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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
63/111

第8話 デザイン901

「一議員として、一国民として、現政権の度重なる強引無比なる政局運営手腕に対し、強い疑念と不信感を抱かざるを得ず、我が党は、ここに内閣不信任動議を提出し、議員諸君の真意を問うものであります」


扇方に広がる議場の基部、そこにしつらえられた壇上より、決然とした口調で議場に屯する与野党議員一同に問い掛ける野党幹部。

閣僚席のただ中、真っ白な頬髭に指先をあてながら、その不信任案提出を、さも「面白い見世物」かの様に平然と見返す首相。

過半数を占める連立与党、その幹部達の顔には半笑いが浮かび「何を今更……」と、野党議員を嘲笑し、その無謀な挑戦とも言うべき不信任案提出に野次を飛ばす。

「静粛に願います! 静粛に! これより採決に移ります」

伝統ある議場を覆い尽くすかのような野次と罵声を鎮めようと怒号の様な大声を発し、勝ち目のない議案提出に不快感を隠そうともせず、議長は野党席を舐める様に睨みつける。


 その時だった。

静かに議員席を立つ老紳士一人。

その仕立ての良い暗灰色の背広に身を包んだ老紳士は、実に自然な振る舞いで、肩についた埃でも払うかの如く立ち上がると、そのまま何ら気負いを見せぬ様子で振り返りもせず、階段をゆっくりと昇り、議場と外界を結ぶ通用口に歩を進めると、静かに議場を後にする。

その老紳士の動きに導かれたかの如く、一人、また一人と席を立ち、議場を後にしはじめた連立与党・自由党に属する議員の集団。

その一団の動きに気付き、しばし、唖然とした表情でこれを見送る首相以下、閣僚の面々……。

今にも噛みつかんばかりの勢いで先程までの同盟者である連立与党所属議員達に掴みかかる首相出身政党に属する議員団と、その手を軽く振り払い、双眸に嘲りの笑みを浮かべつつ、与党という甘い地位に未練を微塵も残さず議場を後にする老紳士配下の自由党議員達……。


『自由党、連立離脱』


その衝撃のニュースは、号外と共に帝国全土を駆け巡る。

連立与党の一画を占めていた自由党の離反により、過半数割れを起こした労働党『ラムゼイ・マクドナルド内閣』は、この日、不信任案成立により伝家の宝刀『解散権』を抜く事すら出来ずに退陣へと追い込まれ、翌日には保守党、自由党連立内閣『第二次ボールドウィン内閣』が成立する。


時に1924年9月16日。

立憲君主国家の仇敵・ソビエト政権に対する電撃承認を皮きりに烟台・威海衛間の鉄道敷設権獲得、フランスを唆して九カ国条約をなし崩し的に反古にし、威海衛の軍事拠点化を図る事によって四カ国条約を形骸化させ、香港ドルと等価の中国ポンドを奔流の如く中国国内に流し込み、事実上、中国経済をポンド・スターリング圏に取り込むという離れ業の様な“汚れ仕事”を終えた英国史上初の左翼政権・マクドナルド内閣は、ロイド・ジョージ率いる自由党の裏切りという英国国民、否、世界中の多くの者が予想しない形で、その役目を静かに終えたのだった。




1924年9月17日

大英帝国 ロンドン

聖ジェームス街69番地 カールトン・クラブ


 保守党がまだ『トーリー党』と呼ばれていた1832年に創設された紳士倶楽部『カールトン・クラブ』は、以来、常に英国政界の中心地として機能している。

元来、大地主を支持地盤とする保守党は、商工業者を支持層とする自由党とは相いれない存在であり、その関係は米国における民主党・共和党の関係、或いは日本における自由党・民政党の関係に酷似しているといって良いだろう。

地盤という観点からだけ見ると、前三者は、いずれも地方富裕層を地盤とし、後三者はいずれも都市中間層の支持を集めている、という点に共通点を見出せるのだが、その思想信条という観点においては、それぞれのお国柄を現してか各党間においてかなりの差を見出す事が出来る。

 競争力に欠ける農産物しか持たない英保守党は保護貿易主義の立場をとらざるを得なかったし、反対に強力な価格競争力を有する農作物を持つ米民主党は絶対的な自由貿易主義を標榜、自慢できる資源も農作物も持たず、『貿易立国』『加工貿易国家』を目指す日本の二大政党はいずれも自由貿易主義に、その重心をおいている。

