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無手の本懐  作者: 酒井冬芽
第一部
51/111

第51話 決壊 (1)

大正十三年二月二十三日

(1924年2月23日)


東京・三宅坂

陸軍参謀本部 軍事参議官控室


 早朝から降りしきる冷たい雨が雪にかわる頃、室内では溢れ出さんばかりの熱気の中、火花の散る様な激しい睨み合いが続いていた。

片や、陸軍大臣 元帥・秋山好古陸軍大将。

片や、陸軍参議官 元帥・上原勇作陸軍大将。

秋山は傍らに渡辺次官を配して、己が剣とすれば、上原は福田大将、町田大将を両翼として、これを防ぐ。

睨み合いの原因は、無論のこと「参謀本部廃止」「帷幄上奏廃止」「軍部大臣文官制導入」の軍部改革三案についてだ。



…………先日の渡辺次官との問答以降、秋山は陸軍首脳部と次々と会談し、意見交換を行っていた。

この時点において、秋山に確固たる考えがあった訳ではない。

むしろ、渡辺の意見を聞いたのと同様、他の者達の意見も聞いた上で、自己の考えを固めたい…と思っていた節がある。


 最初に訪れたのは、日本陸海軍通じて最年長の現役将官である軍事参議官 元帥・奥保鞏陸軍大将だった。

奥は、秋山が第一騎兵旅団長時代の直属上官だった人物であり、秋山が「騎兵の神様」などと敬われる様になったのは、この奥が信任し、その自由な作戦機動を放任したからこそだった。

故に、秋山の奥に対する心酔ぶり、傾倒ぶりは尋常では無く、階級上は同格になった現在でも、その一途な気持ちは変っていない。

逆に、わが身を「隠居の身」と定義している維新生き残りの老元帥は、かつての部下とは言っても既に六〇台半ばの秋山でさえも可愛い小僧同然の存在であり、特に己の意見を披歴する訳でもなく、ただただ

「大臣閣下のご存分になされよ……」

と、にこやかに一任し、その信頼を示した。


 続いて会談の席を設けたのは、軍事参議官・田中義一陸軍大将、同・山梨半造陸軍大将、教育総監・大庭二郎陸軍大将の長州閥三人組で、この三人は「参謀本部廃止」と「帷幄上奏廃止」の二案については、陸軍省の権限強化、拡大に繋がるとして、積極的に賛成する意見を述べたが、肝心の「軍部大臣文官制導入」に関しては「言語道断」として、断固拒否の姿勢を示した。

彼らの考えを簡単に言ってしまえば「統帥大権・編制大権の一本化」は認めるが、「伝家の宝刀たる統帥大権の独立」は断じて譲れない……という事だ。


 これに続いて会談したのが、参謀総長・河合操陸軍大将、同次長・武藤信義陸軍中将の両名。

上原子飼いの九州閥という以前に、参謀本部の代表者として陸軍省の傘下に収まる事など納得できるはずもなく、むしろ「軍部大臣文官制」を推し進めて、陸軍省を単なるソロバンを弾くだけの「事務方」に改組し、反対に参謀本部には軍令軍政の権限を集中すべきだ…と主張してくる始末だった。

 陸軍省、海軍省も官僚機構の一つである以上、士官学校、兵学校出身者だけではなく、一般大学出身者も数多く勤務しており、経理や事務処理、技術的な専門知識の必要な部署などの職務に就いている。

特に、独自の経理学校を保有しなかった陸軍においては、経理(主計)の大半を一般大学出身者に頼っていた。

しかし、彼ら一般大学出身者は陸軍内では「傍系」であり、「直系」である士官学校出身者に比べれば、出世の道は閉ざされた存在だった。

 参謀本部の両名が主張したのは、軍政・軍令に関する全ての権限を参謀本部に集中し、陸軍大臣と陸軍省から権限を奪った上で、これら一般大学出身者達の事務監督官として陸軍大臣に文民政治家が就任することぐらいならば、賛成してやってもよい、という具合だった。



 当節、大正デモクラシーの影響か、はたまた、世界的な軍縮ムードの高まりに対する危機感からか

「軍部大臣には親軍的な政治家に就任してもらい、軍部の代弁者とした方がいいのではないだろうか?」

という意見が、世俗からではなく軍内部、特に大正期に入ってから任官した若い士官の間から沸き起こっている。

 現実的には、衆議院にも、貴族院にも、「元軍人」という経歴を持つ議員は掃いて捨てる程いる訳だし、それら後備役ですらない退役軍人が軍部大臣に就任しても、軍の不利益になる様な行いをする可能性は低く「実害は無い……」と考えたからだろう。

