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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第二部
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第2話 焦土への道 (2)

 明治期特有の和洋折衷様式で建築された首相官邸、その一階西側に広さ二十畳ほどの閣議室は存在していた。

天井からは年代物のシャンデリアが下がった洋室造りの部屋だったが、米国人の引いた設計図を基に、腕のいい宮大工が建てた物だけに全体的にどこか奇妙な程、紛い物臭さを感じさせる。

無垢板張りの床にはシャンデリアと対となる図柄が織り込まれた瀟洒な波斯絨毯が敷かれ、その上にコの字型に整然と並べられた一人掛け用のゆったりした作りのソファと木製側机は、かつて明治の元勲達が使用していた当時と変らぬ艶やかさを保ち続けている。

 この日、震災による建物全体の歪みの為、開け閉めのたびに悲鳴をあげる扉をくぐりながら集まった閣僚陣の顔ぶれは、この年一月の内閣発足時と比べると、正しく一変していた。

 

 第一次内閣当時、閣議の司会進行役と云えば内閣書記官長・尾崎行雄の役目であったが、その尾崎が「普通選挙法」「地方議会法」「新・治安法」の選挙三法をひとまとめにして扱う班列(閣議に列する者。無任所担当大臣の意)に横滑りした事から、この第二次内閣においては、同じく文部大臣から横滑りした内務大臣・浜口雄幸が務めていた。

 浜口は遂、先頃、退院したばかりで、体力的に危ぶむ声も上がってはいたが、術後の経過が思いの外良好であった事から、この事実上の「副総理大臣格」と目される大役を任せられたのだ。

 当然ながら「次期」或いは「次の次」の政権の座を狙う浜口としては、ここは多少無理をしてでも巨大省庁・官僚の総本山「内務省」と人脈を構築する利は大きいとの判断もあったし、同時に民政党の新総裁に就任した盟友・若槻禮次郎が、党務に専念する為と称して、内閣を辞していた事から「民政党の代表者」として、内閣に名を連ねる、という意味合いもある。

 この浜口、出自は大蔵官僚であり、後藤新平や加藤高明に認められて政界に転じる以前は大蔵次官にまで登り詰めた経済通だ。

それだけに持論である金解禁論には絶対の自信、信念を持っている。

ただでさえ、頑固な男なだけに持論に信念を持ってしまったら、厄介な事、この上ない。

浜口は頑なに「旧平価による解禁」を主張する。


「本邦産業界に国際競争力を付与する為には、各企業の合理化を推進せねばならぬ。合理化によって一人当たりの労働生産力を高める事、それが外国企業との競争に打ち勝つ力となる。ぬるま湯に浸かった産業界に喝を入れ、実態の無いまま膨張した泡沫企業の整理を促進する為にも、ここは旧平価による解禁を断行し、各企業の合理化、財界の淘汰を推進するべきなのだ」


 浜口を始めとした「旧平価解禁論者」の主張は、ある側面、正しい。

欧州大戦終結直後の大正8年、日本が未曽有の好景気に沸いた、この時期の日本企業総資本額は107億円。

その後の反動不況で本来ならば整理縮小されるべき筈なのに、それがどういう訳か、この大正十三年の時点で180億円に増加しているのだ。

不況下で減少すべき総資本額が増える、と云うあり得ない状況……。

その理由は一つしかない。

潰れるべき会社が潰れず、実態の無い会社が看板だけを掲げて、皆が皆、粉飾決算を行い、貸した方も、借りた方も不良債権を隠匿しているからだ。

 好景気時に膨張した産業界が、不景気時に削ぎ落され、より強く、より健全な企業だけが生き残る……。

それが真っ当な景気循環であり、健全な資本主義経済であるはずなのに、資本主義が未発達なこの国では、そうはならなかった。

だからこそ、浜口達は「旧平価による解禁」という劇薬を用いて、この不良債権を炙り出し、一気に整理を行うつもりなのだ。



 もう一方の与党・自由党から初入閣した石橋湛山商工大臣。

初当選の一年生議員が入閣……と云うと今日では奇異に感じるが、そもそも国会議員でない者が、その専門知識を乞われて入閣するという事例が珍しくもない時代であったし、就任した商工大臣という職務自体が農商務省を農林省と商工省に分割した事によって生まれた、出来たてホヤホヤで比較的“軽い”閣僚の座という事もあって、大した反対意見もなく就任していた。

