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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
61/111

第6話 狂犬騒擾

大正十三年九月四日

(1924年9月4日)

東京・三宅坂

陸軍省 大臣公室


 陸軍大臣・田中義一予備役大将は実に有能で仕事熱心な男だ。日本陸軍において『経済統制』という概念を初めて見出したのもこの男であったし、『情報統制』を構想し、実施に移したのもこの男だった。

 本質的な性格は、開けっぴろげで上下に拘らず、部下や頼ってくる者に対する面倒見も至極、良い。まぁ、要は親分肌の人物であり、他者の評判はすこぶる良い方だった。



 凡そ十日ほど前の事だろうか。第二次東郷内閣、その陸軍大臣に就任を要請された時、田中は見るも気の毒なほどに動揺したものだった。

 この二月に行われた総選挙の直後、入院中の浜口雄幸に呼びつけられた彼は、そこで悪魔と対面した。

 悪魔の名は犬養毅。

 田中にしてみれば、この犬養にしても、浜口にしても、政界進出の野望を打ち砕いた張本人達だ。その浜口の病室において、立つ事もおぼつかぬ怪我人二人に監禁された田中は、『陸軍省機密費横領』の一件をネタに強請られた結果、退役を約束させられた上に陸軍内部の情報提供までをも約束させられてしまった。

 田中義一、一世一代の不覚。

 己の政界進出資金を得ようと画策した結果、憐れ、獅子と狂犬の遊び道具と化してしまったのだ。獅子と狂犬にとって、田中は丸々と良く肥えた獲物であり、餌だ。猫が半死半生の小鼠を爪の先に引っ掛けて生かさぬ様に、殺さぬ様に遊ぶのと大差が無い。遊ぶのに飽きたら、腹の足しにされるのみ……。

 田中にとって、せめてもの幸運だったのは『二月事件』の顛末に関与していなかった事だろう。『二月事件』の背後に横領の一件を揉み消そうと画策した政治ブレーン・森恪の存在があった事も、元帥杖欲しさに森恪と組んだ福田大将の動きがあった事も、直接、知らされてはいない。もし、知らされていたら、肝の小さな田中の事だ。今頃、憂悶のあまり、自裁していたかもしれない。

 もっとも、田中とて、彼らが何かしらの行動を企図していた事は、うすうす感じてはいたのだが『二月事件』自体が北一派による革命暴発事件として処理され、当事者である福田大将が殺害された上に、森恪自身も、まるで何かに怯えるかの如く、この春先以来、一向に表舞台には出てこず、田中のもとにも顔を出さない。

 森と西園寺が全く連携せぬまま、別々に関与した事により、加えて、実行首謀者・北自身が殺害された事(これに関しては『陸軍による報復』という見方が一般的に流布された)もあって『二月事件』の真相は、誰にも知られぬまま、歴史の闇に葬られてしまったのだ。


 予備役編入後、これといった公職につくこともなく、政界進出への夢も断たれた田中は、自宅において悠々と過ごした。それは同時に、長年の激務による体調の不良、体力の衰えを癒す良い機会ともなった様であり、気力も体力も夏の終わりの頃にはすっかりと回復していた。

ちょうど、その頃、田中の元を、自由党を結党したばかりの犬養が訪れる。いや、犬養ばかりではない。自由党の前身となった政友本党、その結党時において田中の同志として共に活動した床次、山本、元田、中橋までもが同行している。

 話を切り出したのは、床次だった。

 その要旨は、田中の自由党入党、政界入り。床次の言葉に、田中は正に小躍りした。予備役大将として、貴族院議員への勅撰が確実視されているとは言え、政友本党という衆議院における旗本を失った田中にしてみれば、自由党を新たな地盤として活動できるとなれば、言う事はない。しかも、床次の他に山本以下、犬養までもが同行している事を考えれば、自由党の実権を握った旧・政友本党系が犬養以下の旧・革新倶楽部系を抑えて自分を招請したとしか考えられない。

 田中は快諾し、かつて自分に政界入りを断念させた犬養に向かい「ざまあ見ろ」とばかりに傲然と胸をそびやかした。

 そびやかしたまでは、良かったが……。


 「陸軍大臣に就任して欲しい」

 そう言って、田中を地獄に落としたのは、またしても犬養だった。この言葉に、一瞬前まで、未来の希望に燃えていた男は泡を喰う。

 「あ、いや……それだけは……」

 かつて、秋山との面談に際して、陸軍の政令一体化、すなわち参謀本部格下げに賛成し、陸軍大臣の権限強化、現役武官制を主張した田中にしてみれば、予備役である自分が陸軍大臣に就任するなど、とんでもない前例を作る事になりかねないと思えたのだ。

