すれば斬り捨てられそうな殺気を言葉に忍ばせながら言葉を継ぐ。

「朝鮮には石炭もあるし、黒鉛や鉄鉱石もあるし、少しばかりだが金だって出る。だが、そんなものは内地でもでるし、中国ならもっと安く手に入る代物だ。知っているだろう?」

話しの急激な転換に内心、驚きを覚えながら野口は小さく頷く。

 朝鮮は地下資源に乏しい。正確には乏しくは無いが、隣の中国が無尽蔵な地下資源を有するだけに相対的に存在感が薄くなってしまうのは致し方ない。

「だったら、売れる物を作るしかねえよな、そうだろ?」

「総督閣下、結論をお願いします。私はこれでも忙しい身なのです」

持って回した様な犬養の言葉に、若い野口は遂に焦れるが、そんな逸る野口の若さに、犬養の老いは勝ち誇り、傍らの吉田に合図する。その合図に吉田は目礼で微かに応えると、脇に抱えていた書類の束をドサッという音と共に野口の前に放り投げる。

 その書類束の表紙にはドイツ語が認められており、かつてシーメンス社の社員であった野口にとってそれは青春の十年という歳月を奉げた懐かしい文字だった


「カイザー・ウィルヘルム研究所……」


 黒い皮表紙に記されているその名称は、今は亡き皇帝の名を冠したドイツ化学研究の最高峰、その頂点に位置する半官半民の研究所の名だった。

呻く様に呟きつつ、野口が思わずその書類束に手を伸ばそうとした瞬間、犬養が決断を促す。

「鴨緑江の開発は、この朝鮮総督府で当面、仕切る。心配いらねえよ? お前さんの悪い様にはしねえからな……その代わり、お前さんにはその書類に書いてある特許を買い取って貰いてぇ……使い途のなくなった4千5百万円、全て使ってでもな」

犬養の言葉すら耳に入らぬのか、或いは敢えて無視したのか、野口の心は既に目前の書類束に飛んでしまっている。

「フィッシャー・トロプッシュ合成法……これはいったい何ですか?」

「俺に分る訳がねえだろ? おい、吉田」

「はっ」

その無表情故に鉄面皮とも仇名される吉田茂は、朝鮮総督府殖産局長としてこの地の工業化推進の総指揮を執っている。

彼は説明を始めた。彼ら新官僚達が構想した朝鮮近代化策の中核をなす産業、それが成功するかどうかの鍵を握っているのが野口だったのだ。


 犬養、そして新官僚達が朝鮮における工業化を推し進めるに際して、その基幹となるべき産業を慎重に選定していた。その結果、導き出されたのが朝鮮北部に埋蔵されている豊富な無煙炭を利用した産業の育成だ。しかし、ただ単に石炭を掘っていたのでは、より良質で、より安価な中国産石炭に市場価値で劣って致し、政府が出すふんだんな補助金に支えられ、生産性において遥かに勝る内地産の石炭にさえ、競争力において勝ち目がない。

だとしたら……付加価値をつけるしかない。

実務に通じた新官僚達が在外公館を通して八方、手を尽くして情報を集めた結果、白羽の矢が立ったのがドイツのカイザー・ウィルヘルム研究所が1923年に発表した「フィッシャー・トロプッシュ合成法」即ち「液化石炭」の製造法だったのだ。


 吉田の説明を聞くうち、野口は何故、自分に長津、赴戦両江の開発許可が下りなかったのか、それを理解した。


(俺は嵌められたのだな……)


 野口のその考えは当らずとも遠からず、だった。両江の開発許可が三菱に下りたのは、何の事は無い、野口に開発させない為だ。反対に野口に許可を下ろし、三菱にフィッシャー・トロプッシュ合成法の特許取得と工業プラント建設を要請した場合、三菱は応じただろうか?

可能性は低いだろう。

三菱から見れば“野人”の様な野口に許可を下ろした時点で、三菱は朝鮮半島から一切、手を引くだろう。その誇り高き三つの赤菱に泥を塗られ、その面子を潰されたと考えて……。

だからこそ、総督府は開発許可を三菱に与えたのだ。

 結果、野口が許可後を睨んで調達してしまった資金は今、完全に行き場を失っている。その行き場が無くなった資金を総督府側は、総督府の意のままに使う様に野口に強要してきているのだ。

先々の鴨緑江発電所の電力を餌として……。


(これじゃあ、まるで詐欺じゃないか)


(酷い話だ……てめえ達に金が無いからって、俺の金で朝鮮の開発を行おうだなんて……)


野口は怒りから来るものなのか、それとも興奮からくるものなのか、自分自身の目頭が急速に熱くなってくるのを感じる。


(だが……面白い)


 彼が率いる日本窒素、その飛躍の原動力となったガザレー・アンモニア合成法とてイタリアからの技術導入、製造特許取得によって完成されたものだ。

先進な技術を吸収してこそ、先進な企業足り得る。

その事を誰よりも知っているのは、他ならぬ野口だった。

フィッシャー・トロプッシュ合成法という液化石炭の製造法がどれ程のものかは分らない。

しかしそれでも、ドイツ財界に知己が多く、ドイツ語に堪能な野口には、4千5百万円全てを賭けてみる価値があるように今、思えてきていた。


長津江、赴戦江開発の経緯に関しては作中にもある通り、日本窒素、三菱、満鉄、朝鉄の四社が激しく許可争奪戦を繰り広げていたようです。

最終的には、日本窒素が許可を獲得し、後年の鴨緑江開発へと繋がっていきます。

本作においては、鴨緑江開発の時間軸を前倒しにしたかったのと、後年、野口氏が本格的に着手する液化石炭事業(史実では残念ながら手遅れになってしまいましたが……)への参入を早めるきっかけを作ってみました。

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