或いは、

「軍服を着用したままでは汽車に乗る事さえ憚れる……」

とまで言われるほど、軍縮嫌軍の風潮が日増しに高まっていく中、世間の風当たりを弱める意味でも、肩身の狭い思いをし続けるぐらいならば、お飾りの軍部大臣に文官を推戴するぐらいは別によかろう……とも考えた節もある。

 軍内部で、この軍部大臣文官制に対する理解を深めるきっかけとなったのが、ワシントン軍縮会議出席の為、渡米した海軍大臣・加藤友三郎海軍大将の代理を「海軍事務取扱」として、事実上、海軍大臣の任を務めあげた原敬首相という前例だ。

当時、海軍側がこの原敬の監督下に入るのを、いとも簡単に承諾した事に、何より驚いたのは陸軍の方であり、当事者である海軍が納得しているにも関わらず、陸軍が反対する、という一種、奇異な事態に発展したのだが、結局、最後には

「これはあくまでも特殊な事例という事で……」

と説得された陸軍側が折れて、一時的にではあったが「軍部大臣を文官が務める」という前例が生まれ、しかもこれが世間に至極、好意的に受け止められたのだ。



 政治や官僚の世界において、何より怖いのが「前例がある」という事だ。

一度、生み出された前例を覆す、これはどんな世界においても容易な事ではない。

覆すには何より、まず「前例が間違っている」ことを証明しなくてはならない。

そして多くの場合、その証明は不可能だ。

「前例が間違っている事」を証明するのは、「自分自身が間違っていた事」を認めるのと同じ事なのだから。



 もう一つの前例、即ち

「帷幄上奏、陸相単独辞任による内閣倒壊」

「シベリア出兵時の内閣無視、統帥部独走」

という実績を作り上げた上原にしてみれば、秋山や渡辺が、意見を拝聴したい…というだけで業腹が立つ。

 上原は、前者に関しては「全ては陸軍の為に…」と考え、国防に必要不可欠な二個師団の増設を訴えただけであり、結果として内閣が倒壊したのは自分の責任ではない、と考えていた。

 後者に関しても「シベリアを勢力圏におく事が出来れば、計り知れない利益があり、その上、ソビエト政権を倒す事が出来れば重畳この上なし」と考えての行動だった。

 断じて、己が利益の為にやった訳ではない。


「それを何だ! 俺が間違っていたとでも言うのか!」


入口を背にしたソファに座った上原は、顔面を朱に染め、両膝の間に立てた軍刀の柄端に両の手をのせたまま、客として上座に座る秋山を睨みつける。


「貴様の昔話をとやかく言っている訳ではない! これから先の陸軍としての考え、その道筋をつけたい、意見を聞きたい、と言っているだけだ」


 上原が熱くなれば、秋山も熱くなる。

室温は、耐えきれないほどに上昇し、不快指数は青天井に伸び続ける。

秋山の隣に座る渡辺は、両元帥のあまりの剣幕に圧倒されつつも、何とか持論を主張するが、上原どころか、秋山にまで

「小僧、すっ込んでいろ!」

とばかりに睨みつけられては、委縮する他はない。


「秋山大臣、参謀本部来訪」

との報告に、“御大将”の朋友・秋山への「ほんの御機嫌伺い」のつもりで上原の部屋を訪れた町田経宇大将は、途中、「気分がすぐれない」と言って嫌がる福田雅太郎大将を無理矢理、伴っていた。

上原の左隣に陣取った町田は、肥満した巨躯に極度の童顔というアンバランスな印象の人物で、日露戦争のおりには第四軍参謀として、同じく第四軍の参謀長を務めた上原の補佐役を務めあげ、シベリア出兵に際してはサガレン派遣軍司令官を任せられた将帥なのだが、如何にも武辺一辺倒の人物で、この日も席上

「すわ、御大将の危機」

とばかりに、上原の怒声に盛んに賛意を示すが、その言葉がヤジの域を出る事は無い。

 町田の左隣に陣取る福田は、風邪気味なのか、或いは室内を圧する怒声と罵声にすっかり呑み込まれてしまったのか、場違いなほどに顔を蒼褪めさせ、しきりと噴き出す汗を、手拭で拭い続けている。

福田は、関東大震災に際しては戒厳司令官を任せられたほど、上原に目を掛けられた人物だったが、震災と前後して多重発生した数々の事件騒動を収めるどころか、不用意な発言や訓令により騒ぎを大きくしてしまう始末であり、その余りの体たらくぶりには閥の領袖・上原でさえ、さすがに呆れ果ててしまい更迭された過去をもっていた。




