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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
66/111

第11話 第三の軍

 地震というものに功罪があるとするならば、罪に関しては言わずもがな、の話しだ。

反対に功の部分に関して言うならば、こと、関東大震災をきっかけとして爆発的に地方に伝播し、瞬く間に全国区のものになったものが存在しており、敢えて言うならばそれが功にあたるだろう。

 それは、今や国民食と言われるまでになった『ラーメン』だ。

元々、震災直前の東京近郊では中華料理が大流行しており、当時、東京市内で営業していた中華料理店だけで優に千店を超えていたという。これらの中華料理店の多くは高級店であり、サラリーマン一家が月に一度、食べに行く事が出来るか出来ないか……という様な類の店だった。しかし、震災は、高級店、大衆店一切の差別なく襲い掛かり、そのほぼ全てを焼き尽くし、結果、多くの中華料理人が焼け出された。なかには、その後も東京で営業を続けるべく努力し、成功した者も少なくはなかったが、多くの中華料理人は親戚縁者、知人知己を頼りに全国へと散っていく事となる。

 震災により手持ち資金のほとんどを瞬時に失った彼らに、出店が可能な元手など当然ながら無く、やむを得ず、彼らは農家が軒下に放置したクズ野菜を貰い受け、肉屋が捨て去る動物骨を裏口より譲り受け、そこに己が知識と技量を叩きこんで極上のスープとして仕上げ、国民の米飯信仰により供給過剰気味だった安価な小麦粉を練って麺とした「支那そば」として屋台を中心に売り出す。

その安さと手軽さ、目新しさによって「支那そば」は各地において評判を博し、その後、定着していった結果、これが今日に続く御当地ラーメン誕生へと繋がり、またその素地を作り上げる事となった。

 この時代、多くの日本人の心中に、いまだ存在していた大陸への羨望と憧憬の念。地平の果てまで続く大平原に思いを馳せながら、明日の雄飛を夢見て日本人はラーメンをすすっていたのかもしれない。



大正十三年九月(1924年9月)

神奈川県 横浜市

横浜港


 この日、朝鮮へと出発する犬養毅を見送りに訪れた同輩、後援者、支持者の数は優に万を超えたと云われており、その余りの群衆の多さに仰天した港湾警備責任者が、万が一の事を危惧し、定期船『さいしゅう丸』の出航時間を早める様に船長に対し依頼した……と、今日に伝わっている。

この、正に黒山の人だかりの中、熱烈な群衆に見送られて釜山行き定期船の乗船開始の合図を待つ犬養は、最後の仕事とばかりに急ごしらえの演台の上に立つと、見る者、聞く者を魅了してやまない得意の演説を開始した。


 自由党――――犬養・尾崎の革新倶楽部と、床次以下の政友本党が合流して出来たばかりの新党。

御世辞にも、結束力があるとか、団結力に優れているなどという事は、これっぽっちもない。

ある者が右を向けば、ある者は更にその右を、ある者が左を向けば、ある者は更にその左を……とまぁ、そんな政党であるだけに、犬養というカリスマ性に満ちた大黒柱が中央政界から消え失せた瞬間、崩壊するのではないか? と危惧している者も実に多い。

政友会と憲政会という伝統ある二大政党の正統を継承した巨大政党・民政党に対抗する為に、政友会からはみ出た政友本党と、政界からはみ出している野武士集団・革新倶楽部が合流して出来たのが自由党という政党の素顔であり、危惧されるのも当然と言われれば当然だった。

 その危惧の最大理由、とされる存在も、この日、犬養送別の場に素知らぬ顔で出席している。今や、多くの記者、政界通から『台風の目』として、動向が注目されるようになったその人物は、近々、自派を率いて民政党に寝返るのではないか……と既にもっぱらの評判になっている。

“薩摩最後の巨星”床次竹二郎。現・鉄道大臣、五七歳。

爪の先から髪の先まで、その総身全てが『野心』で出来ている様な男である。


 原敬の寵愛を受け、官界から政界に転じた床次竹二郎だったが、その後、彼を引き立ててくれた原、そして元老・西園寺の寵愛が後輩の横田千之助に移ると共に、次第に政友会後継者の座を巡って横田と激しく争う様になる。