 無論、法的には問題はない。

 大正二年の第一次山本権兵衛内閣当時、陸軍、取り分け長州閥の反対を押し切って、当時の陸軍大臣・木越安綱陸軍中将が同意した事によって、任官資格は予備役から後備役、退役にまで広がっている。もっとも当時「長州閥のプリンス候補」として寺内正毅と争っていた木越中将は、この行為により、山県有朋の不興を買い、将来を嘱望されていた身でありながら予備役編入を命ぜられ、陸軍を追われる羽目となってしまった訳だが……。

 「せめて現役復帰の上で……」 

 田中はそう懇願し、哀願するが、犬養は嘲るように頬を歪めながら、首を横に振る。目を泳がす様にして、同志・床次以下に目線を送れば、ある者は目を逸らし、ある者は見て見ぬふりをし、ある者は無表情に応え、ある者は嘲笑の色さえ浮かべている。

 しかし、考えてみれば人身御供として多数の将官を道連れにして退役した自分が、現役に復帰する事など、不可能なのだ。それこそ「陸軍の恥さらし」として、将官、佐官は元より、尉官級の者にさえ、軽侮される。

 田中は気が付いた。

 政界進出も、自由党入りも、陸軍大臣就任も断わる事など出来ない。断われば、犬養は官憲に対し「田中予備役大将に横領の疑いあり」と通報し、国会において盛大に追求を始めるだろうし、既に陸軍内部における影響力を失いつつある自分を守る為に陸軍が、田中の盾となって追求の手と事を構える可能性は皆無、喜んで証拠品の提出に応ずるかもしれない。

 田中は、田中の身を守る為に陸軍大臣となるしかない。

 予備役での大臣就任と、現役復帰した上での大臣就任、天秤にかければ、世間のウケが良いのは予備役の方だろう。現役復帰後の大臣就任では、世論は冷たい視線を送るだろうし、陸軍内部の反発も大きい。勿論、予備役での就任には反発する者も多いだろうが、少なくとも世論の援護は期待できる。

大臣に就任するしか道はない以上、少しでも味方は多い方が、良いに決まっている。


 そして、田中の予想した通り、予備役での大臣就任に世論は好意的だったし、陸軍内部の反発も、それほど大きくはなかった。大正デモクラシーという時代が、陸軍内部を侵食していたせいもあっただろうが、「自由党の実力者」と世間からは目される田中が与党の一員として就任した事に対する、予算面の期待が大きかったからだろう。



 一度、その任につけば、田中は全力を傾注する。元々、人から有能と言われる事が大好きな男だけに、「いくさ馬鹿」の秋山が滞らせていた大臣としての書類決済や職務を片っ端から片付けて見せる。その見事な手際には、陸軍省職員達も称賛と感嘆の声をあげたものだ。



 そして、この日……。

 田中は、床に硬質な音を響かせながら現れた「鉄脚将軍」武藤信義中将が持参した書類に目を通していた。

 『二月事件』に際して、脚を負傷した武藤はその後、義足をつけている。銃弾による負傷後、無理をして動こうとした結果、膝より下を切断することになってしまったのだ。義足となった後も、武藤の職務精励ぶりは一向に変らない。渡辺錠太郎が陸軍次官から教育総監に昇進したのに比べ、武藤は参謀次長から陸軍次官への横滑り、一部の者たちからは

 「先任順からしても武藤中将の方が適任ではないか?」

 との話もでたが、軍政経験の少ない武藤自身が陸軍省での勤務を希望した事もあって、この様な次第となっていた。

 元々、特務機関、情報将校上りの武藤は表情が乏しい。それが、敬愛する上原を亡くして以降は、更に輪をかけ、もう半年も、彼が笑う顔を見た者はいない。

 事件に際していち早く「田中大将こそが怪しい」と睨んでいた武藤は、田中が陸軍大臣に就任すると、その監視役として省部中枢に参画したのだった。その心底には、常に「田中の尻尾を捕まえてやろう」という陰湿な復讐心が、上原への追慕の念と共に宿っていたし、何より、陸相として人事権を掌握した田中が再び、長州閥の復権を狙う事が無い様に秋山陸軍体制を守るべく睨みを利かせている。

 田中は、武藤が苦手だった。

 どちらかというと多弁で陽気な性格の田中に対し、無口な上に何かにつけて批判めいた視線を送ってくる武藤の存在に苛立たしいものを感じた田中は、


 (いっそのこと、更迭してしまおうか)