無論、その陰には石橋の実力を高く評価する犬養が、石橋の名と顔を売っておこうと画策したのは言うまでもない。

 経済誌の編集者上りのこの気鋭の政治家は、財界にも顔が広く、特に関西圏の実業界ではちょっとした名士でもあった。

それだけでなく、若い頃から記者として精力的に現場取材をこなしてきた男であるだけに、財界の底辺、即ち、中小商工業者との親交も深く、その実情にも精通している。

石橋は主張する。


「旧平価による解禁は、中小商工業者にとって致命傷となりうる。だからこそ現行の為替相場を基本とし、通貨切り下げを行った上で解禁すべきだ。不良債権処理と金解禁を等しく考えてはならない」



 第一次内閣に引き続き、現職のまま第二次内閣でも続投した数少ない閣僚の一人が高橋是清大蔵大臣だった。

財界と癒着とは言わないが、密接な関係を持つ民政党が主張する「旧平価による解禁」

民政党最高顧問である、高橋も無論、賛成……という事は全く無い。

旧憲政会系の浜口、若槻らと、旧政友会系の高橋。

その根本的な経済政策の差によるもの……といった単純な話では無く、日本最高の財政技術家である高橋にしてみると、浜口らの主張する旧平価解禁どころか、金解禁そのものに対しても懐疑的な見方をしている。

「政府・日銀が程良く介入し、為替の乱高下に対する抑止力として機能し続ければ管理通貨制度で十分だろう……」

卓越した財政家である高橋にしてみれば、投機筋の思惑を先読みし、適確に先手を打っていけば、為替相場などプラスマイナス数パーセントの範囲で収める事は可能だと思えたし、その程度の変動は許容範囲の筈だ……と考えていた。

 もっとも、政党という物を煩わしいものとしか思っていない上に、自身、民政党最高顧問という地位にある身。

若槻、浜口ら若い幹部達に対して「一線を引いた楽隠居の身」と自らを定義している以上、自説を公の場で声高に主張する事は無い。

しかしながら、側近で、やはり経済通の政治家として知られる三土忠造・食糧専売問題担当無任所大臣あたりには、景気失速どころか、景気墜落という事態を引き起こしかねない「旧平価解禁論」に対する懸念をしきりにこぼしているのも事実だった。



「そもそも“旧平価”などと呼ぶのがおかしい。1円は金1匁(0.75g)。それは、明治の御世から決まっていた事だ」

浜口の主張に呼応し、旧平価解禁論に「民政党の知恵袋」と呼ばれる江木翼無任所大臣が同調する。

 江木は内務官僚出身で、故加藤高明直系の議員、それだけに官界にも財界にも顔も広く、影響力も大きい。

首相経験者である高橋を別格とすれば、若槻、浜口に次ぐ民政党“第三の実力者”であり、東郷政権の目玉政策の一つである「金本位制復帰」を担当する無任所大臣として入閣、この難事の舵取り役を任されている。