弁護士上りで正義感に富み、理想に燃える横田と、内務省出身で政界、官界の裏側を知る現実主義者の床次、最初から反りが合う訳は無く、事あるごとに対立を繰り返していた。

しかしながら、そのあまりに激しい対立抗争劇は、かえって、どちらも党総裁の座を継げない、という失笑されるべき結果を生み出し、原敬の死に際しては党外から高橋是清を総裁として招聘しなければ収まりがつかなくなってしまったぐらいなのだ。


 床次は、今、壇上で雄弁を奮う犬養毅を静かすぎる程の表情で見つめている。

自由党を構成する犬養、尾崎、元田、床次、山本、中橋、長岡の七大派閥。

うち、床次派は代議士二七名を擁し、四番目の規模を誇っている。

実のところ、床次は己に対する世評が不思議でならない。

議会過半数を制する民政党に対し、七人の小人宜しく、ようやく寄り集まって対抗している存在に過ぎない自由党、その最大派閥であるならまだしも、第四派閥に過ぎない自分が今や政界注目の的となっている。

犬養自由党総裁という巨大なカリスマが中央政界を去った後、必ずや政界に波が立ち、その波の中央には、この床次がいる筈だ、と噂されているのだ。

確かに二大政党は巨大過ぎるが故に、次回の総選挙で共倒れの可能性があり、どちらかが大勝すればよいが、どちらも勝ちきれない状況も考えられる。

その時、民政党、自由党いずれかと手を組み、新たなる連立のキャスティングボートを握る存在があってもいい。

世間は自分にそれを期待しているのだ……床次は今、そう感じ始めている。

手勢たった二七人の兵隊だが、次回選挙後もこの数を維持できれば、そうなる可能性は低くないだろう。

犬養という、厄介過ぎる存在が政界中央から消えるこの好機を、逃してはならない。



 犬養は壇上に向かう寸前、傍らに立っていた尾崎に寄り添うと、周囲の誰にも聞えぬ様な小声で会話を交わした。

「床次が臭え」

ぶっきらぼうな口調で尾崎が呟く。

その周囲に向けた表情は、あくまでもニコヤカだ。

「分っている」

応える犬養も、負けずにぶっきらぼうだ。

「奴さんのことだ。今頃、そわそわしているだろうよ」

「違えねぇ」

吐き捨てる尾崎も、犬養も、床次を手駒だとしか思っていない。

民政党に数で対抗する為に揃えた盤上の駒。

鍔迫り合いの続く盤面中央から遠く離れた8・八の位置に、ポツンと大局に関係なく留め置かれた“壁銀”の様な存在、床次。

放置すれば、自軍王将の退路を扼し、動かそうとすれば手数を損し、後手を踏む。

最前線で戦う“飛車角”である犬養と尾崎にとって、床次はそういう何とも厄介な代物なのだ。


「木堂さん。あんた、出掛ける前に、釘を打っといてくれ」

留守を預かる総裁代行・尾崎は群衆に手を振りながら、犬養に頼みこむ。

この尾崎咢堂という男、決して政界にありふれた策士ではない。

どちらかと云えば、自分のやりたいようにやり、生きたいように生きる生粋の自由人だ。護憲運動以来の盟友・犬養とは不思議とウマが合い、何かと行動を共にしてはいるが、生まれながらの親分肌で、従う子分共を至極、可愛がり、慕う者の数も多い犬養木堂とは根本的に政治家としての出来が違う。

尾崎咢堂はあくまでも理想主義者、一人暴れ、吠えまくっている方がこの男らしい。


「釘ねえ……一本、太いのをブッスリ、打っておくか」

「あぁ、頼むよ。あんたの留守中に党内でゴタゴタが起きるのは構わねえが、下手すりゃ、俺が飛び出る」

苦笑交じりに囁く尾崎の言葉は冗談の様で、冗談でない。

政治家同士の権力闘争などというものに関わるのは真っ平御免、それぐらいなら、党を離れ、一人で生きる。

根本的に権力欲に乏しく、本質的に政治家ではない。

尾崎とは、そういう男だった。

「……しょうがねえなぁ、ったく」

犬養は苦笑し、尾崎の背を叩き、演壇へと歩き出す。

頼まれたら嫌とは言えない、面倒見の良い親分肌……犬養もまたそういう男なのだ。



 犬養の演説が終わった。

演説内容は自由主義者にしてアジア主義者らしい犬養の持論に終始しており、注目されていた党内事情には一切触れてはおらず、詰めかけた記者団は肩透かしを喰らった格好となり、その舌鋒が床次の分厚い面の皮を貫く事もなかった。