 逆に、いち早い産業革命によって洗練された工業製品を持つ英自由党は自由貿易主義を、19世紀後半における欧州製品の過剰輸入により、国内産業に大打撃を受けた経験を持つ米共和党は保護貿易主義を、それぞれ主張している。

それぞれの国の、それぞれの党。彼らに唯一、共通点を見出すとすれば『反共』という一点に絞られてしまうだろう。



「さて、何から手をつければよいだろう……」

口髭を振るわせ、握り締めた拳を卓上に叩きつけながら額に血管を浮かべて憤っていたラムゼイ・マクドナルドの土臭いスコットランド顔を思い浮かべながら、今回の政変の仕掛け人にして、新首相に補される事となった保守党党首スタンリー・ボールドウィンは口に運んだグラスを傾け、アエラ産特有のヨードチンキの香りにも似たスコッチを一口、口に含む。

オールバックに撫でつけた頭髪に時折、櫛を入れる伊達男ぶりと、サイレント映画の主演俳優にも擬される冷たく、端正な顔立ちを持つこの男は、見る者をゾッとさせる様な酷薄な笑みを張り付かせている。

マクドナルドにとっては青天の霹靂とも言える自由党連立離脱ではあったが、これを画したボールドウィンにとっても、それを実行した自由党党首サー・ロイド・ジョージにしても半年以上も前から確定していた未来であり、それは予言にも満たない陳腐な座興に過ぎないのだ。


「第一に金本位制への復帰による経済安定化。第二に合衆国との関係改善。彼の国が中国問題で我が国に対し不快感を持っているのは事実です。やはり、関係改善を促進すべきでしょうな」

そう新首相の呟きにも似た独白を受け、葉巻の紫煙と共に意見を開陳したのは、新内閣に蔵相として入閣したウィストン・レオナルド・チャーチルだ。

間もなく50歳の誕生日を迎えるこの男、帝国屈指の名門マールバラ公爵家の後継者であり、王位継承順位は100位以内に入るという英国上流社会の中核を形成する『ザ・ハンドレッド』の一員なのだが、そう説明されても納得出来ぬ程に野卑な雰囲気を醸し出しているのは、植民地勤務が長かった軍人上り故の事だろうが、保守党の大物政治家だった故ランドルフ・チャーチルを父に持つだけに少年期から叩き込まれた政治嗅覚は鋭い。

保守党から自由党へ、そして再び保守党へと鞍替えし、常に“自然体”で所属する党の大物として振る舞える神経の図太さは、むしろ称賛に値するだろう。


「合衆国に関する意見は蔵相に同意しますが、さほど急ぐほどの事は無いかと……むしろ、焦らせば焦らす程、合衆国側の譲歩が引き出せるのではないかと考えます。親愛なるラムゼイが嫌な仕事は全て引き受けてくれましたから我々は、彼の耕した畑に作物が実るのをじっくりと楽しみましょう」

やや神経質そうな印象のする細面の顔立ちをした新・外相ジョセフ・オースチン・チェンバレンが、そう分析する。ジョセフ・オースチンはボールドウィンの前々任の保守党党首であり、政治家歴30年を超えるベテラン政治家だ。

かつて、ロイド・ジョージ内閣を実現した保守党・自由党連立時代の保守党党首だったが、その際、今、面前に座るボールドウィンの造反により、半ば失脚同然に党首の座を追われた苦い過去を持つ。

この一件以降、ボールドウィン率いる右派と、チェンバレンに近い穏健派は仇敵同然の間柄となった訳だが、ロイド・ジョージ以下自由党議員達との間に太いパイプを持っている事から、今回、新首相ボールドウィンに乞われ、重要閣僚として入閣、事実上の復権を果たしている。


「基本的には同意です。しかし、関係を改善するとして、首相閣下はどのあたりの線で妥協をお考えですか?」

厚生相として入閣した保守党のナンバー2、アーサー・ネビル・チェンバレンがやや、おっとりした口調で首相に尋ねる。1969年生まれの55歳、57歳のボールドウィンとは2歳違いであり、傑出した保守政治家であるボールドウィンの存在が無ければ、今回、首班指名を受けていたであろう人物だ。