「旧平価で解禁出来れば、それにこした事は無い。だが、資本力で劣る中小企業が耐えられる訳が無いではないか」

そう激しく反論するのは、自由党・山本派の領袖・山本達雄司法大臣だ。

床次、中橋、元田の三人が「反横田」故に政友会を脱党したのに対し、この山本は「反高橋」故に脱党と云う道を選んでいる。

自由党が積極財政論、民政党が財政均衡論を奉じている中で、この山本と高橋は、己が所属する政党の財政論に異を唱え、反対政党の財政論に近い。

つまり、こと財政論に関して言えば両者は政党を入れ替わった方がいいぐらいだ。

 史上最年少で日銀総裁を務めた程の経済通である山本は、持ち前の激しい気性から数々の伝説を生んでいるが、その曲がらない気性は、閣議の席でも大いに発揮されていた。

「旧平価による解禁は物価下落を呼び込み、輸出の不振をもたらす。それが分っていながら何故、こだわるのだ? 誰かに何か、頼まれでもしたのではないか?」



「何だと、こらぁ!?」

顔面を朱に染めて、山本の発言を咎め立てしたのは猪首を背広に埋もれさせ、場違いなほど筋肉質の体格を窮屈そうにさせていた逓信大臣・小泉又次郎だった。

自由党の暴れん坊と云えば、一にも二にも「タコ平」こと小川平吉、それに対して民政党随一の暴れ者が、この「野人」こと小泉だろう。

小川と小泉は、共に帝国政府を震撼させた「日比谷焼き打ち事件」の首謀者であり、公私に渡り、その思い切りのいい暴れっぷりから、官憲に捕縛された事は数知れず……。

そんな二人だったが、その後、小川が次第に国粋主義に傾倒していったのに対し、小泉は自由主義を信望するようになり、今では互いに袂を分かっている。

この小泉、何しろ、横須賀界隈の“現職大親分”である。

怒鳴り声一つにしても並の政治家とは迫力が桁違いだ。



「うるさいっ! 黙れ、下郎」

そう、いきり立つ小泉を叱りつけたのは、自由党・床次派、床次竹二郎鉄道大臣だった。

頭髪をキチンと真ん中で分け、丸眼鏡と口髭のよく似合う、如何にも優しげな老紳士ではあるが、同時に彼を毛嫌いする者からは「亡者」とも仇名され、抑えられぬ野心により政友会崩壊の切っ掛けを作った政界屈指の危険人物。

 今回の新党結成にあたっては、合意条件として自らの「内務大臣、もしくは鉄道大臣での入閣」を示した訳だが、主要大臣として数えられる内務・外務・大蔵の三大臣職はともかくとして、利権と深い結びつきを持つ、この鉄道大臣の椅子を名指しで欲するあたりが「如何にも……」なところだろう。


「下郎とは何だ、聞き捨てならん」

「聞き捨てならなかったら、どうするっていうんだ!」

「こうしてやるっ!」


 床次の挑発にまんまとのった小泉が立ち上がり、側机の上に置かれていた湯呑みを握り締め、今にも投げつけん……としたところで、

「いいぞ、やれやれ」

と、一際、のんびりとした口調でけしかけて、剣呑な空気に支配される場をアッサリとしらけさせたのは、班列として復興事業を統括する事になった後藤新平だ。

 震災復興事業と云う巨額利権の絡む事業を統括する以上、政党と関連が深い人物では、

「いらぬ誤解を招きかねない……」

という政治判断から、民政党とも、自由党とも等しく距離を置く後藤が継続して復興事業を担当する事となった訳だが、後藤自身は金融を専門的に扱った事が無いだけに、この金解禁問題に対しては、これといった持論がある訳ではない。

それだけに、この荒れて殺伐とした雰囲気の流れ始めた閣議を、冷静な目で見つめる事が出来た。


 そんな後藤と同様、政党に属さないもう一人の閣僚が、

「フフフ、相変わらず小泉君は元気がいいねえ」

と、その皺深い顔を微笑に包みながら、ゆっくりとした口調で評する。

外務大臣として入閣した金子堅太郎だった。

だが、その浮かべた笑みも、口調も、他ならぬこの金子が言うと、冗談では無く正真正銘の嫌味としか受け取れない。

何故なら、金子は日露戦争の頃、伊藤の命を受けて渡米し、米国においてマスコミ工作とロビー活動を担当、巧みな扇動・宣伝技術を駆使して親露感情一辺倒だった米国世論を親日的な物へと変化させ、最終的にはハーバード大学の同級生だったセオドア・ルーズベルト大統領を引き摺り出し、講和斡旋に動かした条約締結の陰の功労者なのだ。