舞い落ちる霜の如し、と讃えられる静かだが力強い演説に魅了された群衆の歓呼に応え、もみくちゃにされながら犬養は自由党幹部が居並ぶ一画に向かう。

後事を託す尾崎総裁代行に続き、党内第三派閥を率いる元田肇と握手し、中立派を束ねる長岡外史予備役陸軍中将と肩を叩き合い、更には中橋徳五郎、山本達雄といった各派領袖とも二言、三言、言葉を交わしながら固い握手で自らの留守を頼む。

最後の最後、人形の様に虚ろな愛想笑いを浮かべていた床次が、ようやく面前に現れた犬養総裁の右手に己の右手を近付け、良識ある政治家として最低限の礼儀を守ろうとする。


「後は頼みましたよ、次期総裁」


犬養の発した声は周囲の誰にも届かなかっただろう。

その計算された小さ過ぎる声は、港を覆い尽くす歓声によって打ち消され、或いは肝心の床次にさえ届いていなかったかもしれない。

だが、床次は犬養の唇の動きで、そう彼が言ったのを確かに聞いた。


(次期……総裁……だとぉ!?)


(おいが……次期総裁!?)


瞬間、床次の両頬が粟立ち、総毛が奮い立つ。

我も忘れて握手を交わす右手に、左手を添えてしまった床次は、犬養の言葉を再確認する様に両手で強く握り締め、上下に振る。

最前列に位置する無数の新聞記者達、彼らの放つ熱いフラッシュが頬を上気させた床次を包み込む頃、彼は巨大な釘によって自由党に打ちつけられていた。





大正十三年九月(1924年9月)

東京・赤坂 料亭「花よ志」


 農務省農務局長・石黒忠篤の差し出した有田焼の銚子を内務省拓殖局長官・後藤文夫は無言で盃に受ける。

数日前、後藤は内務省人事局より朝鮮総督府への出向を内示されており、この日、ささやかながらも近しい者達が集まった送別の宴が開かれていたのだった。

この日までに総督府への出向或いは異動を内示された霞が関官僚の総数は五〇名を超えている。その多くが、昇進した上での外地勤務を命ぜられており、数年後に内地に戻れば出世を争ってきた同期連中を大きく突き放して、同期筆頭へと躍り出る事は確実となるだろう。

一見、出世コースから外されたとも見える外地勤務ではあるが、霞が関復帰に際しての事を考えれば大した問題では無い……その様に当事者達は理解するだろうと、この人事にGOサインを出した浜口は理解していた。


「台湾でも、朝鮮でも良かったのですが……朝鮮ならば願ったり適ったり、ですな」

石黒に酌を返しながら、今年四十歳になったばかりの後藤はその細面に微笑みを浮かべる。

「重畳、重畳。しかも、これだけの人数がまとまって異動とはね……正直、ここまで上手く行くとは驚きだ」

後藤の横で、四角く浅黒い顔を破顔させながらそう切り出したのは、後藤とは帝大以来の同級生である大蔵省主計局長・河田烈だった。

新人事によって後藤は総督府内務局長、河田は財務局長、そして石黒は農務局長への就任を命ぜられている。

後藤の入省一期下で、新たに総督府殖産局長に抜擢された吉田茂(天津総領事を務める外務官僚の吉田茂とは同姓同名の別人)が、その横で大きく頷きながら、膝を打つ。

「黒字経営の台湾よりも、赤字でどうしようもない朝鮮の方が面白いし、彼の地の経営を根本的に立て直せば、我々の力の何よりの証明になりますね」


 後藤文夫、河田烈らを中心とした三十代後半から四十代前半の官僚集団は、俗に『新官僚』と呼ばれている。

主に明治末期から大正初期にかけて東京帝大法学部を卒業した学閥グループであり、それまでの山県閥に属し、その力を背景に剛腕を振るった既成の藩閥官僚とは一線を画した存在と当時、認識されていた。

 日清戦争直後の三国干渉期に多感な少年時代を過ごし、日露戦争前後の異様なまでの国威発揚期に青年時代を過ごした彼らは、当初、“法曹界のドン”平沼騏一郎を指導者と仰ぎ、彼の説く反欧米主義、日本主義に傾倒していた。