 事の発端となった旧・政友会の高橋是清も、軍制改革を訴える陸軍次官・渡辺も、帝国憲法そのものの改正など、全く考えていない。

彼らは、あくまでも各種法令の改定を行うべきだ、というだけであり、憲法に手をつける気など、毛頭ない。

「統帥権の独立」を、高橋は政治家の立場から「無用のモノである」と考え、渡辺は軍人の立場から「不合理なモノである」と考え、行動に移った。

軍内部から改革の狼煙を上げた渡辺が、その標的としたのは、帝国憲法そのものではなく、統帥権の独立を支える二つの法令、即ち、

『軍令第1号』、そして『内閣官制第7条』だった。


 一口に『帷幄上奏』といっても、大きく分けて軍部大臣からの奏上によるものと、参謀総長、軍令部長、軍事参議官、元帥といった「統帥部門(本来の意味での帷幄)」からの奏上によるものの……二種類に分かれる。

 軍部から煮え湯を飲まされ続けた高橋・政友会は帷幄上奏そのものの全面的廃止を狙ったが、渡辺の意図したのは、あくまでも骨抜きであり、全面的に否定するつもりでいる訳ではない。

しかし、内閣の頭越しに軍事行動を推し進められる原因となり、軍部が内閣を無視し、内閣が軍部を敵視する原因ともなっているこの軍首脳の特権に、少しだけ細工をするつもりなのだ。


明治四十年制定の軍令第1号『軍令ニ関スル事』によれば、軍令を施行するのに必要な手続きは

『天皇の親署』

『天皇の玉璽』

『陸海軍大臣の副署』

となっている。

要は『軍令』とは、統帥部門から奏上されてきた帷幄上奏(報告、助言、要望)に天皇が署名して、内大臣が印鑑を押して、陸海軍大臣が施行責任者として署名して、施行する……という訳だが、ここに

『内閣総理大臣の副署』

という一文を加えるだけで、統帥部門が内閣・政府に無断で軍を動かす事は不可能になるのだ。


 だが統帥権独立を担保しているのは、この軍令第1号だけではない。

明治40年の内閣官制改定により、各国務大臣が奏上し、裁可を仰ぐ勅令については、

『全て内閣総理大臣が副署する』

と規定されているのだが、同7条により、陸海軍大臣の両名が奏上する

『軍機軍令に関わる事』

は、これの例外とされており、陸海軍大臣が副署した後、内閣総理大臣に報告だけすれば良いとされている。

 つまり、『帷幄上奏には内閣総理大臣の副署が必要』と、軍令第1号を改定したとしても、この『軍機軍令に関わる事』を陸海軍大臣が“意図的”に拡大解釈してしまえば、高橋・政友会の主張する統帥部からの帷幄上奏を如何に形骸化しようとも、同じ問題が起こり得てしまうのだ。



 上原元帥の参謀総長時代に度々行われた、

『内閣の意向を無視して、シベリアへの拡大派兵を参謀本部の独断で奏上し、裁可を受け、戦線を延伸し、事後承諾的に内閣に追加予算を強要する……』

という

『帷幄上奏の最悪例』

の再発を防止するには、新たなる軍令公布により

軍令第1号の内容を改定し、内閣総理大臣の副署を必要とする

とした上で、

内閣官制7条を廃止して、陸海軍大臣も他の国務大臣と同列に扱い、奏上される内容すべてに内閣総理大臣の副署を必要する様に改定する、という二点が絶対的に必要となる。

そして、前者制定に必要な手続きは、軍首脳からの帷幄上奏・裁可であり、後者制定の手続きに必要なのは、国会における法案提出・可決、となっている。



 上原が、唾を飛ばし、軍刀の柄を握り締めた拳を白ませながら、裂帛の気合を込めて「政治からの統帥権独立」の必要性を説けば、秋山は秋山で、「軍人たるもの政治に関与するな」の一点張り。

政治から距離を置く……という点では、両者の主張に違いは無いのだが、その置いた場所が、あまりに違い過ぎる。



 そもそも『統帥権の独立』が何の為に存在するのか?