外相に就任した異母兄ジョセフ・オースチンと共に、保守本流の継承者であり、父はボーア戦争の仕掛け人、保守党の大物政治家だった故ジョセフ・チェンバレン。

但し、父の後継者として政界で順調にステップアップしてきた異母兄と違い、若い頃には農園事業で失敗したり、多額の借金を抱えたりと辛酸を舐め尽くした経験を持つだけに、人物がこなれている。

しかし、この”こなれた”人柄が原因で、悪意を持つ他者からは『弱腰』『優柔不断』などと面罵される事も多々あるのが欠点と言えば欠点だ。

この辺、保守党内のライバルであるボールドウィンがかつて閣僚の身でありながらロイド・ジョージ連立内閣を世に言う『カールトン演説』で崩壊させた時に見せた他者を驚かす様な苛烈さ、果断さとは程遠い。言わば、他者を安心させる平静とした温和さが持ち味であり、この『理想的な平時の宰相』という人物像に惹かれている者も多い。


「始まる前から、妥協線を見つけようとするのでは良い政治家とは言えないよ、ネビル」

心の奥底、そのどこかで、このライバル特有の性、善なるが故の弱さを憐れみながら、同時に保守党の先輩政治家として、その才を惜しみ、ボールドウィンはたしなめる。

「所詮は中国という市場の問題に過ぎない。この問題のどこがどうこじれ様が我が国と彼の国の間で武力衝突が発生する可能性など、万に一つもないだろう……今のところはね」

飲み干したグラスをテーブルに戻しながら、椅子に座り直したボールドウィンは言葉を継ぐ。

「金本位制への復帰に関しては蔵相にお任せする。官僚達と協議し、然るべき計画を可及的速やかに提出する様、求めたい。それと中国に関する問題、いずれにしろ旅順大連に進出してきた合衆国との競争になるだろう。今のところ、呉佩孚の首に繋がる縄を手にしているのは我々であり、一歩も二歩もリードしているといっていいだろう」

ボールドウィンは、居並ぶ世襲政治家とは違い、父は地方の小さな町工場の経営者に過ぎない。

つまり、若くして保守党の実力者となった過去も、二度目の組閣となる此度の地位も、権力も、全て己の才覚と判断のみによって得、のし上がってきたのだ。

それだけに、退く事を知らない。

相手の出自で、相手の実力を値踏みする様な英国政界において、地盤も金も持たないボールドウィンの様な男が一度、退けば退き続けるしか無くなるからだ。

前に出る。

ひたすら、前に出る。

退く事は、壁にぶち当たってから考えればいい。

果断にして苛烈、積極果敢な保守政治家として歴史に名を遺すスタンリー・ボールドウィンの本領がここにある。

「合衆国では、我が国を”老いたライオン”と呼び、嘲っているそうだが……志を立てるのに遅すぎるという事はないだろう」



 スタンリー・ボールドウィンを首班とする第二次内閣、その施政方針演説において、実に“さり気無く”発表された「シンガポール、香港、威海衛ラインの構築」は、関係各国に衝撃を与えた。

 英国東洋支配の一大拠点シンガポールはこの時点において軍港というよりもハブ商港としての機能を中心として設備されている。しかし、ボールドウィン内閣は巨額の予算投下を行い、そのシンガポール内のセレター軍港を拡張し、英本国と同等の施設設備・機能を持つ巨大軍港として再生するつもりだ。

 同時に中国南部の経済中心地として台頭著しい租借地・香港に兵站・策源地機能を付与し、常設艦隊と常設陸軍部隊を配備、その上、極めつけは威海衛及びその周辺地区に香港と同等の兵站・策源地機能を付与すると発表した事だ。