彼らが平沼の主義主張に傾倒していった理由の一つに当時、続発していた政党政治家による汚職事件が原因とあげられる。政治家達の醜悪さを省の若手官僚として目の当たりに見続けた彼らは、次第に議会政治に失望し、議会政治の後ろ盾とも言える大正デモクラシー運動までも憎悪した。

 しかし、東郷政権の成立が彼らを変えた。

一つは、彼らが後ろ盾と頼んだ平沼騏一郎、というよりも枢密院そのものの権威失墜だった。

天皇の諮問機関である枢密院は政治的に中立であらねばならない筈だが、先の総選挙において枢密院の有力者、議長・清浦圭吾、副議長・平沼騏一郎、同院の最高実力者・伊藤巳代治以下はいずれも田中義一と提携し、政友本党を露骨に後押しした。

 そして政友本党は総選挙にて大敗を喫する。

それだけならまだしも、彼らが推した筈の政友本党は自ら解党、所属議員達は犬養毅の革新倶楽部と合流、自由党結党へと突き進み、ここに完全に清浦以下の枢密院勢力は衆議院における提携勢力を失う事となった。

これに加え、元老・西園寺公の謎の死。

結果、衆議院に何ら足場を持たず、頼みの綱の元老による首相奏薦すら期待できなくなった枢密院顧問官達は、先々、己自身を首班とする政権樹立の可能性が事実上、皆無となり、その権威も権力も同時に失った。

 二つめは、彼ら新官僚達が政府革新の為の提携先と目していた陸軍官僚団への不信だ。

前述した様に持ち前の正義感故に、腐敗堕落した政党政治家を嫌悪する傾向の強い新官僚ではあったが、組織という点で見れば、所詮は一官僚に過ぎない。

官僚は行政という車を円滑に動かす歯車であって、行き先を決めるハンドルでもなければ、突き動かすエンジンでも無い。

官僚が政治的主導権を議会政治家から奪うのに必要な、法的に庇護された強大な権限を保有し、尚且つ、議会に対抗可能な組織となれば、今、この日本に軍部をおいて他に無く、しかも次代を担う陸軍省の中堅官僚達は、彼らと同様の“日本主義的な”匂いがする。

なかでも永田鉄山中佐や梅津美治郎中佐、東條英機少佐等々の俊才を揃えた所謂『陸大閥』グループならば、彼ら『帝大閥』に伍する才覚を有している筈であり、提携先として申し分ない。

新官僚達が頭の上に君臨する山県閥系官僚を重石と感じていた様に、長州閥、九州閥を重石と感じていた陸大閥は同じ悩みを抱えた似た者同士だ。

しかし、新官僚が陸軍官僚への接触を試みようとした矢先、決定的な事件が起きる。

この国の全ての歯車を変えた『二月事件』、その結末において秋山元帥以下の陸軍は、他者から見れば“組織ぐるみ”と断じられかねない程の頑迷で強硬な態度を持って、陸軍部内に事件捜査の手が伸びる事、一切を拒否したのだった。


「知っている事は言った。後は何も知らぬ」


“陛下の軍隊”のこの非協力的で、傲慢とも言える態度に“陛下の警察官”を自負していた後藤以下の内務省警保局をその根城としていた新官僚の幹部達が激昂し、反駁したのは言うまでもない。


「あの態度、何様のつもりよ。もはや陸軍など、あてには出来ぬ……」


「元帥、大将三名を殺された上、三宅坂どころか駐屯地まで襲撃されて、臆したのではないか? まるであれではテロに屈したも同然ではないか……」


「そもそも事件の背後に陸軍がいるのではないか? それならばあの様な態度も……」


 まるで自らを治外法権の組織だと云わんばかりの陸軍の対応に不信感を抱いた新官僚達は、将来への布石として、自らの牙城を作りだす事を決意する。

議会政治家を唾棄し、無力な枢密院と決別し、傲慢な態度を隠そうとしない軍部を見限った彼ら官僚団が見出した新天地、それが海外におかれた出先機関だった。

この時代、朝鮮総督府も、台湾総督府も、そして南洋庁も樺太庁も独自の予算編成を行う官僚統治方式を採用しており、それぞれの統治領域内部の施策に関しては内地議会の制約を何ら受けない。