その成立までの経緯を見れば、それは明らかである。

自由民権運動の伸長により、政党政治の幕が開いた時、軍を政党の玩具にされない為には、そして、軍の絶対中立を維持する為には、政党内閣の手の届かない天皇大権の一つと定義するしか方法がなかったからだ。

 薩長閥が政界・軍界を牛耳り、政党勢力が挑戦するという時代において、少なくとも軍の政治的中立性は信頼されており、軍が独自に政治的な意志や意図を持つ事など、あり得ない…と考えられていた。

もし、『統帥権の独立』を“悪”と定義し、統帥権を内閣が所掌することが“善”だとした場合、共産主義者などによる左派内閣が成立した時、今上天皇以下皇室一統は、左派内閣の命により軍自身の手によって恣意される、という可能性すら全面的に否定はできなかったし、大国ロシアですら共産革命によって滅ぶ、という衝撃的事実を目の当たりにした時代において、これは決して絵空事ではない。


 薩長閥が後退し、政党勢力が新たなる政治勢力として台頭してきた時、藩閥勢力最後の巨魁・山県有朋は己の最後の仕事とばかりに、統帥権の独立というブービートラップを仕掛けた後、表舞台を降りた。

 そして史実において、このトラップは見事なまでに正確に作動し、その破裂の爆炎は軍自らの身だけでなく、大日本帝国という一つの国家もろとも、全てを焼き滅ぼす事となってしまった。


軍の絶対中立を目的とした『統帥権独立』に対して制限を加える、という事は、同時に

『過度の自由主義や共産主義、無政府主義への徹底した弾圧』

を表裏としなくてはならず、それは理想主義を捨て去り、法による思想統制を受け入れる、という事なのだ。


 上原と秋山。

その平行して交わらぬ会話を聞きつつ、渡辺は、その事にようやく想いが至った。

「この国において、軍人が統帥権の独立を手離す時、それは、政治家が革命思想に対する弾圧者の汚名を甘受する時なのだ…」と。




大正十三年二月二十三日

(1924年2月23日)


東京・千代田区 

東京駅 構内


 この日、新党・民政党初代総裁の座を得て、得意の絶頂にある加藤高明は、選挙戦の最終日を地元・神奈川県大磯での選挙演説にて締めくくるべく、東京駅を発する汽車に乗りこもうとしていた。

この季節の東京としては珍しいほどに風が巻き、横殴りの雪となった午前の一刻、特徴的な大屋根に覆われたホーム上にすら、うっすらと白いものが積もり始めていた。

 加藤は、民政党総裁という立場もさることながら、東郷内閣の内務大臣でもある。

日本の官僚機構としては、陸軍省に次いで巨大な組織・人員を擁する内務省の管理責任者として、その決済を待つ書類は実に多い。

 加藤の傍らには、大きな書類鞄を抱えた私設秘書のみならず大臣官房の秘書官達や、警護の巡査達が冷たい風に身を刻まれながら、首をすくませ、汽車の昇降扉が開くのをただ、待っていた。


「大臣閣下、お気をつけて」

そう言葉を掛けてきたのは、たった今まで決済待ちの書類に関する説明を行い、ようやく加藤の裁可を得てほっと一息といった表情をみせている内務省・警保局長の川崎卓吉だった。

警保局は全国の警察を所掌する内務省最大の部局であり、その長は内務省に限らず、全省庁の官僚達の中でも超のつくエリートが務める

『官僚の華』

とも言うべき役職で、退官後には貴族院議員へと道が開ける。

 大正年間に入って以来、この警保局には続々と明治末期に東京帝大を卒業した優秀な官僚達が集結しつつあった。

 川崎の前任者・藤沼庄平や、その前任の後藤文夫といった野心的な人物が、次々と若くしてこの警保局長に登り詰め、配下である警察に対しても、国民に対しても、そして何より軍に対して、睨みを利かせている。

 俗に『新官僚』と呼ばれる彼らは、法曹界に君臨する『閻魔大王』平沼騏一郎の提唱する国粋主義に傾倒しているグループであり、平沼の法曹界における発言力の大きさは彼ら新官僚達の崇拝によるところ、大なのだ。

 

 今回の選挙戦の開始と共に、在郷軍人会によるものと思われる与党側への選挙妨害に、漫然と手をこまねいている警察の意図的サボタージュに対し、加藤は内務大臣として激怒し、警保局長・藤沼を更迭、代わりに川崎をその座に据えた。

 川崎も東京帝大出身のエリート官僚だったが、平沼とソリが合わなかったばかりに内務省本局での勤務経験は少なく、台湾総督府や福島県知事などの地方勤務が多い苦労人で、加藤の招請によりようやく本省に戻ってこられたのだ。

 抜擢された川崎も、加藤の意を汲み、選挙戦最終盤で遅きに逸した感はあるものの、警保局長として全国の警察署を督戦、選挙妨害や違反行為に対し、容赦ない取り締まりを行う様に下達し、その信任に応えようとしている矢先だった。