その金子が、ポーツマス条約に不満を爆発させ「日比谷焼き打ち事件」を起こした張本人である小泉の存在を面白かろう筈もない。

 今や“枢密院の首領ドン”とまで呼ばれる様になった伊東巳代治と共に、青年期より伊藤博文の側近として知られ、帝国憲法の起草に関与した経緯から、自らを“憲法の番人”と称する金子は、西園寺公亡き後、もし、もう一度、元老を選任するとすれば山本権兵衛と共に、おそらくは真っ先に名前の挙がる人物だ。

 枢密顧問官を務めるかたわら、日米協会、日本大博覧会などの数々の民間団体の会長職を務めるだけの隠居の身だったのが、今回、再び外務大臣として政治の表舞台に出てきたのは、その豊富な閣僚経験が買われた事もあったが、何より、その米国上流社会における群を抜いた人脈、知名度の高さにある。

「目と鼻の先」である関東州に米国の一大拠点が出来る以上、日本は今後、より一層、米国との関係を深めざるを得ないし、深めるべきだ……という主として民政党側の主張する理由から、担ぎ出された訳だが、この海千山千の喰えない老人が今更、外務大臣などという多忙な役目を引き受けたのは、やはり東郷の存在が大きい。


「戦場は違えど、共に日露を戦った仲」


そういう意識で結ばれた両者の関係は、東郷と秋山、そして東郷と高橋の関係に似ていると言えるだろう。



「旧平価で解禁すれば、安価な輸入品が流入し、物価が急落する。さすれば、競争にさらされる国内企業が危機に陥る。何故、こんな簡単な事が分らんのだ」

山本が問い詰めれば、江木が切って返す。

「それこそが狙いだと言っているではないか。競争力を備え、外国商品に打ち勝つ企業だけが、この国の未来を担えるのだ」

片や浜口、江木。

片や石橋、山本。

両党を代表する経済通同士が、激しく持説を叩きつけ合い、ぶつけ合う。

 そんな議論の中、遂に山本が言ってはならぬ事を口に出した。

「ふん! 競争力を備える、だと? そんな力のあるのは、貴様ら民政党のケツを持っている財閥だけじゃないか」


 1ドル=2円60銭の現行為替相場を切り上げ、1ドル=2円で解禁する。

つまり、「円高ドル安」状況を人為的に作り上げる訳だが、輸出産業が価格競争に晒されるだけでは無く、国内産業も外国から「高い円」によって安く買われた物品が流入してくる以上、激しい値下げ競争に晒される。

所謂、デフレーションの発生だ。

単純に考えても旧平価解禁は国内物価を二割五分程度、下落させる。

外国製の良品が安価に庶民の手に入るのだから、一面、喜ばしい事ではあったが、同時に、その安価な国外産商品に対抗する為に値下げしなくてはならない国内企業は合理化を余儀なくされる。

それが機械の導入による効率化程度ならば良いが、それまで人海戦術によってこなしていた仕事を機械化すれば当然、労働者は不要となる。

不要となった労働者は時間短縮を迫られ、賃金をカットされ、最終的には首を切られる。

 一つの例として石炭価格の下落によって経営状態が悪化した三井財閥所有の三池炭鉱がある。

昨今の石炭価格暴落によって合理化を余儀なくされた同炭鉱は、次々と閉山に追い込まれる他の炭鉱を横目に、莫大な資金を投じて積極的に最新の機械採掘設備を導入、これにより鉱夫一人当たりの出炭量は3.1トン/1日から、6.3トン/1日へと倍増、石炭価格下落の時代を乗り切っている。

だが、同時にそれまで搬出作業に従事していた女子鉱員を中心に、およそ四割の従業員が解雇されている。

 この例は、合理化を推し進めるだけの資本力があったからこそ可能だったのであり、合理化の為に必要な資金調達能力を持たない多くの中小炭鉱が経営を断念し、最終的に大資本への身売りを余儀なくされている。