その上、出先機関の中央における所轄官庁は内務省であり、そこは彼らの本拠地でもある。

優秀な官僚によって主導された清廉で高効率な政治体制を作り上げ、その実績と方法論を持って、再度、政界中央に乗り込み、腐敗堕落した議会政治家から実権を奪取する……それが、彼らの狙いだった。


 伊国ファシスト党の労使協調型と言えば聞こえの良い経済政策が世間の評価を得ていた時代……。統制経済、或いは計画経済に傾倒し、欧米型自由主義経済とは違う、国家伸張の経済論を模索する彼らにとって、お飾りの政治家に気兼する事なく官僚として思う存分、才を絞り、腕を振るう事が出来る外地の出先統治機関という存在は、理想郷であると同時に巨大な実験場であった、とも言えるだろう。



「朝鮮には徹底した経済統制を布こうと思う。10年、いや5年で彼の地を内地に負けぬ存在に仕立てねばならぬ。その為には、多少なりとも強権を用いる事になるだろうが、この際、やむを得ないと考える」

後藤はあおる様に盃を飲み干すと、文句は言わせん……と、ばかりに辺りの睥睨し、酒臭い息を吐き出す。

「異議なし」

「朝鮮の資源や人口、地勢があれば少なくとも内地の半分程度にまでは十分、成長が見込めるはず……ここは徹底してやりましょう」

「総督府の予算1億7千5百万円。このうち、税収や専売収入で賄っているのは三分の一程度に過ぎません。残りは内地からの現送と公債募集。何とか、この状況を打破しなくてはならないでしょうな」

「これは内地にも言える事だが、そもそも納税者数が少な過ぎるのだ、朝鮮は……。もっと広く浅く租税を集める工夫すべきだ」

後藤の言葉に呼応して、河田が、石黒が、吉田が口々に叫ぶ。

座は一気に彼らの夢見る豊かな朝鮮像を語る場へと変質し、彼ら自身の手によって緻密に計算され、配分された経済リソースを投じられた結果、朝鮮人達の暮らしが短期間に向上していく絵図が描かれる。

そんな彼らの脳内では、豊かな実りに満ちた田園風景、そして近代的な工場が林立する新時代の朝鮮像と、その経営を成功させた立役者という実績を引っ提げて、中央政界に返り咲き、権勢を振るう己自身の未来像が二重写しに見え始めていた。




 内務省御用達の高級料亭・花よ志の別室において、気勢を上げる後藤達の声を肴に熱い燗酒を酌み交わす三人の男がいた。

一人は、内務省次官・湯浅倉平。

もう一人は、内務省警保局長・川崎卓吉。

最後の一人は警視総監・丸山鶴吉。

言わずと知れた後藤ら新官僚を朝鮮に放逐した三人の内務省幹部だった。

「後藤君達は大分、喜んでいる様ですね」

年長ではあったが物腰の柔らかい湯浅が丁寧な口調で二人の部下に語りかける。

「ええ……そうですね」

湯浅の差し出した銚子から酌を受けながら、川崎はやや複雑な表情を浮かべつつ応じる。

「ふっ……まぁ、伊沢議員の狙い通りになった、という事でしょうか」

四角い小皿から香の物を箸先で摘まみ、口にほうりこみながら丸山も頷く。

「しかし、正直……彼らが外地に出してくれ、と言って次官室に談判しにきた時には、どうするべきか悩みましたよ。結果からしてみれば本人達の希望通りに名簿を操作して良かったですね」

湯浅の言う“名簿”とは、彼らが浜口に提出した“反・民政党官僚名簿”の事だ。

内務省本省の実権を握りたい民政党系官僚である湯浅らにとって、省内要職を占める新官僚団は実に厄介で、煙たい存在だった。

その厄介者達が一様に「外地に赴任させてくれ」と申し出てきた時には、内心、小躍りしたし、湯浅らが実際に手を下した仕事と云えば、後藤らの注文に応じて名簿を改竄し、“反・民政党活動”を行った形跡のない後藤系の新官僚にも嫌疑をかけ、共に朝鮮送りとした事ぐらいだ。