「ありがとう。最後の仕上げに行って来るよ。後は頼む」

加藤は選挙戦への自信からか、微笑みつつ鷹揚に答えると、如何にも大物政治家らしく仕立ての良い、黒のフロッグコートに身を包み、見送りの人々に帽子を掲げ、挨拶する。

「諸君、それで……」


 微かな、それでいて、連続した炸裂音。

空き缶と空き缶を打ち合わせた様な、耳に残る金属音がホームの大屋根の下、こだまする。

加藤は、右手に帽子を持ったまま、フロッグコートの胸に空いた3つの穴を、しばらく見つめると、その場に崩れ落ちた。

「閣下……?」

事態を呑み込めない秘書の呆けた顔、職責を果たせなかった巡査の自失。

 数メートル離れた位置で、無煙火薬の匂いを発する二十六年式回転拳銃を構えた20代と思しき和服姿の男が、茫然とする一同に対し、歪な微笑みを浮かべている。

眼に宿りしは狂気。

その男は、回転拳銃の筒先を、ゆっくりとコメカミにあてがうと、シリンダーに残された最後の金属塊を己の脳髄に向け、放った。




大正十三年二月二十三日

(1924年2月23日)


岩手県・盛岡市

岩手公園内 岩手県立図書館


 国鉄・東北本線盛岡駅の程近く、岩手公園内に建つ岩手県立図書館は、「平民宰相」原敬の寄付により建設された図書館だ。

しかし、残念な事に原は私財を投じたこの図書館の開所を見ることなく、右翼の凶刃にその命を贄としている。

 原敬の後継として、政友会総裁の座を引き受け、その選挙区を受け継いだ高橋是清が、原敬に寵愛された横田千之助を伴い、選挙戦最終日最後の演説場所として、この原の忘れ形見となった県立図書館を選んだのは、当然の事だっただろう。

 おりから天候は荒れに荒れ、綿入れを重ね着していても身を切られる様な寒さに、高橋の高齢を危ぶんだ横田は、演説を建物内で行う様に勧めたのだが、高橋は頑なに建物内に入る事を拒んだ。

高橋にしてみれば、そうだっただろう。


「何の面目あって……」


 高橋本人が望んだ事では無いとは言え、原から棚ぼた式に党と地盤を受け継ぎながら、高橋を最後の総裁として政友会は消滅した。

その自分が、原が私財を投げ打って故郷に奉げたこの図書館に、今、立ち入る事は出来ない。

選挙に勝って、初めて自分はこの建物に足を踏み入れられる。

それは高橋の意地だった。


 岩手県立図書館の玄関先、建物に比して余りに大ぶりな玄関ポーチの下に高橋は立った。

大きな屋根が、一応は大粒の雪を防いではくれるが、まるで下から突き上げる様な風は、防ぎようもない。

風雪に馴れた東北の人々でさえ、外出を躊躇うような天気具合であったが、図書館の玄関先には地元の英雄・原敬を国会に送り込んだ支持者達が、その後継者の晴れ舞台を祝う為に傘を片手に集まっていた。

寒風吹きすさぶ屋外の演説会場。

味もそっけもない白と灰色に覆われた一面の世界。

日露戦争を経済面から支えた帝国屈指の財政家にして、元首相の初選挙にしては、あまりに寂しい演説会ではあったが、高橋は意に介さず、支持者の差し入れてくれた熱燗を松の香の薫る大桝で一気にあおると、滔々と演説を始める。

 ダルマそっくりな風貌に、少し高調子だが陽気な声を持つ高橋は、どこにいっても人から好かれる。

決して、弁の立つ男ではないが、英語教師を務めていただけに、人との対話に長けているのだ。

聴衆一人一人と、まるで会話を愉しむ様な調子で、時に冗談を交えながらの演説に、周囲は次第に惹き込まれていった。

聴衆達の変化に気を良くした高橋は、大桝を片手に持ち、時折、水の代わりにそれをグビリと一口飲んでは、与党の政策を分りやすく説く。

いつの間にやら、寒空の下に集まった聴衆達にも酒が振る舞われ、皆で数の足りない桝を回し飲みしつつ暖をとり、玄関ポーチの前は和やかな酒宴会場の態をみせはじめていく。

 生真面目な横田にしてみれば、高橋のどこかのどかな振る舞いに呆れつつも、微笑ましく思う。それだけ、高橋という人物の器量が大きい、という事だろう。

原の地盤を受け継ぐと云っても、岩手とは縁もゆかりもない高橋の初選挙を危ぶんだ横田だったが、聴衆を酒ともども腹中に併せ飲む様な高橋の豪快さに


(これはもう、大丈夫)


と確信するに至っていた。


(よし、この演説会が終わったら、原先生の墓参りに伺おう…)