シンガポールのS、香港のH、威海衛(英名ポート・エドワード)のEをとってSHE、後に

『淑女のボディライン』

と優雅な別名で呼ばれる様になる南北に貫かれた一本の線。

それは、一見すると南から北へと向けて放たれた一本の矢の如くも見えるが、同時に東方海上から中国大陸への進出を図る勢力に対する巨大な防波堤の如くも見える。

『淑女のボディライン』、その東に取り残される事になる列強二カ国、彼らが動き出すのにさして時間はかからないだろう。




オランダ王国・ロッテルダム

王立海軍委員会


『淑女のボディライン』に最も衝撃を受けた国、それは東方海上に佇む大日本帝国でも、遥か太平洋の対岸からアジアを目指し、船出を開始したアメリカ合衆国でも無い。

間もなく巨大軍港機能を付与される事になるシンガポールの直近、僅か数十キロの海峡を隔てた蘭印。

たった20万人のオランダ人が、4000万人のインドネシア人を支配する彼の地が、最も深刻にして真摯に己が置かれた状況を受け止めていた。


「同じ白人国家同士、今更、植民地の縄張りを巡って戦争など起こる筈もない……」


 もし、そんな事を大真面目に考え、主張する者がいるとしたら、余程の御人好しであるか、英国の送り込んだ五列であるか、そのどちらかだろう。

連合国がドイツ以下の同盟国植民地を山分けし、己が手に入れたのは僅か数年前の出来事だ。その欧州大戦において「ドイツ寄りの中立政策」を堅持し、連合国、同盟国双方に対する三角貿易により巨万の富を得たオランダが

「次は、我が国の番なのか……」

と怖れ慄くのも無理は無い。


 脅威度、という点においてオランダは本国における戦争を想定していない。

例え、英国がどの様に振る舞おうが、先の大戦の傷が癒えたとはいいかねるこの欧州の大地において「国家の存亡を賭けた様な」戦争が起こる可能性は低い。

欧州大陸の玄関口として栄えてきたオランダに英国が攻め込めば、フランスも、そして衰えたり、とは言えドイツも黙ってはいない。そして何よりヴェルサイユ体制の旨味を甘受している英国が、それを放棄する様な真似を欧州で行う筈もない。

 考えられる可能性は、植民地間紛争を拡大させての蘭印への浸透。

英国との協定により、インドネシア周辺の植民地線引きは終わってはいるものの、実のところ今現在、蘭印全ての地域がオランダの支配下にあるとは言い難いのが事実だ。

ジャワ、スマトラといった開発の進んだ主要な島の支配に関してならば自信を持てるものの、総督府権力の及ぶ地域は限られており、元から多島海である周辺内海全てを支配している訳ではないのだ。

前時代的な部族社会による抵抗が激しい地域もあれば、近代的な民族主義者グループの抵抗もあり、イスラム教徒による抵抗運動も根強い。それに加え、昨今では労働組合に根差して結成された非合法組織『インドネシア共産党』による抵抗・解放運動も力をつけてきている。

抵抗者にしてみれば、例え運動に失敗しても、地図すらない様な無数の島々をいくらでも隠れ蓑と出来、そこで何度でも再起を図れるという誠に抵抗側にとって便利が良いのが、この蘭印という地域なのだ。

 そして、植民地支配に抵抗する勢力に対する弾圧行為の不徹底、それは「因縁をつけるつもりでいる側」からしてみれば、何とでも大義名分が立つ事を意味しているのだ。



 かつて英国と共に海上帝国である事を自負していたオランダ王国の海軍に昔日の面影はない。

小さな本国で、巨大な植民地を支配する以上、常に植民地から駆逐される危険を孕みながらの400年間に及ぶ蘭印支配であったが、オランダ人が真に恐れたのはアジア人の怒りではなく、植民地近隣を支配する白人国家の方だった。

 シンガポールとマラヤには英国が、インドシナにはフランスが、フィリピンには米国が、ニューギニア東部にはドイツが、ティモールにはポルトガルが、それぞれ植民地を有しており、欧州大戦の結果、ドイツが支配していたニューギニア方面からの脅威が減じたとはいえ、対峙しなくてはならない勢力の数が減じただけの話であり、質的にも量的にも、その負担が軽減された訳ではない。



 オランダによる蘭印防衛計画、その嚆矢となったのは1912年6月に考案された『プロジェクト1913』と呼ばれる計画だ。

この計画に基づいてオランダ王立海軍委員会が策定した蘭印防衛計画は四隻の海防戦艦を中核に据える、とされていたが、オランダ国民議会は、蘭印死守の観点からこの計画に満足することなく、委員会に対し計画変更を求める事となった。

これを受け、同年8月には委員会は後継計画『プロジェクト1914』を提案、その内容は戦艦9隻を建造し、4隻を蘭印に配備し、4隻を本国に配備、1隻が予備艦として必要に応じていずれかに配備される、という遠大な計画へと成長した。

 当初、計画案の強化を求めたのは国民議会側ではあったが、さすがに巨額の予算編成が必要とされる、この計画には予算執行の面から二の足を踏んだ。

しかしながら、国内有数の政治圧力団体“偉大なる我が艦隊協会”(退役海軍軍人、船員による右派団体)による海軍擁護運動や、反革命党出身の有力政治家でもある蘭印総督アレクサンダー・ウィリアム・フレデリックによる政界工作もあり、国民議会側も最終的にはこの案に同意する事となった。