「売っても、売っても、儲からない」

「売れば、売るほど、赤字になる」


 石炭に限った事では無い。こんな経営状態が続けば、物価急落に直面する者全てが同様の立場に追い込まれる。

結果、生き残れるのは大資本だけ……。

そして生き残った大資本は、競争相手の激減により市場を寡占状態に置き、独占企業として思いのままに振る舞える。

 石橋や山本が恐れるのは、輸出の不振などよりも、物価下落がもたらすこの事態だった。

そうでなくても、東郷政権の主導により金融界の再編が行われ、資金調達能力の大きな財閥系銀行に淘汰されつつある時代だ。

もし、財閥系銀行が系列企業への融資を優先し、他の中小企業への融資を恣意的に渋れば、勝敗は火を見るよりも明らかだろう。

最悪の場合、この国の経済構造は五大財閥が支配する様になってしまい、そうなれば彼らはカルテルを結んで価格競争を避け、より安定した経済支配を強めようとするだろう。



「虚言を用いるにも程がある! 我らが財閥と結託しているとでも言うのか」

激昂した江木が立ち上がり、山本を指さして詰問すれば、山本も一歩も引かず、仁王立ちとなって反論する。

「結託しているとは言わん。だが、言わないのは証拠が無いからだ。我らが疑っていない、などと思うでないぞ」

山本の言葉に、怒りに口髭を震わせた浜口までもが椅子を後ろに跳ね飛ばさんばかりの勢いで立ち上がり咆哮する。

「貴様らの方こそ、地主連中に乞われて新平価などと云う世迷言をほざいておるのだろうが!」


 民政党が財界寄りならば、自由党は地主寄り。

「都市」対「地方」という選挙地盤そのままの対立関係。

そして、地方における最大の現金収入が養蚕業、つまり生糸だ。

 大正十三年(1924年)当時の輸出総額は、およそ14億5千万円。その内訳は生糸40%、綿織物20%、絹織物、綿糸がそれぞれ7%、残りが茶や加工水産物、缶詰など……。

つまり、生糸・絹織物関連で全体の47%、7億円近い金額を占めているのだ。

190万戸に達する養蚕農家の中心となっているのは主に中規模農家だったが、地方ブルジョワ階級である地主層の多くも、やはり、この養蚕業に深く関与している。高額の地租(固定資産税)を毎年、納めなくてはならない地主層の立場からすれば、同じ土地を貸すならば、より高額で換金が可能な作物の栽培、つまり養蚕を小作人達に奨励する。

折角、貸した土地で金にならない作物など作られて、小作料を滞らされては堪らない……という訳だ。

強制力こそないものの、土地を借りている以上、地主の「意見」に対し、小作人が「従わない」などという選択肢は勿論無く、畑作可能地の77%が桑畑、農家収入の80%以上が養蚕関連という地方さえ存在しているのだ。

 最も、キャベツ100箱で『敷島』1箱分の価格にしかならず、カブ50束ならば比較的安価で“労働者の煙草”と云われる『バット』1箱分の価格にしかならない時代だ。

米ならばともかく、野菜や麦など幾ら作っても小作人は肥料代さえ賄えず、飢えてやせ衰えた小作人からでは小作料を取り立てる事さえ出来なくなる。


 明治末に最大の競合相手だった清国を抜き放ち、現在、世界シェアの6割、最大消費国・米国においては占有率8割を占める日本産生糸。

その強みは、繭一個一個を選別し、粗悪品を排除するという勤勉な農民達の尋常一様でない努力が生み出す並み外れた品質の均一性と、低賃金の女工達によって支えられた価格競争力にある。

 この価格競争力を武器に、19世紀末にはフランス、イタリアの生糸産業を壊滅させ、世界市場を圧倒した日本の生糸産業ではあったが、輸出中心産業である以上、旧平価での解禁は、その競争力にとって大いにマイナスとなる。

 もし旧平価で解禁したならば、競争力維持の為に、平価切り上げ分の価格引き下げを行わなくてはならなくなる。

その価格引き下げ分を養蚕農家、紡績企業、輸出商社の三者が揃って負担するならまだしも、輸出商社は紡績企業に、紡績企業は農家に負担を求め、結果として全ての皺寄せは立場の弱い養蚕農家の負担だけが増す事になるだろう。

結果、繭相場の下落により農村は危機に瀕し、それは地主達の収入源、没落に直結する。

ただでさえ最高値をつけていた大正中期に比べ、繭相場は5割前後まで暴落している現状なのに、この上、旧平価解禁などという荒業を見過ごす事など、地方に根を張る自由党が許せる筈もないのである。




民政党と自由党。

双方、一歩も退かず、議論を戦わせる閣議が、永遠に続く中……。




(何故、自分はここにいるのだろう?)