そう考えた横田が、高橋の耳元に同行を誘うべく顔を近づけた瞬間だった。



「パキンッ!」

突然、高橋が今、正に口元に運んだ大桝が割れ、飲み残しのぬるい酒が、顔を、髭を、和装を、そして足元を濡らす。

「……?」

割れた木片があたって、少しばかり唇でも切ったのか、口中には鉄臭いものを感じる。

「先生!」

「先生! 御無事で!?」

「……?」

自分を呼ぶ声に、ふと視線を上げると、聴衆達が一人の青年を抑えつけているのが目に入る。


(さては、お若いの。酒に飲まれたな……)


高橋は、てっきり酔漢が抑えつけられているのだと思いこみ、騒ぎになっている場を収めようとして、ふと酔漢の足元に目をやると、そこには何故か回転式の拳銃が一丁、落ちていた。


「はて……?」


偶然、口元に運んだ堅い松材の大桝が、弾道を逸らした事に未だ気がつかぬ高橋は、それを不思議そうな顔でしばしの間、眺め続けた。


「総裁、大事ないですか?」

傍らに立つ横田が、高橋を抱きかかえるようにして安否を問う。

「あぁ…うん。大丈夫だ。それに僕は、もう総裁じゃありませんよ」

笑いながら、横田の揚げ足をとった高橋は、度の強い眼鏡を外すと懐から手拭を取り出し、濡れた顔や髭を拭いながら気がついた。

「血……?」

唇を切っただけにしては、あり得ない量の血を手拭が吸い取り続けているのだ。

「……よ、横田くん、君…?」

「よ……よかっ……た」

力が抜け落ちる様な小さな声で、そう呟いた横田は、首筋から鮮血を撒き散らしつつ、がっくりとその場に膝をついた。




大正十三年二月二十三日

(1924年2月23日)


東京・本所区 松坂町


 かつて吉良上野介義央の邸宅のあった、その空き地に演壇がしつらえられている。

この本所区は震災により家屋の9割以上が焼失した区で、被災地域としては最大級の死者を出した地区でもある。

 この日、選挙の仕上げとばかりに松岡駒吉の演説会が、この場所において行われようとしていた。

内務省内の人事異動が影響したものか、松岡の選挙活動もこの数日は至極、やりやすい。

「弁士中止!」などと叫ばれ、支持者と巡査達の揉み合いを見なくて済むのは、ありがたかったし、それに何より、昨日まで選挙の邪魔ばかりしていた巡査達が、松岡の立つ演台に背を向け、警護と会場整理の役目を請け負ってくれているのは、実に痛快だ。


「ありがてぇ、ありがてぇ」

松岡は、目前のミカン箱に座って、応援演説の出番を待っている犬養に手を合わせる。

内務省内部の人事の風向きなど露ほども知らぬ松岡は、それやこれも、連立与党の一角を占める重鎮というだけでなく、現職逓信大臣の犬養が後見役を務めてくれている“御威光”のお陰とばかり思い込んでいた。

「あん? そうかい?」

犬養は、支持者が差し出す傘の下、足元で焚かれた七輪に手をかざし、素知らぬ顔で煙管を咥える。

内務大臣の加藤が激怒して、警保局幹部を総入れ替えした事情を知っている犬養にしてみれば、それが自分のお陰などでは無い事を知ってはいたが、

(お前さんが勘違いするのは勝手だぜ……)

とばかりに、素知らぬ顔でとぼけ、内心、舌を出す。


「犬養の旦那、出番です」

松岡の支持者の一人に声を掛けられた犬養が、寒風に凍えて丸くなった背をひとしきり、伸ばすと

「あいよ」

と機嫌よく、言葉を返し、愛用の長煙管をしまう。

広大な空き地は黒山の人だかりだ。

彼らの目当ては、無論、松岡ではなく、当代随一の人気政治家・犬養毅の演説。

「今夜は、積もるかな……」

雨が雪に変り、辺り一面の泥濘と化した空き地の水たまりをヒョイヒョイと身軽に飛び越えながら、犬養は独り、呟く。

演壇の手前、最後の水たまりを飛び越えようとした瞬間、犬養はしくじる。

着地予定地点よりも、三寸ばかり手前に飛び降りたばかりに雪駄の踵が、泥水を跳ね上げ、白足袋と袴の裾を濡らす。

「あーあー、あーあー、アンヨも、お裾も泥だらけ、ひでえ事になっちまったなぁ……」

汚れた裾を指先で摘まんで、足元を見やった犬養は、当代人気の噺家・三遊亭圓右の「首提灯」の一節を真似て、周囲に笑いをもたらす。


(ちっ、年はとりたくねえなぁ…)