 とも考えた。犬養のせいで、最近ではすっかり疑心暗鬼と被害妄想の虜となっていた田中は、武藤の素行を調べ、何かしらの落ち度がないか探りはじめた。そして、ある事実に行きついた瞬間、武藤の更迭を諦めた。

 武藤に実子はいない。その代わり、養子をとっている。

 問題はその養子の生家だ。

 生家の姓は加藤といい、父親の名は寛治。言うまでもなく現職海軍大臣・加藤寛治海軍中将だ。本人に聞いたら

 「そんな事はありませんよ、気苦労ばかりです」

 と手酌で酒を煽りながらぼやきそうだが、加藤中将と言えば海軍内部でも『大東郷』の側近中の側近と目される人物。つまり、養子を介して武藤家と加藤家は縁戚にあり、その加藤が東郷の「一の子分」とあれば……最早、無力な田中に出来る事と言えば、溜め息をつく事ぐらいだった。


 書類に目を通していた田中の元に、不幸の元凶・犬養が現れたのは、そんな時だった。最近では、犬養の名を聞くだけで、背筋が伸び、犬養を見るだけで、背中に嫌な汗がつたう。世間では「憲政の神様」と呼び、政敵からは「狂犬」と呼ばれる、この小粋な遊び人の様な老政治家、田中にとって「疫病神」以外の何者でもない。


 「やあ、田中大臣」


 (今度は何だ……?)


 犬養の何気ない言葉一つにも、裏があるのではないかと、反射的に身構えてしまう。

 「これはこれは犬養先生……」

 仕立ての良い羽織袴姿で、如何にも粋な佇まいの犬養に着座を勧めながら、田中は会談が一分一秒でも早く終わる事をひたすら祈る。気を利かせた従卒が、茶を淹れて来たのには、

 「余計な事をするな!」

 と怒鳴りつけたくなるほどだった。笑顔を浮かべた犬養は、何も言わず、田中好みの渋く淹れた茶を口に含み、旨そうに飲み干す。

 「大臣閣下に折り入って頼みがありましてな……」


 (ほら来た! やっぱり!)


 己の予想が悪い方にあたった事を確信する。


 「実は……」

 犬養の要件は、現在の朝鮮総督・斎藤実海軍大将に代わる新しい総督として、犬養自身が推薦されている事、それに際して、陸軍の同意を得たいというであり、その言葉に、田中は腰を抜かしそうになる。


 朝鮮総督――――。云うまでもなく帝国最高峰の親補職の一つであり、歴代総督はいずれも軍出身者が就任しているが、元帥・長谷川好道陸軍大将が総督であった時代に、その独立運動への対応のまずさを激怒した時の首相・原敬が、この長谷川を更迭、同時に総督権力から朝鮮軍に対する『軍事指揮権』を削除し『軍事請求権』とした事により、現在、法的には文官でも朝鮮総督に就任する事が可能となっている。実際に現在の朝鮮総督・斎藤実海軍大将が就任可能になったのは、陸軍部隊である朝鮮軍への指揮権ではなく、請求権とされていた事も理由の一つにある。

 初代、二代と陸軍が。

 三代で海軍が。

 そして犬養は、四代目にして初の文官総督という立場で朝鮮に乗り込むつもりでいるようだ。朝鮮総督といえば、少なくとも軍部が専権してきた最高級の職務、それを大臣経験しかない一政治家が就任したい、と言う……。

 田中は黙りこくる。長谷川は崩壊したとはいえ長州閥の重鎮であり、若き日の田中にとっては後見人という立場にあった人物。その人物の不手際により、海軍に総督職が移ったのは致し方ないとして、本来は陸軍出身者が補職されるべき職務であると考えており、文民政治家である犬養如きが就任を希望して務まる様な職務ではない。

 「既に東郷閣下、それに浜口内相、加藤海相の承諾は得ております。後は、陸軍さえ頷いてくれれば……」

 頬に笑みを張り付かせたまま、犬養は田中に話し掛ける。田中の目には、その卑しい笑いが、就任を承諾する様に乞う、媚びる様な愛想笑いにも見えた。

 「犬養先生、御存知だとは思いますが……」


 (すげなく断われば、角が立つし、この狂犬、何を言い出すか分ったものでは無い……)


 そう考えた田中は、やんわりと関東軍亡き後の朝鮮半島の軍事情勢を噛み砕いて解説する。日本と入れ替わって金州半島を租借した米国の駐箚部隊の陣容や影響、更には威海衛・天津の英軍の動き……