「後藤君達が赤字続きの外地経営を成功させれば国家として重畳この上なし。その上、本省は我々の手の内に握れる……川崎君、いよいよだね」

湯浅の言葉に川崎は居住まいを正すと軽く頭を垂れ、即答する。

「はっ。名簿改竄を条件に後藤君らの協力も得られましたので、既に万端、整いましてござります。近々、浜口内相に進言し、御裁可を仰ごうと考えております」

川崎の決意に満ちた声音に対し、満足気に頷いた湯浅は、相も変わらずおっとりとした物言いながら、恐ろしく物騒で陰険な炎に満ちた口調で語り出す。

「軍部、軍部と夜も眠れず、という洒落っ気の効いた川柳が巷で囁かれているそうだが……我らを省中央に抜擢して下さった加藤閣下の死、無駄には出来ぬ。よいな?」




 湯浅内務次官、川崎警保局長、丸山警視総監以下、今や内務省本流となった民政党系官僚の一団は半年前より水面下、省内においてとある工作に勤しんでいた。

 元々、普通選挙法の制定が確実視されていたこの時代、選挙運動への監視強化と共産革命へと繋がりかねない過激な労働運動への対抗手段として内務省内部において盛んに討議・研究されていたのが

「治安警察法の改定、又は仮称・治安維持法の制定」

という法令上の問題であったが、もう一つ、討議されていたのが、この新法を遵守させる為の警察部隊を新たに創設する事だった。

 その背景には昨年の関東大震災直後に続発した暴動、殺戮騒動の様な重要事案に対し、各地の警察署単位の対応がほとんど無力であった事への反省と、戒厳令施行後に治安活動に参加した陸軍部隊が故・福田雅太郎戒厳司令官の指揮の拙さから、更にこの暴動・殺戮騒動を拡大する事になった……という分析結果が出ていた事も、この警察部隊新設への強力な後押しとなっていた。

関東大震災への反省、そして今後、過激化しかねない大衆運動に対抗する法令の制定……。

これら時代の後押しに加え、加藤高明の葬儀に参列した際、川崎卓吉が感じた軍部への違和感、不信感が最終的に多額の予算を必要としかねない「内務省警保局直属の治安警察部隊」創設を推進していた。


「二月事件の背後に陸軍の存在があった可能性を排除できない以上……先々、第二第三の事件が起こる可能性を考え併せ、新設部隊には局所的に陸軍部隊に対抗可能な装備、人員を付与しなくてはならないだろう。陸軍に睨みを利かせるのに海軍を利用する手もあるが、海軍とて軍部には変りは無い。軍部の専横を阻み、その専断を破砕する為にも、我ら内務省は政府の盾を用意せねばならない」

密やかな決意を込め、湯浅は川崎、そして丸山と視線を交わしながら呟く。

 戒厳令下、軍によって被災地の治安維持、法令遵守の精神を滅茶苦茶にされたという反発。

「あの時、緊急に展開できる警察部隊さえあれば、軍の力など借りずとも済んだのに……」という反省。

そして何より“陛下の軍隊”への対抗意識を剥きだしにした“陛下の警察官”としての反骨。

その全てが内務省と陸軍省という巨大省庁同士の縄張り意識が根源にあったのかもしれない。


 ―――後に“第三の軍”と呼ばれる『内務省国家憲兵隊』は、この時代、軍に不信感を抱き、革命運動抑えこみを狙う内務官僚達の手によって、こうして産み落とされる。

 徴兵中心の陸海軍とは違い、全国の警察官、憲兵隊員から志願者を募って組織された志願兵組織である事から得られる高い士気と職業意識、陸軍一線級部隊に比肩する重火力、そして国内各所に緊急展開できるだけの高い機動性を与えられた精鋭部隊ではあったが、その法的地位は、あくまでも政府所掌下の治安警察部隊であって軍隊ではない。

つまり“統帥大権”の外に位置した組織であった事から、政府が何の制約も無しに自由に動かしうる実力部隊という側面を持ち、それは指揮権者である政府首脳にとって非常に都合のよい存在と認識される事となった。その結果、内務省国家憲兵隊は軍縮の風潮が蔓延する時代にあっても優先的に予算配分を行われ続け、陸海軍に対抗する政府直属の準軍事組織として拡大と充実が図られていく事になる。

 

 陸軍、海軍、国家憲兵隊。

後年、前二者が予算配分を巡り後者と激しく対立。それが陸海軍を政治的、戦略的に団結させ、陸海協調路線を生み出す事になるのは、実に皮肉な事であった。


22年11月3日 誤字訂正

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