 議会の承認を得た王立海軍委員会は早速、海外造船企業11社に対し、排水量20000トンから24000トンの14インチ砲搭載戦艦9隻の発注入札を行う事を公示し、これにそった設計図書、仕様書の提出を要求、11社中7社が合計32種類の図書、仕様書の提出に応じたが、この内、最終選考に残ったのが英国のビッカース社、ドイツのブローム・ウント・フォス社、それにゲルマニア社の三社であり、三社による競争入札の結果、この中からドイツ戦艦・カイザー級の改良案という手堅い設計思想を提出したゲルマニア社への発注が決定され『デザイン806型』と呼ばれる戦艦建造が正式にスタートした。

 しかし、この建艦計画は、国民議会が予想していた通り、最初から予算調達の面で厳しい状況に追い込まれ、1914年度予算で一番艦の発注こそ行なえたものの、その後の8隻については、全く目途すら立たない、というのが実情だった。

それでも“偉大なる我が艦隊協会”の圧力を受けた経済界が動き、建艦献金の形で12万ギルダーの資金提供を行った事から二番艦の起工にも何とか目途が立った頃、幸か不幸か欧州大戦が勃発、この建艦計画は中止を余儀なくされる。

以降、オランダ王国海軍コーニンクレッカマリンは蘭印周辺に割拠する列強に対抗する事が可能な大型艦を未だ保有していない、というのが現状だった。



「金なら唸るほどある」

それが、今のオランダだった。

欧州大戦において中立政策を堅持する事に成功した同国は、東洋でいうところの“濡れ手で粟”の“漁夫の利”得たのだ。

血を流し辛酸を舐め尽くした戦勝国、全てを失った敗戦国、という周辺諸国からの冷たい視線を感じつつも、自分達の貫き通した政策の正しさを誇りとも思い、彼らはわが世の春を謳歌していた。

 

 そんなオランダに、文字通り、冷や水を浴びせたのが英国・ボールドウィン政権による対アジア政策の転換、その中でもシンガポールの軍港機能強化だった。


 この政策発表を耳にし、春から冬に時計の針を逆戻りさせられた様な悪寒を背筋に感じたオランダ政府は、直ちに英国の新政権を刺激しない様に最大限に気を遣いつつ、最低限の抗議を行うと、同時に中途で放棄されていた『プロジェクト1914』の再始動を模索し始めた。

新時代にあった、新時代の艦隊建造計画を始動するのに必要な巨額資金を、今のオランダは有している。

だが、さすがに新たに1個艦隊丸ごとを建造する計画となれば、欧州大戦期に稼ぎ出した資金の大半を吐き出す事になり、その後の維持費も考えれば、幾らなんでも旧態然とした『デザイン806』を、そのまま建艦するのは躊躇われる。

紆余曲折を経て、最終的に彼らは、こう結論を導き出した。


「艦隊建造予算の半額は本国にて負担、残り半額は蘭印総督府にて負担する事とする」


金庫に押し込んだ札束を世に出す事を惜しんだオランダ政府は、ここに致命的な過ちを犯す事となったのだ。



 10年前も、そして今現在も、オランダに2万トンを超える巨艦を建造した経験も実績もない。

無い以上、当時と同じく、海外に発注するしかない。

英国への発注は論外だ。

その英国と親密な関係を構築しはじめたフランスへの発注も躊躇われる。

不況にあえぐドイツならば喜んで受注に応じるだろうが、それでは大戦前より連綿と続く親独政策の発露と受け取られ、英仏両国を刺激する事に成りかねない。

イタリア、或いはスウェーデンへの発注が有力だが、艦隊の配備先がアジアである以上、その後の整備も考えると、アジアに何ら拠点を有さない欧州の造船メーカーへの発注には疑問符を禁じえない。

 となると……。

残るは2カ国。

2万トン超級戦艦の豊富な建造経験を有し、尚且つ、アジアに然るべき整備補修施設を有する、となれば米国と日本しかない。


 日を置かずして、会議を重ねた王立海軍委員会は

「米国、日本の造船メーカーに対し、『デザイン901型』設計図書及び仕様書の提出を求める」

と結論づけたのだった。


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