 「陸軍としては、今後、緊張状態に陥るだろう黄海沿岸域を束ねる朝鮮総督の職に文民政治家の就任を承諾するのは難しいと思われます」

 田中の言葉は、実に柔らかく、実に分りやすく、それこそ玩具をねだる幼児にも理解出来そうな程、理路整然としたものだった。聞き終えた犬養は、笑みを崩さず、田中に問い返す。

 「それは、陸軍の総意でしょうか? それとも田中大臣の個人的な見識で?」


 (俺の意見などと言える筈、無いではないか)


 田中は、間髪いれず答える。

 「陸軍の総意とお考えくださって結構です」

 その言葉に、椅子に浅く座っていた犬養は深々と座り直す。如何にも

 「腰を落ち着けた」

 といった感じだ。

 「そうですか……田中大臣個人のご意見であれば、閣下に翻意を促すつもりでしたが……」


 (良かった! 納得してくれたか!)


 田中は、胸を撫で下ろし(案外、話せば分る相手なのかもしれない)と犬養を、見直しもした。




 「じゃあ、田中大臣、今日中に辞表を出したまえ」

 その言葉の意味を理解するのに、たっぷり十秒は掛かった。理解すると同時に、口から呻く様に声が漏れ出す。

 「陸軍部内をまとめられず、部下の総意に従う様な腰抜け大臣など必要ない。即刻、辞表を出して、席を空けたまえ」

 「な、何を、貴様……」

 立て続けに愚弄する犬養の言葉に、田中は言葉激しく反論する。


 自分がその様な形で、大臣職を放りだしたら、陸軍は黙っていない。例え、どんなに自分が内部で嫌われていようが、その物言い、その陸軍全てを馬鹿にした様な行い、東郷内閣続く限り、陸軍は決して大臣を出すことはないだろう。


 肩で息をしつつ白眼を充血させながら啖呵を切る田中の怒りを、犬養は正面から受け止め、そして叩き潰した。

 「君の後任には、長岡代議士をあてる。或いは……木越議員でもいい。どっちも我が党ゆかりの人物だ。田中大臣、君が予備役として大臣に就任してくれたお陰で、良い前例が出来た。後任に困る事はないよ、君の役目は終わりだ」

 「……!?」


 長岡代議士とは“プロペラ髭”のあだ名で著名な自由党中立派を束ねる長岡外史陸軍後備役中将。元・長州閥だったが、長谷川元帥との不仲から早々に現役を退いた人物であり、陸大三期出身。陸大同期には秋山や、桂、宇都宮と共に「陸軍三太郎」の一人として権勢をふるった仙波太郎予備役陸軍中将がいる。ちなみに、この仙波は民政党の代議士だ。

 長岡は衆議院議員を務める傍ら「大日本航空協会」の副会長として、民間飛行士や航空産業の育成に注力しており、日頃から、「民間のすそ野を広げてこそ、軍に質が集まる」と唱えており、陸軍大臣就任に色気たっぷりだ。

 もう一人の候補者、木越安綱陸軍後備役中将は言うまでもなく「軍部大臣現役武官制」を廃して、陸軍を追放された逸材。現在では貴族院における自由党系院内会派の一員であり、日頃から自らを追った長州閥への復讐を公言している。

「プリンス候補」時代のライバルで、後に首相となった寺内正毅直系の田中義一にしてみれば、親の宿敵同然であり、木越にしてみれば田中は「坊主憎けりゃ袈裟まで憎い」相手の一人だ。


 「べらぼうめ、てめえの代りなんざ、幾らでも居るんだ、このすっとこどっこい。それに予備役大将の後に、長岡さんか、木越さんがなれば後備役中将が就任するって事だ。立て続けに予備役、後備役の就任ってなりゃあ、この先、誰も『大臣は現役武官で』なんて、たわ言を言い出す奴はいなくなるだろう。さあ、分ったらさっさと辞表を出しやがれ、畜生め。誰のお陰で、その席に座っていられると思っているんだ、あん? てめえなんぞ、自由党の推薦もなく大臣に復職できる訳、ねえだろうが、この恩知らずの泥棒猫が。承諾しねえってんなら、てめえなんかに用はねえ」


 喧嘩の達人・犬養の情け容赦しない啖呵が、田中を切り刻む。大臣職を追われ、利用価値の無くなった老雄・田中を、この目の前で唸り声を上げ始めた狂犬が放置する程、甘くは無いだろう。綱紀粛正を御題目に、長岡か木越を使って横領の一件を追求し、田中の首を切り落とすに決まっている。

 もはや、うな垂れる以外に術なき田中に出来るのは、犬養の朝鮮総督就任に際しての祝賀挨拶を考える事のみだった。


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