(何故……だ?)


 究極の経済論である金融論を戦わせる、実戦経験豊富な政治家軍団の末座において、一人そんな思考の迷路の中に立ち竦み、考え込んでいた田中の耳に

「―――陸相、田中陸相」

と傍らから呼ぶ声が聞えて来た。

呼んだ本人は声を潜めているつもりだろうが、潮に焼かれた、その野太い声は、実に通りがいい。

陸軍大臣・田中義一“予備役”陸軍大将はハッとし、唐突に意識を取り戻した。


 陸軍大臣として入閣した田中義一予備役陸軍大将は、史上初めて「非・現役武官」として入閣した人物として歴史に名を残す事になった。

制度として認められながらも、実行される事が無いまま12年の歳月が過ぎていた「軍部大臣の任用資格を予備役、後備役にまで広げる」という制度の先鞭をつけたのが、この春、予備役に退いたばかりの田中だったのだ。


 田中は鬱々と気分が晴れない。

そもそも政界進出を胸に秘め、前途洋洋だった数ヶ月前、当時の秋山陸相の質問に対して

「軍部大臣現役武官制復活」

を声高に主張し、

「政・令一体化の為に、参謀本部を陸軍省の一部局に格下げすべし」

と論じていた自分が、予備役となるやいなや、よりによって大臣職を引き受ける羽目に陥るとは……。

しかも、自由党という政党の推薦によって、その地位を得る羽目になるとは……。

それもこれも……。


「あぁ、加藤海相……いかがされました?」

自分の思考が表情に出ていたのではないか? と、少しドギマギしながら田中は身を乗り出すと、顔を近づけて話し掛けてきた海軍大臣・加藤寛治海軍中将に向き直り、政治家同士の大論争の邪魔にならない様に顔を近付ける。

「あぁ、いや、どうも私はこう言う場所は苦手でして……閣議とは、いつもこんな感じなのでありますか?」

閣議初体験で、どうみても場違いな場所に迷い込んでしまった様にしか見えない武骨な軍人を心の中で憐れみながら、田中は応える。

「はあ……。いつもは、もう少し違いますが……」


 財部海相の軍令部長への転出と同時に、後任として横須賀鎮守府司令長官から抜擢された、“軍神”東郷の『股肱の臣』は、あるじに負けず劣らず政治音痴らしく、やや途方に暮れた様子で、閣僚経験のある先輩軍人に愚痴をこぼす。

「そうでありますか……。私は元来が大砲屋、本来なら連合艦隊の司令長官どまりの男です。それを皆でよってたかって、将来の為に軍政の経験も積んでおいた方がいいといって……」

“海の男”は、兵学校の先輩諸氏達が、東郷の“御守役”を自分に押し付けた事に、うすうす気が付いている。

財部彪軍令部長と鈴木貫太郎連合艦隊司令長官という大先輩が二人揃って、加藤の職場であった横須賀鎮守府まで出向き

「お前しかいない」

と頼み込んできたから引き受けてはしまったが、元来「感情で八割動く」と自ら称する加藤には、デスクワーク中心の平時の海相は、絶望的な程、向いていない役職だった。

しかも、海軍はジュネーブ軍縮の予備交渉の真っ最中。

補助艦艇の制限を主題とするこの軍縮会議を、加藤自身は現場海軍将官の立場から、問答無用でぶち壊すつもりでいたのだが、東郷が一月の施政方針演説に際して「条約締結を推進する」と言ってしまっている以上、個人としてはともかく、海相としては締結に邁進するしかない。


「三顕職だ、未来の元帥だ、などとおだてられたのに、自分の思い通りに出来る事なんて、何もない」


加藤寛治海相は、田中義一陸相に負けず劣らず憂鬱だった。


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