犬養は、内心の悄然とした思いを打ち消す様に、驚く程の身軽さで、ミカン箱を積み重ねて作った粗末な演壇に飛び乗ると、集まった聴衆一人一人と目を合わせる様に、ゆっくりと辺りを睥睨する。


慈父の様に柔和で、厳父の如く峻烈な小さな瞳。


 その瞬間、聴衆は苦も無く犬養の手の内に落ちた。

「霜夜に松籟を聞くかの如し」

と褒めそやされた伝説的なその演説の始まりと共に、数千の聴衆は正しく霜夜の如く静まり返り、犬養の声は、風に揺れる松の葉が奏でる雅楽の如く、心地良く耳朶にしみ込む。

決して大きな声ではないが、一語一語がハッキリと聞える、そんな声だ。


「旦那! あぶねえ!」

演説も終盤に差し掛かろうとした時、演壇の足下にいた丸刈り頭に背広姿の男が数名、突然、立ち上がり、それと同時に、絶叫を上げた松岡が弾丸の如くミカン箱の演壇を駆け上がり、犬養を突き飛ばす。

二十六年式回転拳銃の吐き出した硝煙の香りは、たちまち北風に吹き飛ばされ、辺りは怒声と悲鳴に包まれる。

人と人が揉み合い、ぶつかり合う音、誰かが誰かを詰る声、恐慌状態の聴衆を制する巡査の警笛。


演壇の下、冷たい雪交じりの泥濘に身を預け、頭と腹に感じた痛みが消え去る瞬間、犬養の意識は暗転した。




大正十三年二月二十三日

(1924年2月23日)


東京・千代田区 

民政党・本部


 旧憲政会本部会館をそのまま流用した新党・民政党本部会館において、党幹事としての午前の執務を終えた浜口雄幸は、昼食をとる為、近所の蕎麦屋・谷将に向かうべくコートを羽織った。

高知生まれの浜口は、あまり蕎麦を好まなかったが、安永年間に創業したと云われる、この老舗の名物・蕎麦寿司が大の好物であり、この日も朝から「……昼飯は『谷将』」と考えていた。

 本部会館の玄関先を一歩外に出ると同時に、文部大臣でもある浜口の警護を担当する4名の巡査が周囲を囲む。

貧しい生まれの浜口は、彼ら下級官吏に対しても分け隔てなく接する気さくな性格の持ち主であり、昼飯などの気取らぬ席では、よく彼らと席を共にする。

巡査達も、浜口のその飾らぬ立ち居振る舞いによく懐いており、

「今日は『谷将』ですか?」

などと、自らの昼飯をあてこんで浜口に笑いかける。

その問いに、浜口もにこやかに頷くと空を眺めやり

「いつのまにか雪になったんだね。さあ、皆で熱いとこをすすろうじゃないか」

と、清々と答える。


 会館の敷地内を抜け、門前から出たところで新聞記者の一団が、いつもの如く、浜口をとり囲もうとするが、巡査達が手慣れた様子で適当にこれをあしらう。

選挙戦が始まって以来、政友会からの大量脱党、政友本党旗揚げ、政友会崩壊、民政党結党と、目まぐるしく二転三転する情勢に彼ら新聞記者達も、ついていこうと必死なのだ。

「浜口大臣!」

一人の記者が浜口に声を掛け、そちらの方を向いた瞬間

「国賊!」

の絶叫と共に二十六年式回転拳銃が浜口の面前に突き出される。

「閣下、危ない!」

警護責任者の巡査部長が、拳銃を構えた記者風の男に飛びかかろうとするが、一瞬早く、拳銃が火を噴き、弾丸は巡査部長の身体に吸い込まれる。

「野郎!」

「やめんか!馬鹿者」

「天誅!!!」

記者達の悲鳴、巡査達の怒声、拳銃をもった男の怒号が入り混じる中、若い巡査が浜口の身体に覆いかぶさる様にして下がらせようとするが、その刹那、再び拳銃が火を噴く。

浜口は腹部に焼け火箸を押しつけられる様な感触を受け、よろめく。

更に一発、二発。

弾丸は、浜口をかばおうとした若い巡査の身体に吸い込まれ、その巡査は声を上げる事もなく絶命し、生命力を失った肉体が、生前以上の重みで浜口にのし掛かる。

「貴様っ!」

巡査の一人が、ようやく拳銃を抜き、記者風の男の左コメカミにそれをあてがい、そのまま引き金を引くと、瞬時に男の瞳から精気が消え失せ、その場に崩れ落ちる。


「奸賊め、死ね!」

驚くべき事に、更に別の記者風の男が懐から拳銃をとり出すと、浜口にその銃口を向ける。

凶賊がまさか二人いるとは思わなかった生き残りの巡査二人は、完全に虚を突かれた格好となってしまった。

 巡査の死体の下、尻もちをついた格好になっていた浜口に向かい、銃弾が次々と放たれたが、二人目の男の後頭部に機転を利かせた記者の一人が、手にした写真機を叩きつける。

突然の衝撃に、男はよろめきつつ左手で後頭部を抑え、赤く潤んで、熱を帯びた様な瞳で、周囲を取り囲む記者の一団を睨みつけると、右手に持った拳銃で彼らを威嚇するが、勇敢な記者達は、手にした鞄や写真機、画板からメモ帳、万年筆に至るまで男に投げ付け、浜口と男の間を裂く。

 彼らの決死の抵抗に観念したのか、男は記者達に冷笑を浴びせると、手にした拳銃を己の顎の下にあてがい、轟音と共に自らの命を絶った。


 腹と肩から大量の血をほとばしらせた浜口は、更に激しく吐血し、白い雪の上にたちまち赤い血の池を描く。

二人の巡査が、その両脇を支えて立ち上がらせると、そのまま引きずる様にして会館内に逃げ込み、これに記者達も続き、更には騒ぎを聞きつけた党職員達や近所の者達も慌てて駆けつけ、辺りは瞬く間に喧騒に包まれた。


「閣下、お気を確かに」

己の職責を果たせなかった若い巡査が、臨終する父親を見る様な目つきで、泣きそうな顔をしながら浜口の耳元で狂ったように叫ぶ。


「……さ…わぐ…な」

激しく咳込みつつも、浜口の瞳は、いまだ精気を失ってはいない。しかし、口元からは胃の腑より逆流した泡交じりの血がとめどなく溢れ出してくる。


「男子……の…本懐であ……る」




大正十三年二月二十三日

(1924年2月23日)


東京・三宅坂

陸軍参謀本部 軍事参議官控室


 室内の息苦しさの原因が、部屋の大きさに比べて、人数が多かったからばかりだとは言えない。

上原が己の閥随一の切れ者である参謀次長・武藤信義中将を呼びつければ、秋山は渡辺次官の「助っ人」にと、渡辺とは陸士同期の友人で、同様の意見を持つ教育総監部本部長の林弥佐吉少将を呼びにやる始末だった。


 会談という名の論戦が始まって既に数時間。

上原の心中にはいささかの狂い、揺れもない。

他ならぬ秋山の申し出、一にも二にも「承知いたした」の一言を掛けてやりたいのは山々だが、事が事だけにそうはいかぬ。

自分が退けば、「統帥権の独立」は砂上の楼閣の如く消え去り、軍は政党の意のままに操られ、政争の具とされてしまう。

 今や軍の最高実力者となった上原の危惧も、かつて同様に最高実力者として君臨した山県が抱いた、それと同じなのだ。

「軍は政治の玩具に非ず」と強い意志を秘めて、上原は敢えて火中の栗を拾い、統帥部独走の暴挙に出、世評の顰蹙を買い、そして多くの個人的な怨みは買ったものの、軍の政治的地位を高めることには成功したと思える。


だが、上原自身に憂いが無い訳ではない。

軍を政治の玩具にはさせない。だが、軍が、軍を玩具にする可能性は無いのだろうか?



 突然、参議官控室の分厚い木製扉が内側に勢いよく開く。

「元帥・上原勇作陸軍大将殿はおいでですか?」

30代の若い尉官とおぼしきその男は、室内にこれほどの人数が集まっているとは、想像していなかったらしく、やや上っ調子の声で、戸惑いながら声を掛ける。

「なんだぁ? 貴様は誰何の仕方も知らんのか?」

「ノックぐらいせんか、馬鹿者!」

「貴様、いったいどこの所属だ? 官姓名を名乗れ」

町田大将と武藤中将が、己の機嫌の悪さを当たり散らすかの様に尉官の無礼を見咎め、口々に叱りつける。


「あぁ、いるよ。なんだね?」

一介の尉官如きにしてみれば雲の上の存在である大将と中将に交互に問い詰められては、あまりに気の毒だろう……と町田と武藤の怒鳴り声を意に返さず、秋山が緊張した様子の尉官に苦笑しつつも声を掛け、上原を指さそうとした瞬間

「奸賊っ!」

突き出された二十六年式回転拳銃の黒く禍々しき銃身が、スーッと秋山の胸に向かって伸びた。


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